8 / 10
07 少女ニュートンと嵐の予感
しおりを挟む
物理学者を標榜する女性・蘭田理砂をうまいこと自宅へ招き入れたわれらが主人公・葛崎美咲穂は、昭和風のレトロなデザインのリビングで、紅茶などでもてなしながら、二人でしばらくだべっていた。
「先生は『ハーフ』の方なんですかー?」
「母がアメリカ人なのです。父は日本人で、ここ万鳥羽の出身なのですが、父方の祖母がいま、体調を崩していて、父の実家から都内の大学まで、電車通学をしているのです」
「ふえーっ、なんという、やさしい方なのでしょう……」
美咲穂は目をうるうるさせた。
「美咲穂ちゃん、あなた、さりげなく『泣き落とし』をもくろんでいるでしょう?」
「ぎくうっ!」
「聞こえてますよ、『心の声』が」
「わっ、わたしは純粋な心から、先生のおばあさまが心配で……」
「はいはい、もうけっこうです」
「ふぇふぇー」
ずるがしこいがすぐ見破られてしまうのは、結局、美咲穂の性根がよいからなのだった。
「大学ってもしかして、トーキョー大学ですかー?」
「はい」
「ぶふうっ!?」
「ブタですか、あなたは」
「げほっ、げほ! 東大って、大学でいちばん、難しいんじゃないですかー?」
「日本では、そうですね。祖母の介護のため、ハーバードから移ったのです」
「はっ、はあばあどっ!?」
「さっきから何を苦しそうにしているのですか?」
「だ、だって、まるでマンガみたいな肩書きなので……」
「ライオンが群れの中で最強を目指すのと同じ理屈ですよ」
「ふえー」
美咲穂はさりげなく煙に巻かれた。
こんなふうにペチャクチャしゃべっていると、向こうから美咲穂の母・美咲子が、ティーポットを持ってやってきた。
「先生、紅茶がぬるくなったでしょう? 新しいのを持ってきました」
「おかあさま、お体に触ります。どうか、休んでいてください」
身重な体の美咲子を、理砂は気づかった。
「いえいえ、娘の家庭教師をしてくださるという方を、ぞんざいにはできませんよ。ほほ」
「……」
この子にして、この母あり――
美咲子は美咲穂をフォローして、理砂に対してこのように、よく接しているのだ。
美咲穂当人は気づいていないが、大人の事情を理砂はくみ取った。
「ママー、先生のお話はとっても面白いんだよー」
「まあまあ、さすが赤門在籍の方は、弁舌も巧みでいらっしゃる。さすがは天才物理学者を嘱望されるだけのお方ですわ。ほほ」
「……」
しっかり聴いていやがる……
いや、まさかこのリビングには、盗聴器でもしかけられているのか?
理砂は少し、背筋が寒くなった。
「さ、さ。どうぞ先生、遠慮なく。わたしは書斎におりますから、何かございましたら、何なりとお申しつけください」
「いえ、おかあさま、おかまいなく……」
美咲子はクモが逃げるように、すたこらさっさとリビングから消え去った。
なるほど、『書斎』に受信機があるのか……
理砂はこの母親に凶悪なにおいを感じるいっぽう、美咲穂と同様、どこか憎めない気持ちを抱いた。
きっと、娘のことが心配でならないのだろう――
理砂はその親心に感じいたるところがあった。
「そういえば先生は――」
ガシャン!
「――っ!?」
美咲穂がまた話を切り出そうとしたとき、リビングの奥のほうから奇妙な音が聞こえた。
陶器が割れるような音だ。
「ふえ、何の音かなー?」
「おかあさま――!」
理砂は胸騒ぎがしてリビングを出た。
音のしたほうへ走ると、奥の部屋のドアが開いている。
「おかあさま、大丈夫ですか!?」
棚から落ちた花瓶が粉々に砕けていた。
「ぐ、うう……」
「ふえーっ、ママー! どうしたの!? どこか悪いのー!?」
「おかあさま、しっかり!」
美咲子はおなかを抱えてフローリングにうずくまり、もだえ苦しんでいる。
「これは、きたんだわ……!」
「きたって先生、どういう――」
「美咲穂ちゃん、すぐに救急車を呼んでください! この家の中にタライやオケはありますか!?」
「そ、それなら、お風呂場に……」
「わたしがお湯を沸かします! 美咲穂ちゃんは救急車を! 119番ですよ!? 早くっ!」
「ふぇ、はいっ!」
こうして二人はあわただしく行動を起こしたのだった。
美咲穂は119番に電話をかけたあと、ふと不思議に思った。
お湯なんて沸かして、どうするのかなー?
このようにして嵐のごとく、美咲子は病院へと担ぎこまれた。
そしてこれはすなわち、新しい『命』の誕生への、大いなる予感だったのだ。
「先生は『ハーフ』の方なんですかー?」
「母がアメリカ人なのです。父は日本人で、ここ万鳥羽の出身なのですが、父方の祖母がいま、体調を崩していて、父の実家から都内の大学まで、電車通学をしているのです」
「ふえーっ、なんという、やさしい方なのでしょう……」
美咲穂は目をうるうるさせた。
「美咲穂ちゃん、あなた、さりげなく『泣き落とし』をもくろんでいるでしょう?」
「ぎくうっ!」
「聞こえてますよ、『心の声』が」
「わっ、わたしは純粋な心から、先生のおばあさまが心配で……」
「はいはい、もうけっこうです」
「ふぇふぇー」
ずるがしこいがすぐ見破られてしまうのは、結局、美咲穂の性根がよいからなのだった。
「大学ってもしかして、トーキョー大学ですかー?」
「はい」
「ぶふうっ!?」
「ブタですか、あなたは」
「げほっ、げほ! 東大って、大学でいちばん、難しいんじゃないですかー?」
「日本では、そうですね。祖母の介護のため、ハーバードから移ったのです」
「はっ、はあばあどっ!?」
「さっきから何を苦しそうにしているのですか?」
「だ、だって、まるでマンガみたいな肩書きなので……」
「ライオンが群れの中で最強を目指すのと同じ理屈ですよ」
「ふえー」
美咲穂はさりげなく煙に巻かれた。
こんなふうにペチャクチャしゃべっていると、向こうから美咲穂の母・美咲子が、ティーポットを持ってやってきた。
「先生、紅茶がぬるくなったでしょう? 新しいのを持ってきました」
「おかあさま、お体に触ります。どうか、休んでいてください」
身重な体の美咲子を、理砂は気づかった。
「いえいえ、娘の家庭教師をしてくださるという方を、ぞんざいにはできませんよ。ほほ」
「……」
この子にして、この母あり――
美咲子は美咲穂をフォローして、理砂に対してこのように、よく接しているのだ。
美咲穂当人は気づいていないが、大人の事情を理砂はくみ取った。
「ママー、先生のお話はとっても面白いんだよー」
「まあまあ、さすが赤門在籍の方は、弁舌も巧みでいらっしゃる。さすがは天才物理学者を嘱望されるだけのお方ですわ。ほほ」
「……」
しっかり聴いていやがる……
いや、まさかこのリビングには、盗聴器でもしかけられているのか?
理砂は少し、背筋が寒くなった。
「さ、さ。どうぞ先生、遠慮なく。わたしは書斎におりますから、何かございましたら、何なりとお申しつけください」
「いえ、おかあさま、おかまいなく……」
美咲子はクモが逃げるように、すたこらさっさとリビングから消え去った。
なるほど、『書斎』に受信機があるのか……
理砂はこの母親に凶悪なにおいを感じるいっぽう、美咲穂と同様、どこか憎めない気持ちを抱いた。
きっと、娘のことが心配でならないのだろう――
理砂はその親心に感じいたるところがあった。
「そういえば先生は――」
ガシャン!
「――っ!?」
美咲穂がまた話を切り出そうとしたとき、リビングの奥のほうから奇妙な音が聞こえた。
陶器が割れるような音だ。
「ふえ、何の音かなー?」
「おかあさま――!」
理砂は胸騒ぎがしてリビングを出た。
音のしたほうへ走ると、奥の部屋のドアが開いている。
「おかあさま、大丈夫ですか!?」
棚から落ちた花瓶が粉々に砕けていた。
「ぐ、うう……」
「ふえーっ、ママー! どうしたの!? どこか悪いのー!?」
「おかあさま、しっかり!」
美咲子はおなかを抱えてフローリングにうずくまり、もだえ苦しんでいる。
「これは、きたんだわ……!」
「きたって先生、どういう――」
「美咲穂ちゃん、すぐに救急車を呼んでください! この家の中にタライやオケはありますか!?」
「そ、それなら、お風呂場に……」
「わたしがお湯を沸かします! 美咲穂ちゃんは救急車を! 119番ですよ!? 早くっ!」
「ふぇ、はいっ!」
こうして二人はあわただしく行動を起こしたのだった。
美咲穂は119番に電話をかけたあと、ふと不思議に思った。
お湯なんて沸かして、どうするのかなー?
このようにして嵐のごとく、美咲子は病院へと担ぎこまれた。
そしてこれはすなわち、新しい『命』の誕生への、大いなる予感だったのだ。
0
あなたにおすすめの小説
その付喪神、鑑定します!
陽炎氷柱
児童書・童話
『彼女の”みる目”に間違いはない』
七瀬雪乃は、骨董品が大好きな女の子。でも、生まれたときから”物”に宿る付喪神の存在を見ることができたせいで、小学校ではいじめられていた。付喪神は大好きだけど、普通の友達も欲しい雪乃は遠い私立中学校に入ることに。
今度こそ普通に生活をしようと決めたのに、入学目前でトラブルに巻き込まれて”力”を使ってしまった。しかもよりによって助けた男の子たちが御曹司で学校の有名人!
普通の生活を送りたい雪乃はこれ以上関わりたくなかったのに、彼らに学校で呼び出されてしまう。
「俺たちが信頼できるのは君しかいない」って、私の”力”で大切な物を探すの!?
独占欲強めの最強な不良さん、溺愛は盲目なほど。
猫菜こん
児童書・童話
小さな頃から、巻き込まれで絡まれ体質の私。
中学生になって、もう巻き込まれないようにひっそり暮らそう!
そう意気込んでいたのに……。
「可愛すぎる。もっと抱きしめさせてくれ。」
私、最強の不良さんに見初められちゃったみたいです。
巻き込まれ体質の不憫な中学生
ふわふわしているけど、しっかりした芯の持ち主
咲城和凜(さきしろかりん)
×
圧倒的な力とセンスを持つ、負け知らずの最強不良
和凜以外に容赦がない
天狼絆那(てんろうきずな)
些細な事だったのに、どうしてか私にくっつくイケメンさん。
彼曰く、私に一目惚れしたらしく……?
「おい、俺の和凜に何しやがる。」
「お前が無事なら、もうそれでいい……っ。」
「この世に存在している言葉だけじゃ表せないくらい、愛している。」
王道で溺愛、甘すぎる恋物語。
最強不良さんの溺愛は、独占的で盲目的。
運よく生まれ変われたので、今度は思いっきり身体を動かします!
克全
児童書・童話
「第1回きずな児童書大賞」重度の心臓病のため、生まれてからずっと病院のベッドから動けなかった少年が12歳で亡くなりました。両親と両祖父母は毎日のように妾(氏神)に奇跡を願いましたが、叶えてあげられませんでした。神々の定めで、現世では奇跡を起こせなかったのです。ですが、記憶を残したまま転生させる事はできました。ほんの少しだけですが、運動が苦にならない健康な身体と神与スキルをおまけに付けてあげました。(氏神談)
極甘独占欲持ち王子様は、優しくて甘すぎて。
猫菜こん
児童書・童話
私は人より目立たずに、ひっそりと生きていたい。
だから大きな伊達眼鏡で、毎日を静かに過ごしていたのに――……。
「それじゃあこの子は、俺がもらうよ。」
優しく引き寄せられ、“王子様”の腕の中に閉じ込められ。
……これは一体どういう状況なんですか!?
静かな場所が好きで大人しめな地味子ちゃん
できるだけ目立たないように過ごしたい
湖宮結衣(こみやゆい)
×
文武両道な学園の王子様
実は、好きな子を誰よりも独り占めしたがり……?
氷堂秦斗(ひょうどうかなと)
最初は【仮】のはずだった。
「結衣さん……って呼んでもいい?
だから、俺のことも名前で呼んでほしいな。」
「さっきので嫉妬したから、ちょっとだけ抱きしめられてて。」
「俺は前から結衣さんのことが好きだったし、
今もどうしようもないくらい好きなんだ。」
……でもいつの間にか、どうしようもないくらい溺れていた。
転生妃は後宮学園でのんびりしたい~冷徹皇帝の胃袋掴んだら、なぜか溺愛ルート始まりました!?~
☆ほしい
児童書・童話
平凡な女子高生だった私・茉莉(まり)は、交通事故に遭い、目覚めると中華風異世界・彩雲国の後宮に住む“嫌われ者の妃”・麗霞(れいか)に転生していた!
麗霞は毒婦だと噂され、冷徹非情で有名な若き皇帝・暁からは見向きもされない最悪の状況。面倒な権力争いを避け、前世の知識を活かして、後宮の学園で美味しいお菓子でも作りのんびり過ごしたい…そう思っていたのに、気まぐれに献上した「プリン」が、甘いものに興味がないはずの皇帝の胃袋を掴んでしまった!
「…面白い。明日もこれを作れ」
それをきっかけに、なぜか暁がわからの好感度が急上昇! 嫉妬する他の妃たちからの嫌がらせも、持ち前の雑草魂と現代知識で次々解決! 平穏なスローライフを目指す、転生妃の爽快成り上がり後宮ファンタジー!
生贄姫の末路 【完結】
松林ナオ
児童書・童話
水の豊かな国の王様と魔物は、はるか昔にある契約を交わしました。
それは、姫を生贄に捧げる代わりに国へ繁栄をもたらすというものです。
水の豊かな国には双子のお姫様がいます。
ひとりは金色の髪をもつ、活発で愛らしい金のお姫様。
もうひとりは銀色の髪をもつ、表情が乏しく物静かな銀のお姫様。
王様が生贄に選んだのは、銀のお姫様でした。
お姫様の願い事
月詠世理
児童書・童話
赤子が生まれた時に母親は亡くなってしまった。赤子は実の父親から嫌われてしまう。そのため、赤子は血の繋がらない女に育てられた。 決められた期限は十年。十歳になった女の子は母親代わりに連れられて城に行くことになった。女の子の実の父親のもとへ——。女の子はさいごに何を願うのだろうか。
ノースキャンプの見張り台
こいちろう
児童書・童話
時代劇で見かけるような、古めかしい木づくりの橋。それを渡ると、向こう岸にノースキャンプがある。アーミーグリーンの北門と、その傍の監視塔。まるで映画村のセットだ。
進駐軍のキャンプ跡。周りを鉄さびた有刺鉄線に囲まれた、まるで要塞みたいな町だった。進駐軍が去ってからは住宅地になって、たくさんの子どもが暮らしていた。
赤茶色にさび付いた監視塔。その下に広がる広っぱは、子どもたちの最高の遊び場だ。見張っているのか、見守っているのか、鉄塔の、あのてっぺんから、いつも誰かに見られているんじゃないか?ユーイチはいつもそんな風に感じていた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる