桜の朽木に虫の這うこと

朽木桜斎(くちき おうさい)

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第2作 アオハル・イン・チェインズ 桜の朽木に虫の這うこと(二)

第50話 獅子身中の虫

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「ウツロが、負けた……?」

 真田龍子さなだ りょうこが絶句する。

 ウツロは敗北した。

 勝利した氷潟夕真ひがた ゆうまは、地面に横たわる毒虫の戦士を、冷たいまなざしで見下ろしている。

「あはは、な~んだ。けっこうなチートだと思ってたのに、ふたを開けてみればたいしたことないじゃん。そんなんでよくパパに勝てたよね? ふふっ、見なよ真田さん、あの無様なかっこう。まさに負け犬だよね。あ、負け毒虫か。ぷふっ、きゃはははははははっ!」

 刀子朱利かたなご しゅりの罵倒は止まりそうにない。

「ウツロ……」

 真田龍子は涙を漏らした。

 ウツロの姿がもとに戻っていく。

 ボロクズのようになって白目をむく彼がそこにあった。

「ウツロっ――!」

 真田龍子は駆け寄ろうとしたが、刀子朱利に制止された。

「ダメよ、真田さん。彼は生け捕りにしてこいって命令されてるんだ。知ってるんでしょ、わたしたちのことは? わたしたちのご主人さまは、ウツロにあいたがってるんだよ。殺さずに連行してこいってことだね。ま、わたしとしては正直不服だけどさ」

「まさか、組織……」

「そ。この国を実質的に支配している組織、その総帥閣下からのお達しなんだよ。真田さん、あなたもいっしょに来てもらうよ? よかったね、彼氏に同伴できてさ?」

「それって、どういう……」

「あなたが持つ治癒の能力。この間はその力に煮え湯を飲まされたわけだけど、組織としても気になっているんだよ。利用する価値があるんじゃないかってね。いずれにせよ、あなたもウツロくんも、楽しい場所ってことにはならないから。ふふっ、その辺は覚悟しておいてね?」

「そん、な……」

 真田龍子は絶望した。

 いったいこれから、どんなことが待っているというのか?

 それを考えると、気が遠くなってくるかのようだった。

 世界がゆがんでいく。

 彼女は茫然としながら、動かないウツロを見つめていた。

「ぐっ……」

「夕真?」

 やにわに氷潟夕真がうめき声を漏らした。

「う、ぐ、あ……」

「ちょっと夕真、どうしたの!?」

 刀子朱利がたじろいでいる間にも、彼は体をかかえて地面へと倒れこんでいく。

「う、ぐう……」

 ひざをついて苦しみ喘いでいる。

「夕真、何よ? いったいなんだっていうのよ!?」

 刀子朱利は驚いてそばへ近寄った。

「おえ――」

 口から吐瀉物をぶちまける。

「な……」

 それを目にした刀子朱利は仰天した。

 アリ。

 人間の指先ほどもあろうかという、毒々しい色合いのアリ。

 その大群がうぞうぞとうごめいている。

「う――」

 そのあまりのおぞましさに、彼女も思わず戻しそうになった。

「これは確か、マラブンタ……アマゾンの奥地に潜んでいるという人喰いアリ……ウツロのやつ、いつの間にこんなものを……」

 アリが内臓を食い破る。

 気の触れそうな激痛に、氷潟夕真はもだえ苦しんだ。

「が、あ……」

 彼の姿もまた、人間のそれへと戻っていく。

「ぐ、が……」

 首や胸もと、腹部をかきむしりながら、地獄の苦しみをひたすら味合わせられる。

 刀子朱利はその光景に恐々とした。

「まさに獅子身中の虫……ウツロのやつ、ただではやられてくれないってわけだ。まったく、すごい執念だよね」

 ああいうタイプは土壇場で強い。

 かつて氷潟夕真が言い放ったセリフを、彼女は思い出した。

 そして同時に、皮肉にもそれを受けているのが彼自身であることに、複雑な感覚がわき上がった。

「ちょっと、どいて――!」

「真田さん……?」

 真田龍子が割って入り、氷潟夕真の体に触れた。

「ちょっと、なにする気!?」

「治すんだよ! このままじゃ死んじゃう!」

「治す、ですって……?」

 彼女の体が光を帯びはじめる。

 そしてその光は潟夕真を包み込んだ。

「何、考えてんの……? それ、意味わかってやってんの……?」

 刀子朱利はわけがわからなかった。

 自分が何をされたのか理解できていないのか?

 これだけのことをされたというのに……

 ましてやすぐそこに、気を失っているウツロもいるのに。

 さっぱりわからない……

 なんなんだ?

 いったい、なんなんだ?

 この真田龍子という女は……

 そんなことを悶々と考えていた。

「ふう、ふう……」

 氷潟夕真が呼吸を取り戻していく。

 体内のアリは姿を消し、傷つけられた箇所も再生していった。

「はあ、はあっ……」

「大丈夫? 氷潟くん」

「ふっ、ふっ……」

 まだ苦しみはあったが、すぐ前とは比較にならないほど楽になった。

 意識もだいぶ回復してきて、彼も刀子朱利と同様、この少女がなぜこんなことをしたのか、まったく理解できずにいた。

「真田、どうして、助けた……?」

 彼は目の前の少女を見つめた。

 そこにはかすかな、しかし決然とした笑顔があった。

「さあ、わたしにも、わかんない……」

 それは本心だった。

 真田龍子の本心がそうさせた行動だったのだ。

 よきにつけ悪しきにつけ、仏のような慈悲の心が、そうさせたのだ。

 二人はしばらくの間、見つめ合っていた。

「ふん、吐き気がする。真田さん、あんたやっぱりムカつくわ。わたしが一番嫌いなタイプだよ。さあ夕真、この二人を早いとこ閣下のところへ――」

 刀子朱利が言いかけたとき。

「お~い、佐伯さえき~。そこにいるのか~?」

 聖川清人ひじりかわ きよと

 彼らとはクラスメイトの学級委員長。

 その声がこちらへ近づいてくる。

「ちっ、聖川か、なんでこんなときに。しかたがない、夕真、ここはいったん引くよっ――!」

「ん……」

 刀子朱利は無理やり氷潟夕真を起こすと、自分の肩を貸し、旧校舎の塀の向こうへジャンプして姿を消した。

「ウツロっ――!」

 真田龍子は急いで、ウツロにも治癒の能力を施した。

 制服こそボロボロのままだったが、少なくとも見た目の傷はだいぶ癒やすことができた。

「お~い、あれ、真田、なんでこんなとこに、って、おい……!」

 横たわるウツロを目撃した聖川清人は驚愕した。

「佐伯っ、大丈夫か!? 真田っ、いったい何があったんだ!?」

 彼は足早に二人のところへ寄ってきた。

「ああ、聖川……実は二人で旧校舎を見に行こうってなって、そこのモミの木を見つけたら、佐伯のやつ、木登りをはじめちゃってさ……」

 苦しすぎる言い訳だったが、真田龍子は必死で場を取り繕おうとした。

「で、落っこちたっていうのか?」

「ああ、うん、そうなんだ……ねえ聖川、お願いなんだけど、保健室までいっしょに運んでくれるかな? あそこに行けば、みやびもいると思うし……」

「あ、ああ。急がないと、佐伯に何か大事があったらたいへんだぞ」

「う、うん。じゃあ、頼むね……」

 真面目な聖川清人は、意外にもうまくだまされた。

 こうして二人はウツロを両サイドからかかえ、ゆっくりと保健室のほうへ向かった。

 ウツロ、真田龍子、刀子朱利、氷潟夕真、そして聖川清人。

 誰ひとりとして気がついてはいなかった。

 ことのあらましをすべて目撃していた、ひとつの影がその場に隠れていたことを――
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