泣かないで愛しいひと

秋月真鳥

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泣かないで愛しいひと 3

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 デートをするときには、母親の許可を取って。
 入場料や遊ぶお金はある程度は母親にもらってくるらしいが、食事やおやつはお小遣いのようで、和成が奢ると言っても陽太は頑なに首を縦に振らなかった。一度、陽太がお手洗いに行っている間に支払ってしまっておいたら、店を出てからお財布の中のありったけのお金……それは小銭ばかりだったのだが、十歳の少年にしては大金だろう、それを、渡されてしまって、却って彼を傷付けてしまったと反省した。
 それ以降、お昼は和成がお弁当を作ってくるし、おやつも簡単な傷まない焼き菓子などを持ってくるようになった。

「忙しいんやけん、俺の分まで作らんでいいとよ」
「陽太くんと食べたくて頑張ったんだけど」

 微笑めば陽太は少し驚いたような顔をしてから、嬉しそうに頬を染める。ものすごく可愛いと内心で悶えながらも、和成は遊園地のベンチでお弁当を食べた。


 秋公演が終わると季節は冬に移り変わる。
 次の公演に向けての練習や雑誌の仕事などは入るが、ある程度時間が自由にもなる時期なので、休みが合えば陽太と遊園地や動物園、植物園やアスレチックのある公園、映画館や美術館や博物館などに行って、デートを重ねていた。
 交通費も最初は陽太が自分の分は出そうとしたので、二回目のデートからは和成が車を出している。車に乗ってくるたびに、「よろしくお願いします」と言って、降りるときには「ありがとうございました」と礼儀正しく言う陽太はある意味新鮮だった。
 お弁当のおにぎりを食べていると、陽太が最後の一つに手を伸ばしかけてちらりと和成を見る。どうぞと促すと、嬉しそうに手に取って、頬張った。
 十歳という年齢にしても小柄で細身の陽太だが、さすが成長期、よく食べる。おかげで和成も腕の振るい甲斐があった。おにぎりとウィンナーとブロッコリーと卵焼きみたいな、簡単なお弁当でも、陽太はものすごく喜んでたくさん食べてくれた。

「ご馳走様でした。いつも、ありがとうね?」
「いいえ、お粗末さまでした。陽太くん、ゴーカート、もう一回乗る?」

 日陰のベンチでお弁当の包みを片付けていると、陽太は少し考えたようだった。予算がオーバーしているのかもしれないが、ここで和成が出すと言ったら陽太は納得しないだろうから、答えをゆっくり待つ。

「ゴーカートはもうよか。ちょっと食休みして、バラ園見にいかん?」
「いいよ」

 特に植物に興味があるわけではないが、バラ園は入場無料だったし、陽太と手を繋いで回るのは楽しいだろうと了承してから、和成はふと、ずっと疑問だったことを口にした。

「陽太くんはさ、俺が役者だとか、そういうの、全然知らなかったんだよね。なんで、俺のこと、好きになったわけ?」

 化粧もボロボロで、高い背に似合わぬ白いワンピースなんて着て、レースの日傘をさして、泣いていた和成に、陽太が好きになるような要素があったとは思えない。財布の中身を知っていたら、相手をしてくれる男はたくさんいたが、陽太は付き合ってからも和成の財布をそもそもあてにもしていない。

「すごい悲しそうで、泣いとるのみたら、ここらへんがきゅーって痛くなって、泣かんでほしい、って思ったと」

 小さな手で胸の辺りを押さえた陽太の真剣な目に、和成はくらりと眩暈がした。許されるならば、すぐにでも手を伸ばして陽太の身体を抱き締めたかったが、それはあいにく許されていない。大人として節度あるお付き合いをと、美月に誓ったような気がする。

「俺が泣いてたから、好きになってくれたの?」
「俺に父さんがおった頃、母さんずっと泣いとった。俺はすきなひとをそんな風に泣かせんて思っとったんよ。泣かせたくないって思ったけん、俺は和成さんがすきやと思った」

 恋ってそんなものじゃないの、と言われて、和成は自分が経験してきた恋らしきものを思い出してみる。抱くの抱かないのから始まって、抱いてみたらやっぱり違ったとか、別に付き合ってた相手がいたとか、抱くだけならばいいけれど他の時間は一緒に過ごしたくないだとか……自分の男遍歴に遠い目になる。
 泣かないでほしいとか、優しく言われたのは、ベッドの中を数えなければ初めてかもしれない。

「和成さんは、俺のことどうしてすきになったと? ……俺、こどもやけん、和成さんに付き合ってもらえるとか思っとらんかった」

 問いかけに我に返って、和成はどう答えたらいいのか考える。

「俺は陽太くんみたいにいい男に恵まれたことがなくて……陽太くんがしてくれることがかっこよくて」
「俺、なんもしとらんよ!?」
「充分してるよ」

 真顔で言うと、陽太は首を傾げた。


 その日は美月が夜勤らしくて、普段は陽太を一人で家に置いておくのだが、もし和成が構わないのならば泊めてやって欲しいとメールが入って、和成は思わずごくりと唾を飲み込んだ。
 和成にとって一番信用できないのは、下半身の緩い自分の理性である。抱かれる方にしか興味がないので、陽太を無理やりに抱くようなことはするはずがなかったし、陽太の身体はまだ未成熟で和成を抱くことはできない。とはいえ、身体に触ったり、触るように仕向けたり、自分がしかねないとは、和成は言い切れなかった。
 正直、陽太が和成を抱けるだけの身体を持っていたら、間違いなく和成は誘っている。「和さん、淫行罪って知ってます?」という千夏の言葉が現実味を帯びてきた気がした。
 そんな和成に構わず、陽太は一緒にキッチンに立って夕食の準備を手伝ってくれて、夕食を一緒に食べて、バックパックからお泊りセットを取りだして風呂に入って、ほこほこと寝る準備をしていた。
 陽太にテレビでも見ながら待っていてもらって、和成も風呂に入ろうとしたのだが、湯船に浸かっているとがらりとバスルームの戸が開いて、腰にタオルを巻いた陽太が入って来たので、欲望が現実化しそうでお湯の中に鼻の下まで潜ってしまったが、陽太は活き活きと目を輝かせて、シャワーヘッドを手に取った。

「髪洗っちゃる!」
「いや、いい……」
「お弁当も作ってくれたけん、お礼したかったと」

 流されるままにシャンプーをしてもらって、コンディショナーを馴染ませて、頭皮をマッサージするように小さな手が動くのに、和成はうっとりとしてしまった。

「上手だね」
「母さんとかさっくんの髪をときどき洗っとるけん」
「さっくん?」
「俺の叔父さんで、母さんの弟。出向で九州に行っとるけど、来年度には帰ってくるって」

 話をしながら髪を洗ってもらって、ついでにバスタブの端に身を寄せて、冷えた陽太の身体を湯に浸からせる。温まって頬が赤くなった陽太が、にっと笑うのが可愛くて、抱きしめたくなったが、和成も陽太も全裸、しかもバスルームという笑えない状況、ぐっと我慢した。


 冬が過ぎて、和成は一つ年を取った。
 三十一歳。陽太との年の差は二十一歳に空いてしまった。

「最近悪い噂は聞かないけど、イイオトコの彼と続いてるんですか?」

 陽太が泊まりに来ることが多くなって、和成は千夏と飲むことも少なくなった。千夏も夏には結婚を控えて、これからは和成にそんなに構っていられないだろう。

「続いてるけど……そろそろ、限界かもしれない」

 ほぅっと吐いたため息に熱が籠っていて、千夏は眉を顰めた。多分、このパターンを千夏は知っている。
 和成の部屋で警戒もせずにベッドに寝ている陽太の小さな唇に触れたいだとか、陽太の手で和成の身体に触れてほしいだとか、最近、不埒なことばかり考えているのだ。それなのに、陽太は躊躇いなく和成が風呂に入っていると入ってくるし、同じベッドで無防備に寝ているし、どうしようもない。

「抱かれたい……もう、無理かもしれない……」
「和さん、十歳の子どもにそれをしたら、犯罪ですからね」
「分かってるから、誰か、慰めてくれるひとのところに……」

 言いかけて、和成は口を噤んだ。
 陽太がまだ子どもで和成を満たしてくれないからといって、他の相手にそれを求めたら、間違いなく浮気である。そういうことを和成は何度もされて、傷付いてきた。心は陽太にあるから、陽太が大きくなるまで許してほしいと言って、他の相手に抱かれたら、きっと陽太も傷付く。

「夏からでしょ……七か月くらいですっけ、よく持った方ですよね」
「うん……俺、よく我慢して禁欲生活したと思うよ。陽太くんに不埒なことしないうちに」
「まぁ、和さんだから仕方ないですね。失恋に乾杯」

 グラスを持ち上げられて、和成は軽くそれと自分のグラスを打ち合わせて、苦笑した。
 もしも、ばれないで上手にできれば、陽太と続けたままにどうにか火照った身体だけを鎮めることができるのではないか。そんな馬鹿げたことを考えながら。


 陽太は新学期の一番初め、四月の二日生まれらしい。
 誕生日の日も、施設に勤めている美月は夜勤で、週末にお誕生会をするといっていたが、陽太の希望で当日は和成の部屋にお泊りになっていた。小さなホールケーキを買って、夕食も少し手の込んだものを作って、和成は陽太の誕生日を祝った。

「ケーキとか、良かったんに。母さんが週末に用意してくれるけん」
「せっかくの誕生日だから、俺もお祝いしたかったんだ」
「そうなん……嬉しい。ありがとうね、和成さん」

 十一歳になったという陽太は、相変わらず華奢で小柄で愛らしかった。ロウソクは大きなものを一本と小さなものを一本で十一にして、陽太が吹き消す。
 夕食を食べて、ケーキも食べて、風呂に入って、いつも通りに和成のダブルベッドで眠った。和成の部屋に恋人が来ることはほとんどなかったが、背が高いのでベッドはダブルを買っている。このまま陽太が大きくなったら、キングサイズに買い替えた方がいいのだろうかとか、妄想だけして、和成は陽太を抱き締めて眠った。
 冬の日に限界かもしれないと思った理性は、まだぎりぎりで保っていたはずだった。
 けれど、どうしても寝付けなくて、下半身が熱を持って、和成は眠っている陽太の半開きになった唇に、指先で触れた。ふにっと柔らかな感触に、思わず覆いかぶさるようにして眠っている陽太の唇を塞ごうとして、和成は弾かれたように跳ねのいた。
 危ない。
 禁欲生活が続きすぎて、もう少しで理性が切れて、未成熟な陽太の身体に無理やり乗っかってしまうところだった。自分の理性というものに関して、全く信頼のない和成は、このままでは陽太が危ないと、そっとベッドから降りて、服を着替えた。
 誰か適当にお金を払えば、身体だけ慰めてくれる相手は、いないわけではない。携帯を手に取って、コートを着ながら連絡先を探していると、ほとりと液晶画面に水が落ちて、和成は驚く。
 気が付かない間に、涙が零れていた。
 連絡をとって、その相手に身体だけ慰めてもらって、帰って来て何事もなかったかのように陽太の隣りに戻って、翌朝、ご飯を作って、小学校まで車で陽太を送って行けばいい。それだけのことだ。それだけのことなのに、連絡先が滲んで見えない。

「どうしたと? ……どっか、痛いん?」

 眠たそうに目をこすりながらパジャマ姿でほてほてと和成に歩み寄ってきた陽太に、和成はぺたんとその場に座り込んでしまった。泣いている和成の顔を覗き込んで、陽太が勝手知ったる様子でキッチンに向かって、電子レンジで牛乳を温めてきてくれて、マグカップを和成に持たせて、手を引いてソファに座らせてくれる。
 ふうふうと息を吹いて冷まさなければいけないくらい暖かな牛乳は、膜が張っていて、和成の冷えた体の底を温めるようだった。

「ここが、痛くて」

 小さな手を取って和成が胸の真ん中に当てると、陽太が和成の手からマグカップをとって、テーブルに置いてくれる。涙が止まらないままで、すんと洟を啜って、和成は言葉を続けた。

「俺は、全然いいひとじゃなくて、どっちかというと、エロくて、我慢ができない方で……陽太くんのことが好きなのに、陽太くんとはセックスできないから、他の人としようと思ったんだけど……そんなことしたら、陽太くんは、俺を捨てると思ったら、ここが痛くて、涙が出て……」

 いい年をした大人が泣きながら喋るのを、陽太は静かに遮らずに最後まで聞いていてくれた。小さな手が和成の頭に回って、薄い胸に抱き寄せられる。

「和成さんが他のひととそういうことしたら、俺は嫌やね。でも、俺がそういうことできんのも、本当やけん、どうにもできん。ごめんね」
「陽太くんが謝ることじゃなくて……俺が……」

 泣きながら自分が悪いのだと言おうとすると、それを遮るように和成の唇に、陽太の唇が触れるだけのキスをした。暖かな感触に、和成は言葉を失う。

「俺のファーストキス……とりあえず、これで、いかん? それで、俺がちゃんと和成さんとできる年になるまで、待ってくれん?」

 キスをされた唇を押さえて真っ赤になっている三十路男は気持ち悪いだろうと思うのに、陽太も顔を赤くして目を潤ませていた。その姿に、ずくずくと下半身が疼くのだが、それよりも、和成は陽太の言葉に胸が高鳴った。

「陽太くんの、初めて、俺にくれるって、約束してくれる?」
「約束する。和成さんも、浮気せんって約束して」
「する……約束する」

 腕を伸ばしたら、拒まれることなく陽太の胸に和成の頭が抱き込まれる。お日様の匂いのする陽太の胸に顔を埋めて、和成はその細く薄く尖った背中に手を回した。
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