可愛いあの子は男前

秋月真鳥

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七章 奏歌くんとの七年目

12.公園の告白とファーストキス

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 稽古場から帰ると奏歌くんが家に来ているはずだった。
 約束していたのに奏歌くんが来ていなくて、玄関を開けてがらんとした部屋の入口に私は立ち竦む。玄関脇の自転車を置くスペースには奏歌くんの自転車が置いてあったから、来ていると信じて疑わなかったのだ。

「奏歌くん……奏歌くんはどこ?」

 両親が事故で帰って来なかった日のような胸のざわつきを覚えて、私は部屋の鍵を閉めてマンションから飛び出していた。スーパーにお買い物に行ったのかもしれない。久しぶりに私の部屋に来るから、冷蔵庫の中身はほとんど何もなかったはずだ。
 必死に自分を落ち着かせようとしながらマンションのエントランスを出ると、近くの公園に奏歌くんの気配がした。匂いや気配でワーキャットの私は大事な奏歌くんの居場所なら、少しくらい離れていても分かる。

「奏歌くん……!」

 駆け寄るとエコバッグを持った奏歌くんに女の子が話しかけていた。

「良いでしょう? 一回くらい」
「そういう問題じゃないよ」
「思い出をくれてもいいじゃない!」

 揉めている雰囲気に気付いて近寄りがたく思っていると、女の子から顔を背けた奏歌くんが私の方を見る。私を見つけた奏歌くんのハニーブラウンの瞳が光りを宿した。

「海瑠さん! お帰りなさい」
「奏歌くん、そっちのお嬢さんは?」

 聞いてみると奏歌くんがうんざりした様子で答える。

「僕のクラスの子。もう遅くなるし帰った方が良いよ」

 奏歌くんに言われて女の子は不満そうな顔で渋々帰っていた。気になって聞けないままマンションまで並んで歩いていくと、エレベーターに乗り込んだ奏歌くんが深いため息を吐く。

「僕のことが好きだって告白されたんだ」
「え!?」

 紳士で優しくて可愛い奏歌くんは同級生にもモテる。それは過去にも奏歌くんがバレンタインに学童保育の前の公園で待っていた女の子にチョコレートを貰っていたことから分かっていた。それでも目の当たりにするとショックではある。

「好きなひとがいるからお付き合いはできないって断ったら、その……思い出にキスをして欲しいって言われたんだよ」
「キス!?」

 小学校六年生でもうそんなことを考えるのか。
 驚いてしまった私に奏歌くんが困ったように眉を下げる。

「キスはとても大事なことだから、ちゃんと大きくなってから、自分も相手も納得してないとしちゃダメって母さんからも言われてるし、好きじゃない子にするなんて絶対いやだから断ったんだけど、すごくしつこかった」

 そのせいで奏歌くんは私が帰るまでにスーパーから戻れなかったのだとすごく不本意そうだった。奏歌くんがキスのことをそれだけ真剣に考えているのは、美歌さんとやっちゃんの教育が行き届いているからだろう。

「それにしても、六年生でキスとか……」
「六年生でも、付き合ってる子はいるみたいなんだ。僕は海瑠さんがいるし、海瑠さんのこと以外好きじゃないから、告白されても断ってるけど」
「今回以外にも告白されてたの!?」

 思わず身を乗り出して聞いてしまったところでエレベーターが最上階に着く。二人で降りて部屋に入ると、冷蔵庫に食材を詰めながら奏歌くんが答えてくれる。

「告白は……時々。でも、僕が絶対断るって分かってるから、あまりされないよ」

 同級生の女の子にとって、奏歌くんは好きなひとがいるというのは周知の事実のようだった。それでも六年生で今年一年しか小学校生活が残されていないので、玉砕覚悟で告白してきて、今日のようにキスを強請る子もいる。

「キス、か……」
「み、海瑠さんは、キス、したことある?」

 冷蔵庫の中に食材を詰める奏歌くんの横顔が赤くなっているのが分かる。耳まで赤い奏歌くんにつられて、私も赤くなってしまう。

「したことないかな。されそうになったことはあるけど、逃げてた」
「僕も! 良かった、海瑠さんと同じだね」

 私は奏歌くんに出会うまで初恋もまだだった。ファーストキスもしたことがないのだと気付くと、大人として恥ずかしいような気持になるが、奏歌くんが同じだと喜んでくれるのならばそれはそれでいい気がする。

「奏歌くん、お弁当ありがとう。すごく美味しかった。夏みかんまで剥いてあってびっくりしちゃった」
「本当は唐揚げとかコロッケも入れたいんだけど、やっちゃんが油はまだ使っちゃダメって言うんだ」

 もっと私に色んなものを食べさせたいと奏歌くんは思ってくれているようだが、油は危険なのでやっちゃんから許可が下りていない。代わりに夏みかんを剥いてデザートにすることで奏歌くんは私へのお弁当を完成させた。
 お弁当箱はシンクで洗って拭いて奏歌くんに返す。

「鶏の照り焼きがすごく美味しかった。ソースがかかってたでしょう?」
「あれはタルタルソースだよ。ピクルスで作るんだけど、なかったから、ラッキョウで作っちゃった」
「ラッキョウだったんだ。酸っぱいけどまろやかで美味しかった」
「茹で卵も入れたからね」

 タルタルソースはラッキョウと茹で卵とマヨネーズで作られている。教えてもらわなければ中身は分からなかったが、私にも美味しいことだけは分かった。奏歌くんの作ったものならば中身が分からなくても安心して食べられる。

「あれをアジフライとか、鶏の唐揚げにかけて食べると美味しいんだけど、衣をつけるところまではやっちゃん、させてくれるんだけど、揚げるのはまだダメなんだってさせてくれないんだ」
「照り焼きでも十分美味しかったよ」
「中学になったら揚げ物もさせてくれるかもしれないから、それまで待ってね」

 揚げ物ができるようになったら、コロッケ、トンカツ、チキンカツ、アジフライ、鶏の唐揚げ、天ぷらと奏歌くんの作れるメニューが増える。奏歌くんがますます腕を磨くようで私はうっとりとしてしまった。
 凛々しい横顔に奏歌くんの手を取って屈む。
 唇が触れるだけのキスを頬にすると、奏歌くんは唇の当たった場所を押さえて耳まで真っ赤になった。

「海瑠さん……!?」
「奏歌くんがあまりに格好良くてしたくなっちゃった。私のファーストキスだよ?」

 本当は唇にするのがキスなのかもしれないが、私と奏歌くんの間ではこれはれっきとしたキスだった。奏歌くんも私が猫のときに撫でながらこめかみにキスをしてくれるから、私の方もしたいとずっと思っていたのだ。

「母さんとやっちゃんには内緒だね」

 ほっぺたを押さえながら赤い顔で言う奏歌くんがどこか照れているような、嬉しいような雰囲気だったので私はホッとした。
 秋公演の本番が始まる。
 奏歌くんを呼んでいるのは茉優ちゃんの誕生日近くなので、初日の舞台には奏歌くんは来ない。やっちゃんが劇団に来て仕事をする日は奏歌くんのお弁当を預かって来てくれているので、それを受け取るのも私の楽しみになっていた。
 本番初日もやっちゃんは私の楽屋を朝に訪ねて来て、お弁当の包みを渡してくれた。

「かなくんが衣をつけたコロッケを俺が上げたけど、ジャガイモを潰したのも、ミンチを炒めて混ぜたのもかなくんだからな」
「奏歌くんが作ってくれたのね」
「そう思ってやってくれ」

 油で揚げる作業だけやっちゃんにお願いして、奏歌くんはそれ以外の作業をしてくれた。それはもう奏歌くんが作ったと言って過言ではないのではないだろうか。
 考えていると、お弁当箱の入った包みに小さなビニール袋にリボンをかけたものが幾つか入っていた。中身はクッキーのようだ。

「これは?」
「かなくんと茉優ちゃんが作ったクッキー。百合さんや劇団の仲の良いひとと食べてくれってさ。そんなに量はないんだけど」
「百合が喜ぶわ! 茉優ちゃんにもお礼を言っておいてね」

 やっちゃんにお願いすると、やっちゃんの方からお礼を言われる。

「茉優ちゃんがお誕生日に一緒にケーキを選んでくれるお礼だってよ。ありがとうな」

 茉優ちゃんの代わりにお礼を言うやっちゃんは、茉優ちゃんの保護者というよりも彼氏のようで二人の関係がどうなっているのか気になってしまう。やっちゃんが仕事に戻った後には百合が楽屋に押しかけてきた。

「お弁当! ダーリンからの、お弁当!」
「私のお弁当を奪おうとしないでよね! 百合の分はこれ」

 クッキーの包みを差し出すと百合が目を輝かせる。

「ダーリンから?」
「奏歌くんと茉優ちゃんからよ」
「嬉しいー!」

 大喜びでクッキーを持って踊りながら自分の楽屋に戻って行く百合に、そんなにお弁当が羨ましかったのだろうかと思ってしまう。奏歌くんのお弁当は私への愛なのだから渡すことはできないが、時々は負担でなければ百合に少し作ってくれるようにお願いしてもいいだろうか。
 百合は私にとっては大事な幼馴染だし、トップスターの相手役なのだ。これから続くトップスター生活を一緒に過ごしていく相方として、百合をもっと大切にしようと思う私だった。
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