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第3作 ドラゴン・タトゥーの少年 桜の朽木に虫の這うこと(三)
第27話 ゲッター・デメルング
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「クロックタワーを挑発した足で、まさか本当にここへ来るとはね、ディオティマ?」
黒衣の麗人は鋭いまなざしをディオティマに送った。
ドイツ大使館、応接室。
迎え入れた駐日ドイツ大使、ディアフローネ・ナイトリンガー子爵夫人は、いらいらした様子で手袋ごしにキセルをふかしている。
ドイツの秘密結社、ゲッター・デメルングの大幹部のひとりで、吸血鬼一族の頭領でもある。
「わたしの一族とベアトリックスの一族は、遠い昔から血で血を洗う争いを続けてきた。かつてあなたはその双方に近づき、自分の都合のよいようにさんざんひっかきまわしたわよね? あの事件でせいで、わたしたちはあやうく、共倒れになるところだった。その落とし前もろくにつけず、つくづくツラの皮の厚い女だわよ」
こんなふうに面前の客人へ向け、思いつくままに罵詈雑言を浴びせかけた。
(まあまあ、ディアフローネ。天下の魔女ディオティマのこと、何か素敵な考えがあるに違いないんだわ)
モニターに映し出されているのは、エリーザベト・ヘッポバーン元帥夫人。
やはりゲッター・デメルングの最高幹部のひとりで、組織のナンバー・ワンであるキール・キルヒキュラーガー総統のサポート役だ。
「元帥夫人、油断はなりませんことよ? どうせまた狡猾な知恵を働かせているに決まっているのです」
ディオティマは悠々と、ブラックコーヒーをすすっている。
「何か言ったらどうなの? 今度はいったい何をたくらんで――」
「桜切」
「……」
激高するディアフローネをさえぎるように、魔女は口を開いた。
「森花炉之介氏を利用し、その一本をまんまとせしめたようですね? あれは確か、いまはゼルマルキアという少女が手にしているのだとか」
「それがなんだというの?」
「いえ、その本来の持ち主である姫神壱騎くんが、近く森氏と御前試合の運びとなっていましてね」
「そんなことは知っているわ。われわれの情報網をなめないでもらいたいわね。いったい何が言いたいの、ディオティマ? その二人の試合に横やりでも入れて、あわよくば桜切をすべて簒奪しろとでも?」
「ふふっ、しかり」
「……」
ディオティマは君の悪い笑みを浮かべている。
「あなたがたが手に入れた桜切は、力をつかさどるものだとか。ドクトル・フロイデマンの研究により、姫神の一族でなくともその能力を引き出せるようになった。そしてゼルマルキアは、いまではゲッターでも一二を争う戦闘員として育っている。そうでしょう?」
(見えないわね、ディオティマ。あなたの意図が。桜切はあなたも研究材料として欲しがっているはず。それを横取りしてくれと提案するからには、何か見返りを求めているということですか?)
元帥夫人は魔女の腹のうちを探った。
「いえ、そんなものは必要ありません。わたしはただ、昔しでかしたことへの罪滅ぼしがしたいだけですよ?」
こんなふうに言って、ニコっと笑った。
「罪滅ぼしですって? よくもぬけぬけと、そのような嘘八百を。あなたはそんなことを考えるような者ではない。そのことは、こちらも重々思い知らされているのよ? 正直に告白しないと、生かしてここからは帰さないけれど?」
ディアフローネの語気がだんだんと荒くなってくる。
「告白したところで、生きて帰れるという保証もないわけですが」
「貴様あっ!」
彼女の双眸がギラリと光った。
(お待ちなさい、ディアフローネ)
「お止めにならないでください、マルシャリン。今日こそのこのクソッタレを八つ裂きにしてやるんですわ」
一触即発、そのとき――
「ウツロ」
「……」
意外な単語が、ディオティマの口から飛び出した。
「わたしがこうして、みなさんに行脚しているのは、ふふっ、ほかでもない。そう遠くなくあなたがたの脅威となる存在、ウツロの危険性について教示するためなのです」
二人の夫人は顔を見合わせた。
「……ウツロのことはわれわれも心得ているわ。確かに異常な成長を見せている少年だわね。しかし彼が、ゲッター・デメルングをおびやかすほどの存在だとでも、あなたは言うのかしら?」
「いいえ、ゲッターだけではない。ゲッターやクロックタワー、そして日本の龍影会を包含する巨大結社グラン・グリモアをも、おびやかす存在になりえるでしょう。もちろんわたしを筆頭とするディオプティコンや、世界の富を牛耳る大ユダヤ会にとってもね?」
ディアフローネはキョトンとした顔をした。
「いくらなんでも、かいかぶりすぎじゃない? 相手はたかが、ひとりの少年なのよ? そんな話、とうてい信じられるものではないわ」
「いまにわかります、いまにね」
ディオティマの発言を受け、二人はしばし思索にふけった。
(結論としてディオティマ、いまあなたがいなくなったら、そのウツロと戦うに当たり、われわれは非常に不利になる。そう言いたいのかしら?)
「ふふっ、さすがはマルシャリン。理解が早くて助かります」
魔女は余裕の表情でコーヒーをすする。
「どうだか。逃げるための口実なんじゃないの?」
「ビリーブ・イット・オア・ノット。信じるも信じないも、ふふっ、あなたがた次第ですよ?」
雲をつかませるようにはぐらかす。
(しかたないわね、キールにはそう伝えておくわ。ディアフローネ、とりあえずここは、抑えてくれるかしら?)
「ふん、命拾いしたわね。こういうことは本当、お上手なんだから」
ディアフローネは椅子に身を預け、戦闘態勢を解いた。
「光栄に思いますよ? 両夫人」
こうして彼女は、イギリス大使館のときと同じく、バニーハートと連れ立ってそそくさとその場を去っていった。
残された二人は、魔女の真意を探るべく談合した。
「いったい何をたくらんでいるんだか」
(わからないわ。ただひとつ言えるのは、ディオティマはこういうとき、局面の何万手も先を見すえているということ。ディアフローネ、くれぐれも油断はならないわ。彼女を見張っていてくれるかしら?)
「ウツロのほうはどうします?」
(そちらにも手を回しておいたほうがよさそうね。なんだか、あの女の思惑どおりに動かされているような気もするけれど)
「だてに何千年も生きてはいないというところかしらねえ。ふん、いまいましい魔女め、むしずが走る」
こんなふうにぶつくさと唱えていた。
結局すべての本質が見えているのは、誰あろうディオティマだけだったのである。
*
「ぎひ、すべては、ディオティマさまの、思いのまま」
「ふふっ、そのとおりですよ、バニーハート。こうやって盤上に少しずつ駒をそろえ、わたしの意のままに動いてもらうのです。実に楽しい趣向ですねえ」
「ぎひ、最後は、ディオティマさまが、チェックメイト」
「そうですよ、バニーハート。わが悲願の成就は、それほど遠くないかもしれませんね。ふふっ、ふははははははっ!」
すっかりと眠りについた夜の街に、魔女のおたけびがこだましつづけた。
黒衣の麗人は鋭いまなざしをディオティマに送った。
ドイツ大使館、応接室。
迎え入れた駐日ドイツ大使、ディアフローネ・ナイトリンガー子爵夫人は、いらいらした様子で手袋ごしにキセルをふかしている。
ドイツの秘密結社、ゲッター・デメルングの大幹部のひとりで、吸血鬼一族の頭領でもある。
「わたしの一族とベアトリックスの一族は、遠い昔から血で血を洗う争いを続けてきた。かつてあなたはその双方に近づき、自分の都合のよいようにさんざんひっかきまわしたわよね? あの事件でせいで、わたしたちはあやうく、共倒れになるところだった。その落とし前もろくにつけず、つくづくツラの皮の厚い女だわよ」
こんなふうに面前の客人へ向け、思いつくままに罵詈雑言を浴びせかけた。
(まあまあ、ディアフローネ。天下の魔女ディオティマのこと、何か素敵な考えがあるに違いないんだわ)
モニターに映し出されているのは、エリーザベト・ヘッポバーン元帥夫人。
やはりゲッター・デメルングの最高幹部のひとりで、組織のナンバー・ワンであるキール・キルヒキュラーガー総統のサポート役だ。
「元帥夫人、油断はなりませんことよ? どうせまた狡猾な知恵を働かせているに決まっているのです」
ディオティマは悠々と、ブラックコーヒーをすすっている。
「何か言ったらどうなの? 今度はいったい何をたくらんで――」
「桜切」
「……」
激高するディアフローネをさえぎるように、魔女は口を開いた。
「森花炉之介氏を利用し、その一本をまんまとせしめたようですね? あれは確か、いまはゼルマルキアという少女が手にしているのだとか」
「それがなんだというの?」
「いえ、その本来の持ち主である姫神壱騎くんが、近く森氏と御前試合の運びとなっていましてね」
「そんなことは知っているわ。われわれの情報網をなめないでもらいたいわね。いったい何が言いたいの、ディオティマ? その二人の試合に横やりでも入れて、あわよくば桜切をすべて簒奪しろとでも?」
「ふふっ、しかり」
「……」
ディオティマは君の悪い笑みを浮かべている。
「あなたがたが手に入れた桜切は、力をつかさどるものだとか。ドクトル・フロイデマンの研究により、姫神の一族でなくともその能力を引き出せるようになった。そしてゼルマルキアは、いまではゲッターでも一二を争う戦闘員として育っている。そうでしょう?」
(見えないわね、ディオティマ。あなたの意図が。桜切はあなたも研究材料として欲しがっているはず。それを横取りしてくれと提案するからには、何か見返りを求めているということですか?)
元帥夫人は魔女の腹のうちを探った。
「いえ、そんなものは必要ありません。わたしはただ、昔しでかしたことへの罪滅ぼしがしたいだけですよ?」
こんなふうに言って、ニコっと笑った。
「罪滅ぼしですって? よくもぬけぬけと、そのような嘘八百を。あなたはそんなことを考えるような者ではない。そのことは、こちらも重々思い知らされているのよ? 正直に告白しないと、生かしてここからは帰さないけれど?」
ディアフローネの語気がだんだんと荒くなってくる。
「告白したところで、生きて帰れるという保証もないわけですが」
「貴様あっ!」
彼女の双眸がギラリと光った。
(お待ちなさい、ディアフローネ)
「お止めにならないでください、マルシャリン。今日こそのこのクソッタレを八つ裂きにしてやるんですわ」
一触即発、そのとき――
「ウツロ」
「……」
意外な単語が、ディオティマの口から飛び出した。
「わたしがこうして、みなさんに行脚しているのは、ふふっ、ほかでもない。そう遠くなくあなたがたの脅威となる存在、ウツロの危険性について教示するためなのです」
二人の夫人は顔を見合わせた。
「……ウツロのことはわれわれも心得ているわ。確かに異常な成長を見せている少年だわね。しかし彼が、ゲッター・デメルングをおびやかすほどの存在だとでも、あなたは言うのかしら?」
「いいえ、ゲッターだけではない。ゲッターやクロックタワー、そして日本の龍影会を包含する巨大結社グラン・グリモアをも、おびやかす存在になりえるでしょう。もちろんわたしを筆頭とするディオプティコンや、世界の富を牛耳る大ユダヤ会にとってもね?」
ディアフローネはキョトンとした顔をした。
「いくらなんでも、かいかぶりすぎじゃない? 相手はたかが、ひとりの少年なのよ? そんな話、とうてい信じられるものではないわ」
「いまにわかります、いまにね」
ディオティマの発言を受け、二人はしばし思索にふけった。
(結論としてディオティマ、いまあなたがいなくなったら、そのウツロと戦うに当たり、われわれは非常に不利になる。そう言いたいのかしら?)
「ふふっ、さすがはマルシャリン。理解が早くて助かります」
魔女は余裕の表情でコーヒーをすする。
「どうだか。逃げるための口実なんじゃないの?」
「ビリーブ・イット・オア・ノット。信じるも信じないも、ふふっ、あなたがた次第ですよ?」
雲をつかませるようにはぐらかす。
(しかたないわね、キールにはそう伝えておくわ。ディアフローネ、とりあえずここは、抑えてくれるかしら?)
「ふん、命拾いしたわね。こういうことは本当、お上手なんだから」
ディアフローネは椅子に身を預け、戦闘態勢を解いた。
「光栄に思いますよ? 両夫人」
こうして彼女は、イギリス大使館のときと同じく、バニーハートと連れ立ってそそくさとその場を去っていった。
残された二人は、魔女の真意を探るべく談合した。
「いったい何をたくらんでいるんだか」
(わからないわ。ただひとつ言えるのは、ディオティマはこういうとき、局面の何万手も先を見すえているということ。ディアフローネ、くれぐれも油断はならないわ。彼女を見張っていてくれるかしら?)
「ウツロのほうはどうします?」
(そちらにも手を回しておいたほうがよさそうね。なんだか、あの女の思惑どおりに動かされているような気もするけれど)
「だてに何千年も生きてはいないというところかしらねえ。ふん、いまいましい魔女め、むしずが走る」
こんなふうにぶつくさと唱えていた。
結局すべての本質が見えているのは、誰あろうディオティマだけだったのである。
*
「ぎひ、すべては、ディオティマさまの、思いのまま」
「ふふっ、そのとおりですよ、バニーハート。こうやって盤上に少しずつ駒をそろえ、わたしの意のままに動いてもらうのです。実に楽しい趣向ですねえ」
「ぎひ、最後は、ディオティマさまが、チェックメイト」
「そうですよ、バニーハート。わが悲願の成就は、それほど遠くないかもしれませんね。ふふっ、ふははははははっ!」
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