桜の朽木に虫の這うこと

朽木桜斎(くちき おうさい)

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第3作 ドラゴン・タトゥーの少年 桜の朽木に虫の這うこと(三)

第79話 追憶の空

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「ソランさま!」

 ウサギのぬいぐるみを携えた少女がこちらへと走ってくる。

 孤島に立つ小国・ザンニバル王国。

 世界最小の国連加盟国ながら、海洋・鉱山資源やテクノロジーなどの科学産業により、世界的な影響力を持っていた。

 ソランはその国王・ザンニバル11世の一粒種であり、当然のちの王位継承者としてエリート教育を受けている。

「また王宮から勝手に抜け出して! 国王陛下に叱られてしまいますよ!」

 少女は両手を振りまわしながら叱責する。

「わかってるよレイン。でも僕は、みんなと遊んでいるほうが好きなんだ」

 ソランは青みがかった銀髪を揺らしてけだるい顔をした。

 レインはザンニバル王の忠臣に当たる人物のひとり娘であり、彼とは幼なじみの関係にある。

 年齢も同じであることから、父王がていの良い「見張り役」としてそばに置いていたのであった。

「ほら、早く行きましょう!」

 レインが手を伸ばしてくる。

 この国は絶海にあって思想・文化的にも開けており、国民も柔軟な考え方を持っていた。

 そのある種の証明として、職業や身分に関係なく人々は分け隔てない交流をしていたし、治安も長い期間安定している。

 現王の名君たる証左であった。

「ソランさま!」

「ソランさまだ!」

 大人たちはソランへわが子を見るようなまなざしを持っていたし、子どもたちも彼と仲良く遊んでいる。

 まさに地上の楽園といった風情であった。

「ソランさま、実はわたし……」

「あ――」

 レインが何か言いかけたとき、空が暗くなった。

 雨が降るのかな、ソランはそう思って顔を上げる。

 雲ではない、何やら黒い、うごめく物体の群れ。

 飛行機の連隊だ。

 中心にひときわ大きな飛行船が浮いている。

 モーツァルトの歌劇「魔笛」の序曲がこだました。

 黒い鳥が黒い卵を産みはじめる。

 街が吹っ飛んで、レンガが豆のようにまかれた。

 ガラスがヘドロになった。

 何もかも泡になった。

「デア・フォーゲルフェンガー・ビン・イヒ・ヤァッ!」

 バリトン歌手が高らかに歌う

 人間に穴が開いていく。

「オプサッサァッ!」

 ホーミングが王宮のほうへ飛んでいく。

「レイン――!」

 瓦礫の下からその手が出ていた。

 ソランは咆哮する。

 ウサギのぬいぐるみを手に取り、王宮へと走った。

 空は赤くなっていた。

   *

「ヨハン兄さん! せっかくわたしの新兵器が試せると思ったのに、これでは実験にならないよ!」

「おまえが火薬の量を間違えたんだろうヴァルター? 昔からそうだ。100年以上何も学習していないね」

 二人の青年、のように見える者たちが口げんかをしている。

 足もとには国王が倒れていた。

 血がしとどに流れている。

 少年はナイフを握りしめた。

「おい、ちょっと……」

「何か飛んでくるね」

 王座が吹き飛んだ。

「やりすぎだ兄さん! これでは何も残らんではないか!」

「文句はおまえの部下に言いなさい。まったく、血の気の余った連中だねぇ」

 空が見える。

 赤い空。

 誰かが近づいてくる。

「あれあれ、ぬいぐるみがボロボロですね」

 女性だった。

「帰る家もないでしょう? わたしといっしょにいらっしゃいませんか?」

 力が欲しかった。

 この国をもう一度復興させる力が。

「ぎ、ひ……」

 流す涙など、もうない。

 彼の目は空と同じ色になった。

「さあ」

 怪人・バニーハートは、このようにして誕生した。



<参考音源>

歌劇 「魔笛」
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト 作曲

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
サー・ゲオルグ・ショルティ(指揮)

序曲

アリア 「俺は鳥刺し」
ヘルマン・プライ(バリトン)
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