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Ⅳ.風雲に滲む気配
32.煙に巻かれる
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悠里は何度か深呼吸して、気持ちを落ち着かせた。
「……狼泉。片付けを放って、何を読んでいたの?」
続く狼泉の小言を遮り、気になっていたことを問い掛ける。自分の思考がドツボにはまっていきそうなのを察して、気分転換するのを兼ねていた。
狼泉の背に回された腕の先を覗き込もうと、ひょいっと身を屈める。それに対して、狼泉が勢いよく後退りをして、書棚に背をぶつけたので、悠里は驚いてしまった。
「――えっ、大丈夫?」
「あ、あぁ……大丈夫だ。少し驚いただけで……」
狼泉が強ばった顔で頷く。そして、悠里から離れようとするように、肩を押してきた。
その仕草に悠里は少し傷つく。いったい何を読んでいたのかは知らないが、それを知られたくないと示されるのは、なんだか寂しかった。
だいたい、本は天藍か天璃のものなのだろうから、悠里に知られてまずいものがあるわけないと思うのだが。
「……この家の物は、僕が全部継いでいて、狼泉に隠される筋合いはないと思うんだけどね?」
思わず棘のある声がこぼれた。すぐにそれに気づき、悠里はハッと息を呑む。じわじわと後悔の念が込み上げてきた。こんな意地の悪い言い方をするつもりはなかったし、これで嫌われたらどうしようと、少し怯えてしまう。
恐る恐る狼泉の顔を見上げると、眉根を寄せて困りきった表情になっていた。
「――ごめんなさい。言い過ぎた」
「いや、悠里は悪くない! ただ、俺が、これを見せたくないと思ってしまっただけで……!」
「見せたくない?」
慌ててフォローしてくれる様子を見るに、狼泉は悠里に不快感を抱きはしなかったようだ。それを察して、ホッと安堵した悠里は、首を傾げて尋ねる。途端に焦った様子で視線を泳がせる狼泉に、思わず胡乱な目を向けてしまう。
「いや……その、なんだ……」
「はっきり言ってよ。なんなら、その本を見せてくれるだけでもいいんだよ?」
「駄目だ!」
拒否の言葉だけははっきりしていて、狼泉の強い意志を感じた。
悠里はジッと狼泉を見つめる。狼泉が観念するまで。
「狼泉……」
「あー……」
苦渋の表情で呻いた狼泉が、強く目を瞑る。その瞬間に何を考えていたのか分からないが、再び目を開けたときには、口元に苦笑を浮かべていた。
そっと腕を伸ばし、引き寄せようとする動きに逆らわず、悠里は狼泉の胸元に抱きつく。トクリと心臓が高鳴った。
「――悠里が聞いたんだから、怒らないでほしいんだが」
「……なぁに?」
耳元で囁かれる不穏な前置きに、少し警戒心が湧く。悠里のそんな感情の変化に気づいているだろうに、狼泉は躊躇いなく言葉を続けた。
「結構過激な春画があってな……」
「しゅんが?」
「……男女の、まぐわいを描いた絵だ」
「まぐわい……って、あ、あれっ!?」
説明されて、ようやく理解して、悠里は一瞬で顔を真っ赤にした。狼泉が少し意地悪な笑みを浮かべて、「……そう、それ」と囁くので、さらに羞恥が募り身体が熱くなる。顔から火が出そう、とはこのような状態を言うのだろう。
「っ、う、ぅ……狼泉の、エッチ!!」
思わず狼泉の肩を突き飛ばすように押し、居間に逃げる。背後で「えっち……? 異界の言葉か?」と不思議そうに呟いている声が聞こえたが、答える余裕なんてない。悠里の頭の中はパニック状態だ。
(僕に気づかないくらい、集中して見ていた本が、え、エロ本だなんて! 狼泉、見損なったよ……!)
ちょっと興味を惹かれてしまった自分に気づかないふりをして。狼泉はやっぱり女性が好きなのだと再確認して落ち込む自分を無視して。悠里は自分の部屋まで駆け戻った。
居間にいた白珠と闇兎が不思議そうな視線を向けてきたことには気づいたが、言い訳する余裕もなく戸を閉める。闇兎が戸の前で「開けて!」と言いたげに、心配そうな鳴き声を上げていても、悠里の手は戸に伸びなかった。
今は一人で落ち着かせてほしい、と心で謝りながら、戸に背を預けてズルズルと床に座り込む。体育座りして膝を抱え、顔を俯けると、少しホッとした。
狼泉が追ってきたらどうしようかと思ったが、その気配はない。それが悠里を少し気落ちさせた。対応しなければならなくなるのは困るが、放って置かれるのも悲しい。まったく、身勝手な恋心だ。
「春画って……この世界にも、あるのか……」
性欲の表現とは、どの世界でも共通なのかと、不思議な感慨を持つ。
狼泉が春画を見て、どういう感想を抱いたのか少し気になる。絶対に、そんな恥ずかしいことは聞けないが。話題に出すことすら、初心な悠里には困難だ。
悠里は十六歳でこの世界に渡ってきて、それから天藍と天璃、魔獣たちとしか触れ合ってこなかったのだ。老齢の天藍たちと性的な会話を交わしたことなんてない。だから、成人してはいても、悠里には経験値がないのだ。
「……ん?」
ふと疑問が頭に浮かぶ。
老齢の天藍たちの持ち物に、春画があるというのは、少し不自然に思えた。もちろん天藍にも若い頃があっただろうから、絶対にありえないと断言はできない。人里で本を仕入れる際に、その類を紛れ込ませていてもおかしなことではない。
だが、悠里が知る天藍のイメージと春画は、あまりにもかけ離れていた。
「――あれ、本当に春画だったのかな……?」
最後まで狼泉の背に隠されて見えなかった本。煙に巻いたような狼泉の態度。
その光景に違和感と疑問を拭い去ることができず、悠里は眉を寄せて考え込んだ。
「……狼泉。片付けを放って、何を読んでいたの?」
続く狼泉の小言を遮り、気になっていたことを問い掛ける。自分の思考がドツボにはまっていきそうなのを察して、気分転換するのを兼ねていた。
狼泉の背に回された腕の先を覗き込もうと、ひょいっと身を屈める。それに対して、狼泉が勢いよく後退りをして、書棚に背をぶつけたので、悠里は驚いてしまった。
「――えっ、大丈夫?」
「あ、あぁ……大丈夫だ。少し驚いただけで……」
狼泉が強ばった顔で頷く。そして、悠里から離れようとするように、肩を押してきた。
その仕草に悠里は少し傷つく。いったい何を読んでいたのかは知らないが、それを知られたくないと示されるのは、なんだか寂しかった。
だいたい、本は天藍か天璃のものなのだろうから、悠里に知られてまずいものがあるわけないと思うのだが。
「……この家の物は、僕が全部継いでいて、狼泉に隠される筋合いはないと思うんだけどね?」
思わず棘のある声がこぼれた。すぐにそれに気づき、悠里はハッと息を呑む。じわじわと後悔の念が込み上げてきた。こんな意地の悪い言い方をするつもりはなかったし、これで嫌われたらどうしようと、少し怯えてしまう。
恐る恐る狼泉の顔を見上げると、眉根を寄せて困りきった表情になっていた。
「――ごめんなさい。言い過ぎた」
「いや、悠里は悪くない! ただ、俺が、これを見せたくないと思ってしまっただけで……!」
「見せたくない?」
慌ててフォローしてくれる様子を見るに、狼泉は悠里に不快感を抱きはしなかったようだ。それを察して、ホッと安堵した悠里は、首を傾げて尋ねる。途端に焦った様子で視線を泳がせる狼泉に、思わず胡乱な目を向けてしまう。
「いや……その、なんだ……」
「はっきり言ってよ。なんなら、その本を見せてくれるだけでもいいんだよ?」
「駄目だ!」
拒否の言葉だけははっきりしていて、狼泉の強い意志を感じた。
悠里はジッと狼泉を見つめる。狼泉が観念するまで。
「狼泉……」
「あー……」
苦渋の表情で呻いた狼泉が、強く目を瞑る。その瞬間に何を考えていたのか分からないが、再び目を開けたときには、口元に苦笑を浮かべていた。
そっと腕を伸ばし、引き寄せようとする動きに逆らわず、悠里は狼泉の胸元に抱きつく。トクリと心臓が高鳴った。
「――悠里が聞いたんだから、怒らないでほしいんだが」
「……なぁに?」
耳元で囁かれる不穏な前置きに、少し警戒心が湧く。悠里のそんな感情の変化に気づいているだろうに、狼泉は躊躇いなく言葉を続けた。
「結構過激な春画があってな……」
「しゅんが?」
「……男女の、まぐわいを描いた絵だ」
「まぐわい……って、あ、あれっ!?」
説明されて、ようやく理解して、悠里は一瞬で顔を真っ赤にした。狼泉が少し意地悪な笑みを浮かべて、「……そう、それ」と囁くので、さらに羞恥が募り身体が熱くなる。顔から火が出そう、とはこのような状態を言うのだろう。
「っ、う、ぅ……狼泉の、エッチ!!」
思わず狼泉の肩を突き飛ばすように押し、居間に逃げる。背後で「えっち……? 異界の言葉か?」と不思議そうに呟いている声が聞こえたが、答える余裕なんてない。悠里の頭の中はパニック状態だ。
(僕に気づかないくらい、集中して見ていた本が、え、エロ本だなんて! 狼泉、見損なったよ……!)
ちょっと興味を惹かれてしまった自分に気づかないふりをして。狼泉はやっぱり女性が好きなのだと再確認して落ち込む自分を無視して。悠里は自分の部屋まで駆け戻った。
居間にいた白珠と闇兎が不思議そうな視線を向けてきたことには気づいたが、言い訳する余裕もなく戸を閉める。闇兎が戸の前で「開けて!」と言いたげに、心配そうな鳴き声を上げていても、悠里の手は戸に伸びなかった。
今は一人で落ち着かせてほしい、と心で謝りながら、戸に背を預けてズルズルと床に座り込む。体育座りして膝を抱え、顔を俯けると、少しホッとした。
狼泉が追ってきたらどうしようかと思ったが、その気配はない。それが悠里を少し気落ちさせた。対応しなければならなくなるのは困るが、放って置かれるのも悲しい。まったく、身勝手な恋心だ。
「春画って……この世界にも、あるのか……」
性欲の表現とは、どの世界でも共通なのかと、不思議な感慨を持つ。
狼泉が春画を見て、どういう感想を抱いたのか少し気になる。絶対に、そんな恥ずかしいことは聞けないが。話題に出すことすら、初心な悠里には困難だ。
悠里は十六歳でこの世界に渡ってきて、それから天藍と天璃、魔獣たちとしか触れ合ってこなかったのだ。老齢の天藍たちと性的な会話を交わしたことなんてない。だから、成人してはいても、悠里には経験値がないのだ。
「……ん?」
ふと疑問が頭に浮かぶ。
老齢の天藍たちの持ち物に、春画があるというのは、少し不自然に思えた。もちろん天藍にも若い頃があっただろうから、絶対にありえないと断言はできない。人里で本を仕入れる際に、その類を紛れ込ませていてもおかしなことではない。
だが、悠里が知る天藍のイメージと春画は、あまりにもかけ離れていた。
「――あれ、本当に春画だったのかな……?」
最後まで狼泉の背に隠されて見えなかった本。煙に巻いたような狼泉の態度。
その光景に違和感と疑問を拭い去ることができず、悠里は眉を寄せて考え込んだ。
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