桜の朽木に虫の這うこと

朽木桜斎(くちき おうさい)

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第3作 ドラゴン・タトゥーの少年 桜の朽木に虫の這うこと(三)

第1話 予感

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「ウツロ、あ~ん」

「……」

 箸につままれた厚焼きタマゴの脂が光っている。

 その先には万城目日和まきめ ひよりのニヤニヤとした顔が。

 日曜日の朝、食堂での風景。

 季節は移り変わり、桜の舞い乱れる春となった。

「日和、ちょっと……」

 ウツロは唇を甘がみしながら、差し向かいへと視線を送る。

「……」

 怨念のこめられた表情で、真田龍子さなだ りょうこがこちらをにらんでいる。

「龍子、これは、その、違うんだって……」

「昭和みてえな言い訳してんじゃあねえよ……」

 ウツロの弁明は無残にもはじき返された。

「こわい顔すんなよ龍子~。いいじゃねえか、おまえだけウツロを独占しなくてもよ?」

 万城目日和に悪びれる様子はない。

「ふざけたこと抜かしてんじゃねえぞ? このトカゲ女」

「うわっ、こわっ! 聞いたろウツロ? これが龍子の正体なんだぜ!? だからさあ、こいつなんかふって、俺とよろしくやろうぜえ~」

 ふっかけられた挑発を真正面から受け取る。

 万城目日和と真田龍子、お互いの性格によるところではあるが、相性がよいのやら悪いのやらだ。

「ぶち殺すぞ、こら?」

「ひえ~っ! みなさ~ん、ここに殺人鬼がいますよ~っ!」

 事態はいよいよ一触即発だ。

「あ、あの二人とも、仲よく、ね……?」

「ウツロ」

「ひっ……」

 真田龍子はテーブルをはさんで、ウツロが着ているフードつきスポーツパーカーの胸ぐらをつかんだ。

「なに浮気なんかぶっこいてんだ? わたしに永遠の愛を誓うとか抜かしておいて、これはどういう仕打ちだ? あれは真っ赤な嘘か? ああっ?」

「ひ、龍子、許して……」

 これではまるでお昼のドラマである。

「うわ~、醜っ! それがおまえの正体かよ龍子! 聖人みてえなツラぁしやがって、本性は嫉妬に狂ったメスブタじゃねえか!」

「てめえら、まとめて八つ裂きにしてやる……」

「だいたいやるときは外でやれよ! うるせえんだよ、てめえらの声! こっちはとんだおあずけプレイなんだぜ!?」

「そっちこそ嫉妬してんじゃあねえか。てめえでてめえを濡らしてる、あわれなピエロがよ?」

「なんだとこのブタ女! もういっぺん言ってみろ!」

「ああ、なんどでも言ってやる。わたしはウツロとねんごろになってるけど、あんたはひとりで自分を慰めてる。差は歴然だ。よって、勝者はわたしなわけ。わかるよな?」

「ぐっ、きい~っ! 言わせておけばあああああっ!」

「や~いや~い、トカゲ女~!」

「うるせえ、このジャージスパッツ女!」

 お互い火に油を注ぎまくっているような状態だ。

 われらがウツロはいよいよ焦った。

「あの、頼むから、二人とも、仲よく……」

「ああっ!?」

「ひぃっ――!?」

 パーカーの襟がつかまれ、首が十字に締めあげられる。

「そもそもてめえがはっきりしねえからこんなことになるんだろうがボケぇっ!」

「そうだぜウツロ! どっちを選ぶんだよ!?」

 痴話げんかはいよいよ闘争の本質へ迫った。

「てめえが本当に愛してるのはどっちなのか、はっきり言葉にして言ってみろよ、ウツロおおおおおっ!」

「どっちなんだよ、ウツロおおおおおっ!」

 このように二人は、窮鼠のごとき主人公へと詰めよった。

「く、くるし……」

 口から泡が出ている。

「ウツロさん!」

 真田虎太郎さなだ こたろうが絶叫した。

「あ……」

 青くなった顔を見て、鬼の形相が解除される。

「ああ、わたし、またやっちゃった……ウツロ、大丈夫……?」

「あわわわ……」

 気道閉塞による酸欠。

 遠くなっていく意識の中、ウツロはいいかげん、彼女が実は多重人格者なのではないかと本気で疑った。

 だがそれは、それほど愛が強いという証明にほかならない。

 つくづくおそろしいものである、認識の不一致とは。

「大丈夫じゃねえだろ! 俺のウツロを殺す気か!?」

「俺の? いま俺のって言った? ねえっ!?」

 ウツロの首がますます閉まる。

「じ、じぬ……」

 瞳孔が上がり、そして消えた。

「ウツロ……?」

「し、死んだ……?」

 ああ、ウツロよ。

 われわれは君という存在を忘れない、たぶん。

「んばあっ!」

「ひぃっ――!」

 生きていた、果たして。

 実はアルトラでエラ呼吸をしていたのだが、その事実は墓場まで持っていかれることになる。

 奥のほうに座っている南柾樹みなみ まさき星川雅ほしかわ みやびは、いっこうに意に介していない。

 それほどまでにこのような風景は日常化していたのだ、すでに。

「柾樹、いまって西暦何年だっけ?」

「さあな、少なくとも昭和じゃあないわな」

 悠々と食事を取る南柾樹と、食べ終わって端末をいじる星川雅。

 間にはさまれる真田虎太郎は、目を見開いて左右をキョロキョロしている。

「ぼ、ぼくも、おあずけプレイです……」

 意外にもませていた。

 南柾樹はニヤリとしたが、星川雅は顔をしかめた。

「やりおるな、虎太郎」

「……」

 平穏きわまる青春群像劇、それ以上でも以下でもなかった。

「ったく、組織につけ狙われてかもしれないってえのに。なんなの? あいつらときたら」

「いいじゃねえか、平和でよ。戦いの中にも休みは必要だ。そうだろ、雅?」

「ふん」

 そのとき、場を仲裁でもするように、アパートのベルが鳴らされた。

「客か?」

「わたしが見てくるよ」

 星川雅が席を立ち、エントランスのほうへと向かった。

「げほっ、げほっ……」

 ウツロはすっかりグロッキーだ。

「おめえらな、昭和のアニメじゃねえんだぞ?」

 南柾樹が近よってたしなめる。

「黙ってろ柾樹、これは俺らの問題なんだ」

「あなたこそ黙ってなさいよ、わたしたちの聖域をやすやすと侵してもらっちゃ困るわ」

「聖域だと? よくもまあ、いけしゃあしゃあと」

「あら、まだやりたりないの? 望むところだよ……」

 二人はカゲロウのごとく、ゆらりと接近した。

 南柾樹がため息をついたとき――

「ちょっと、みんな、こっちへ来て――!」

「?」

 星川雅が柄にもなくドタドタと駆けこんできた。

「なんだよ雅?」

「いいからっ!」

 彼女は無理やり、一同をエントランスのほうへと誘導した。

「おはよう、毒虫クソ野郎とそのお仲間たち」

「……」

 刀子朱利かたなご しゅりが勢いよく手を振っている。

 そのとなりには、腕を組んでぶすっとした氷潟夕真ひがた ゆうままでもが。

「刀子、氷潟、いったいどうして……遊びに来たって感じじゃなさそうだけど……」

 ウツロはさきほどまでの状況を悟られないよう、急いで呼吸を整えた。

「あんたに忠告しに来てやったんだよ? ウツロ」

「忠告、というと……?」

 刀子朱利は手にしている端末をウツロのほうへかざした。

「ほら、これ」

「……」

 映し出されているのはネットニュースの記事だった。

 その内容に、ウツロは愕然とした。

「アメリカ・ハーフォード大学……テオドラキア・スタッカー名誉教授……大学での講演のため、来日……テオドラキア、テオドラキアって、まさか……」

 記憶がよみがえってくる。

 いまは亡き父・似嵐鏡月にがらし きょうげつの口をして語られたその過去のことが。

「そ、パパからは聞いてるんでしょ?」

「ディオティマ……魔王桜まおうざくらの召喚に成功し、いまも生きながらえる、古代ギリシャの巫女……」

 間接的にではあるが、知っている。

 彼女の手にかかり、父はアルトラ使いとなった。

 その魔女が来日?

 いったい、なぜ……

 困惑するウツロに、赤髪の少女は表情をけわしくした。

「ウツロ、ディオティマはあんたを狙ってる」

「……」

 彼は戦慄した。

 そしてその意味を、漠然とではあるが理解した。

 自分にとって、いや、自分たちにとって、新しい戦いが幕が開けられたことを、ひしひしと予感させられたのである――
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