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第3作 ドラゴン・タトゥーの少年 桜の朽木に虫の這うこと(三)
第2話 ディオティマ来日
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国際線のターミナルに降り立ったテオドラキア・スタッカー教授は、アカデミー系の記者や報道陣を簡単にあしらい、空港内のレストランへと足を運んだ。
「――?」
エントランス前のロビーのソファに、こちらへ背を向けて座っているスーツ姿の女性がいる。
星川皐月だ。
星川雅の母で似嵐鏡月の姉、すなわちウツロの伯母である。
「この店にカタツムリは置いてないらしいわよ? ディオティマ」
「納豆が嫌いな日本人だっているのでしょう? 久しぶりですね、皐月」
魔女と女医はこのようにあいさつを交わし、店内の個室へと入った。
*
「あなたがミスター・キョウゲツの姉であると知ったとき、それはもう驚きましたよ。そして感じたのです、何かの予兆をね」
「いかにも巫女っぽいことを言うのね。あれはそう、20年以上前のことだったかしら?」
「ええ。愛するアクタさんを失ったミスター・キョウゲツ……まあ、それはわたしの仕込んだことだったわけですが……まだベイビーだった双子の息子たちを連れ、中東の内戦に参じていた」
「ウツロとアクタを生かすため、また傭兵の仕事を再開したんだったわね。アメリカで知り合った二人の人物……全盲ながら剣術の手練れである殺し屋・森花炉之介と、狡猾な体術家でいまは国際指名手配を受けているテロリスト・君島雪人……彼らと三人合わせて、『雪月花』と名乗って活動していた」
「雪月花は民間だけにおよばず、プロの軍人からも一目置かれるほどのネームバリューを持っていた。あのあと、惜しむらくも解散してしまいましたが」
「わたしがかの地まで足を運び、鏡月にせっかんを食らわしたときね。何を思ったのか、日本への帰国を考えたようだわ。わが弟ながら、さっぱり意味がわからないけれど」
「人の心を推しはかろうとするなど無粋ですよ? それとも、精神科医の特性というべきものなのでしょうか?」
「知っているくせに。わたしはねディオティマ、自分の思いどおりにならないことが、なによりも嫌いなのよ。いま、その最たるは誰あろう、鏡月の息子であるウツロがまさにそうなのよ。吐き気のするようなやつだわ。しかし不思議なことに、気になってしかたがない」
「あなたの甥である、というだけではなさそうですね。彼は何か、ミステリアスなパワーを持っています。人間力、というのでしょうか……他者をひきつける力、それはあるいは、何ものよりも強大な存在になりうるのかもしれません。アルトラが進化したことは、単にその精神力にしたがっただけのことだと思われます」
「今度は科学者っぽい分析ね。むしずの走ることだけれど、ウツロが何か持っていることだけは、このわたしでも認めざるをえないようだわ」
このように二人は、しばらく会話にふけっていた。
「で、これからどうするの? ディオティマ」
「さしあたって総帥閣下へのあいさつでしょうね。一応、顔は立てておかないと。龍影会は非常に利用価値のある存在です。あなたもそう考えているのでしょう? 皐月」
「ほほっ、閣下を敵に回すのはいくらなんでもクレバーではない。しかし、すきを見て、ね?」
「ふふっ、いいですねえ。それでこそ皐月です」
「ほかには? 例の宝剣の話とか」
「古の時代、魔王桜を切りつけたとされる三本の宝剣、通称・桜切。もともとは姫神山の守護神・姫神を守る一族の持ち物でしたが、十数年前、当時の当主であった姫神龍聖氏が暗殺され、一本はその下手人である森花炉之介、もう一本はドイツの秘密結社、ゲッター・デメルングの手に渡った」
「残る一本は龍聖の息子で現当主・姫神壱騎が持っているというわけね」
「魔王桜の細胞が付着したことで、桜切は不思議な力を得たということです。それはあるいは、人間がアルトラを授かることと本質を同じくする。わたしはそう、推測しているのです」
「さすがね、ディオティマ。あなたが桜切に目をつけない理由はないというわけね。内部情報によると、姫神壱騎はウツロと接触を試みている様子。まあ、大事な刀を奪ったひとりが、鏡月のお友達なんだからね」
「万事がウツロへと集約している……これはとても興味深いことですね」
「まとめると、ウツロを張っておけばディオティマ、なにもかもうまくいきそうな流れであると」
「しかり。ゲッターのほうはとりあえず、今回は置いておきましょう。ゼルマルキアという戦闘員の少女が携えているそうですが、あそこのボスも一筋縄ではいきませんから」
「キール・キルヒキュラーガー大総統、通称をドライ・カー。われらが刀隠影司総帥の宿敵ね。あそこもかなりのレベルのアルトラ使いがそろっているとか」
「おそろしいことです。しかも、動き出している気配あり。キールだけではない。アメリカが、そしてイギリス、フランス、イタリア、中国……あるいは世界中が。その中心にいるのは……」
「ウツロ、ウツロか……なんなんでしょうね? あの子はいったい……」
「ウツロが引きつけるのは良いものだけではない、それは確かなようです。そして、ふふっ、彼は今後、地獄のような体験をすることになるでしょう」
「あなたがそうする気でしょう、ディオティマ? ウツロを捕らえ、モルモットにしようと考えている。言っておくけど、わたしの雅ちゃんに手を出しでもしたら、殺すわよ?」
魔女はケタケタと笑った。
「当たり前じゃないですか、皐月。わたしはそこまで愚かではありませんよ?」
「わかっているならいいけどね」
「で、例のものは?」
「ふん、ちゃっかりしてるんだから」
女医は懐から何かをつまみ出してテーブルの上に置いた。
「ふむ」
それは一匹の小さな虫の死骸だった。
「先だってウツロとやりあったとき、くすねておいたのよ。これを使うんでしょ?」
「しかり。恩に着ます、皐月」
ディオティマはうしろへ視線を送った。
「バニーハート」
どこにひそんでいたのか、青白い表情のウサ耳少年がひょっこりと顔を出した。
その腕にはグロテスクなウサギのぬいぐるみを抱きかかえている。
「ぎひっ」
バニーハートは赤い目を輝かせて不気味にほほえんだ。
「その子が? 対象物を見つけ出し、破壊あるいは捕獲するというアルトラを使うとか」
「ええ、そうです。彼にウツロを張ってもらうため、今回のトラベルに参加してもらったのですよ」
バニーハートはひょこひょこと前に出てくる。
「ぎひっ、ウツロ、もう、終わり」
「まだですよバニーハート? まだ見張るだけです。気がつかれないようにね?」
魔女はウサギ少年の頭をなでた。
「さあ、おやり」
「エロトマニア……!」
ウサギのぬいぐるみの目が、生きているかのようにギョロっと動いた。
「へえ」
星川皐月は興味深そうに見つめている。
「ぎひひ」
ぬいぐるみはテーブルの上に乗せられている虫の死骸にかぶりつき、そのまま飲みこんでガリガリと咀嚼した。
「ふふふ」
魔女は笑っている。
するとぬいぐるみの背中が膨れ上がり、破裂したそこから、大量の「子ウサギ」が飛び出した。
「ウツロを探せ、エロトマニア……!」
子ウサギたちは宙に舞い、部屋を透過してどこかへと飛んでいった。
「なるほどね、ターゲットの細胞の情報から、においをかぐように本体の居所を突き止めるという仕掛けになっているのね」
女医は手をあごに当てて感心した。
「そのとおりです、皐月。さしあたっては監視するだけになりますが、いざとなれば、ね?」
「ふふふ、これはいよいよ面白くなってきたわね。バニーハートくん、やるじゃない?」
ウサ耳少年は肩を揺らした。
「ぎひひ、皐月、ディオティマさま、似てる」
意外な一言だったが、魔女と女医は妙に納得するところがあった。
「彼の言うとおりかもしれません。何千年も生きてきましたが、皐月、あなたほどいっしょにいて心がやすらぐ存在と出会ったのははじめてです。フレンド、と言っても過言ではないかもしれません。そんなものを信じたことなど、ふふっ、なかったのですがね」
「長生きの妙味と言ったところかしら? わたしも同意だわよ。このわたしが、ここまで心を許した相手はディオティマ、あなたがはじめてだわ。何かいい予感がするわね。これからやることがいろいろとうまくいく、そんな予感がね」
「ふふふ、では皐月、われらの友情に乾杯といきましょうか?」
「すきあらばあなたも利用するわよ? ディオティマ」
「それがいい。わたしが望んでいるのはまさに、そんな関係なのです。ふふっ、ふははははは!」
「ほほっ、ほほほほほ!」
二つのグラスが勢いよく弾かれる。
バニーハートの目には映った。
赤いワインの色が、すなわち血の色に。
それはやはり、これから起きる事柄を予見しているようにも見えた。
「――?」
エントランス前のロビーのソファに、こちらへ背を向けて座っているスーツ姿の女性がいる。
星川皐月だ。
星川雅の母で似嵐鏡月の姉、すなわちウツロの伯母である。
「この店にカタツムリは置いてないらしいわよ? ディオティマ」
「納豆が嫌いな日本人だっているのでしょう? 久しぶりですね、皐月」
魔女と女医はこのようにあいさつを交わし、店内の個室へと入った。
*
「あなたがミスター・キョウゲツの姉であると知ったとき、それはもう驚きましたよ。そして感じたのです、何かの予兆をね」
「いかにも巫女っぽいことを言うのね。あれはそう、20年以上前のことだったかしら?」
「ええ。愛するアクタさんを失ったミスター・キョウゲツ……まあ、それはわたしの仕込んだことだったわけですが……まだベイビーだった双子の息子たちを連れ、中東の内戦に参じていた」
「ウツロとアクタを生かすため、また傭兵の仕事を再開したんだったわね。アメリカで知り合った二人の人物……全盲ながら剣術の手練れである殺し屋・森花炉之介と、狡猾な体術家でいまは国際指名手配を受けているテロリスト・君島雪人……彼らと三人合わせて、『雪月花』と名乗って活動していた」
「雪月花は民間だけにおよばず、プロの軍人からも一目置かれるほどのネームバリューを持っていた。あのあと、惜しむらくも解散してしまいましたが」
「わたしがかの地まで足を運び、鏡月にせっかんを食らわしたときね。何を思ったのか、日本への帰国を考えたようだわ。わが弟ながら、さっぱり意味がわからないけれど」
「人の心を推しはかろうとするなど無粋ですよ? それとも、精神科医の特性というべきものなのでしょうか?」
「知っているくせに。わたしはねディオティマ、自分の思いどおりにならないことが、なによりも嫌いなのよ。いま、その最たるは誰あろう、鏡月の息子であるウツロがまさにそうなのよ。吐き気のするようなやつだわ。しかし不思議なことに、気になってしかたがない」
「あなたの甥である、というだけではなさそうですね。彼は何か、ミステリアスなパワーを持っています。人間力、というのでしょうか……他者をひきつける力、それはあるいは、何ものよりも強大な存在になりうるのかもしれません。アルトラが進化したことは、単にその精神力にしたがっただけのことだと思われます」
「今度は科学者っぽい分析ね。むしずの走ることだけれど、ウツロが何か持っていることだけは、このわたしでも認めざるをえないようだわ」
このように二人は、しばらく会話にふけっていた。
「で、これからどうするの? ディオティマ」
「さしあたって総帥閣下へのあいさつでしょうね。一応、顔は立てておかないと。龍影会は非常に利用価値のある存在です。あなたもそう考えているのでしょう? 皐月」
「ほほっ、閣下を敵に回すのはいくらなんでもクレバーではない。しかし、すきを見て、ね?」
「ふふっ、いいですねえ。それでこそ皐月です」
「ほかには? 例の宝剣の話とか」
「古の時代、魔王桜を切りつけたとされる三本の宝剣、通称・桜切。もともとは姫神山の守護神・姫神を守る一族の持ち物でしたが、十数年前、当時の当主であった姫神龍聖氏が暗殺され、一本はその下手人である森花炉之介、もう一本はドイツの秘密結社、ゲッター・デメルングの手に渡った」
「残る一本は龍聖の息子で現当主・姫神壱騎が持っているというわけね」
「魔王桜の細胞が付着したことで、桜切は不思議な力を得たということです。それはあるいは、人間がアルトラを授かることと本質を同じくする。わたしはそう、推測しているのです」
「さすがね、ディオティマ。あなたが桜切に目をつけない理由はないというわけね。内部情報によると、姫神壱騎はウツロと接触を試みている様子。まあ、大事な刀を奪ったひとりが、鏡月のお友達なんだからね」
「万事がウツロへと集約している……これはとても興味深いことですね」
「まとめると、ウツロを張っておけばディオティマ、なにもかもうまくいきそうな流れであると」
「しかり。ゲッターのほうはとりあえず、今回は置いておきましょう。ゼルマルキアという戦闘員の少女が携えているそうですが、あそこのボスも一筋縄ではいきませんから」
「キール・キルヒキュラーガー大総統、通称をドライ・カー。われらが刀隠影司総帥の宿敵ね。あそこもかなりのレベルのアルトラ使いがそろっているとか」
「おそろしいことです。しかも、動き出している気配あり。キールだけではない。アメリカが、そしてイギリス、フランス、イタリア、中国……あるいは世界中が。その中心にいるのは……」
「ウツロ、ウツロか……なんなんでしょうね? あの子はいったい……」
「ウツロが引きつけるのは良いものだけではない、それは確かなようです。そして、ふふっ、彼は今後、地獄のような体験をすることになるでしょう」
「あなたがそうする気でしょう、ディオティマ? ウツロを捕らえ、モルモットにしようと考えている。言っておくけど、わたしの雅ちゃんに手を出しでもしたら、殺すわよ?」
魔女はケタケタと笑った。
「当たり前じゃないですか、皐月。わたしはそこまで愚かではありませんよ?」
「わかっているならいいけどね」
「で、例のものは?」
「ふん、ちゃっかりしてるんだから」
女医は懐から何かをつまみ出してテーブルの上に置いた。
「ふむ」
それは一匹の小さな虫の死骸だった。
「先だってウツロとやりあったとき、くすねておいたのよ。これを使うんでしょ?」
「しかり。恩に着ます、皐月」
ディオティマはうしろへ視線を送った。
「バニーハート」
どこにひそんでいたのか、青白い表情のウサ耳少年がひょっこりと顔を出した。
その腕にはグロテスクなウサギのぬいぐるみを抱きかかえている。
「ぎひっ」
バニーハートは赤い目を輝かせて不気味にほほえんだ。
「その子が? 対象物を見つけ出し、破壊あるいは捕獲するというアルトラを使うとか」
「ええ、そうです。彼にウツロを張ってもらうため、今回のトラベルに参加してもらったのですよ」
バニーハートはひょこひょこと前に出てくる。
「ぎひっ、ウツロ、もう、終わり」
「まだですよバニーハート? まだ見張るだけです。気がつかれないようにね?」
魔女はウサギ少年の頭をなでた。
「さあ、おやり」
「エロトマニア……!」
ウサギのぬいぐるみの目が、生きているかのようにギョロっと動いた。
「へえ」
星川皐月は興味深そうに見つめている。
「ぎひひ」
ぬいぐるみはテーブルの上に乗せられている虫の死骸にかぶりつき、そのまま飲みこんでガリガリと咀嚼した。
「ふふふ」
魔女は笑っている。
するとぬいぐるみの背中が膨れ上がり、破裂したそこから、大量の「子ウサギ」が飛び出した。
「ウツロを探せ、エロトマニア……!」
子ウサギたちは宙に舞い、部屋を透過してどこかへと飛んでいった。
「なるほどね、ターゲットの細胞の情報から、においをかぐように本体の居所を突き止めるという仕掛けになっているのね」
女医は手をあごに当てて感心した。
「そのとおりです、皐月。さしあたっては監視するだけになりますが、いざとなれば、ね?」
「ふふふ、これはいよいよ面白くなってきたわね。バニーハートくん、やるじゃない?」
ウサ耳少年は肩を揺らした。
「ぎひひ、皐月、ディオティマさま、似てる」
意外な一言だったが、魔女と女医は妙に納得するところがあった。
「彼の言うとおりかもしれません。何千年も生きてきましたが、皐月、あなたほどいっしょにいて心がやすらぐ存在と出会ったのははじめてです。フレンド、と言っても過言ではないかもしれません。そんなものを信じたことなど、ふふっ、なかったのですがね」
「長生きの妙味と言ったところかしら? わたしも同意だわよ。このわたしが、ここまで心を許した相手はディオティマ、あなたがはじめてだわ。何かいい予感がするわね。これからやることがいろいろとうまくいく、そんな予感がね」
「ふふふ、では皐月、われらの友情に乾杯といきましょうか?」
「すきあらばあなたも利用するわよ? ディオティマ」
「それがいい。わたしが望んでいるのはまさに、そんな関係なのです。ふふっ、ふははははは!」
「ほほっ、ほほほほほ!」
二つのグラスが勢いよく弾かれる。
バニーハートの目には映った。
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