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七章 高等学校最後の年

20.移転の魔法を補助するチョーク

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 音楽堂の外に野外ステージが組まれることになって、ヨウシア様の指導にも熱が入って来た。わたくしとハンネス様とマウリ様とミルヴァ様とフローラ様は楽譜を渡されて、フローラ様は歌詞を全部ひらがなに書き込みをして、エミリア様とライネ様は歌を聞いて覚えて一生懸命歌っている。
 わたくしたちの合唱を聞いて、ヨウシア様は細かく指導を入れて行った。

「アイラちゃんはもっと自信を持って声を出して。ハンネスくんは低い音をもっと意識して」
「はい、声を出します」
「気をつけます」

 わたくしとハンネス様が答えると、続いてマウリ様とミルヴァ様に指導が入る。

「マウリくんはよく歌えてるけど、ミルヴァちゃんの音をよく聞いて。ミルヴァちゃんもマウリくんの音をよく聞いて、お互いに響き合うようにして」
「響き合うって、どんな風に?」
「声が似ているから、相手の声に合わせるようにするんだよ」
「真似をすればいいってこと?」
「極端に言えばそうだね」

 マウリ様の疑問にも、ミルヴァ様の疑問にも、ヨウシア様は丁寧に答えてくれている。

「エミリアちゃんは声を大きく出し過ぎないように気を付けて。音を合わせるのが大事だからね。フローラちゃんの歌を聞きながら歌うといい」
「わたくしのおうたをきくのよ、エミリア」
「あい! わたくち、ふーねぇねのおうた、きく」
「ライネくんは……歌の間ずっと同じ場所に立っていられてすごいね!」
「あい!」

 まだ2歳のライネ様にしてみれば、長い一曲を歌う間に気が散って並んでいる位置から走り出さないだけでも偉いのだということをヨウシア様はよく分かっていた。逃げ出さないようにエミリア様が手を繋いでいるのだが、歌うこと自体は飽きてしまうことも多く、途中は指を舐めていたり、お尻を振って踊っていたりする。歌わずに大根マンドラゴラのダイちゃんと遊んでいることもあるが、そこを咎めるようなヨウシア先生ではなかった。
 わたくしたちが熱心に歌っていると、ダーヴィド様も混じりたいようで寄ってくるが、すぐに飽きて南瓜頭犬と遊びに行ってしまう。
 場所を子ども部屋から大広間に変えたが、ドーム状になった天井によく響いて、歌の練習はますます盛んだった。
 冬休みが終わってわたくしは高等学校のサンルームに登校していた。サンルームではエロラ先生とエリーサ様が寄り添っていて、ヘルミちゃんがソファで一生懸命冬休みの宿題を仕上げていた。
 苦手科目も少しずつ克服できているようで、ヘルミちゃんはエロラ先生やエリーサ様の手を借りなくてもいいようだ。エロラ先生とエリーサ様のお屋敷で働いているので、宿題をする時間があまりなくて全部終わらなかっただけなのだろう。
 働きながらでも高等学校に通っているヘルミちゃんは本当に偉いと思う。
 わたくしは冬休みの間にあったことを思い出して、エロラ先生に相談することにした。

「エロラ先生、わたくし、冬休みにクリスティアンのお誕生日でラント領に行ったのです。そのときに、移転の魔法の回数を心配したヨハンナ様がライネ様とダーヴィド様をお留守番させてくださいました」
「ライネくんとダーヴィドくんは寂しがってただろうね」
「そうなのです。それで、大人数を一度に移転させられる魔法がないかを教えていただきたいのです」

 わたくしがお願いすると、エロラ先生は快く了承してくれた。

「今日の授業は移転の魔法についてにしようか」
「ありがとうございます」

 授業の時間を使って移転の魔法について教えてもらえるのはありがたい。お礼を言うとエロラ先生はエリーサ様から離れて、簡易キッチンでお茶を淹れに行った。
 お茶を飲んでから授業を受ける。ハンネス様は今日はクリスティアンと一緒にハールス先生の魔法の原理の授業を受けていた。ヘルミちゃんはエリーサ様と一緒に調合の授業を受けている。
 移転の魔法の授業を受けるわたくしに、エロラ先生は原理から教えてくれた。

「基本的に、手を繋いでいれば移転の魔法の人数が多くなってもやることは変わらないわけだよ」
「どういうことですか?」
「アイラちゃんと手を繋いだマウリくんがミルヴァちゃんと手を繋ぐ。アイラちゃんはもう片方の手をハンネスくんと繋いで、ハンネスくんがフローラちゃんと手を繋ぐ。これでもう四人連れて行くことができる」

 言われてみればエロラ先生は何人もの子どもたちを手を繋がせて移転の魔法で移動させていた。原理は分かったのだが、わたくしには心配事があった。

「その方法だと、幼いエミリア様やライネ様やダーヴィド様が、急に手を離してしまう場合があるのではないですか」
「それはあるね。その方法では小さい子の移動には向かないよね。別の方法も教えよう」

 そう言ってエロラ先生が取り出したのは一本のチョークだった。チョークで床に円を描いて、その中にわたくしをエロラ先生が立つ。

「このチョークはエリーサに頼めば何本でも作ってもらえるよ。移転の魔法の補助用のチョークだ。この輪の中にいる人間を一度に運ぶことができる」
「人数は関係ないのですか?」
「アイラちゃんは基礎の魔力が高いから、一度に十人程度なら問題なく運べると思うよ」

 ライネ様とダーヴィド様はわたくしとハンネス様が抱っこ紐で確保して、エミリア様は手を繋いでチョークの輪から出ないように言い聞かせれば、一度に移転の魔法で十人くらいまでなら連れて行くことができる。
 これは画期的な方法だった。

「手持ちの分だけでも分けておこう」
「ありがとうございます」

 エロラ先生はチョークの入った缶をわたくしにくださった。それを大事に肩掛けのバッグに仕舞って、わたくしは安堵していた。

「一度移転の魔法で移動してしまうと、列車や馬車に乗るのがもどかしく感じられます」
「使えるものは利用しないとね。特にアイラちゃんは獣の本性がないことで差別されて来たんだから、魔法くらいは盛大に使っていいと思うよ」

 獣の本性がないことに関しては、妖精種のエロラ先生もエリーサ様も同じだし、ヘルミちゃんも獣の本性を持っていなかった。わたくしだけではないので、この空間では安心して過ごせているが、わたくしが産む赤ん坊が同じく獣の本性を持たないようなことがあれば、ヘルレヴィ家に仕える貴族たちから何を言われるか分からない。
 獣の本性を持たないことに関して、わたくしはエロラ先生からかつて聞いていたことを思い出していた。

「ラント家に昔、妖精種が嫁いだという話を聞いたのですが、その方は今どこにいるのでしょう?」
「伴侶が亡くなってからラント領の南の森に籠っているという噂だけど、私は会ったことがないね」
「エロラ先生も会ったことはないのですか?」

 エロラ先生もラント領の南の森の出身で、ハールス先生と一緒にエリーサ様を南の森で育てたと聞いていたが、ラント家に嫁いだ妖精種については会ったことはなかった。

「ラント家のような大きな家に妖精種が嫁ぐのは珍しいことだから、話には聞いていたんだけど、本人と会ったことはない」
「ラント家にその方が嫁いでいられた時期にエロラ先生はもう生まれていたのですか?」
「私はもう成人していたよ。妖精種は成人までが人間と変わらないくらいの速度で、その後に長く若い姿を保って生きるからね」

 エロラ先生が成人していた頃には、ラント家に嫁いでいた妖精種の人物。その人物がわたくしはとても気になっていた。

「わたくしの……どういう関係に当たるのでしょう」
「曾々祖母とかじゃないかな?」
「曾々祖母……」

 わたくしの祖父母は母上が研究課程に行くのを反対したりして、わたくしの両親とは折り合いが悪かったのだが、その曾々祖母かもしれない妖精種の人物はどうなのだろう。
 いつかその方に会ってみたいとわたくしは思い始めていた。
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