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泣かないで愛しいひと 2
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劇団は秋公演に向けての練習の真っ最中。瀬戸和成が坂上陽太と出会ったのは夏の終わりの頃だった。
堅気ではない職業の男とか、学生とか、同業者に、水商売の男……付き合った相手は数知れないが、小学生とはさすがに初めてで、和成はそれを楽しんでいた。
会うのはいつも陽太の家から少し離れた公園で、和成は普通に薄手のカットソーに細身のデニムという姿で、陽太は半袖シャツにハーフパンツで水筒を下げてやってきた。夏休み期間中も学童保育はやっているらしいのだが、お金がかかるし、自分はもう四年生なので通っていないと陽太は話してくれた。
「和成さんはどんな仕事しとると?」
母親が九州から出て来たという陽太の喋りは、人懐っこく少し訛っている。それが和成の亡くなった祖母を思わせて、陽太と話すと気持ちが和ぐような気がしていた。
「俺は役者さんなんだ。舞台の上で色んな役を演じてる」
「有名なひとなん?」
「一部のひとにはね」
舞台ばかりでテレビには出ていないので、和成は舞台通にとっては超有名人なのだろうが、それを離れれば全くの無名と言って良かった。だから、好き勝手に遊び歩いても自由にされていたのだが。
「あんね」
「うん?」
ふと真面目な表情になった陽太に、和成はベンチに座ったままで首を傾げる。汗ばんだ小さな熱い手に手を取られて、どきりと心臓が跳ねた。
「今日は何時まで大丈夫なん?」
「特に予定もないし、仕事も休みだから、陽太くんのいい時間まで付き合うよ」
「和成さん、うちに来てくれん?」
突然の申し出に、和成は陽太の言っていることの意味が分からなかった。小さな手は和成の大きな手を一生懸命握ってくる。
「母さんに、すきなひと連れて来るって言ったとよ。すきなひとができたら、ちゃんと紹介するって約束しとると。やけん、今日、母さん休みで家で待ってくれとるけん、来てくれん?」
まさか、十歳の男の子に母親に紹介するから家に来てほしいと言われるとは思ってもみなくて、和成は慌てた。服もちゃんとしたものではないし、いや、それ以前に、十歳の小学生と付き合っている三十路の男を連れて来られて、母親はどう思うのだろう。
多分、即通報されて、警察官が来て、和成は仕事も社会的地位も失う気がした。
「ごめん、陽太くん、それはちょっと……」
「付き合っとるひととはちゃんとしたいけん、お願い」
真剣な眼差しに、和成はわずかに怯んだ。十歳と付き合う三十路である。どう考えても小児性愛者としか思えないだろう。それで今まで築き上げたものが全部壊れてしまう。
しかし、陽太の眼差しは真剣で、握った手は緊張でか汗ばんで熱い。
結局、自分はこういうところがあるから、駄目男吸引機と言われるのだ。でも、言われて罵られて諦めがつくのならば、それはもうそれでいいのかもしれない。後のことは千夏や団長達が警察に迎えに来てどうにかしてくれるだろう。
腹を決めて、和成は微笑んだ。
「分かった、陽太くんの家に行こう」
ベンチから立ち上がると、陽太が眩しいほどの笑顔になっていて、最後に見るのがこの笑顔ならば悔いはないとまで思ってしまうのだから、どうしようもない。
公園から少し歩いた団地に、陽太の家はあった。
入り口から階段を上がってすぐの二階の部屋、元気よく帰ってきた陽太を迎えたのは、和成と大して年の変わらない印象の細身の女性だった。
「えーっと、初めまして、坂上美月といいます。陽太の母ですが……」
和成の周囲を窺っているのは、恐らくは和成が陽太の好きな相手の保護者で、一緒に連れて来たと思われているのだろう。
「瀬戸和成といいます。あの、陽太くんには、本当になにもしてません……」
「和成さんが、俺のすきなひとなんよ! 前に公園で泣いとったって言ったやろ」
「あぁ、この方が」
美月が絶句する理由もよく分かった。玄関先で立ち尽くす和成の手を引いて陽太は家の中に招こうとするが、和成は動くことができない。
「瀬戸さんは御幾つなん? ひなちゃんがご迷惑かけとっちゃないと?」
「和成さんは三十歳って言っとったよ。迷惑やらかけてない。俺と付き合ってくれるって……言っとらん……和成さん、俺と付き合っとるよね?」
ひそひそと交わされる母子の会話に、和成はぎくりとする。それほど表情に出る方ではないが、きっと緊張した面持ちになっていそうだった。
「付き合ってるけど、いわゆる、大人の付き合いは全くないです。公園で話をしてるだけで……」
「そうですか……陽太は小さい頃に父親と離婚して、それ以来会ってないから、それで、瀬戸さんに甘えてご迷惑をおかけしたのかと」
「いえ、甘えてるのはどっちかといえば、俺の方で」
ごちゃごちゃと話していると、向かいの玄関が開いた気配に、美月が和成を部屋の中に招いた。物の少ない質素な部屋だが、よく整頓されている。リビングに通されて、椅子に座るとお茶とお菓子が出てきて、きっとこの母親は陽太と同じくらいの女の子が遊びに来るのを想定していたのだろうと申し訳なく思った。
「すみません、陽太くんに変なことをしたりとか、そういうのは、本当に、全然考えてませんので」
若干嘘を混ぜつつ、和成は説明する。
きっと男の子にはよくある憧れの時期で、父親もいないこともあって、和成に親切にして一緒に過ごすのを今は楽しんでいるけれど、そのうちに卒業してちゃんと女の子を好きになるだろうこと。そうなれば、もちろん和成は手を引くし、陽太とはお別れをすること。
話していると、それが真実味を帯びて、陽太がすぐにでも離れて行きそうな気になって、視界が潤みそうになるのに、和成は耐えた。口は出さなかったが、陽太はずっと何か言いたそうだったが、和成の顔を立ててくれた。
帰り道に、陽太は駅まで和成を送ってくれた。握った手が熱くて小さくて心臓がどきどきと高鳴っているのまで伝わりそうだった。
「もうすぐ、俺の劇団の公演があるから、陽太くん、お母さんと一緒に見に来てくれる?」
問いかけに、こくりと頷いた後で、陽太は背伸びをして和成の日に焼けていない白い頬を撫でた。陽太の肌はこんがりと健康的に日焼けしている。
「ずっと、泣きそうな顔しとった……。俺が困らせたん?」
「困ってないよ」
表情を作るのも、嘘をつくのも得意なはずなのに、泣きそうになって和成は代わりににっこりと微笑む。いずれこの手が離れるのを覚悟しているのに、それが嫌だと喚きたいくらいには、和成は陽太を気に入っていた。
けれど、この小さな手は和成を抱き締めないし、満足させることはない。ずくんと頬に当てられた手の熱さに下腹が疼く感じがして、これはまずいと和成は話を切って、手を振って陽太と別れた。
男がいない期間は、大抵、和成は千夏と一緒に居酒屋で晩御飯を食べて、酒を飲む。居酒屋からバーに移動することもあればずっとそこで飲んでいることもある。
「ちゃんとお付き合いしたいから、親に紹介されるとか、人生三十年生きてて、数多男と付き合ったけど、初めてだったんだけど」
「和さん、淫行罪って知ってます?」
「知ってる。今、その言葉をすごく身近に感じてる」
答えると千夏は半眼になる。舞台の上では和成も相当に表情豊かだが、普段はその反動のように表情筋もサボって怠惰を極める。眼鏡をかけて表情をあまり動かさないとクールだと言われるが、怠惰なだけだと千夏などはよく知っていた。
「公演、張り合いが出るかな。少しはいいとこ見せたいじゃん?」
「本気なんですか?」
「だって、多分、俺の人生の中で、最初で最後の、まともなイイオトコだよ?お別れするにしても、一番いいとこ見せて、かっこよく別れたくない?」
「十歳男児が、人生において一番イイオトコって時点で、和さんの男運終わってる気がしますけど」
「そう……神様は、俺に最後にいい夢見せて、残りの人生はやっぱり駄目男の間を流離って生きていくんだよ」
妙に悟った表情で言う和成に、千夏が酎ハイのグラスを干す。
「そのイイオトコ、公演の日に、紹介してくださいね?」
品定めするまでもなく、陽太の母親から別れてくださいと言われる方が早い気がして、和成は「どーぞどーぞ」と軽く請け負った。
公演の内容は若手演出家、戸井千夏が書いた脚本による新解釈のシェークスピアの古典『マクベス』だった。元の内容自体が難しいし、台詞回しの中にも古典的な表現がいくつも出てくる。
子ども向けの内容ではなかったが、初日の関係者席を確保して、和成は陽太と美月を招待した。リハーサルは本番と変わらない衣装で、化粧だけをしておらず、本番に向けて化粧をしているところで、園部(そのべ)都(みやこ)が入って来て、和成は鏡越しに彼女と目を合わせる。和成よりも一つ年上で、ほぼ同期の都は和成や千夏と同様に、この劇団の看板役者だった。
千夏の解釈ではマクベスよりも狂い行くマクベス夫人に焦点を当てて、和成はマクベス夫人を演じることになっていた。
「和さん、彼氏が来るって?」
「あーもう彼氏じゃないかも知れないけど」
「もう振られたの?」
「はっきり言わないでよ、傷付くから」
遠慮のかけらもない都に嘆息しつつ、和成は化粧を終える。長身に合わせて仕立てられたドレスは、ど迫力だが、これが舞台に立つと映えるのだから不思議である。
「ちなっちゃんが気にしてる、彼氏くん、見てみたい」
「俺の彼氏は見世物じゃないよ?」
不機嫌に言ったところで通用はしないのだと分かっているが、一応牽制をして和成は舞台袖に移動した。
マクベスは反逆の物語。
自らの王を弑逆しようと企て、それに躊躇う夫、マクベスを夫人は唆し、王を殺めた剣を持って来てしまう夫に代わり、お付きのものにその剣を持たせ、血をなすりつける。
しかし、その光景が忘れられずに、次第に自分の手に血の匂いが残っていると、マクベス夫人は狂っていく。
塔から身を投げたマクベス夫人を演じ終えた後で、カーテンコールに応えて何度も舞台袖から出て、礼を繰り返し、完全に役から解放されたのは、時間もかなり遅くなってからだった。
反省会は明日ということになって、化粧を落として着替えている楽屋に美月と陽太が訪ねて来たときには、舅と小姑宜しく、マクベスを演じていた千夏と王の息子を演じた都が目を光らせて待っていた。
「舞台になんて、初めて来たので、何を持って来ればいいのか分からなかったんですが、お招きいただきありがとうございます」
美月から差し出された花束を受け取ろうとすると、陽太の熱い手がぎゅっと和成の手を握った。
「和成さん、本当に女のひとみたいやった。すごい綺麗やったし、なんか、すごかった!」
興奮した口調で真っ直ぐに言われて、和成は頬を緩ませた。そういえば、和成の名声に興味のある男はいたけれど、こんな風に舞台を見て興奮して感想を言って来れた相手はいない。
「素晴らしかったです……陽太は、私がしっかりしてないから、その分、しっかりした子に育ってしまって……瀬戸さんに甘えたいのなら、瀬戸さんがご迷惑でなければ、これからも陽太と仲良くしていただけますか?」
自慢ではないが、和成のこれまでの素行など、少しは調べようと思えば、簡単にバレる。同性愛者であることも、遊び歩いていたことも、全く隠した覚えはないから。
思わず千夏の方に視線を投げて助けを求めると、難しい顔で見つめ返された。
「お母さん、そのひと、多分、思ってるようないいひとじゃないですよ」
「いいひとの顔をして、寄って来て、私や陽太に酷いことをしようとしたひとは、たくさんいました。そういうひとに、陽太は絶対に懐きませんでした。私は、息子を信じてます」
美月の視線と、握り締められた陽太の手が、妙に熱く感じられて、和成は俯いた。
その日から、和成と陽太の関係は美月の公認となって、和成は陽太と休日にデートをしたり、陽太が和成の部屋に泊まりに来たりすることが許されるようになる。
堅気ではない職業の男とか、学生とか、同業者に、水商売の男……付き合った相手は数知れないが、小学生とはさすがに初めてで、和成はそれを楽しんでいた。
会うのはいつも陽太の家から少し離れた公園で、和成は普通に薄手のカットソーに細身のデニムという姿で、陽太は半袖シャツにハーフパンツで水筒を下げてやってきた。夏休み期間中も学童保育はやっているらしいのだが、お金がかかるし、自分はもう四年生なので通っていないと陽太は話してくれた。
「和成さんはどんな仕事しとると?」
母親が九州から出て来たという陽太の喋りは、人懐っこく少し訛っている。それが和成の亡くなった祖母を思わせて、陽太と話すと気持ちが和ぐような気がしていた。
「俺は役者さんなんだ。舞台の上で色んな役を演じてる」
「有名なひとなん?」
「一部のひとにはね」
舞台ばかりでテレビには出ていないので、和成は舞台通にとっては超有名人なのだろうが、それを離れれば全くの無名と言って良かった。だから、好き勝手に遊び歩いても自由にされていたのだが。
「あんね」
「うん?」
ふと真面目な表情になった陽太に、和成はベンチに座ったままで首を傾げる。汗ばんだ小さな熱い手に手を取られて、どきりと心臓が跳ねた。
「今日は何時まで大丈夫なん?」
「特に予定もないし、仕事も休みだから、陽太くんのいい時間まで付き合うよ」
「和成さん、うちに来てくれん?」
突然の申し出に、和成は陽太の言っていることの意味が分からなかった。小さな手は和成の大きな手を一生懸命握ってくる。
「母さんに、すきなひと連れて来るって言ったとよ。すきなひとができたら、ちゃんと紹介するって約束しとると。やけん、今日、母さん休みで家で待ってくれとるけん、来てくれん?」
まさか、十歳の男の子に母親に紹介するから家に来てほしいと言われるとは思ってもみなくて、和成は慌てた。服もちゃんとしたものではないし、いや、それ以前に、十歳の小学生と付き合っている三十路の男を連れて来られて、母親はどう思うのだろう。
多分、即通報されて、警察官が来て、和成は仕事も社会的地位も失う気がした。
「ごめん、陽太くん、それはちょっと……」
「付き合っとるひととはちゃんとしたいけん、お願い」
真剣な眼差しに、和成はわずかに怯んだ。十歳と付き合う三十路である。どう考えても小児性愛者としか思えないだろう。それで今まで築き上げたものが全部壊れてしまう。
しかし、陽太の眼差しは真剣で、握った手は緊張でか汗ばんで熱い。
結局、自分はこういうところがあるから、駄目男吸引機と言われるのだ。でも、言われて罵られて諦めがつくのならば、それはもうそれでいいのかもしれない。後のことは千夏や団長達が警察に迎えに来てどうにかしてくれるだろう。
腹を決めて、和成は微笑んだ。
「分かった、陽太くんの家に行こう」
ベンチから立ち上がると、陽太が眩しいほどの笑顔になっていて、最後に見るのがこの笑顔ならば悔いはないとまで思ってしまうのだから、どうしようもない。
公園から少し歩いた団地に、陽太の家はあった。
入り口から階段を上がってすぐの二階の部屋、元気よく帰ってきた陽太を迎えたのは、和成と大して年の変わらない印象の細身の女性だった。
「えーっと、初めまして、坂上美月といいます。陽太の母ですが……」
和成の周囲を窺っているのは、恐らくは和成が陽太の好きな相手の保護者で、一緒に連れて来たと思われているのだろう。
「瀬戸和成といいます。あの、陽太くんには、本当になにもしてません……」
「和成さんが、俺のすきなひとなんよ! 前に公園で泣いとったって言ったやろ」
「あぁ、この方が」
美月が絶句する理由もよく分かった。玄関先で立ち尽くす和成の手を引いて陽太は家の中に招こうとするが、和成は動くことができない。
「瀬戸さんは御幾つなん? ひなちゃんがご迷惑かけとっちゃないと?」
「和成さんは三十歳って言っとったよ。迷惑やらかけてない。俺と付き合ってくれるって……言っとらん……和成さん、俺と付き合っとるよね?」
ひそひそと交わされる母子の会話に、和成はぎくりとする。それほど表情に出る方ではないが、きっと緊張した面持ちになっていそうだった。
「付き合ってるけど、いわゆる、大人の付き合いは全くないです。公園で話をしてるだけで……」
「そうですか……陽太は小さい頃に父親と離婚して、それ以来会ってないから、それで、瀬戸さんに甘えてご迷惑をおかけしたのかと」
「いえ、甘えてるのはどっちかといえば、俺の方で」
ごちゃごちゃと話していると、向かいの玄関が開いた気配に、美月が和成を部屋の中に招いた。物の少ない質素な部屋だが、よく整頓されている。リビングに通されて、椅子に座るとお茶とお菓子が出てきて、きっとこの母親は陽太と同じくらいの女の子が遊びに来るのを想定していたのだろうと申し訳なく思った。
「すみません、陽太くんに変なことをしたりとか、そういうのは、本当に、全然考えてませんので」
若干嘘を混ぜつつ、和成は説明する。
きっと男の子にはよくある憧れの時期で、父親もいないこともあって、和成に親切にして一緒に過ごすのを今は楽しんでいるけれど、そのうちに卒業してちゃんと女の子を好きになるだろうこと。そうなれば、もちろん和成は手を引くし、陽太とはお別れをすること。
話していると、それが真実味を帯びて、陽太がすぐにでも離れて行きそうな気になって、視界が潤みそうになるのに、和成は耐えた。口は出さなかったが、陽太はずっと何か言いたそうだったが、和成の顔を立ててくれた。
帰り道に、陽太は駅まで和成を送ってくれた。握った手が熱くて小さくて心臓がどきどきと高鳴っているのまで伝わりそうだった。
「もうすぐ、俺の劇団の公演があるから、陽太くん、お母さんと一緒に見に来てくれる?」
問いかけに、こくりと頷いた後で、陽太は背伸びをして和成の日に焼けていない白い頬を撫でた。陽太の肌はこんがりと健康的に日焼けしている。
「ずっと、泣きそうな顔しとった……。俺が困らせたん?」
「困ってないよ」
表情を作るのも、嘘をつくのも得意なはずなのに、泣きそうになって和成は代わりににっこりと微笑む。いずれこの手が離れるのを覚悟しているのに、それが嫌だと喚きたいくらいには、和成は陽太を気に入っていた。
けれど、この小さな手は和成を抱き締めないし、満足させることはない。ずくんと頬に当てられた手の熱さに下腹が疼く感じがして、これはまずいと和成は話を切って、手を振って陽太と別れた。
男がいない期間は、大抵、和成は千夏と一緒に居酒屋で晩御飯を食べて、酒を飲む。居酒屋からバーに移動することもあればずっとそこで飲んでいることもある。
「ちゃんとお付き合いしたいから、親に紹介されるとか、人生三十年生きてて、数多男と付き合ったけど、初めてだったんだけど」
「和さん、淫行罪って知ってます?」
「知ってる。今、その言葉をすごく身近に感じてる」
答えると千夏は半眼になる。舞台の上では和成も相当に表情豊かだが、普段はその反動のように表情筋もサボって怠惰を極める。眼鏡をかけて表情をあまり動かさないとクールだと言われるが、怠惰なだけだと千夏などはよく知っていた。
「公演、張り合いが出るかな。少しはいいとこ見せたいじゃん?」
「本気なんですか?」
「だって、多分、俺の人生の中で、最初で最後の、まともなイイオトコだよ?お別れするにしても、一番いいとこ見せて、かっこよく別れたくない?」
「十歳男児が、人生において一番イイオトコって時点で、和さんの男運終わってる気がしますけど」
「そう……神様は、俺に最後にいい夢見せて、残りの人生はやっぱり駄目男の間を流離って生きていくんだよ」
妙に悟った表情で言う和成に、千夏が酎ハイのグラスを干す。
「そのイイオトコ、公演の日に、紹介してくださいね?」
品定めするまでもなく、陽太の母親から別れてくださいと言われる方が早い気がして、和成は「どーぞどーぞ」と軽く請け負った。
公演の内容は若手演出家、戸井千夏が書いた脚本による新解釈のシェークスピアの古典『マクベス』だった。元の内容自体が難しいし、台詞回しの中にも古典的な表現がいくつも出てくる。
子ども向けの内容ではなかったが、初日の関係者席を確保して、和成は陽太と美月を招待した。リハーサルは本番と変わらない衣装で、化粧だけをしておらず、本番に向けて化粧をしているところで、園部(そのべ)都(みやこ)が入って来て、和成は鏡越しに彼女と目を合わせる。和成よりも一つ年上で、ほぼ同期の都は和成や千夏と同様に、この劇団の看板役者だった。
千夏の解釈ではマクベスよりも狂い行くマクベス夫人に焦点を当てて、和成はマクベス夫人を演じることになっていた。
「和さん、彼氏が来るって?」
「あーもう彼氏じゃないかも知れないけど」
「もう振られたの?」
「はっきり言わないでよ、傷付くから」
遠慮のかけらもない都に嘆息しつつ、和成は化粧を終える。長身に合わせて仕立てられたドレスは、ど迫力だが、これが舞台に立つと映えるのだから不思議である。
「ちなっちゃんが気にしてる、彼氏くん、見てみたい」
「俺の彼氏は見世物じゃないよ?」
不機嫌に言ったところで通用はしないのだと分かっているが、一応牽制をして和成は舞台袖に移動した。
マクベスは反逆の物語。
自らの王を弑逆しようと企て、それに躊躇う夫、マクベスを夫人は唆し、王を殺めた剣を持って来てしまう夫に代わり、お付きのものにその剣を持たせ、血をなすりつける。
しかし、その光景が忘れられずに、次第に自分の手に血の匂いが残っていると、マクベス夫人は狂っていく。
塔から身を投げたマクベス夫人を演じ終えた後で、カーテンコールに応えて何度も舞台袖から出て、礼を繰り返し、完全に役から解放されたのは、時間もかなり遅くなってからだった。
反省会は明日ということになって、化粧を落として着替えている楽屋に美月と陽太が訪ねて来たときには、舅と小姑宜しく、マクベスを演じていた千夏と王の息子を演じた都が目を光らせて待っていた。
「舞台になんて、初めて来たので、何を持って来ればいいのか分からなかったんですが、お招きいただきありがとうございます」
美月から差し出された花束を受け取ろうとすると、陽太の熱い手がぎゅっと和成の手を握った。
「和成さん、本当に女のひとみたいやった。すごい綺麗やったし、なんか、すごかった!」
興奮した口調で真っ直ぐに言われて、和成は頬を緩ませた。そういえば、和成の名声に興味のある男はいたけれど、こんな風に舞台を見て興奮して感想を言って来れた相手はいない。
「素晴らしかったです……陽太は、私がしっかりしてないから、その分、しっかりした子に育ってしまって……瀬戸さんに甘えたいのなら、瀬戸さんがご迷惑でなければ、これからも陽太と仲良くしていただけますか?」
自慢ではないが、和成のこれまでの素行など、少しは調べようと思えば、簡単にバレる。同性愛者であることも、遊び歩いていたことも、全く隠した覚えはないから。
思わず千夏の方に視線を投げて助けを求めると、難しい顔で見つめ返された。
「お母さん、そのひと、多分、思ってるようないいひとじゃないですよ」
「いいひとの顔をして、寄って来て、私や陽太に酷いことをしようとしたひとは、たくさんいました。そういうひとに、陽太は絶対に懐きませんでした。私は、息子を信じてます」
美月の視線と、握り締められた陽太の手が、妙に熱く感じられて、和成は俯いた。
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