桜の朽木に虫の這うこと

朽木桜斎(くちき おうさい)

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第1作 桜の朽木に虫の這うこと

第26話 前狂言

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「うお」

 ウツロが真田龍子さなだ りょうこにいざなわれて食堂へ入ったとき、嗅覚きゅうかくをくすぐるいかにもおいしそうな食事のにおいに、思わずうなりごえを上げてしまった。

 レトロな内装はこの洋館に相応であるが、広い空間に木製の大きなテーブルと椅子の列、入って正面の北側に位置するテラスからは庭が見え、開け放たれた窓からはそよ風がときおり入りこんでくる。

 ウッドデッキの奥には、くだんのツタのからまった白壁しろかべがそびえているから、そこより外の様子はうかがい知れないが。

「おう、座れや。メシの用意はできてるぜ」

 タンクトップの上にベージュのエプロンを着込んだ南柾樹みなみ まさきが、配膳はいぜんをしながらウツロへ声をかけた。

 慣れた手つきで料理を並べる彼に、ただならないミスマッチを感じたウツロは、足を止めてその姿を呆然ぼうぜんとながめた。

「ウツロさん、どうぞどうぞ。こちらへお座りください」

 真田虎太郎さなだ こたろうが気をきかせて、ひょいひょいと手招きをした。

「あ、どうも……」

 彼はウツロをいちばん手前の、外の景色がよく見える席へと導いた。

 テラスに広がる風景は、「洋」の中に「和」を取り入れたモダンな雰囲気だ。

 それなりの大きさの池には、彩色さいしょく豊かな錦鯉にしきごい数尾すうび泳いでいて、こけむした岩や、グニャリと曲がった松などが、玉砂利たまじゃりを芸術的に敷いた中にすっぽりと収まっている。

 やはり人工的、ウツロはそう思った。

 これが人間の世界なのだ。

 この庭園のように、自然さえも自分たちの思うがままに作り変えてしまう。

 虚飾きょしょくだ。

 人間の世界は虚飾にまみれている。

 あるいは、そこに暮らす人間そのものまでも……

 彼はそんな風に思索しさくした。

 かくざとにも似た風景があったが、まさに似て非なるもの。

 そのおぞましい本性を、加工した仮面ですっかりと隠してあるのだ。

 吐き気をもよおすけばけばしさ。

 けれど自分もすぐに、この庭のように作り変えられてしまうのか?

 仮面をかぶせられ、人形のようにされてしまうというのか?

 たかが風景のひとつに、ウツロの思索は止まらないのであった。

「まあ座りなよ、ウツロくん」

 真田虎太郎が指定した席から見て左向かいの席に、星川雅ほしかわ みやびがすでに座っていた。

 彼女は例によりすました態度で、またも見透かすようにウツロに話しかけた。

「おなか減ってるでしょ? 早いところいただきましょう」

 両手を組んだ中に、あの薄気味悪いみが隠されている。

 食われるのはこの料理ではなく、俺なのではないか?

 この女こそもののけのたぐいで、このまま俺を引き裂き、食い殺そうというのではないだろうか?

 ウツロの心配は考えすぎとはいえ、星川雅から相変わらず放たれる妖気は、その焦燥しょうそうが決して思いこみではないという、名状しがたい得体えたいの知れなさを宿していた。

「失礼、します……」

 恐縮しながらも彼は、せっかくの招きであるからと思い、いそいそとその席へ腰かけた。

 星川雅はあいかわらず、観察するような視線をウツロへ送っている。

 しかしほかのメンバーもいるという状況をかんがみて、彼はあえて、その点には突っこまなかった。

 それよりも眼下がんかの料理が気になる、というのもあったが。

「柾樹、本日のお品書きは?」

 執事しつじに対する主人のように、星川雅は問いかけた。

 その態度がやはりウツロには気がかりだったが、南柾樹は慣れた様子で答えを返す。

「まず、テーマは和洋中のコラボ。肉は『和』、魚は『洋』、スープは『中華』だ。順番に、『鶏肉とりにくのトコトン蒸し』。ブロイラーをネギと一緒に岩塩がんえんで固めて、オーブンでその名のとおりトコトン蒸してある。ネギの甘みがうまい具合にしみこんでるはずだ。次に『シタビラメのムニエル』。スパイスはバジルと塩コショウ。ソースはマヨネーズとトンカツソースを俺なりのパーセンテージで配合して、隠し味に七味も入れてある。添えてあるネギとあわせてくれ。で、タマゴとワカメのスープだ。ネギも刻んで入れてある。おひやとライスはおかわり自由だから、さ、召しあがれ」

 芝居しばいの台本のようなセリフを、造作ぞうさもないと言わんばかりに、抑揚よくようをつけて彼はそらんじた。

 ウツロには、にわかに信じられなかった。

 こんな見事な料理が、このようなガサツな男の手で、生みだすことができるものなのか?

 人は見かけによらない、と言っては失礼だけれど……

 いや待て、判断は味を見てからだ。

 よいのは表層ひょうそうだけで、ひどくまずいのかもしれない。

 人間なんて、そんなものだ。

 人間の作る食事とて、そんなものだ。

 ウツロは豪勢ごうせいな卓上のフルコースを前に、南柾樹という男への疑いから、しかめつらしてのにらめっこに余念よねんがなかった。

「本当に、おまえが作ったのか……?」

 思わず礼を欠く質問をした彼に、南柾樹はさすがに不機嫌になった。

「『おまえ』じゃねえ、南柾樹だ。そんなに信じらんねーの?」

 見かけで判断するという行為は本来ウツロも嫌うのだが、こればかりはというが本音である。

「毒は……」

「入れるわけねえだろ! どんだけ信用ねえんだよ!」

 自分はいったい、どんな目で見られているのか?

 基本的に考えるのは面倒くさい南柾樹だが、そこまで言われては反論をしないわけにはいかない。

 二人は小憎こにくらしい表情を互いにぶつけ、嫌悪けんおのツーカーをした。

 彼ら以外の面々は、すっかり呆れ果てている。

「はいはい、お二方ふたかた。せっかくの料理が冷めちゃうでしょ? それとも目から火花でも散らして温める気? みんなおなかが減ってるんだから、早いところいただきましょう」

 ごうやした星川雅が、ため息を吐きながら「いい加減にしてよ」という意図いとを伝えた。

「雅の言うとおりだよ二人とも。ケンカもいいけど、おなかをいっぱいにしてからお願いね?」

 さすがの真田龍子もうんざりして、食事の開始をうながした。

「ウツロさん、柾樹さん。いくさをするのなら、おなかを満たしてからにしましょう」

 表現こそ奇妙だったけれど、真田虎太郎も同様に、いがみ合っている二人をいさめた。

「お、おう。そうだな」

「ご、ごめん。俺としたことが、冷静さを欠いていたよ」

 ウツロと南柾樹は取っ組み合いに発展する直前で、やっと平静へいせいさを取り戻した。

「けっ、話はメシを食ってからだ」

「ふん、望むところだ」

 これではまるで漫画である。

 残る三人はもはや、言葉を発する気にすらなれなかった。

(『第27話 千里の道も一歩から』へ続く)
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