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九章 クリスタちゃんの婚約と学園入学
3.ミリヤム嬢との接触
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学園での生活は平和だった。
朝はクリスタちゃんと食堂に行き、レーニちゃんも合流して朝食を食べる。午前中の授業が終わると、お昼の休憩時間にクリスタちゃんとレーニちゃんと合流して食堂で昼食を食べる。午後の授業が終わったら、ペオーニエ寮の中庭のサンルームに行ってノエル殿下とハインリヒ殿下とノルベルト殿下と他の生徒とも一緒にお茶をする。
お茶をした後には寮の部屋に帰って宿題をする。クリスタちゃんもリップマン先生から教えられているので、勉強には困っていないようだった。
部屋には時々レーニちゃんが遊びに来て、一緒に時間を過ごして、夕食のために食堂に行くこともある。レーニちゃんは別々で食堂で合流することもある。
毎日がクリスタちゃんとレーニちゃんと一緒で、ノエル殿下ともノルベルト殿下ともハインリヒ殿下ともお会いできて、わたくしは楽しかった。
エクムント様は士官学校に通われたので、このような経験はされていない。士官学校の生活は軍人になるので厳しかったようだが、学園生活はわたくしもクリスタちゃんも淑女としても学生としても教育されていたので何も困ることはなかった。
平穏な学生生活に変化があったのは春の中頃だった。
わたくしとハインリヒ殿下とは性別が違う。男子生徒はある程度の剣術も覚えなければいけないと剣術の練習があって、その間女子生徒は座り方や歩き方のマナーの授業がある。
国一番のフェアレディと呼ばれていた母に育てられたわたくしは、小さい頃からマナーに関しては厳しく躾けられていた。
姿勢を崩さないように頭に本を乗せて、教室の床に引かれた線を両脚で挟み込むようにして歩いていくわたくしを見て周囲の女子生徒がため息を零す。
「エリザベート様の歩き方の美しいこと」
「さすがはディッペル家の御令嬢だわ」
「完璧な淑女のお姿だわ」
そこまではよかったのだ。
「それに比べて、ミリヤム嬢の歩き方。エリザベート様はあんなに美しいのに」
「また本を落としましたわ。エリザベート様とは大違い」
「先生は背中に定規でも入れたらいいのではないでしょうか」
わたくしの後にミリヤム嬢が歩いているのだが、その歩き方が美しくないと言われている。
わたくしは褒められることは嫌ではなかったが、わたくしを褒めるために他人を貶めるのは我慢ができなかった。
「今、発言した方、前に出て来てください」
「エリザベート様!?」
「どうしてエリザベート様がお怒りになられるの!?」
「わたくしを褒めるために、ミリヤム嬢を貶めた方がいますね。そんなことをするのは、わたくしに対しても侮辱にあたります」
「ミリヤム嬢とエリザベート様を比べたのがいけなかったのですか?」
「比べられる価値もないですものね」
全然分かっていない。
わたくしのお腹の底からふつふつと怒りがわいてくる。
ミリヤム嬢には警戒しなければいけないと分かっていても、わたくしはこんな陰湿な苛めは見ていられなかった。
前世でも女子生徒が女子生徒を苛めることがあった。ニュースでは毎月のように苛めでの自殺者が出たと報道されていた。
涙を堪えているミリヤム嬢は黒髪に黒い目で、この国では一番多い色彩の持ち主だった。長い睫毛に縁どられた大きな目が潤んでいる。
「ミリヤム嬢、もっと胸を張るのです」
「エリザベート様?」
「胸を張って、頭の位置は動かないようにして、足は爪先から静かに踵まで降ろすのです。ゆっくりでいいのでやってみてください」
「は、はい」
潤んだ目を拭ってミリヤム嬢がわたくしの言った通りに歩き出す。まだ安定してはいないが、ミリヤム嬢は本を落とすことなく線の端から端まで歩くことができた。
「できたではないですか。これまでは陰口を叩かれて、委縮していたのかもしれませんが、これからは胸を張って堂々と歩くのです」
「エリザベート様、ありがとうございます」
深く頭を下げるミリヤム嬢を見ながら、わたくしはやってしまったと思っていた。
クリスタちゃんと出会ったときもなのだが、わたくしはクリスタちゃんにできる限り関わらないようにしようと決めていた。それなのにクリスタちゃんは妾に虐待されていて、助けずにはいられなかった。
学園でクリスタちゃんと出会っていれば、わたくしはクリスタちゃんが陰口を叩かれていたらこうやって手を出さずにはいられなかっただろう。こういう指導が『クリスタ・ノメンゼンの真実の愛』ではクリスタちゃんを公の場で恥をかかせたと受け取られたのかもしれない。
「わたくし、自分が子爵家の娘なのに場違いに学園に入学してしまったことは気付いていました。わたくしの教育のために両親は学園に入学させてくれたのに、周囲の方々が怖くて、冷たくて、わたくし、心が折れそうになっていましたの」
「苛めは絶対に見逃せません! ミリヤム嬢、あなたは身分は低いかもしれませんが、学園に入学することを認められた身。学園でこれから礼儀作法を身に着けることを期待されているのです。誰でも最初はできないことがあってもおかしくありません」
「わたくし、乗馬の練習をしたことがなくて、馬が怖くて仕方がないのです。去年の運動会でエリザベート様が馬を乗りこなしているところを見て、本当に憧れました。こんな素晴らしい方に助けていただけたなんて、わたくしは本当に幸運です」
あれ?
何か警戒していたのと別方向に運命が動いている気がする。
ミリヤム嬢はクリスタちゃんと一緒になってわたくしを憎むキャラクターだったはずなのだが、心から感謝して、ミリヤム嬢はわたくしに憧れていたとまで言っている。
「わたくしのような身分の者が言っていいのか分かりませんが、エリザベート様さえよければこれからも色々と教えていただけませんか?」
しかもわたくしはミリヤム嬢に頼られている。
どういうことなのだろう。
混乱しつつも頼られているなら応えねばならないと思っていると、教室を出た廊下をクリスタちゃんがわたくしを見付けて小走りに駆けて来る。
「お姉様、授業が今終わったのですか? わたくしも今終わったのですよ。お昼ご飯を食べに行きましょう」
「そ、そうでした。ミリヤム嬢、わたくしでよければいつでも相談に乗ります」
「わたくし、学園の授業にも全然ついていけていなくて。わたくしと同室の上級生も、わたくしと一切口を聞いて下さらないのです」
「寮では上級生が下級生の指導をするはずなのに!? 一年生のときからそうだったのですか?」
「はい……。同室の六年生は、わたくしに何も教えてくださらなくて、わたくしはどうやって寮で生活したらいいのかも分からないままでした」
身分の近いものが揃っているローゼン寮内でもミリヤム嬢は苛められていた。
そういえば、『クリスタ・ノメンゼンの真実の愛』ではミリヤム嬢とクリスタちゃんは同じ寮で、同じ部屋にされて、何も分からぬまま奮闘するストーリーだった気がする。成績もよくなくて、舞踏会に着ていくドレスも用意できなくて、つらく苦しい日々を送りながらも、ハインリヒ殿下との交流をしていくストーリーだった。
「ミリヤム嬢、一緒に食堂に行きましょう。クリスタも一緒でいいですね?」
「お姉様の同級生なのですね。わたくしはクリスタ・ディッペルです。困っていることがあるのならば、お姉様に話せば助けてくれます」
「ありがとうございます、エリザベート様、クリスタ様」
涙ぐんで食堂についてくるミリヤム嬢を、わたくしはペオーニエ寮のテーブルに招いた。
寮が違っていても、その寮の生徒から招かれた場合には、その寮のテーブルを使っていいし、お茶会にも参加していいという決まりがあるのだ。
ペオーニエ寮の生徒はミリヤム嬢がテーブルに着いているのに驚いているようだが、行儀作法をしっかりと教え込まれた者たちなので、何も文句は言って来なかった。
「寮での暮らしがよく分からないとなると、洗濯物やシャワーはどうしていたのですか?」
「他の方がしているのを真似していましたが、シャワールームは脱衣所に鍵がかからないので、着替えに悪戯されることも多くて、シャワールームの中にまで持ち込んで、濡れた着替えを着て過ごしていました」
「酷いですわ! お姉様、わたくし、苛めなんて許せない」
「わたくしもそう思います。ミリヤム嬢、わたくしと友達になりましょう」
「え!?」
「エリザベート・ディッペルの友人ということになれば、ミリヤム嬢に悪さをできるひとはいなくなります」
「ノエル殿下にお願いして、ミリヤム嬢をお茶に招いていただきましょうよ、お姉様。ミリヤム嬢はお茶の時間はどうしていたのですか?」
「わたくしは、どこにも入れてもらえなくて食堂で過ごしていました」
「そんなのいけないわ。他の寮でもノエル殿下が招待したとなれば一緒にお茶ができます」
関わらないようにしようと決めていたのに、わたくしはクリスタちゃんにミリヤム嬢を紹介してしまったし、わたくしもクリスタちゃんもミリヤム嬢と関わってしまっていた。
けれど、行われている苛めを見て見ぬふりをするなんてことは、わたくしには絶対にできなかった。
朝はクリスタちゃんと食堂に行き、レーニちゃんも合流して朝食を食べる。午前中の授業が終わると、お昼の休憩時間にクリスタちゃんとレーニちゃんと合流して食堂で昼食を食べる。午後の授業が終わったら、ペオーニエ寮の中庭のサンルームに行ってノエル殿下とハインリヒ殿下とノルベルト殿下と他の生徒とも一緒にお茶をする。
お茶をした後には寮の部屋に帰って宿題をする。クリスタちゃんもリップマン先生から教えられているので、勉強には困っていないようだった。
部屋には時々レーニちゃんが遊びに来て、一緒に時間を過ごして、夕食のために食堂に行くこともある。レーニちゃんは別々で食堂で合流することもある。
毎日がクリスタちゃんとレーニちゃんと一緒で、ノエル殿下ともノルベルト殿下ともハインリヒ殿下ともお会いできて、わたくしは楽しかった。
エクムント様は士官学校に通われたので、このような経験はされていない。士官学校の生活は軍人になるので厳しかったようだが、学園生活はわたくしもクリスタちゃんも淑女としても学生としても教育されていたので何も困ることはなかった。
平穏な学生生活に変化があったのは春の中頃だった。
わたくしとハインリヒ殿下とは性別が違う。男子生徒はある程度の剣術も覚えなければいけないと剣術の練習があって、その間女子生徒は座り方や歩き方のマナーの授業がある。
国一番のフェアレディと呼ばれていた母に育てられたわたくしは、小さい頃からマナーに関しては厳しく躾けられていた。
姿勢を崩さないように頭に本を乗せて、教室の床に引かれた線を両脚で挟み込むようにして歩いていくわたくしを見て周囲の女子生徒がため息を零す。
「エリザベート様の歩き方の美しいこと」
「さすがはディッペル家の御令嬢だわ」
「完璧な淑女のお姿だわ」
そこまではよかったのだ。
「それに比べて、ミリヤム嬢の歩き方。エリザベート様はあんなに美しいのに」
「また本を落としましたわ。エリザベート様とは大違い」
「先生は背中に定規でも入れたらいいのではないでしょうか」
わたくしの後にミリヤム嬢が歩いているのだが、その歩き方が美しくないと言われている。
わたくしは褒められることは嫌ではなかったが、わたくしを褒めるために他人を貶めるのは我慢ができなかった。
「今、発言した方、前に出て来てください」
「エリザベート様!?」
「どうしてエリザベート様がお怒りになられるの!?」
「わたくしを褒めるために、ミリヤム嬢を貶めた方がいますね。そんなことをするのは、わたくしに対しても侮辱にあたります」
「ミリヤム嬢とエリザベート様を比べたのがいけなかったのですか?」
「比べられる価値もないですものね」
全然分かっていない。
わたくしのお腹の底からふつふつと怒りがわいてくる。
ミリヤム嬢には警戒しなければいけないと分かっていても、わたくしはこんな陰湿な苛めは見ていられなかった。
前世でも女子生徒が女子生徒を苛めることがあった。ニュースでは毎月のように苛めでの自殺者が出たと報道されていた。
涙を堪えているミリヤム嬢は黒髪に黒い目で、この国では一番多い色彩の持ち主だった。長い睫毛に縁どられた大きな目が潤んでいる。
「ミリヤム嬢、もっと胸を張るのです」
「エリザベート様?」
「胸を張って、頭の位置は動かないようにして、足は爪先から静かに踵まで降ろすのです。ゆっくりでいいのでやってみてください」
「は、はい」
潤んだ目を拭ってミリヤム嬢がわたくしの言った通りに歩き出す。まだ安定してはいないが、ミリヤム嬢は本を落とすことなく線の端から端まで歩くことができた。
「できたではないですか。これまでは陰口を叩かれて、委縮していたのかもしれませんが、これからは胸を張って堂々と歩くのです」
「エリザベート様、ありがとうございます」
深く頭を下げるミリヤム嬢を見ながら、わたくしはやってしまったと思っていた。
クリスタちゃんと出会ったときもなのだが、わたくしはクリスタちゃんにできる限り関わらないようにしようと決めていた。それなのにクリスタちゃんは妾に虐待されていて、助けずにはいられなかった。
学園でクリスタちゃんと出会っていれば、わたくしはクリスタちゃんが陰口を叩かれていたらこうやって手を出さずにはいられなかっただろう。こういう指導が『クリスタ・ノメンゼンの真実の愛』ではクリスタちゃんを公の場で恥をかかせたと受け取られたのかもしれない。
「わたくし、自分が子爵家の娘なのに場違いに学園に入学してしまったことは気付いていました。わたくしの教育のために両親は学園に入学させてくれたのに、周囲の方々が怖くて、冷たくて、わたくし、心が折れそうになっていましたの」
「苛めは絶対に見逃せません! ミリヤム嬢、あなたは身分は低いかもしれませんが、学園に入学することを認められた身。学園でこれから礼儀作法を身に着けることを期待されているのです。誰でも最初はできないことがあってもおかしくありません」
「わたくし、乗馬の練習をしたことがなくて、馬が怖くて仕方がないのです。去年の運動会でエリザベート様が馬を乗りこなしているところを見て、本当に憧れました。こんな素晴らしい方に助けていただけたなんて、わたくしは本当に幸運です」
あれ?
何か警戒していたのと別方向に運命が動いている気がする。
ミリヤム嬢はクリスタちゃんと一緒になってわたくしを憎むキャラクターだったはずなのだが、心から感謝して、ミリヤム嬢はわたくしに憧れていたとまで言っている。
「わたくしのような身分の者が言っていいのか分かりませんが、エリザベート様さえよければこれからも色々と教えていただけませんか?」
しかもわたくしはミリヤム嬢に頼られている。
どういうことなのだろう。
混乱しつつも頼られているなら応えねばならないと思っていると、教室を出た廊下をクリスタちゃんがわたくしを見付けて小走りに駆けて来る。
「お姉様、授業が今終わったのですか? わたくしも今終わったのですよ。お昼ご飯を食べに行きましょう」
「そ、そうでした。ミリヤム嬢、わたくしでよければいつでも相談に乗ります」
「わたくし、学園の授業にも全然ついていけていなくて。わたくしと同室の上級生も、わたくしと一切口を聞いて下さらないのです」
「寮では上級生が下級生の指導をするはずなのに!? 一年生のときからそうだったのですか?」
「はい……。同室の六年生は、わたくしに何も教えてくださらなくて、わたくしはどうやって寮で生活したらいいのかも分からないままでした」
身分の近いものが揃っているローゼン寮内でもミリヤム嬢は苛められていた。
そういえば、『クリスタ・ノメンゼンの真実の愛』ではミリヤム嬢とクリスタちゃんは同じ寮で、同じ部屋にされて、何も分からぬまま奮闘するストーリーだった気がする。成績もよくなくて、舞踏会に着ていくドレスも用意できなくて、つらく苦しい日々を送りながらも、ハインリヒ殿下との交流をしていくストーリーだった。
「ミリヤム嬢、一緒に食堂に行きましょう。クリスタも一緒でいいですね?」
「お姉様の同級生なのですね。わたくしはクリスタ・ディッペルです。困っていることがあるのならば、お姉様に話せば助けてくれます」
「ありがとうございます、エリザベート様、クリスタ様」
涙ぐんで食堂についてくるミリヤム嬢を、わたくしはペオーニエ寮のテーブルに招いた。
寮が違っていても、その寮の生徒から招かれた場合には、その寮のテーブルを使っていいし、お茶会にも参加していいという決まりがあるのだ。
ペオーニエ寮の生徒はミリヤム嬢がテーブルに着いているのに驚いているようだが、行儀作法をしっかりと教え込まれた者たちなので、何も文句は言って来なかった。
「寮での暮らしがよく分からないとなると、洗濯物やシャワーはどうしていたのですか?」
「他の方がしているのを真似していましたが、シャワールームは脱衣所に鍵がかからないので、着替えに悪戯されることも多くて、シャワールームの中にまで持ち込んで、濡れた着替えを着て過ごしていました」
「酷いですわ! お姉様、わたくし、苛めなんて許せない」
「わたくしもそう思います。ミリヤム嬢、わたくしと友達になりましょう」
「え!?」
「エリザベート・ディッペルの友人ということになれば、ミリヤム嬢に悪さをできるひとはいなくなります」
「ノエル殿下にお願いして、ミリヤム嬢をお茶に招いていただきましょうよ、お姉様。ミリヤム嬢はお茶の時間はどうしていたのですか?」
「わたくしは、どこにも入れてもらえなくて食堂で過ごしていました」
「そんなのいけないわ。他の寮でもノエル殿下が招待したとなれば一緒にお茶ができます」
関わらないようにしようと決めていたのに、わたくしはクリスタちゃんにミリヤム嬢を紹介してしまったし、わたくしもクリスタちゃんもミリヤム嬢と関わってしまっていた。
けれど、行われている苛めを見て見ぬふりをするなんてことは、わたくしには絶対にできなかった。
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