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稚い子犬と魔王オメガ

8.子犬の嫉妬

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 季節が巡って、リコスは9歳になり、魔女の森は獣人と子どもの活気あふれる小国になっていた。国の代表として、他の国を相手に交渉をしたり、会議に出たり、ルヴィニは忙しくなった。
 先代の魔女の頃から仕えていた使い魔たちは去ったが、不思議と寂しくはない。
 リコスがベッドに飛び込んできた翌朝には、二人で起きて身支度をする。

「リコスの着替えをここに置いておいた方がいいんじゃないですかね」
「それもそうだな。持って来させよう」
「嫌味ですからね?」

 9歳になってもまだ一人で眠れないことを、リコスの母親が心配しているが、ルヴィニは可愛いリコスと眠るのは嫌ではない。リコスが来るまでは毎晩アルファを咥え込んでいた体が疼くことはあっても、怖い夢を見たとか、寂しくなったとかで、涙目でルヴィニの寝室を訪れるリコスを拒むことなどできなかった。
 もう少し大きくなれば、リコスと体を繋げられる。
 精通が来たら良いのだろうか。それとも、成人するくらいの年齢にならなければいけないのだろうか。
 周辺諸国の成人年齢は16歳から18歳くらいだが、貴族はそれに関係なく、幼い時期に婚約をさせられたり、政略結婚をさせられたりする。それを考えればリコスと結婚しても良いのではないかと思うルヴィニだが、リコスの母親はそうは思っていないようだった。

「ルヴィニ様は今や一国の王となられました。その方の配偶者となるのです。きっちりとルヴィニ様を守れる政治力と包容力のある男に育たねばなりませんよ」
「でもぉ……」
「でもではないの。リコス、ルヴィニ様と長く一緒にいたいでしょう? そのために、今頑張らなければいけないのよ」

 魔王なのだからリコスを甘やかして、閉じ込めて、自分だけのものにして、何不自由なく暮らさせてやろうとするルヴィニと、リコスの母親の見解は全く違う。ルヴィニに恩を感じ、息子の将来を憂いているからだろうが、ルヴィニにとっては、何もできなくても、可愛いすべすべのお膝で癒してくれるだけでリコスは充分だった。

「アツァリに学校に連れて行きますね」

 朝食を終えると、リコスは街の学校に連れて行かれる。ぎゅっと抱き締め合って別れを惜しむのだが、リコスの母はべりっと容赦なくリコスを剥がして連れて行ってしまった。
 ルヴィニはルヴィニで、国となったこの場所を守る法を作り、他国に付けいられないようにしなければいけない。

「魔術を教えられるものがいればいいのだが」

 魔力は高くないが、獣人も魔術を使えるし、ルヴィニと契約をして使い魔になれば上級の魔術も使えるようになる。新しく使い魔となった者たちが、国の警備や屋敷の警護に当たってくれているが、それだけでは人手が足りていなかった。
 毎日のように、城壁に囲まれた街を隠す鬱蒼とした魔女の森に、子どもが捨てられているのも問題ではあった。ルヴィニの嗜好が変わったという噂を流されたせいで、年端もいかない子どもが、魔力を吸い取る贄になるために捧げられているのだ。
 今更アルファ男性を送り込まれても受け入れられないが、子どもばかり増えてその世話役の手が足りないのも困る。

「どの国も獣人の扱いは酷いのか……そうだな、魔王らしく、人攫いでもするか」

 魔術で飛んだ先の国では、獣人は奴隷扱いをされて、鎖で繋がれ、劣悪な環境で働かされていた。通りすがりを装って、魔術で鎖を解き放ち、彼らの耳に囁く。

「魔王の配下となるのならば、お前たちに自由をやろう」

 結果として、鬱蒼とした森に隠された城壁に囲まれた町は、数日でひとを増やし、魔術で一回り大きくなっていた。この国が獣人を受け入れ、自由に暮らさせているという噂を聞きつけて、自ら逃れて来る者もいる。
 そういうものに関しても、ルヴィニは無条件で受け入れていた。
 子どもたちは初めは獣人を恐れていたが、彼らが自分たちの面倒を見てくれると分かると、すぐに懐くようになった。獣人の中には、高い教養のある者もいて、リコスの叔父のアツァリと共に学校の手伝いをしてくれていた。

「あなたは、どうして国を出て来たんだい?」

 身なりもきっちりとしているし、国でも重用されていた雰囲気の猫科の彼は、アルファの獣人だった。アルファの魔力の気配に、惹かれなくもないが、脚元に引っ付いているリコスの気配の方がずっとルヴィニには心地よい。

「私は実力でこの地位を勝ち取ったが、国では獣人は冷遇されていました。私を蹴落とそうと足を引っ張るものや、獣人に獣人を虐げさせて悦ぼうとするものなど、あんな腐った国には仕えたくもなかったのです」

 それでも、病弱な両親を養う金が必要だったから、泥水を啜る思いで働いてきたが、両親と共に逃げ出せる場所があると知って、彼はここに逃げて来たのだという。

「ここでは、私は同じ獣人を虐げることもなく、脚を引っ張られることもなく、腐った国の要人たちの機嫌をとることもなく、平和に暮らせます。両親も、ここで穏やかに暮らしています」
「人材が欲しいと思っていたんだ。あなた、この国の宰相になってみないか?」

 一人では国は治められない。規模が大きくなればなるほど、ルヴィニは実感していた。仕事はこなせるほうだが、ルヴィニだけの独裁政治をするつもりはなかったし、何より、仕事ばかりではリコスと遊ぶ時間もない。

「私でよろしいのですか?」
「私を助けて欲しい」

 良い人材を得たとホクホクしながら屋敷に戻ると、脚にずっと引っ付いていたリコスの頬がぷっくりと膨れていた。可愛いので丸い頬を突くのだが、ぷいっと顔を背けてしまう。

「手を洗って、おやつにしよう? リコスと一緒に美味しいケーキが食べたいなぁ」
「おひとりでどうぞ」
「え!? なんで!? 今日は膝枕もしてくれないの? 私、いっぱいお仕事頑張ったんだよ?」

 ほっぺたを膨らませたまま部屋に入ってしまったリコスに、ルヴィニは呆然と立ち尽くす。リコスが学校から帰った後は、仕事はできるだけ終わらせておいて、おやつを一緒に食べて、庭をお散歩して、二人きりで東屋で膝枕をしてもらうのがルヴィニの一日の癒しだった。
 何が起きているのか分からず、リコスの部屋の前で、ドアをノックして、ルヴィニは声をかける。

「ドア開けてくれないかなぁ? 私、リコスが膝枕してくれないと、元気がでないんだけどなぁ」

 返事はなく、部屋の中から「ひぃっく」と嗚咽する声が響いてきていた。そっとドアを開けて部屋に入ると、ベッドの陰にリコスが膝を抱えて座って、泣いている。
 抱き寄せて頬にキスをしながら、ルヴィニはリコスとソファに座った。
 ちゅっとリップ音をさせて唇にキスをすると、驚いたリコスの琥珀色の目が大きく見開かれる。

「お、となの、アルファが、いいのかと……」
「大人のアルファ? 誰?」
「さっき、はなしてた……」

 宰相としてスカウトした猫科の獣人の彼に、リコスはヤキモチを妬いてしまったようだった。

「おれ、ひとりでねられないし、むずかしいせいじのこともわからないし、むずかしいけいさんもできないし、ルヴィニさまに……まりょくをあげられない」
「私が彼から魔力をもらうと思ったの?」
「ルヴィニさま、ずっとそうしていたんでしょう?」

 たくさんのアルファを食い散らかしてきた過去は変えることができない。けれど、それはリコスと出会う前のことで、リコスと出会ってからは、触手で自分を慰めることすら、ルヴィニはできていない。

「そういう過去があるのは認めるけど、今はリコスと婚約して、リコス一筋だよ?」
「ごめんなさい……おれ、ルヴィニさまをうたがっちゃって」
「嫉妬してくれたんだね、嬉しい」

 すんっと洟を啜ったリコスが、ルヴィニの胸に小さな手で縋り付く。

「おかあさんのいうとおり、おれ、べんきょうする。ルヴィニさまにふさわしいおとこになる。だから、まってて」

 残り何年待たなければいけないのか。
 欲望の塊のようなルヴィニの身体に禁欲生活はつらかったが、可愛いリコスを泣かせるわけにはいかないし、リコス以外をもう受け入れたいとも思わない。

「待ってるよ」

 もう一度唇にキスをすると、涙を拭って、リコスは目元が赤いままでやっと微笑んでくれた。
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