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八章 エリザベートの学園入学

6.俳句とわたくしの思い

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 学園では何事もなく過ごせていた。
 勉強も難しいことは何一つなく、マナーに至っては先生から感心されるくらいだった。

「さすが、国一番のフェアレディと呼ばれたディッペル公爵夫人の御令嬢ですね。皆様、エリザベート様を見習ってくださいませ」

 そこまで言われると若干居心地が悪い。
 周囲の目もわたくしに向いている。

 ダンスの練習では、男女で組むのだが、ハインリヒ殿下は必ずわたくしのところにやって来て手を差し伸べる。

「エリザベート嬢、踊ってくださいますか?」
「はい、喜んで」

 クリスタちゃんとの婚約が内内で決まっているし、他の令嬢を誘うと問題になりかねないので、クリスタちゃんの姉であり、辺境伯であるエクムント様との婚約が決まっているわたくしを誘ってきているのだろう。
 それは理解できるのだが、周囲の視線が痛いのは間違いない。
 わたくしに対する周囲の視線の強さに、わたくしは少々疲れてもいた。

「エリザベート様、ノエル殿下のお茶会に誘われているのでしょう? ノエル殿下のお茶会はどのようなことをするのですか?」

 自分も誘われたい下心満載でわたくしに話しかけて来る輩もいる。
 ノエル殿下のお茶会にはノルベルト殿下もハインリヒ殿下も参加しているので、高貴な身分の方とお知り合いになりたいのだろう。

「ノエル殿下が自作の詩を朗読されます。詩が読めなければあの場に居づらいかもしれませんね」

 ハードルを上げておいてなんだが、わたくしも実は詩など読めない。
 詩に関してはわたくしは一つ、策を考えてあった。

「エリザベート様は詩が読めるのですか?」
「わたくしは、ノエル殿下のような才能はありませんが、別の詩を読ませていただこうと思っております」

 詩が読めないのかその令嬢はそこで引き下がってしまった。
 わたくしはここからが勝負だ。
 ノエル殿下はお茶会で順番に詩を読んでその品評をして楽しんでいるのだ。そろそろわたくしの番が近付いて来ていた。

 お茶会に参加するとノエル殿下からお声がかかる。

「エリザベート嬢、今日はあなたの詩を聞かせていただけますか?」
「わたくしはノエル殿下のような才能がありませんので、少し変わった詩でもよろしいでしょうか?」
「エリザベート嬢はどのような詩をお読みになるのですか?」
「俳句と言いまして、五文字、七文字、五文字の中に季節の言葉を入れて読む短い詩を読ませていただこうと思います」
「それはわたくし、聞いたことがありませんわ」
「わたくしも聞いただけの話なのですが、東方ではその詩が盛んに読まれているようです」

 ノエル殿下の詩は理解できないし、同じような詩を作る才能がわたくしにはない。なので、わたくしは俳句に逃げることにしたのだ。
 俳句ならば五、七、五の十七文字で簡潔に物事を伝えられる。
 前世の記憶がここで役に立つことになる。

「春雨に、濡れるテラスに、物思い」

 上手に読めたかどうかなど関係ない。
 とにかくわたくしの順番が来たから詩を読まないわけにはいかなかった。ノエル殿下は他の方々の詩もとても楽しみにしている。わたくしだけが詩を読まないというのもお茶会の雰囲気を壊してしまう。

「『春雨に、濡れるテラスに、物思い』……季節の言葉は『春雨』でしょうか?」
「そのつもりで読みました」
「春雨に濡れるテラスを部屋から見ながら、物思いにふける、エリザベート嬢は誰のことを考えていたのかしら。短くて詳しく説明しないからこそ、想像の余地があって風情のある詩ですね」

 よかった。
 必死にわたくしが考えた策は、ノエル殿下のお気に召したようだ。

「面白い詩です。十七文字で詩が完成するだなんて思いませんでした。エリザベート嬢、私に指南してくれませんか?」

 ハインリヒ殿下も表情を明るくしてわたくしに頼み込んでいる。
 実はハインリヒ殿下は詩を読んで欲しいと早い時期に言われていたのだが、どうしても読めなくてノエル殿下にできないと仰っていたのだ。ハインリヒ殿下にとっても俳句は助けになるかもしれない。

「余韻をとても大事にする詩で、十七文字の中に書かれていないことを想像させるのがコツです。十七文字の中には季節の言葉を必ず入れなければいけません。季節の言葉のことを季語といいます」
「春の花の名前などでもいいでしょうか?」
「いいと思います」

 前世で俳句に詳しかったわけではないが、俳句のことならば授業で習った程度のことは理解できている。季語がどんなものがあったかまでは思い出せないが、それは適当に切り抜けられるだろう。

「私もエリザベート嬢に倣って、ハイクというものを作ってみたいと思います」
「ハインリヒもハイクならできそうなのだね」
「はい、ノルベルト兄上」

 ハインリヒ殿下が詩を読めないことで悩んでいたのを知っているノルベルト殿下は、ハインリヒ殿下に救いがあったようで安堵していた。

「そのハイク、わたくしも読んでみたいですわ。エリザベート嬢、わたくしにも読めるでしょうか?」
「ノエル殿下ならきっと読めると思います」
「簡潔に纏めなければいけないのですね。逆に難しいですね」

 ノエル殿下も俳句に興味津々だった。

「どうしても季節の言葉が入れられない場合は、川柳と言って、季節の言葉……季語がなくても成り立つ俳句があります」
「季節の言葉がなくてもいいのですね。それならばわたくしもできそうです」

 川柳についても説明すると、ノエル殿下は興味津々で目を輝かせている。
 他にも無季俳句というものがあったような気がするのだが、そこまではわたくしははっきりと覚えてはいなかった。無季俳句と川柳の違いを尋ねられると答えられないので、無季俳句のことは口に出さないでおく。

「妖精さん、わたくしのもと、現れて……どうかしら?」

 ノエル殿下は俳句になってもノエル殿下だった。

「それはセンリュウですね。キゴがありませんでした」
「キゴが難しいので、センリュウにさせてもらいました」
「ノエル殿下が妖精さんとお会いしたいことが伝わっています」

 ノルベルト殿下も上級生もノエル殿下の川柳を褒めているがわたくしにはやはりあまり意味が分からなかった。妖精さんが現れたらどうするのだろう。妖精さん自体わたくしにはあまり想像がつかないし、ピンとこないのだ。

「私のハイクは次のお茶会までに考えてきます」
「ハインリヒ殿下、楽しみにしておりますわ」

 ハインリヒ殿下もノエル殿下の川柳には言及せずに次のお茶会に自分の俳句を持ってくるという約束だけしていた。

 毎週末ディッペル領に帰れるわけではない。
 ディッペル領が近いとはいえ、馬車と列車で数時間はかかってしまう。移動にかかる時間を考えると、学園の宿題などもあるのでわたくしは頻繁にディッペル領に帰ることはできなかった。
 ディッペル領に帰るとふーちゃんやまーちゃんやクリスタちゃんの顔を見て、学園に戻るのが寂しくなってしまう。
 学園に戻るのが嫌になってしまうのも困るので、わたくしは必死に耐えていた。

 ハインリヒ殿下とノルベルト殿下のお誕生日にはクリスタちゃんもふーちゃんもまーちゃんも両親も王都にやってくる。
 学園も休みになって、わたくしは王宮の客間で両親とクリスタちゃんとふーちゃんとまーちゃんと過ごすことができる。

 エクムント様も当然王宮にいらっしゃる。

 俳句で読んだ物思いの相手は、ふーちゃんとまーちゃんとクリスタちゃんでもあり、エクムント様でもあった。
 ふーちゃんとまーちゃんとクリスタちゃんに会いたいのとは別に、エクムント様にはお会いしたい。
 エクムント様の穏やかな低い声を聞いて、エクムント様とお茶をしたい。

 あの俳句は故郷の弟妹を思う詩であると共に、エクムント様を思う恋の詩でもあったのだ。
 恥ずかしくてそんなことは言えずに、ノエル殿下に解釈を全部任せてしまったけれど、ノエル殿下はわたくしがエクムント様のことを思っているのに気付いているような気がしていた。

 季節は春から初夏に移り変わる。
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