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Ⅴ.この想い、天まで届け
44.古龍の祝福
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突然訪問してきた古龍を囲炉裏端に座らせてお茶を出し、悠里は悠里は狼泉の隣に腰を下ろす。狼泉は古龍が来てからずっと、すこし不機嫌そうだ。二人きりで過ごせる最後の時間を潰されたことにご立腹らしい。
「お茶というものは、美味いな」
「ありがとうございます。……それで、今日はどのようなご用件なのでしょう?」
「うむ。狼がこの地を離れると小耳に挟んだものでな。ちと伝え忘れていたことがあるのを思い出して、参ったまでよ」
用向きを尋ねると、朗らかな笑みと共に返事があった。悠里はその顔を見つめて首を傾げる。古龍が狼泉に伝えるようなことに、心当たりがなかった。
狼泉もそれは同様で、怪訝そうに眉を顰めている。
「……俺に、どのような話を?」
「そなたの国に関することだ」
狼泉が鋭く息を吸い込む。一瞬で緊張感が満ちた空気の中、悠里は微笑む古龍と険しい顔の狼泉の間で視線を彷徨わせて、口を閉ざした。悠里が口を挟めるような話ではないと、瞬時に察したのだ。
「俺の国、ですか……」
「さよう。琥泉の国は、水不足で喘いでいよう? あれは、天琥が地上から去ったゆえではあるが、それだけが理由ではない」
「っ、それは、どういうことなのですか!?」
狼泉が目を見張り、古龍に詰め寄る。それをいなすように片手を掲げた古龍が、小さくため息をついた。
「そも、始泉は神獣の一族の族長により創られるものだ。一度創られれば、数十年から百年以上保つ。そして、族長が代替わりする度に新しいものに創り変わるのが、本来の在り方。だが、琥泉の国は、族長が引き継ぎをしないまま、消えてしまった。天琥の族長は現在空位。始泉を創れる力を持つ者が、天琥にはおらんのだ。そして、そのせいで、琥泉の国の始泉は新しく創り変えられることなく、寿命を迎えようとしている」
「寿命……」
狼泉が顔を顰めた。悠里も古龍の言葉を理解して、目を伏せて考え込む。
既に祖父である瑶は亡くなっている。それなのに、族長という地位は誰にも引き継がれていないのか。
「……族長の交代は、できないのですか?」
思わず話に口を挟むと、古龍が悠里を見つめて静かに首を横に振った。
「神獣には突然死という概念がない。何者かに危害を加えられるということも、考えられたことがなかった。だから、引き継ぎなしで族長が消えるという事象が起きたのは、天琥が初めてだったのだ。引き継ぎには、新旧の族長が揃っている必要がある。天琥は一族が滅びるまで、族長を失った状態であり続けることになる。……姿を消した天琥たちを、責めてくれるな。天琥たちは、族長なくして始泉を守る務めを果たすことはできず、苦渋の決断で地上を去ったのだ」
「そう、なのですか……」
悠里は答えながら、そっと狼泉の顔を窺った。狼泉は沈鬱な表情だったが、全てを受け入れるように深く頷いていた。
「他の神獣の一族が、新たな始泉を創るという話も、我らの間ではあったのだが」
「本当ですか!?」
狼泉がパッと顔を上げる。強い眼差しを受けた古龍は、小さく肩をすくめた。
「……それには、人間の所業への評価が邪魔をした。少なくとも、琥泉の国に、始泉を創るべきではないと、決まったのだ」
「っ……それは、そうでしょうね」
本来危害を加えられるはずのなかった神獣を、捕らえようとした事実。そして、それにより、天琥の族長を失うに至ったこと。それらは、いくら慈悲の心を持つと言われる神獣でも、許容できる範囲ではなかったのだろう。
悠里もその判断に納得できたし、一族のあやまちを罪として認識している狼泉は当然、声を詰まらせながらも古龍の言葉に同意を示した。
「狼泉……」
つらそうに顔を暗くする狼泉に寄り添い、そっと抱きしめる。狼泉が躊躇いがちに身を寄せる仕草に、心が痛くなった。
「……そう落ち込むな。我は、そなたの国を糾弾しようと思って来たわけではない」
「え?」
「琥泉の国には始泉を創れぬと言っただろう。その原因が、神獣が守れぬ環境という評価にあるのだから、それを解決する術は既に分かったも同然だと思わぬか?」
「っ……もしかして」
悠里は息を呑んで狼泉と顔を見合わせる。青い瞳に僅かな期待が滲んでいて、悠里も嬉しくなってきた。
「神獣と契約を結ぶ王家が変われば、再び神獣の加護が受けられる可能性があると思ってもよろしいのですか」
慎重に問い掛ける狼泉に、古龍がゆったりとした仕草で首肯を返す。
「さよう。……だが、簡単な道だと思うことなかれ。多くの神獣が人間を信頼する気持ちを失いつつある。新たな神獣を迎えるのは困難であると知れ」
「……どなたが、判断を?」
「今のところ、我だな。古龍は神獣を統括する立場にある。我が新たな王家を評価し、認めたならば、始泉を創り得る神獣の一族を降ろすことも可能だろう」
「あなた、が……」
古龍がそれほどまでに偉い立場だと思っていなかったので、悠里は狼泉と同様に言葉を失った。
「――絶対に……神獣を傷つけない国をつくります。それまで、どうか……どうか、お見守りくださいますよう、お頼み申し上げます……!」
狼泉が深く頭を下げた。心からの懇願を聞いて、悠里は苦しくなってくる。そっと古龍を窺うと、静かな眼差しで狼泉を見下ろしていた。
「古龍」
「なんだ」
「僕からも、お願いします。人間が罪を悔い、改めた後に、再び慈悲の心を向けてあげてください……!」
狼泉と並んで、悠里も頭を下げる。そうせずにはいられなかったのだ。狼泉が動揺している気配は感じたが、ただひたすらに古龍に自分の思いを告げた。
「――よかろう。天琥の末の願いを聞き入れ、これより琥泉の国の裁定を始める。期限は十年。今ある始泉が枯れ果てるまでの時間だ。人間の態度が改められたと認めた時に、新たな神獣を降ろすと約束しよう」
どこかでシャランッと清々しい音が鳴ったような気がした。
悠里は狼泉と同時に顔を上げる。古龍が慈しむような眼差しで悠里を見つめていた。
「――そして、幼君よ」
「はい……」
「我は天琥たちから祝福を預かってきた。受け取ってくれるか」
「え? ……はい、受け取ります」
よく理解できないまま頷くと、古龍が悠里に手を伸ばし額に触れた。
「成獣を祝して名を贈る。汝は天悠。天琥の最後の子にして、長の血を継ぐ者。汝のこれからに、幸あらんことを祈る」
厳かな声音が悠里の頭を貫き、全身にぶわりと何かが広がっていくような感覚があった。
呆然と目を見開いて固まる悠里に古龍が微笑みかける。
「――神獣の真の目覚めを寿ごう」
「お茶というものは、美味いな」
「ありがとうございます。……それで、今日はどのようなご用件なのでしょう?」
「うむ。狼がこの地を離れると小耳に挟んだものでな。ちと伝え忘れていたことがあるのを思い出して、参ったまでよ」
用向きを尋ねると、朗らかな笑みと共に返事があった。悠里はその顔を見つめて首を傾げる。古龍が狼泉に伝えるようなことに、心当たりがなかった。
狼泉もそれは同様で、怪訝そうに眉を顰めている。
「……俺に、どのような話を?」
「そなたの国に関することだ」
狼泉が鋭く息を吸い込む。一瞬で緊張感が満ちた空気の中、悠里は微笑む古龍と険しい顔の狼泉の間で視線を彷徨わせて、口を閉ざした。悠里が口を挟めるような話ではないと、瞬時に察したのだ。
「俺の国、ですか……」
「さよう。琥泉の国は、水不足で喘いでいよう? あれは、天琥が地上から去ったゆえではあるが、それだけが理由ではない」
「っ、それは、どういうことなのですか!?」
狼泉が目を見張り、古龍に詰め寄る。それをいなすように片手を掲げた古龍が、小さくため息をついた。
「そも、始泉は神獣の一族の族長により創られるものだ。一度創られれば、数十年から百年以上保つ。そして、族長が代替わりする度に新しいものに創り変わるのが、本来の在り方。だが、琥泉の国は、族長が引き継ぎをしないまま、消えてしまった。天琥の族長は現在空位。始泉を創れる力を持つ者が、天琥にはおらんのだ。そして、そのせいで、琥泉の国の始泉は新しく創り変えられることなく、寿命を迎えようとしている」
「寿命……」
狼泉が顔を顰めた。悠里も古龍の言葉を理解して、目を伏せて考え込む。
既に祖父である瑶は亡くなっている。それなのに、族長という地位は誰にも引き継がれていないのか。
「……族長の交代は、できないのですか?」
思わず話に口を挟むと、古龍が悠里を見つめて静かに首を横に振った。
「神獣には突然死という概念がない。何者かに危害を加えられるということも、考えられたことがなかった。だから、引き継ぎなしで族長が消えるという事象が起きたのは、天琥が初めてだったのだ。引き継ぎには、新旧の族長が揃っている必要がある。天琥は一族が滅びるまで、族長を失った状態であり続けることになる。……姿を消した天琥たちを、責めてくれるな。天琥たちは、族長なくして始泉を守る務めを果たすことはできず、苦渋の決断で地上を去ったのだ」
「そう、なのですか……」
悠里は答えながら、そっと狼泉の顔を窺った。狼泉は沈鬱な表情だったが、全てを受け入れるように深く頷いていた。
「他の神獣の一族が、新たな始泉を創るという話も、我らの間ではあったのだが」
「本当ですか!?」
狼泉がパッと顔を上げる。強い眼差しを受けた古龍は、小さく肩をすくめた。
「……それには、人間の所業への評価が邪魔をした。少なくとも、琥泉の国に、始泉を創るべきではないと、決まったのだ」
「っ……それは、そうでしょうね」
本来危害を加えられるはずのなかった神獣を、捕らえようとした事実。そして、それにより、天琥の族長を失うに至ったこと。それらは、いくら慈悲の心を持つと言われる神獣でも、許容できる範囲ではなかったのだろう。
悠里もその判断に納得できたし、一族のあやまちを罪として認識している狼泉は当然、声を詰まらせながらも古龍の言葉に同意を示した。
「狼泉……」
つらそうに顔を暗くする狼泉に寄り添い、そっと抱きしめる。狼泉が躊躇いがちに身を寄せる仕草に、心が痛くなった。
「……そう落ち込むな。我は、そなたの国を糾弾しようと思って来たわけではない」
「え?」
「琥泉の国には始泉を創れぬと言っただろう。その原因が、神獣が守れぬ環境という評価にあるのだから、それを解決する術は既に分かったも同然だと思わぬか?」
「っ……もしかして」
悠里は息を呑んで狼泉と顔を見合わせる。青い瞳に僅かな期待が滲んでいて、悠里も嬉しくなってきた。
「神獣と契約を結ぶ王家が変われば、再び神獣の加護が受けられる可能性があると思ってもよろしいのですか」
慎重に問い掛ける狼泉に、古龍がゆったりとした仕草で首肯を返す。
「さよう。……だが、簡単な道だと思うことなかれ。多くの神獣が人間を信頼する気持ちを失いつつある。新たな神獣を迎えるのは困難であると知れ」
「……どなたが、判断を?」
「今のところ、我だな。古龍は神獣を統括する立場にある。我が新たな王家を評価し、認めたならば、始泉を創り得る神獣の一族を降ろすことも可能だろう」
「あなた、が……」
古龍がそれほどまでに偉い立場だと思っていなかったので、悠里は狼泉と同様に言葉を失った。
「――絶対に……神獣を傷つけない国をつくります。それまで、どうか……どうか、お見守りくださいますよう、お頼み申し上げます……!」
狼泉が深く頭を下げた。心からの懇願を聞いて、悠里は苦しくなってくる。そっと古龍を窺うと、静かな眼差しで狼泉を見下ろしていた。
「古龍」
「なんだ」
「僕からも、お願いします。人間が罪を悔い、改めた後に、再び慈悲の心を向けてあげてください……!」
狼泉と並んで、悠里も頭を下げる。そうせずにはいられなかったのだ。狼泉が動揺している気配は感じたが、ただひたすらに古龍に自分の思いを告げた。
「――よかろう。天琥の末の願いを聞き入れ、これより琥泉の国の裁定を始める。期限は十年。今ある始泉が枯れ果てるまでの時間だ。人間の態度が改められたと認めた時に、新たな神獣を降ろすと約束しよう」
どこかでシャランッと清々しい音が鳴ったような気がした。
悠里は狼泉と同時に顔を上げる。古龍が慈しむような眼差しで悠里を見つめていた。
「――そして、幼君よ」
「はい……」
「我は天琥たちから祝福を預かってきた。受け取ってくれるか」
「え? ……はい、受け取ります」
よく理解できないまま頷くと、古龍が悠里に手を伸ばし額に触れた。
「成獣を祝して名を贈る。汝は天悠。天琥の最後の子にして、長の血を継ぐ者。汝のこれからに、幸あらんことを祈る」
厳かな声音が悠里の頭を貫き、全身にぶわりと何かが広がっていくような感覚があった。
呆然と目を見開いて固まる悠里に古龍が微笑みかける。
「――神獣の真の目覚めを寿ごう」
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