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三章 バーデン家の企みを暴く
30.弟の誕生
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季節が変わって春。
庭の雪も解け、草花が目を覚ます頃に、母が産気づいた。
お産というのは夜に行われるのが普通だそうだ。
本能的に夜の方が子どもを産んでも天敵に狙われにくいと遺伝子に書き込まれているのだろう。
パウリーネ先生が母に付きっきりになっている間、わたくしとクリスタちゃんは眠ることができずに部屋で夜を過ごしていた。
わたくしの部屋に来たクリスタちゃんが両手を組んでずっと祈っている。
「お母様も赤ちゃんも無事でありますように」
「どうか、無事に産まれてきますように」
わたくしも一緒になって祈る。
祈るくらいしかできないのがもどかしかった。
夜明け頃にはわたくしもクリスタちゃんも限界が来て、二人でベッドに倒れて眠ってしまっていた。
赤ちゃんの泣き声がした気がして目を覚ますと、もう朝だった。
わたくしはクリスタちゃんの肩を揺すって起こす。
眠い目を擦ってクリスタちゃんが起き上がる。
「お母様は? 赤ちゃんは?」
「分かりません。パウリーネ先生に聞いてみましょう」
着替えて髪も整えて朝食の席に行くと、母はいなかった。父が嬉しそうな顔でわたくしとクリスタちゃんに伝えてくれる。
「元気な男の子だよ。テレーゼも疲れてはいるが、無事だ」
「男の子! 弟なのですね!」
「お母様も無事! よかったわ」
わたくしとクリスタちゃんは抱き合って喜んでいた。
クリスタちゃんのお誕生日の直前だったが、それよりも赤ちゃんが生まれたことがおめでたい。クリスタちゃんのお誕生日のお茶会は今年は少しずらして行うことにされた。
次の日には母にも赤ちゃんにも会うことができた。
両親の寝室に行くと、母が赤ちゃんを抱っこしてベッドで座っていた。
「お母様、お体は平気ですか?」
「エリザベート、クリスタ、心配をかけたようですね。体は平気ですよ。パウリーネ先生に言われたように、バランスのいい食事をとって、運動もするように心がけていたら、お産もそれほど重くなかったようです」
「お産を終えた体はものすごい負担がかかっています。奥様はよく休まれてくださいね」
「はい、パウリーネ先生」
パウリーネ先生のおかげで母のお産は重くなかったようだ。
わたくしを産んだときには母はお産が重くて死にかけたということだったから、弟が無事に産まれて、母も無事だったことがわたくしは本当に嬉しかった。
「お名前は決まったのですか?」
クリスタちゃんの問いかけに母が赤ちゃんのふわふわの髪を撫でる。赤ちゃんは金色の髪で水色のお目目のようだった。
「フランツです。男の子が生まれたらこの名前にしたかったとお父様に言ったら、賛成してくれました」
「フランツ! 素敵なお名前」
「名前に理由があるのですか?」
わたくしが問いかけると母は目を細める。
「わたくしの父の名前です。幼い頃に亡くなってしまったのですが、父のことは忘れたくなくて」
弟は祖父から名前をもらったのだった。
フランツと口の中で唱えているわたくしに、クリスタちゃんが赤ちゃんを覗き込んで話しかける。
「ふーちゃん、お姉様ですよ」
「クリスタ、ふーちゃんと呼ぶのですか?」
「あ、いけない。お母様の前ではフランツって呼ばなくちゃ」
口を押えて慌てているクリスタちゃんに、わたくしもフランツをふーちゃんと呼びたくなっていた。
可愛い弟がふーちゃんだなんて、ものすごく愛らしいではないか。
「お姉様とふーちゃんと三人だけのときの秘密の呼び方にしましょう」
「クリスタ、口に出てますよ」
「きゃっ! ごめんなさい!」
どうしてもクリスタちゃんは秘密が守れないようだ。
「淑女は口が固いものなのですよ。クリスタは気を付けなければいけませんね」
「はい、お姉様。気を付けます」
口を押えたまま、クリスタちゃんは一生懸命ふーちゃんと呼ぶのを我慢していた。
クリスタちゃんのお誕生日は一か月遅れで祝われた。
クリスタちゃんのお誕生日のお茶会にはレーニ嬢も招かれていた。
「リリエンタール侯爵家の御一行、いらっしゃいました」
馬車が門の前に停まると、大きな声で呼ばれる。
わたくしとクリスタちゃんは挨拶に行った。
「レーニ嬢、わたくしのお誕生日に来て下さってありがとうございます」
「お招きいただきありがとうございます」
「お手紙もいっぱい、とても嬉しかったです」
レーニ嬢はクリスタちゃんと同じ年だと聞いているので、わたくしは同じ年の二人が仲良くしているのを見ているのは胸が暖かくなる思いだった。
クリスタちゃんのお誕生日のお茶会にはハインリヒ殿下とノルベルト殿下も参加された。
ハインリヒ殿下はクリスタちゃんに小さなリボンのかかった箱を渡していた。
「冬の間に辺境伯領に行ってきました。ガラス工房でブローチを作ったので受け取ってください」
「ありがとうございます。大事にします」
小さな箱を胸に抱いてうっとりとしているクリスタちゃんに、そっとわたくしは耳打ちする。
「箱を開けるのは後にさせてもらって、一度デボラに預けてお部屋に持って行ってもらいましょうね」
「はい、お姉様。デボラ、これは大事なものだから、大切に保管しておいてくださいね」
「心得ました、クリスタお嬢様」
クリスタちゃんに命じられてデボラは小さな箱をクリスタちゃんの部屋に持って行っていた。
出産後ずっと休んでいた母もかなり回復していて、ベビードレスを着せたふーちゃんを乳母に抱っこさせてお茶会に参加していた。まだ体型が戻っていないので、ふんわりとしたドレスを着ている。
「息子のフランツです。ひと月前に生まれました」
「わたくしはエリザベートを産んで、もう子どもは望めないかと思っておりましたが、無事にフランツを産むことができてとても幸せです。どうか皆様、フランツもこれからよろしくお願いします」
クリスタちゃんのお誕生日はふーちゃんのお披露目にもなっていた。
小さなふーちゃんを見にキルヒマン侯爵夫妻も来ている。
「とても可愛いですね」
「エリザベート様は初代国王陛下の色彩をお持ちですが、フランツ様は公爵夫人にそっくりで」
「顔立ちがどちらに似て来るか楽しみですね」
ふーちゃんの成長も楽しみにしてくれるキルヒマン侯爵夫妻に、わたくしは感謝していた。
『クリスタ・ノメンゼンの真実の愛』では出てこなかったわたくし、エリザベート・ディッペルの弟、フランツ。
本来ならばフランツも生まれなかったのではないだろうか。
確かに未来は変わっている。
それを実感させる出来事だった。
お茶会ではハインリヒ殿下とノルベルト殿下だけでなく、レーニ嬢ともお茶をした。
取り皿にケーキや軽食を取り分けて、ミルクティーを頼んで端のテーブルに行くと、レーニ嬢が驚いている。
「座って食べていいのですか?」
「立って食べられない方のためにテーブルが用意されているのですよ」
「わたくし、立って食べるのができなくて、出席するお茶会ではいつも飲み物しか飲めなくて憂鬱でしたの」
レーニ嬢は立食式のお茶会では立って食事をするように教育されているようだった。
「できないのならば無理をすることはないと思うのです。レーニ嬢はクリスタと同じ年でしょう?」
お誕生日でクリスタちゃんも七歳になったが、まだまだ幼いと言われる年齢だ。
やっと幼児を脱却した程度で、前世の感覚で言えば小学校一年生か二年生なのである。
まだまだできないことがあってもおかしくはなかった。
むしろ、クリスタちゃんはできることが多い方だと思う。
「エリザベート様はお優しいのですね」
レーニ嬢に言われてわたくしが微笑むと、クリスタちゃんが眉間に皺を寄せていた。
「お姉様は、わたくしのお姉様なのです! レーニ嬢でもそれは譲れません!」
「わ、分かっていますよ」
「それならいいのです」
ふんっと鼻で息をするクリスタちゃんにわたくしは苦笑してしまう。
クリスタちゃんはわたくしの妹に違いなくて、わたくしがクリスタちゃんが可愛いことに間違いはないのに。
お茶会が終わった後に確認した、クリスタちゃんがもらった小さな箱には、花のような模様の入ったガラスのブローチが入っていた。
庭の雪も解け、草花が目を覚ます頃に、母が産気づいた。
お産というのは夜に行われるのが普通だそうだ。
本能的に夜の方が子どもを産んでも天敵に狙われにくいと遺伝子に書き込まれているのだろう。
パウリーネ先生が母に付きっきりになっている間、わたくしとクリスタちゃんは眠ることができずに部屋で夜を過ごしていた。
わたくしの部屋に来たクリスタちゃんが両手を組んでずっと祈っている。
「お母様も赤ちゃんも無事でありますように」
「どうか、無事に産まれてきますように」
わたくしも一緒になって祈る。
祈るくらいしかできないのがもどかしかった。
夜明け頃にはわたくしもクリスタちゃんも限界が来て、二人でベッドに倒れて眠ってしまっていた。
赤ちゃんの泣き声がした気がして目を覚ますと、もう朝だった。
わたくしはクリスタちゃんの肩を揺すって起こす。
眠い目を擦ってクリスタちゃんが起き上がる。
「お母様は? 赤ちゃんは?」
「分かりません。パウリーネ先生に聞いてみましょう」
着替えて髪も整えて朝食の席に行くと、母はいなかった。父が嬉しそうな顔でわたくしとクリスタちゃんに伝えてくれる。
「元気な男の子だよ。テレーゼも疲れてはいるが、無事だ」
「男の子! 弟なのですね!」
「お母様も無事! よかったわ」
わたくしとクリスタちゃんは抱き合って喜んでいた。
クリスタちゃんのお誕生日の直前だったが、それよりも赤ちゃんが生まれたことがおめでたい。クリスタちゃんのお誕生日のお茶会は今年は少しずらして行うことにされた。
次の日には母にも赤ちゃんにも会うことができた。
両親の寝室に行くと、母が赤ちゃんを抱っこしてベッドで座っていた。
「お母様、お体は平気ですか?」
「エリザベート、クリスタ、心配をかけたようですね。体は平気ですよ。パウリーネ先生に言われたように、バランスのいい食事をとって、運動もするように心がけていたら、お産もそれほど重くなかったようです」
「お産を終えた体はものすごい負担がかかっています。奥様はよく休まれてくださいね」
「はい、パウリーネ先生」
パウリーネ先生のおかげで母のお産は重くなかったようだ。
わたくしを産んだときには母はお産が重くて死にかけたということだったから、弟が無事に産まれて、母も無事だったことがわたくしは本当に嬉しかった。
「お名前は決まったのですか?」
クリスタちゃんの問いかけに母が赤ちゃんのふわふわの髪を撫でる。赤ちゃんは金色の髪で水色のお目目のようだった。
「フランツです。男の子が生まれたらこの名前にしたかったとお父様に言ったら、賛成してくれました」
「フランツ! 素敵なお名前」
「名前に理由があるのですか?」
わたくしが問いかけると母は目を細める。
「わたくしの父の名前です。幼い頃に亡くなってしまったのですが、父のことは忘れたくなくて」
弟は祖父から名前をもらったのだった。
フランツと口の中で唱えているわたくしに、クリスタちゃんが赤ちゃんを覗き込んで話しかける。
「ふーちゃん、お姉様ですよ」
「クリスタ、ふーちゃんと呼ぶのですか?」
「あ、いけない。お母様の前ではフランツって呼ばなくちゃ」
口を押えて慌てているクリスタちゃんに、わたくしもフランツをふーちゃんと呼びたくなっていた。
可愛い弟がふーちゃんだなんて、ものすごく愛らしいではないか。
「お姉様とふーちゃんと三人だけのときの秘密の呼び方にしましょう」
「クリスタ、口に出てますよ」
「きゃっ! ごめんなさい!」
どうしてもクリスタちゃんは秘密が守れないようだ。
「淑女は口が固いものなのですよ。クリスタは気を付けなければいけませんね」
「はい、お姉様。気を付けます」
口を押えたまま、クリスタちゃんは一生懸命ふーちゃんと呼ぶのを我慢していた。
クリスタちゃんのお誕生日は一か月遅れで祝われた。
クリスタちゃんのお誕生日のお茶会にはレーニ嬢も招かれていた。
「リリエンタール侯爵家の御一行、いらっしゃいました」
馬車が門の前に停まると、大きな声で呼ばれる。
わたくしとクリスタちゃんは挨拶に行った。
「レーニ嬢、わたくしのお誕生日に来て下さってありがとうございます」
「お招きいただきありがとうございます」
「お手紙もいっぱい、とても嬉しかったです」
レーニ嬢はクリスタちゃんと同じ年だと聞いているので、わたくしは同じ年の二人が仲良くしているのを見ているのは胸が暖かくなる思いだった。
クリスタちゃんのお誕生日のお茶会にはハインリヒ殿下とノルベルト殿下も参加された。
ハインリヒ殿下はクリスタちゃんに小さなリボンのかかった箱を渡していた。
「冬の間に辺境伯領に行ってきました。ガラス工房でブローチを作ったので受け取ってください」
「ありがとうございます。大事にします」
小さな箱を胸に抱いてうっとりとしているクリスタちゃんに、そっとわたくしは耳打ちする。
「箱を開けるのは後にさせてもらって、一度デボラに預けてお部屋に持って行ってもらいましょうね」
「はい、お姉様。デボラ、これは大事なものだから、大切に保管しておいてくださいね」
「心得ました、クリスタお嬢様」
クリスタちゃんに命じられてデボラは小さな箱をクリスタちゃんの部屋に持って行っていた。
出産後ずっと休んでいた母もかなり回復していて、ベビードレスを着せたふーちゃんを乳母に抱っこさせてお茶会に参加していた。まだ体型が戻っていないので、ふんわりとしたドレスを着ている。
「息子のフランツです。ひと月前に生まれました」
「わたくしはエリザベートを産んで、もう子どもは望めないかと思っておりましたが、無事にフランツを産むことができてとても幸せです。どうか皆様、フランツもこれからよろしくお願いします」
クリスタちゃんのお誕生日はふーちゃんのお披露目にもなっていた。
小さなふーちゃんを見にキルヒマン侯爵夫妻も来ている。
「とても可愛いですね」
「エリザベート様は初代国王陛下の色彩をお持ちですが、フランツ様は公爵夫人にそっくりで」
「顔立ちがどちらに似て来るか楽しみですね」
ふーちゃんの成長も楽しみにしてくれるキルヒマン侯爵夫妻に、わたくしは感謝していた。
『クリスタ・ノメンゼンの真実の愛』では出てこなかったわたくし、エリザベート・ディッペルの弟、フランツ。
本来ならばフランツも生まれなかったのではないだろうか。
確かに未来は変わっている。
それを実感させる出来事だった。
お茶会ではハインリヒ殿下とノルベルト殿下だけでなく、レーニ嬢ともお茶をした。
取り皿にケーキや軽食を取り分けて、ミルクティーを頼んで端のテーブルに行くと、レーニ嬢が驚いている。
「座って食べていいのですか?」
「立って食べられない方のためにテーブルが用意されているのですよ」
「わたくし、立って食べるのができなくて、出席するお茶会ではいつも飲み物しか飲めなくて憂鬱でしたの」
レーニ嬢は立食式のお茶会では立って食事をするように教育されているようだった。
「できないのならば無理をすることはないと思うのです。レーニ嬢はクリスタと同じ年でしょう?」
お誕生日でクリスタちゃんも七歳になったが、まだまだ幼いと言われる年齢だ。
やっと幼児を脱却した程度で、前世の感覚で言えば小学校一年生か二年生なのである。
まだまだできないことがあってもおかしくはなかった。
むしろ、クリスタちゃんはできることが多い方だと思う。
「エリザベート様はお優しいのですね」
レーニ嬢に言われてわたくしが微笑むと、クリスタちゃんが眉間に皺を寄せていた。
「お姉様は、わたくしのお姉様なのです! レーニ嬢でもそれは譲れません!」
「わ、分かっていますよ」
「それならいいのです」
ふんっと鼻で息をするクリスタちゃんにわたくしは苦笑してしまう。
クリスタちゃんはわたくしの妹に違いなくて、わたくしがクリスタちゃんが可愛いことに間違いはないのに。
お茶会が終わった後に確認した、クリスタちゃんがもらった小さな箱には、花のような模様の入ったガラスのブローチが入っていた。
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