可愛いあの子は男前

秋月真鳥

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七章 奏歌くんとの七年目

29.奏歌くんと岩盤浴

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「岩盤浴に行って来たんだけど、ものすごく汗をかいてストレス解消になりましたよ」

 始まりは真月さんのその一言だった。
 岩盤浴って何だろう。
 よく分からないままに話を聞いていた私は、百合に手を引っ張られる。

「私も行ってみたい、岩盤浴」
「え? 私関係なくない?」
「一人で行くの嫌ー!」

 百合と二人で話していると、「さすがトップコンビは仲睦まじいですね」なんて言われてしまう。一度は揉めた真月さんとの仲だったが、今はしっかりと信頼関係を築けている。それも美鳥さんが仲介に入ってくれたおかげだった。

「私は美鳥さんと行きましたよ」
「真月さんが行ったことないって言うから。夏場に汗をかくのも悪くないものですよ」

 汗をかくとデトックスとか言って、老廃物が排出されるのだと美鳥さんが教えてくれる。美しい肌を保つためにはたまには大量の汗をかく必要がある。
 しかし、岩盤浴とは何なのだろう。

「岩盤浴って言うのは、温めた石の上に寝てじっくりと体を芯から温めることです。石のサウナみたいなものですね」
「石の上に? じゃりじゃりして痛くない?」
「大理石の床の上に寝転ぶ感じで、じゃりじゃりはしませんよ。床はつるつるしてます」

 疑問を投げかけると美鳥さんが丁寧に答えてくれた。

「岩盤浴かぁ……奏歌くん、興味あるかな」
「海瑠、サウナみたいなものなのよ。ダーリンは男性でしょう? 一緒に入れないわよ」

 百合に言われて私はショックを受けた。去年の夏休みに温泉に行ったときもだが、奏歌くんと私は当然のように別々のお風呂に入らなければいけなかった。年齢的に奏歌くんはもう私と一緒にお風呂に入ってはいないのだが、岩盤浴でも別々というのはちょっとショックだった。

「岩盤浴は専用の服を着て入りますし、男性と一緒ですよ」

 美鳥さんの言葉に私は落ち込みかけていた気持ちをぐっと持ち上げる。

「中学生が行って面白いところかは分かりませんけど、一杯汗をかいてから食べるアイスクリームが美味しくて」
「結局、汗かいてもカロリー取っちゃうんですよね」

 真月さんと美鳥さんは楽しそうに話している。去年の夏休みの温泉も奏歌くんは楽しそうだったし、岩盤浴に誘ってみたら喜ぶかもしれない。
 何より、初めて行く場所に私と百合だけというのはすごく勇気がいることだった。岩盤浴の作法が分からなかったらどうしよう。何か分からないことがあったら誰が聞いてくれるのだろう。間違ったらどうすればいいのだろう。
 不安だらけの私はマンションの部屋に帰ると、百合も連れて来て奏歌くんにお願いしていた。

「奏歌くん、岩盤浴って知ってる? 行ってみたいんだけど、百合と二人じゃ不安なの」
「不安なのはこっちの方よ。海瑠と二人じゃ不安なの、ダーリン」

 テーブルで勉強をしていた奏歌くんは分厚い辞書で何か調べていたようだが、手を止めて顔を上げてくれる。

「岩盤浴は僕も行ったことないよ。スーパー銭湯ならある」
「スーパー銭湯ってなに?」
「ちょっとお洒落な温泉施設だよ。岩盤浴って温めた大理石の上に寝るんでしょ? サウナは中学生からしか入れないから、僕、入ったことないんだよね」

 サウナに入っていい年齢があるだなんてことを私は知らなかった。そもそも、サウナに入ったこともない気がする。

「仕組みはスーパー銭湯と変わらないんじゃないかな。いいよ、行こう」

 返事をしてくれた奏歌くんに、百合と日程を合わせて、翌日に岩盤浴に行くことが決まった。劇団が休みの日で、私と百合は休日、奏歌くんは夏休みで朝から私のマンションに来ている。
 成績が少しでも落ちたらマンションに来られなくなって塾に通わなければいけない奏歌くんは、かなり勉強に力を入れていた。宿題だけではなく、美歌さんの用意した問題集も解いている。夏休みの宿題はもうほとんど終わらせていて、最近は美歌さんの用意した問題集を奏歌くんは私がいない間に解いているようだった。
 私も中学と歌劇の専門学校で勉強したはずなのだが、全く覚えていないので勉強を教えることはできない。奏歌くんも私には全く期待していなくて、自分で調べて勉強していた。
 私が休みの日には奏歌くんは勉強を休んで私の予定に合わせてくれる。
 今回は岩盤浴だ。
 美鳥さんと真月さんが行ったという岩盤浴の施設に百合の車で行く。温泉宿と雰囲気の似た和風の佇まいに、中に入ると靴を脱ぐように指示する看板があった。脱いだ靴を持って突っ立っていると、奏歌くんがロッカーを見つけてくれる。

「多分、スーパー銭湯と同じ。ロッカーに靴を入れて、靴の鍵を渡して着替えのロッカーの鍵を貰うんじゃないかな」

 なるほどと思いながら奏歌くんの真似をして靴のロッカーに靴を入れて、鍵をかけた。鍵を引き抜いてカウンターに行くと声をかけられる。

「初めてのご利用ですか?」
「はい、そうです」
「男性一名様、女性二名様ですね。男性は左側の浴場の脱衣所で、女性は右側の浴場の脱衣所で、この袋の中に入っている服に着替えてください」
「あの、下着はどうすればいいですか?」
「透ける素材ではないので、下着も脱いで着用ください」

 受け答えをしてくれているのは奏歌くんだ。私が気になっている下着のこともちゃんと聞いてくれていた。

「岩盤浴はバスタオルを敷いて横になってください。クールルームやアロマルームもございますので、ぜひご利用ください」

 説明を受けて私は右側の赤い暖簾のかかった浴場の脱衣所に入る。奏歌くんは左側の浴場に入っていた。

「お風呂があるってことは、汗をかいたのを流して帰れるってことよね」
「あ、そうか。でもお化粧し直すから、奏歌くんを待たせるかも」
「ダーリンには言っておいた方がよさそうね」

 襟のついたちょっと厚手の半袖シャツとハーフパンツに着替えた私と百合が脱衣所から出てくると、奏歌くんは服の入っていた袋を持っていた。

「海瑠さん、百合さん、袋は?」
「え? ロッカーに入れて来たけど」
「バスタオルを敷くし、汗もかくからタオルも必要だよ」

 話を聞いていたのにすっかりと忘れていた私と百合は慌ててロッカーに戻って、袋に入ったバスタオルとタオルを持ってきた。
 岩盤浴の部屋に行くまでに自販機があったが、私も百合も小銭を持って来ていなかった。もう一度取りに帰らなければいけないかと思う私たちに、奏歌くんが手首につけるバンドにもなっている鍵を示す。

「このバーコードを翳せば帰るみたい。出るときに一括でお会計するって、書いてあるよ」

 よく見れば自販機の横にそんなことが書いてある看板が立っていたが、そんなもの全く目に入っていなかった。何も見ていないし、何も聞いていない私と百合。奏歌くんが来てくれなかったら本当にどうなっていたことだろう。
 岩盤浴の部屋は薄暗くて静かだった。裸足で歩く床が暖かく、小さな衝立があって一人ずつ寝るスペースが区切られている。奏歌くんの横のスペースに陣取った私は、奏歌くんがバスタオルを敷いてその上に寝転ぶのを見習って、大理石の上にバスタオルを敷いた。百合も反対側の奏歌くんの隣りにいて、奏歌くんの方をちらちら見ながら真似している。
 最初はそれほど熱くないと思っていたのだが、横になって目を閉じているとじわじわと体の芯から温まって汗が滲んでくる。どれくらいそうしていたのか。
 何度か起き上がって奏歌くんが自販機で買ったペットボトルで水分補給をしているので、私も真似をして水分補給をした。

「もう、熱いかも……」

 小声で言った奏歌くんに私たちは頷いてクールルームに移った。ひんやりとした部屋は火照った体に心地よい。水を飲みながら静かに体を冷やした。
 アロマルームに行ってみたい気もしたのだが、私はワーキャットである。アロマルームのドアが開いただけで匂いに反応してしまうので、アロマルームは諦めた。
 他にも休憩できるスペースがあるようだ。
 床の上にマットのついた座椅子のようなものが置かれていて、そこで休むことができる。
 岩盤浴で温まって、クールルームで火照りを冷やして、休憩スペースで休んでと繰り返して、お昼近くまで私たちは岩盤浴をしていた。

「お腹空いて来ちゃった」
「そろそろ、終わりにしようか」

 奏歌くんのお腹が可愛く鳴いたので、岩盤浴は終わりにする。
 浴場で汗を流す前に奏歌くんに伝えておかなければいけないことがあった。

「私たち、髪を乾かしたり、お化粧を直したりするから、時間がかかるかもしれない。待っててもらうのは申し訳ないんだけど……」
「ねぇ、海瑠さん、僕、ソフトクリーム食べてていい?」
「うん、いいよ!」

 私たちに罪悪感を抱かせないように明るく言ってくれる奏歌くんは本当に男前だった。お金を渡そうとして小銭を持っていないことに再度気付く私だったが、奏歌くんは「これで払えるから」と手首の鍵のバーコードを示して安心させてくれた。
 浴場で汗を流して、髪を乾かして、お化粧を直す。全部終わって浴場から出ると、奏歌くんはソフトクリームを食べ終えてごみを捨てているところだった。

「奏歌くんのおかげで楽しかった」
「ダーリン本当に頼りになるわ」

 心からお礼を言う私と百合に奏歌くんの色素の薄い頬が赤かったのは、岩盤浴で温まったせいだけではなかっただろう。
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