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九章 クリスタちゃんの婚約と学園入学
14.悪巧みは『ちゃん付け』で
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ハインリヒ殿下のお誕生日の式典が終わると、わたくしとクリスタちゃんは学園に帰る。トランクを持って客間を出ようとするわたくしとクリスタちゃんに、ふーちゃんとまーちゃんがわたくしとクリスタちゃんを見上げて来る。
「おねえさま、わたし、いいこにしていますから、はやくかえってきてくださいね」
「わたくし、もうおねえさまをさがして、ヘルマンさんとレギーナをこまらせたりしないわ」
小さなふーちゃんとまーちゃんの手を握って、わたくしは約束した。
「夏休みには帰ります。夏休みには家族で辺境伯領に招かれているのですよ。フランツとマリアも辺境伯領に行きましょうね」
「その前に、レーニ嬢のお誕生日がありますわ」
「そうでした。そのときにも帰ります」
クリスタちゃんに指摘されてわたくしはふーちゃんとまーちゃんの手をきゅっと握って、それから手を放した。ふーちゃんとまーちゃんは廊下に出てわたくしとクリスタちゃんが見えなくなるまで手を振ってくれていた。
わたくしとクリスタちゃんは何度も振り返って、ふーちゃんとまーちゃんに手を振り返した。
学園に戻るとわたくしはやるべきことがあった。
その件に関して、クリスタちゃんにもノエル殿下にも話がある。
お茶会の時間の前にクリスタちゃんとノエル殿下にお声掛けして、話をする時間を設けてもらった。
「ローゼン寮でミリヤム嬢を苛めていたひとたちをわたくしは許すことができません」
「分かりますわ。ミリヤム嬢は不当な扱いを受けていました」
「わたくしにとってミリヤム嬢はもう大事な友人です。その方を苛めていただなんてとんでもない話です」
わたくしの言葉にクリスタちゃんもノエル殿下も賛成してくださる。
わたくしが特に許せないのは同室だった上級生だ。ミリヤム嬢が一年生のときに六年生だったので、もう卒業しているだろうが、何の咎めもなくのうのうと暮らしているのならば、許しがたい。
「ミリヤム嬢を無視していた同室の上級生と、ローゼン寮の同級生を集めて説教することはできないでしょうか」
「そうですね……。わたくし、お茶会を開こうかしら?」
「ノエル殿下のお茶会ですか?」
「わたくしが開いた私的なお茶会ならば、卒業していても招待されれば来ないわけにはいかないでしょう? その場でエリザベート嬢がその方たちにお説教をするというのはどうでしょう?」
「いいかもしれません。ノエル殿下、ご協力お願いできますか?」
「もちろんですわ」
ノエル殿下の協力のもと、謀略のお茶会が開かれることになりそうだった。
その日のお茶会ではそんなことは少しも見せず、ノエル殿下はミリヤム嬢とお茶を楽しんでいる。ノエル殿下はミリヤム嬢のことがかなり気に入っているようだ。
「ミリヤム嬢、紅茶を飲む所作も美しくなってきましたね」
「ありがとうございます。エリザベート様とクリスタ様に教えていただいているおかげです」
「わたくし、努力する方は好ましく思います。最初は誰でもできないものです。それを努力して習得するために学園があるのです」
「はい。わたくし、これから努力していこうと思っています」
ミリヤム嬢はストレートヘアのわたくしと違って、癖のある黒髪だ。緩やかに波打つ黒髪がハーフアップにされて艶めきながら広がっていくのを見ると、とても豪華だと思う。
表情も堂々としてきて、ミリヤム嬢はますます美しくなった。
「ミリヤム嬢の髪はとても美しいですね」
「わたくしの故郷では椿の油がよくとれるのです。それを髪に馴染ませると、しっとりとして艶が出るのです」
「椿の油? わたくし、使ったことがありませんわ」
「今度お持ち致します。使ってみてくださいませ。柘植の櫛と相性がいいのですよ」
柘植の櫛と椿の油といえば、わたくしは前世の記憶を擽られる。前世でそういうものを揃えて使っていたような気がするのだ。
この世界に柘植の櫛と椿の油があるのは、作者が日本人だからかもしれない。
「柘植の櫛もわたくし持っていません」
「櫛とセットでプレゼントいたします」
興味を持つノエル殿下にミリヤム嬢は嬉しそうに話してくれる。
「柘植の櫛は乾燥させておくのが大事なのです。絶対に水分に触れさせてはいけません。椿の油だけを付けて、大事に使うと、長くもちますよ」
「感想が大事とは知りませんでした。濡れた髪には使ってはダメなのですね」
「そうです。乾いた髪に使ってください」
プレゼントしてくれるというミリヤム嬢にノエル殿下もわたくしもクリスタちゃんも楽しみにしていた。
こんなにもわたくしたちを気遣ってくれるミリヤム嬢を苛めていたひとたちは尚更許せない。
ノエル殿下の私的なお茶会に招くリストをわたくしは真剣に考えていた。
ミリヤム嬢と同室だった上級生は調べてある。マナーの講習の場でミリヤム嬢を貶めてわたくしを持ち上げようとした同級生のローゼン寮の女子生徒たちもちゃんとリストに入れている。
苛めに加担していたのはローゼン寮の生徒ばかりのようだった。
身分が低いとそれだけ教育が行き届いていなくて、苛めるような卑しい考えにもなってしまうのだ。
リーリエ寮やペオーニエ寮の生徒に、苛めに加担していた生徒がいなかったのは幸いだった。
お茶会が終わってから、わたくしとクリスタちゃんとノエル殿下はサンルームに残って計画を詰めていっていた。
「このリストの方々にお茶会の招待状を送ればいいのですね?」
「お願いいたします、ノエル殿下」
「お姉様、どのように説教をするつもりですか?」
「自分の罪を認めさせるのです。ミリヤム嬢も呼んでおいてください。ミリヤム嬢の前で謝罪させましょう」
学園を卒業していても関係ない。一年生で何も分からないミリヤム嬢に、同室になって指導する立場でありながらそれを放棄し、ミリヤム嬢を無視し続けた上級生の罪は重い。
表情を引き締めるわたくしに、ノエル殿下もクリスタちゃんも真剣な表情になっている。
「エリザベート様、クリスタ様、お部屋に戻られないのですか?」
サンルームのドアが開いて、声をかけられてわたくしはサンルームの入口を見た。そこには制服を着たままのレーニちゃんが立っていた。
「レーニちゃん、話を聞きましたか?」
「え? 何のことですか?」
「聞いていないのですね。よかったです」
ほっと胸を撫で下ろしていると、ノエル殿下がわたくしの顔をじっと見つめていた。
「エリザベート嬢、レーニ嬢を『レーニちゃん』と呼んでいるのですか?」
「あ!? 失礼しました!」
急にレーニちゃんが来てしまったので、わたくしたちしかいないときにはレーニちゃんを「レーニ嬢」ではなくて、「レーニちゃん」と呼んでいるのがノエル殿下に知られてしまった。
「私的な場面だけです」
「『レーニちゃん』……素敵な響きですね」
「え?」
「エリザベート嬢は『エリザベートちゃん』、クリスタ嬢は『クリスタちゃん』ですわね」
「ノエル殿下、そ、それは……」
「わたくしも私的な場面では『ちゃん付け』で呼びたいですわ」
ノエル殿下にそう言われてしまうとわたくしも困ってしまう。わたくしはかなり危ういところで口を滑らせてしまったようだ。
「わたくしたちだけのときは、エリザベート嬢のことは『エリザベートちゃん』、クリスタ嬢のことは『クリスタちゃん』、レーニ嬢のことは『レーニちゃん』と呼ばせていただきたいですわ」
「ノエル殿下がそれでよろしいのでしたら」
「わたくしも実はお姉様と二人きりのときは、『クリスタちゃん』と呼ばれているのです。ずっとそう呼ばれるのが嬉しくて、幸せで、ノエル殿下がそれを咎めなかったので安心いたしました」
うっとりと話すクリスタちゃんにノエル殿下は笑顔になっている。
「エリザベートちゃん、お話の続きをどうぞ」
「ノエル殿下にそう呼ばれるとは畏れ多いです」
「わたくしのことも『ノエルちゃん』と呼んで欲しいのですが、それは無理ですよね?」
「それは、流石に無理です」
「そうですわよね。それは我慢しますから、エリザベートちゃんと呼ばせてください」
ノエル殿下はその呼び方が相当気に入ってしまったようだ。
貴族社会において、小さな頃からノエル殿下は『殿下』と呼ばれていただろうし、他の貴族のことも『嬢付け』『殿付け』『殿下付け』で呼んでいたはずだ。
『ちゃん付け』をすることなどノエル殿下にとっては新鮮に違いなかった。
ノエル殿下の暴走をわたくしは止めることができなかった。
「おねえさま、わたし、いいこにしていますから、はやくかえってきてくださいね」
「わたくし、もうおねえさまをさがして、ヘルマンさんとレギーナをこまらせたりしないわ」
小さなふーちゃんとまーちゃんの手を握って、わたくしは約束した。
「夏休みには帰ります。夏休みには家族で辺境伯領に招かれているのですよ。フランツとマリアも辺境伯領に行きましょうね」
「その前に、レーニ嬢のお誕生日がありますわ」
「そうでした。そのときにも帰ります」
クリスタちゃんに指摘されてわたくしはふーちゃんとまーちゃんの手をきゅっと握って、それから手を放した。ふーちゃんとまーちゃんは廊下に出てわたくしとクリスタちゃんが見えなくなるまで手を振ってくれていた。
わたくしとクリスタちゃんは何度も振り返って、ふーちゃんとまーちゃんに手を振り返した。
学園に戻るとわたくしはやるべきことがあった。
その件に関して、クリスタちゃんにもノエル殿下にも話がある。
お茶会の時間の前にクリスタちゃんとノエル殿下にお声掛けして、話をする時間を設けてもらった。
「ローゼン寮でミリヤム嬢を苛めていたひとたちをわたくしは許すことができません」
「分かりますわ。ミリヤム嬢は不当な扱いを受けていました」
「わたくしにとってミリヤム嬢はもう大事な友人です。その方を苛めていただなんてとんでもない話です」
わたくしの言葉にクリスタちゃんもノエル殿下も賛成してくださる。
わたくしが特に許せないのは同室だった上級生だ。ミリヤム嬢が一年生のときに六年生だったので、もう卒業しているだろうが、何の咎めもなくのうのうと暮らしているのならば、許しがたい。
「ミリヤム嬢を無視していた同室の上級生と、ローゼン寮の同級生を集めて説教することはできないでしょうか」
「そうですね……。わたくし、お茶会を開こうかしら?」
「ノエル殿下のお茶会ですか?」
「わたくしが開いた私的なお茶会ならば、卒業していても招待されれば来ないわけにはいかないでしょう? その場でエリザベート嬢がその方たちにお説教をするというのはどうでしょう?」
「いいかもしれません。ノエル殿下、ご協力お願いできますか?」
「もちろんですわ」
ノエル殿下の協力のもと、謀略のお茶会が開かれることになりそうだった。
その日のお茶会ではそんなことは少しも見せず、ノエル殿下はミリヤム嬢とお茶を楽しんでいる。ノエル殿下はミリヤム嬢のことがかなり気に入っているようだ。
「ミリヤム嬢、紅茶を飲む所作も美しくなってきましたね」
「ありがとうございます。エリザベート様とクリスタ様に教えていただいているおかげです」
「わたくし、努力する方は好ましく思います。最初は誰でもできないものです。それを努力して習得するために学園があるのです」
「はい。わたくし、これから努力していこうと思っています」
ミリヤム嬢はストレートヘアのわたくしと違って、癖のある黒髪だ。緩やかに波打つ黒髪がハーフアップにされて艶めきながら広がっていくのを見ると、とても豪華だと思う。
表情も堂々としてきて、ミリヤム嬢はますます美しくなった。
「ミリヤム嬢の髪はとても美しいですね」
「わたくしの故郷では椿の油がよくとれるのです。それを髪に馴染ませると、しっとりとして艶が出るのです」
「椿の油? わたくし、使ったことがありませんわ」
「今度お持ち致します。使ってみてくださいませ。柘植の櫛と相性がいいのですよ」
柘植の櫛と椿の油といえば、わたくしは前世の記憶を擽られる。前世でそういうものを揃えて使っていたような気がするのだ。
この世界に柘植の櫛と椿の油があるのは、作者が日本人だからかもしれない。
「柘植の櫛もわたくし持っていません」
「櫛とセットでプレゼントいたします」
興味を持つノエル殿下にミリヤム嬢は嬉しそうに話してくれる。
「柘植の櫛は乾燥させておくのが大事なのです。絶対に水分に触れさせてはいけません。椿の油だけを付けて、大事に使うと、長くもちますよ」
「感想が大事とは知りませんでした。濡れた髪には使ってはダメなのですね」
「そうです。乾いた髪に使ってください」
プレゼントしてくれるというミリヤム嬢にノエル殿下もわたくしもクリスタちゃんも楽しみにしていた。
こんなにもわたくしたちを気遣ってくれるミリヤム嬢を苛めていたひとたちは尚更許せない。
ノエル殿下の私的なお茶会に招くリストをわたくしは真剣に考えていた。
ミリヤム嬢と同室だった上級生は調べてある。マナーの講習の場でミリヤム嬢を貶めてわたくしを持ち上げようとした同級生のローゼン寮の女子生徒たちもちゃんとリストに入れている。
苛めに加担していたのはローゼン寮の生徒ばかりのようだった。
身分が低いとそれだけ教育が行き届いていなくて、苛めるような卑しい考えにもなってしまうのだ。
リーリエ寮やペオーニエ寮の生徒に、苛めに加担していた生徒がいなかったのは幸いだった。
お茶会が終わってから、わたくしとクリスタちゃんとノエル殿下はサンルームに残って計画を詰めていっていた。
「このリストの方々にお茶会の招待状を送ればいいのですね?」
「お願いいたします、ノエル殿下」
「お姉様、どのように説教をするつもりですか?」
「自分の罪を認めさせるのです。ミリヤム嬢も呼んでおいてください。ミリヤム嬢の前で謝罪させましょう」
学園を卒業していても関係ない。一年生で何も分からないミリヤム嬢に、同室になって指導する立場でありながらそれを放棄し、ミリヤム嬢を無視し続けた上級生の罪は重い。
表情を引き締めるわたくしに、ノエル殿下もクリスタちゃんも真剣な表情になっている。
「エリザベート様、クリスタ様、お部屋に戻られないのですか?」
サンルームのドアが開いて、声をかけられてわたくしはサンルームの入口を見た。そこには制服を着たままのレーニちゃんが立っていた。
「レーニちゃん、話を聞きましたか?」
「え? 何のことですか?」
「聞いていないのですね。よかったです」
ほっと胸を撫で下ろしていると、ノエル殿下がわたくしの顔をじっと見つめていた。
「エリザベート嬢、レーニ嬢を『レーニちゃん』と呼んでいるのですか?」
「あ!? 失礼しました!」
急にレーニちゃんが来てしまったので、わたくしたちしかいないときにはレーニちゃんを「レーニ嬢」ではなくて、「レーニちゃん」と呼んでいるのがノエル殿下に知られてしまった。
「私的な場面だけです」
「『レーニちゃん』……素敵な響きですね」
「え?」
「エリザベート嬢は『エリザベートちゃん』、クリスタ嬢は『クリスタちゃん』ですわね」
「ノエル殿下、そ、それは……」
「わたくしも私的な場面では『ちゃん付け』で呼びたいですわ」
ノエル殿下にそう言われてしまうとわたくしも困ってしまう。わたくしはかなり危ういところで口を滑らせてしまったようだ。
「わたくしたちだけのときは、エリザベート嬢のことは『エリザベートちゃん』、クリスタ嬢のことは『クリスタちゃん』、レーニ嬢のことは『レーニちゃん』と呼ばせていただきたいですわ」
「ノエル殿下がそれでよろしいのでしたら」
「わたくしも実はお姉様と二人きりのときは、『クリスタちゃん』と呼ばれているのです。ずっとそう呼ばれるのが嬉しくて、幸せで、ノエル殿下がそれを咎めなかったので安心いたしました」
うっとりと話すクリスタちゃんにノエル殿下は笑顔になっている。
「エリザベートちゃん、お話の続きをどうぞ」
「ノエル殿下にそう呼ばれるとは畏れ多いです」
「わたくしのことも『ノエルちゃん』と呼んで欲しいのですが、それは無理ですよね?」
「それは、流石に無理です」
「そうですわよね。それは我慢しますから、エリザベートちゃんと呼ばせてください」
ノエル殿下はその呼び方が相当気に入ってしまったようだ。
貴族社会において、小さな頃からノエル殿下は『殿下』と呼ばれていただろうし、他の貴族のことも『嬢付け』『殿付け』『殿下付け』で呼んでいたはずだ。
『ちゃん付け』をすることなどノエル殿下にとっては新鮮に違いなかった。
ノエル殿下の暴走をわたくしは止めることができなかった。
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