愛の言葉に傾く天秤

秋月真鳥

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ユストゥス編

3.和解の兆し

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 着眼点は悪くないし、仮説も鋭いところを突いてくる。ライナルトのデータ分析はそこまではよかった。問題はそこから先だ。自分の仮説に自信を持ちすぎて、その仮説に合うようなデータを持ち出して分析するのだから、結論に整合性がない。
 これまでは着眼点のよさと仮説の鋭さで評価されて、データ分析の誤差や誤読を周囲が修正してカバーしてきたのだろう。提出された論文の仮説と結論もユストゥスの想定しているものと変わりはなかったのだが、ユストゥスはライナルトのデータを修正してデータ解析を仕上げてやるつもりはなかった。
 自分の仕事は自分でできてこそ一人前の研究員だ。出されるデータ解析に今後も全て修正して、ユストゥスの手を借りなければライナルトがデータ分析の一つもできないようにはしたくない。
 ユストゥスがやった方が正確で素早く答えが出るのだが、敢えてユストゥスはライナルトにもう一度データの取り直しを命じた。
 金色の目に睨まれた気がしたが、特に気にはしなかった。
 数日後に持ってきたライナルトのデータは修正されていた。誇らし気な顔でユストゥスに報告するライナルトに、ユストゥスは笑顔で告げる。

「わざわざ僕の研究室に来なくても、データをアップロードしてメッセージで知らせてくれたらよかったのに」
「直接データを渡したかったんだ」

 そうして鼻を明かしてやろうという考えだったのだろう。今回のデータ分析には文句はなかったのでユストゥスはにっこりと微笑んだ。

「ご苦労様。いい出来だよ。今後ともこんな感じでよろしくね」

 作り笑顔と社交辞令のお礼だったのに、ライナルトは顔を真っ赤にしている。どういう嗜好なのか知らないが、ユストゥスにこき下ろされて奮起して、社交辞令に気付かずに大喜びしているのかと思うと自分よりも年上のライナルトの性格形成を疑ってしまう。
 これまで褒められることが当然の環境だったのだろうか。ユストゥスの下で働く以上最高の仕事をしなければ認められないとライナルトは分かっていないのかもしれない。
 ライナルトが部屋を出て行った後で、ユストゥスが休憩に入ろうと研究室を出ると、休憩室でライナルトが待っていた。

「そろそろ休憩なんじゃないかと思ってな」
「あなた、その喋り方、どうかと思うよ」
「へ?」

 規則の緩い研究所から来たのだろうが、ユストゥスはライナルトの直属の上司に当たる。功績で言えば疫病の特効薬を開発したということで、ユストゥスはこの研究所で年齢は一番若いが、非常に存在を重く見られていた。

「僕はそれほど気にする方でもないけど、自分のことは『俺』で、上司の僕に『お前』って言うのはどうなのかな?」
「お、おま……あなたも年上の俺に対して敬語は使ってないじゃないか」
「僕はこういうタイプだからね。学会ではちゃんと敬語も使えるし、周囲に合わせた振る舞いができるよ」

 笑顔のままで言うとライナルトの顔が赤くなってくる。肌が白いので感情に合わせて顔色がすぐ変わる分かりやすいタイプなのだろう。

「俺も、学会では敬語を使っている」
「そう。僕はいいけど、他のひとは気にするかもしれないから、気を付けた方がいいよ」

 特にユストゥスは疫病の特効薬を開発したとして有名人になっている。ユストゥスの直属の部下となると、妬みで嫌がらせをされても仕方がなかった。嫌がらせをする方が悪いに決まっているのだが、ライナルトはこの研究所に来たばかりでまだ地位が確立していない。
 多少思考にバイアスがかかりやすいという欠点があるだけで、ユストゥスはライナルトを無能だとは思っていなかった。もう少し自分で気付いて自分の行動を修正して欲しいところだが、それも今後変わってくるだろう。

「それじゃあ、あなたを何と呼べばいい?」

 真剣な表情で問われたのがそれだったので、まるで告白のようだとユストゥスは笑ってしまった。

「僕のことはユストゥスでいいよ。みんなそう呼んでる」

 ハインツェだと他の研究所に勤めている兄のエリーアスと同じで、その研究所とユストゥスの研究所は交友が深いのでお互いに研究員が情報をやり取りしていて、実際に手伝いに来ることもあるので、面倒なのでユストゥスは自分のことはユストゥスと名前で呼ばせていた。
 兄のエリーアスの方が他人に必要以上に接近されるのを好まない性質なので、ハインツェと距離を置いて呼ばれたいというのもあった。
 いつでもユストゥスが最優先にするのはエリーアスのことだった。

「学会で、兄の功績を奪ったと俺が言ったとき、ユストゥスは笑顔で肯定したが、悔しくはなかったのか?」

 昼食をとりながらいつの間にか隣りの席に座っているライナルトに、ユストゥスは懐かれてしまったかとため息を吐く。面倒くさそうな男性なので距離を置きたかったが、ライナルトはユストゥスに近付きたいようだ。

「悔しい、ねぇ……。悔しいのは、兄さんが評価されなかったことだよ」

 ユストゥスの言葉にライナルトが金色の目を見開いている。

「僕は自分ができるって確信してたけど、それは兄さんの下積みがあってのことだった。兄さんのデータは細かくて、分析も的確でものすごく緻密なんだ。長い時間をかけて兄さんが収集したデータを、僕が纏めただけなのに、評価されたのは僕だった。解せないよね」
「それで、国に特許を譲ったのか?」
「戦争を終わらせるような特効薬の特許なんて持ってたら面倒ごとしか舞い込まないよ。働けば暮らしていけるんだから、僕はそういうのはいらない。欲しかったのは兄さんへの称賛だけど、それも兄さんは拒否した」

 兄のエリーアスが称賛されるべきだとユストゥスは主張したのだが、エリーアスはそれを受取ろうとしなかった。軍の退職金と傷病手当だけで残りの人生は生きていけるくらいの金額は受け取っていたし、称賛のために特効薬開発をしたのではないと言われてしまったのだ。

「兄さんは戦争が終結して、疫病で苦しんでいるひとが救われればそれでいいと言った。そういうところが大好きなんだけど、欲がなさすぎるよね」

 呟くユストゥスに、ライナルトが身を乗り出す。

「欲がないのはユストゥスの方だろう。そんな地位があれば、一生働かずに暮らしていけるし、女だって寄ってくる」
「そういうのは興味ないんだよね。女性と遊ぶとか、僕、趣味じゃないし。後、特許を国に譲ったときの報奨金で、既に一生遊んで暮らしていけるお金はあるんだ」

 ユストゥスが言うと、ライナルトは衝撃を受けたようにユストゥスを金色の瞳で見つめていた。

「遊んで暮らせる金があるなら、なんでこんな研究所に?」
「研究が、好きだから」

 笑顔で答えたユストゥスを、ライナルトは信じられないものを見るような目で見ていた。
 話過ぎたかと思ったが、ライナルトと険悪な状態でいたかったわけでもなく、それなりに友好的には過ごしたかったのでユストゥスは昼食を食べ終わって、話を切り上げるつもりだった。
 休憩室の椅子から立ち上がったユストゥスの手をライナルトが掴む。ごつごつとした男の手に手を掴まれて、ユストゥスは不快に思いつつライナルトを見詰めた。

「今夜の夕食は、空いてないか?」
「え?」
「一緒に夕食を……」

 頬を染めて言うライナルトは何を考えているのだろう。自分で女性が好きだと言うようなことを公言しておきながら、ユストゥスを口説くようなことをしている気がする。

「夕食は、兄さんの家に行くことが多いんだ」
「兄さん……。ユストゥスは兄さんが好きだな」
「うん、大好きだよ」

 曇りのない笑顔で答えると、ライナルトは手を離して不機嫌そうに立ち去って行った。ユストゥスがブラコンであることは研究所の誰もが知っていることなので、何を言われても問題はない。それどころか、ユストゥスは幼い頃にエリーアスと結婚できない事実を知って泣いたことがあるエピソードまで研究所の研究員はほとんど知っている。
 握られる弱みもないユストゥスは鼻歌交じりに研究室に戻って行った。
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