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Ⅱ.近づく距離
16.引き離された想い
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暫くして、狼泉が悠里の腕に手を添えた。スッと離れて、近い距離で向かい合う。
まだ疲労感の残る顔をしていても、狼泉の目は青く澄んでいて、こんな時でも美しいのかと思い、悠里は目は細めた。
今は枯れかけているという琥泉国の始泉も、狼泉の目のように美しいところだったに違いない。
「ありがとう、悠里。ずっと苦しんできて、話すのもつらいと思っていたが、悠里が寄り添ってくれて、すごく楽になった」
狼泉が微笑む。それに対して、悠里は話すことを強いて狼泉を苦しめてしまった罪悪感で、顔を曇らせ目を伏せた。
「それなら、良かった。僕が無理に聞き出してしまったようなものだから……」
「いや、それは違う。俺が、聞いてもらいたいと思ったんだ」
頬に温かいものが触れる。狼泉の大きな手だった。
顔の半分を包むように触れる手に、悠里は無意識で擦り寄る。この温かさで、悠里は少し勇気を得た。ずっと気になっていた疑問を尋ねてみよう、と。
「……それなら、もうひとつ、聞いてもいい?」
「なんだ?」
「……もしかして、狼泉が狼という字で疎まれた原因も、神獣が失われた争いにある?」
もし、天琥との争いを起こした原因の人間の名前が狼というのなら、狼泉が一族から疎まれた理由は分かる。納得はしないが。
そう思い、躊躇いを滲ませながら尋ねた悠里に、狼泉は息を呑む。
「そうだな……」
頷いた狼泉が、惑うように目を瞑った。悠里は離れていこうとした狼泉の手を握り、頬に押しつける。この温もりがないと、「やっぱり答えなくていい!」と言ってしまいそうだった。
狼泉は目蓋をあげ、悠里を見つめる。そして、哀しげな笑みを浮かべた。
「――俺の一族の言い伝えでは、狼朗という者が、神獣との争いを引き起こす原因になったとされている。同じ狼の字を持っていたから、俺は疎まれた」
予想通りの答えに、悠里は唇を噛む。
狼泉にはどうしようもないことで疎まれていた事実が悲しくてつらい。そして、悔しい。悠里が過去の狼泉の傍にいられたなら、狼泉を守るために「狼朗と狼泉は違う人間だ!」と主張して回っただろう。
狼泉の過去を思い、涙をこらえていた悠里は、ふと、前に聞いた狼泉の言葉を思い出す。自分の名前について話すとき、狼泉は一族の人間とは違う意見を持っていたはずだ。
「……前に、狼泉は、狼とは悲しいほどに愛情深い者の名前だと言っていたよね?」
それは、狼朗という存在が引き起こしたと言われる争いのイメージとは、かけはなれているように思えた。
悠里が首を傾げて尋ねると、狼泉は目を細め、嘆息するように「あぁ……」と呟く。
「――そうだな。確かに、俺はそう言った。それは、言い伝えに隠された真実を知ったからだ」
「真実……」
じっと見つめる悠里から目を逸らし、狼泉が囲炉裏の中の熾火を見つめる。
「俺は五年前に、争いが起きた当時の一族の者の日記を見つけた」
「日記?」
「ああ。そこには、驚くべきことが書かれていた。狼朗は天琥の族長と想い合い、その関係を疎み嫉妬した一族の長が、天琥を捕らえる計画を立てたのだ、と。おそらく、長は一族から天琥の守護が失われる可能性を恐れたのだろう。狼朗にも、天琥にも、そんなつもりはなかったはずなのに。争いが起きるまで、俺の一族と天琥は、多少歪でも良好な関係だったんだ」
「そんな、ことが……」
悠里は思いがけない事実に絶句する。
そんな悠里の顔に視線を戻した狼泉が、切ない笑みを浮かべてゆっくりと手を伸ばす。悠里は抱き締めてくる腕に逆らわず、狼泉の胸元に顔を埋めた。
「狼朗は、天琥の族長を守ろうと、俺の一族と戦った。だが、多勢に無勢はどうしようもなく、命を落とした。己の命を、天琥の族長への愛に懸けたんだ。――悲しくて、愛情深いだろう?」
「……うん。すごく。でも、その天琥の族長さんは、どう思ったんだろう……」
涙の滲む声で、悠里は疑問を呟く。
悠里なら、愛する相手が自分のために命を落とすところなんて見たくない。狼朗は死ぬ寸前まで愛を示して、ある意味満足したかもしれないが、遺された天琥の悲しみを思うと、悠里は手放しでその行動を称賛することはできなかった。
「……そうだな。どう思ったんだろうな。……天琥の族長の様子は、日記に書かれていなかった。だが、狼朗が亡くなったのは天琥の族長の目の前で、そのすぐ後に、落雷があって姿を消したそうだ」
「そっか……」
悠里は呟き、目を瞑る。
世界には悲しみ嘆いてもどうしようもないことが多すぎる。これも、そのひとつでしかないと分かっていても、悠里は飲み込むことができなかった。
どうにか悲しい思いから気を逸らそうと、悠里はこれまでの話で気にかかっていたことを言葉にする。
「――そういえば、狼泉って、もしかして、琥泉国の王族?」
「…………え?」
悠里を抱き締める腕が固まる。狼泉の声に動揺が表れていた。
その分かりやすすぎる反応を感じ取り、悠里はやや呆れながら顔をあげた。そして、目を見開く狼泉を軽く睨む。
「もし隠そうとしていたなら、隠し方が下手だよ。これまでにもなんとなく察していたけど、狼泉の一族の昔の長が、自分たちに天琥の守護があるって考えていたなら、限りなく王族に近い立場だよね? 神獣は王と契約を結んだって言っていたもんね?」
「あぁ……」
「名前に必ず泉の字が入るのも、王族なら納得する。琥泉国の王族の印として分かりやすいもん」
「そうだな……」
目を逸らし頷くだけの狼泉の頬に、悠里は手を伸ばしてつねった。
ずっと、狼泉の秘密を暴いてしまったらもう傍にはいられなくなるのではないかと恐れていたが、狼泉の腕はまだ悠里を抱き締めたままで、少し安心する。それと同時に、隠され続けていたことへの不満が溢れた。
「ちゃんと、狼泉の言葉で教えて。狼泉は王族?」
「……そうだ。一応、第四王子と言われていた」
そろりと視線を悠里に戻し、狼泉が頷く。怒られるのではないかと怯える子どものような仕草だ。
「そっか。それなら、ちゃんと偉い人扱いされたかったりする?」
「しない」
「分かった。じゃあ今まで通りにするね。――さて、そろそろ寝る支度をしようか」
「……それだけで、いいのか?」
「何が? もしかして、僕が、狼泉が王族ってことで遠慮するとでも? 言っとくけど、ここで人間の身分なんて、大した価値を持たないからね。隠し事されてたことは、ちょっと怒ってるけど、僕が思うのは、それくらいだよ」
悠里がわざとらしく尊大に言いきると、狼泉は瞬きを繰り返した後に、顔をくしゃりと歪ませて笑った。そして、悠里をぎゅっと抱き締める。
「ああ、そうだな。確かに、ここでは、そんなものなんの意味もない! ははっ」
悠里はきょとんと目を丸くする。狼泉の笑いのツボがよく分からなかった。
まだ疲労感の残る顔をしていても、狼泉の目は青く澄んでいて、こんな時でも美しいのかと思い、悠里は目は細めた。
今は枯れかけているという琥泉国の始泉も、狼泉の目のように美しいところだったに違いない。
「ありがとう、悠里。ずっと苦しんできて、話すのもつらいと思っていたが、悠里が寄り添ってくれて、すごく楽になった」
狼泉が微笑む。それに対して、悠里は話すことを強いて狼泉を苦しめてしまった罪悪感で、顔を曇らせ目を伏せた。
「それなら、良かった。僕が無理に聞き出してしまったようなものだから……」
「いや、それは違う。俺が、聞いてもらいたいと思ったんだ」
頬に温かいものが触れる。狼泉の大きな手だった。
顔の半分を包むように触れる手に、悠里は無意識で擦り寄る。この温かさで、悠里は少し勇気を得た。ずっと気になっていた疑問を尋ねてみよう、と。
「……それなら、もうひとつ、聞いてもいい?」
「なんだ?」
「……もしかして、狼泉が狼という字で疎まれた原因も、神獣が失われた争いにある?」
もし、天琥との争いを起こした原因の人間の名前が狼というのなら、狼泉が一族から疎まれた理由は分かる。納得はしないが。
そう思い、躊躇いを滲ませながら尋ねた悠里に、狼泉は息を呑む。
「そうだな……」
頷いた狼泉が、惑うように目を瞑った。悠里は離れていこうとした狼泉の手を握り、頬に押しつける。この温もりがないと、「やっぱり答えなくていい!」と言ってしまいそうだった。
狼泉は目蓋をあげ、悠里を見つめる。そして、哀しげな笑みを浮かべた。
「――俺の一族の言い伝えでは、狼朗という者が、神獣との争いを引き起こす原因になったとされている。同じ狼の字を持っていたから、俺は疎まれた」
予想通りの答えに、悠里は唇を噛む。
狼泉にはどうしようもないことで疎まれていた事実が悲しくてつらい。そして、悔しい。悠里が過去の狼泉の傍にいられたなら、狼泉を守るために「狼朗と狼泉は違う人間だ!」と主張して回っただろう。
狼泉の過去を思い、涙をこらえていた悠里は、ふと、前に聞いた狼泉の言葉を思い出す。自分の名前について話すとき、狼泉は一族の人間とは違う意見を持っていたはずだ。
「……前に、狼泉は、狼とは悲しいほどに愛情深い者の名前だと言っていたよね?」
それは、狼朗という存在が引き起こしたと言われる争いのイメージとは、かけはなれているように思えた。
悠里が首を傾げて尋ねると、狼泉は目を細め、嘆息するように「あぁ……」と呟く。
「――そうだな。確かに、俺はそう言った。それは、言い伝えに隠された真実を知ったからだ」
「真実……」
じっと見つめる悠里から目を逸らし、狼泉が囲炉裏の中の熾火を見つめる。
「俺は五年前に、争いが起きた当時の一族の者の日記を見つけた」
「日記?」
「ああ。そこには、驚くべきことが書かれていた。狼朗は天琥の族長と想い合い、その関係を疎み嫉妬した一族の長が、天琥を捕らえる計画を立てたのだ、と。おそらく、長は一族から天琥の守護が失われる可能性を恐れたのだろう。狼朗にも、天琥にも、そんなつもりはなかったはずなのに。争いが起きるまで、俺の一族と天琥は、多少歪でも良好な関係だったんだ」
「そんな、ことが……」
悠里は思いがけない事実に絶句する。
そんな悠里の顔に視線を戻した狼泉が、切ない笑みを浮かべてゆっくりと手を伸ばす。悠里は抱き締めてくる腕に逆らわず、狼泉の胸元に顔を埋めた。
「狼朗は、天琥の族長を守ろうと、俺の一族と戦った。だが、多勢に無勢はどうしようもなく、命を落とした。己の命を、天琥の族長への愛に懸けたんだ。――悲しくて、愛情深いだろう?」
「……うん。すごく。でも、その天琥の族長さんは、どう思ったんだろう……」
涙の滲む声で、悠里は疑問を呟く。
悠里なら、愛する相手が自分のために命を落とすところなんて見たくない。狼朗は死ぬ寸前まで愛を示して、ある意味満足したかもしれないが、遺された天琥の悲しみを思うと、悠里は手放しでその行動を称賛することはできなかった。
「……そうだな。どう思ったんだろうな。……天琥の族長の様子は、日記に書かれていなかった。だが、狼朗が亡くなったのは天琥の族長の目の前で、そのすぐ後に、落雷があって姿を消したそうだ」
「そっか……」
悠里は呟き、目を瞑る。
世界には悲しみ嘆いてもどうしようもないことが多すぎる。これも、そのひとつでしかないと分かっていても、悠里は飲み込むことができなかった。
どうにか悲しい思いから気を逸らそうと、悠里はこれまでの話で気にかかっていたことを言葉にする。
「――そういえば、狼泉って、もしかして、琥泉国の王族?」
「…………え?」
悠里を抱き締める腕が固まる。狼泉の声に動揺が表れていた。
その分かりやすすぎる反応を感じ取り、悠里はやや呆れながら顔をあげた。そして、目を見開く狼泉を軽く睨む。
「もし隠そうとしていたなら、隠し方が下手だよ。これまでにもなんとなく察していたけど、狼泉の一族の昔の長が、自分たちに天琥の守護があるって考えていたなら、限りなく王族に近い立場だよね? 神獣は王と契約を結んだって言っていたもんね?」
「あぁ……」
「名前に必ず泉の字が入るのも、王族なら納得する。琥泉国の王族の印として分かりやすいもん」
「そうだな……」
目を逸らし頷くだけの狼泉の頬に、悠里は手を伸ばしてつねった。
ずっと、狼泉の秘密を暴いてしまったらもう傍にはいられなくなるのではないかと恐れていたが、狼泉の腕はまだ悠里を抱き締めたままで、少し安心する。それと同時に、隠され続けていたことへの不満が溢れた。
「ちゃんと、狼泉の言葉で教えて。狼泉は王族?」
「……そうだ。一応、第四王子と言われていた」
そろりと視線を悠里に戻し、狼泉が頷く。怒られるのではないかと怯える子どものような仕草だ。
「そっか。それなら、ちゃんと偉い人扱いされたかったりする?」
「しない」
「分かった。じゃあ今まで通りにするね。――さて、そろそろ寝る支度をしようか」
「……それだけで、いいのか?」
「何が? もしかして、僕が、狼泉が王族ってことで遠慮するとでも? 言っとくけど、ここで人間の身分なんて、大した価値を持たないからね。隠し事されてたことは、ちょっと怒ってるけど、僕が思うのは、それくらいだよ」
悠里がわざとらしく尊大に言いきると、狼泉は瞬きを繰り返した後に、顔をくしゃりと歪ませて笑った。そして、悠里をぎゅっと抱き締める。
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