泣かないで愛しいひと

秋月真鳥

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泣かないで愛しいひと 4

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 年が巡って、戸井千夏は結婚して、和成は三十三歳になって、陽太は中学に入学した。入学式や学校行事は家族のためのものだろうし、赤の他人の三十路男が出て行って美月に恥をかかせるようなことがあってはいけない。
 中学生になったとは思えない華奢な体で、学生服を着た陽太を和成が見たのは、入学式の終わった夕食時だった。週末や和成の休みの日、美月の夜勤の日などはほとんど和成の部屋に泊まりに来ていた陽太は、去年から出向から帰ってきたという叔父の話をよくするようになっていた。
 食事に招かれたときに、絶対に顔を会わせるだろうと警戒して、和成は少しはちゃんとして見えるようにスーツを着て行った。

「和成さん、かっこいい格好しとる。どうしたと?」
「陽太くんのお祝いだからね」

 天は人に二物を与えないというが、和成は美貌と演技力と台詞を覚える能力だけはしっかりと与えられていた。その代わりに男運はごっそりと持って行かれた気がするのだが。

「うち、狭いけん、食べに行こうって話になったんよ。さっくんがお店で待っとるはずやけ、行こう」

 少し大きくなったとはいえ、まだまだ和成よりもずっと小さな手に手を握られると、思わず頬が緩む。仲のいい姿に、美月も微笑んでいた。
 ちょっと小ぎれいなフェミレスっぽい場所で待ち合わせをして、陽太が笑顔で「さっくん!」と呼びかけた相手に、和成は目を奪われた。
 自称179センチで、健康診断のたびに「絶対180センチ超えてる!」と千夏に言われて、都には「ちなっちゃんと背が変わらなく見えるよ」と突っ込まれるが、頑なに新しく図るのを嫌がり、劇団のデータにも全て179センチで通している和成。
 その和成よりも背が高く、体付きもがっしりとしている男性。眼鏡の奥の目は灰色がかっていて、髪の毛も少し灰色がかっていて、陽太とはあまり似ていないが、いい男には違いない。陽太と美月の姿を認めると、吸っていた煙草を携帯灰皿に落として、眼鏡の奥の目を細めた。

「弟の朔也さくやです」
「初めまして、陽太からお話は聞いています、陽太の叔父の坂上朔也です」

 低く響く声に、ぞくりと肌が粟立つ気がする。
 彼は陽太の叔父だという。今はまだ高さと幼さが残る陽太の声も、いつかこんな風に低くなって深みを増して、背も高くなって、体付きもしっかりして、こんな風に成長するのだろうか。
 少年特有の華奢で繊細な陽太の姿を、和成はこの上なく愛していたが、それとは別にこんな風に育つのならばと考えなくもない。
 ふっと眼鏡の奥で朔也が笑って、和成は直感的に彼が自分と同類だと気付いた。同性愛者だ。

「一度お会いしたいと思ってました。えっと、御幾つでしたっけ?」
「三十三になりました。朔也さんは御幾つですか?」
「俺は三十五なので、少し上ですね」

 表面だけの愛想のいい挨拶を交わし、予約していた席に着く。美月と朔也が隣り同士で、陽太が美月の正面、その隣りに和成が座って、自然と朔也の真正面に座ることになった。
 好みのタイプというのが、質が悪い。これまでの経験として、和成の好みのタイプならば、間違いなく駄目男なのだ。それでも、陽太がいなければ、食いつくされても構わないと思う程度には好みで、向けられる視線に色気を感じてしまうのだからどうしようもない。

「中学校の制服、俺がもっとでっかくなるやろうって、大きすぎるのかったけん、サイズが合っとらんで恥ずかしい」
「全然。すごく可愛いよ」
「可愛いやら言わんでよ……かっこいいって言われたいと。和成さんやったら、嬉しいけどさ」

 照れているのかむくれ気味の陽太が可愛くて笑うと、朔也がドリンクメニューを指して「飲まれますか?」と問う。陽太の前でアルコールを飲むつもりはなかったので断って、烏龍茶を頼んだ。
 メニューは何でもよかったので、陽太と同じものを注文すると、シーフードグラタンになった。上に乗っていた大きな海老を剥いて、指に付いたクリームソースをちろりと出した赤い舌で舐めとる陽太に、こくりと喉が鳴った。
 四月の一番初めに誕生日が来るので、陽太はもう十三歳。でも、まだ十三歳だ。手を出すには早すぎる。

「じろじろ見られとったら、恥かしくて食べれんっちゃけど」
「ごめん……」
「和成さん、食欲ないん?」

 あまり食の進まない和成を心配する陽太に、そんなことはないと首を振ったが、悪い癖が出そうで、和成はぐっと堪えた。正面からの視線が怖くて、朔也の顔が見られない。
 食事が終わって陽太にお休みを告げて、家に戻ろうとしたところで、和成は朔也に追いかけて来られているのに気付いた。なにも知らないふりで逃げてしまうこともできたけれど、微笑んだ顔が陽太の表情と似ている気がして、足を止めてしまう。

「せっかくですから、一緒に飲みませんか」

 煙草の匂いのするこの男は危険だと、本能が告げていた。
 結局、和成は下半身が緩くて男癖が悪い。身持ちが悪くて、自分に興味を持ってくれた相手にすぐにずぶずぶと溺れてしまう。それも、陽太と「浮気をしない」と約束をしてから、すっかり治まった気でいたのに、朔也は最悪なことに、陽太の叔父だった。

「陽太……ひなちゃんから聞いとって、和成さんのことは色々調べさせてもらったとよ」

 にこっと微笑む顔に陽太が重なって、訛った喋りにまた陽太が見える。

「それは……甥っ子さんに近付かせるのは、心配でしょうね」

 他人事のように答えると、ポケットから煙草を取り出した朔也が、フィルターを唇で挟んで、くくっと喉の奥で笑った。喫煙もできるバーに場所を変えて、大人二人で腹を割って話そうというのが朔也の申し出だった。

「ひなちゃんも、すっごいのに惚れたなぁって。『浮気はしとらん、俺は過去にはこだわらん、あのひとが俺と会う前やったけ、仕方ない』ってうちの甥っ子、本当に男前やけんねぇ」
「それ、陽太くんが?」

 何も隠すつもりはなかったし、聞かれたらなんでも答えようと思っていたが、陽太はもう和成の男性遍歴について知っていた。知った上で、叔父に向かってきっぱりと啖呵を切ったらしい。顔が赤くなりそうになって、和成は俯いた。それをどう思ったのか、朔也の指先が、和成のグラスに添えられた手の甲を撫でる。
 誘われている。
 とりあえず、見目はいいし、陽太の叔父だから今までの男よりは破格にいい男に、誘われている。
 ぞくりと震えが来て、身体の奥がずくずくと疼く。欲しいか欲しくないかで言えば、間違いなく、和成の身体は目の前の男を欲していた。喉が渇いて、グラスを持ち上げて煽る酒に、肌が火照る。

「相当に収入のある売れてる役者さんなんやろ。中学生の男の子とどうこうっていうのは、さすがにまずいんやない?」

 だから自分の方に堕ちて来いと、朔也の低く深みのある声が囁く。
 それに身を任せたら、和成が欲しいものがもらえる。ずっと我慢していた、体の熱を冷ましてもらえる。もっとすごい天国を見せてもらえるかもしれない。

「俺は、陽太くんと約束しましたから」

 でも、経験的に和成は知っていた。絶対にこの男は和成を数度……いや、一度かもしれない、抱いた後に、ごみのように和成を捨てるのだ。そうでなければ、金の無心を始めるか、浮気をするか。もしかすると、もう他の相手がいて、その上で遊びで一回抱かれるだけかもしれない。
 陽太は絶対にそんなことはしない。

「俺のこと気にしとった癖に。ひなちゃんじゃ、満足できんかろうもん?」

 ぐっと手首を掴まれて、和成は鋭い眼光で朔也を睨み付けた。
 気にしていたのは、単純な理由だ。

「陽太くんが大きくなったら、そんな風になるのかと思って見てただけだよ。ぜんっぜん似てない! 陽太くんの方がずっといい男だ!」

 腕を振り払って、カウンターに万札を置いて立ち上がると、和成は憤然としてバーを出て行った。
 帰り道、春なのに妙に寒くて、陽太に会いたくてたまらなかった。


 中学入学から最初の週末に、陽太はお泊りセットを持って泊まりに来た。何度も陽太は泊まりに来ているので、歯ブラシや下着類などはもう和成の家にも置いてある。陽太の十一歳の誕生日の日にキスをして以来、ときどき、陽太は触れるだけのキスを許してくれる。
 抱き締めた体が少し冷えていて、部屋に上がってきた陽太のスプリングコートを預かると、和成が玄関脇のコート掛けにかけるのに、陽太がぎゅっと背中から抱き付いて来て固まってしまう。

「さっくんの方が、俺よりも、すきになったん?」
「まさか」

 そういえば、来るものは拒んだ記憶がないから、朔也が初めて和成がはっきりと拒んだ相手になる。あれだけの美味しい誘惑を目の前にぶら下げられて、断れたのは、陽太の存在があったからとしか言えない。

「朔也さんとは、なんにもないよ」
「……さっくんと会ったとき、和成さんおかしかったけん。その後、さっくんが和成さんと飲みに行ったって言っとったけん、さっくんの方が良くなったんかと思った」
「ならないよ。朔也さんは……陽太くんが大きくなったらあんな風になるのかなって思っただけで」

 思った通りのことを正直に口に出すと、陽太が和成の背中にぐりぐりと顔を埋める。ただでさえ感じやすい体を持て余しているのに、そんなところに吐息が触れたら息も上がるし、下半身が疼く。どうにか引き剥がしたいが、この状況に幸福を感じている自分もいて、和成は相当に葛藤した。
 そんな身の危険が迫っているとは全く知らない陽太は、顔を上げてしょんぼりと告げる。

「似とらんとよ……」
「え?」
「俺、さっくんに全く似とらんと! どっちかっていうと、お別れした父さんと似とって、父さんすごく小柄で華奢なひとやったんやって……やけん、多分、俺、和成さんみたいに大きくならんと」

 至極真面目に告げられて、和成はなぜか胸がきゅんとして陽太の顔を凝視してしまった。愛らしい丸みを帯びた顔立ちも、小柄で華奢な体付きも、和成にとっては可愛くてたまらない。それこそ、食べてしまいたいくらいに。

「そんなの、全然気にしないよ。むしろ、俺がでかすぎるだけだし」

 絶対に来年も、再来年も……ずっと健康診断で身長だけは測らないと和成は心に決めていた。もしも、180センチを超えていたら、ショックで舞台に立てなくなるかもしれない。

「和成さんは、でかすぎたりせんよ。俺は、そのまんまの和成さんがすき」

 ぐいっと引き寄せられて、触れるだけのキスをして、和成は陽太の細くて薄い体を壊さないように優しく抱きしめた。
 もう少し。
 もう少し大人になったら、この体が和成を抱いてくれる。そのときに陽太の身長が幾つだろうと、体重がどれだけだろうと、そのままの和成を好きだと陽太が言ってくれたように、和成もそのままの陽太が好きだと告げようと思った。
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