潔癖王子の唯一無二

秋月真鳥

文字の大きさ
15 / 20
不憫大臣編

5.大臣の限界

しおりを挟む
 王子に伴侶が見つかった。
 お互いにコミュニケーション不足で、オメガかベータの少女と思われていた伴侶のヨウシアは、この国の王族の末端のオメガが嫁いでいった隣国の貴族の子息で、アルファだった。オメガの王子は早速身体を繋げてしまったらしく、腰の立たないヨウシアを抱き上げて意気揚々と戻って来た。
 まだ15歳だと判明したヨウシアは、即結婚するというわけにはいかず、16歳になるまでは婚約という形になったのだが、その後の王子の物言いが酷かった。

「お兄様ったら、そんなに嫉妬深くて、ヨウシア様に嫌われてしまうのではないの?」
「ヨウシアは私を嫌ったりせぬ。そなたもヨウシアを気軽に名前で呼ぶでない」
「困ったお兄様ね。それで王位を継げるのかしら」

 妹の王女と話しているのを聞いて、マティアスは倒れそうになった。

「潔癖症で、異国の要人と握手をするたびに手袋を替えているようなお兄様が、本当に国王になれるとは思えないわ」
「そうだな。そなたの言う通り、国王という地位に、私はなりたいとも思っておらぬ」

 王子が国王になると思っていたからこそ、マティアスは必死に伴侶を探した。結婚しないと国王として即位できないからこそ、マティアスも自分の結婚を我慢して、王子のために東奔西走した。
 それなのに、王子はあっさりと王女に王位継承権を譲ってしまうという。

「ようやく結婚して王位も継げるようになるのに」
「どうして、あなたはそんなにも勝手なのですか」

 女王と共に頭を抱えたマティアスに、女王が胸を張って宣言した。

「わたくしが成人して結婚して王位を継ぎます。そもそも、潔癖症のお兄様に王位は無理だったのですわ」
「そうしてもらえると助かるな。さすが、私をよく分かっている」

 六年間も王子に仕えて、何も分かっていないのはマティアスの方だった。王位につきたくないのならば、そう言ってくれれば、結婚をこんなに急かすこともなかった。マティアスだって自分の結婚を我慢することもなかった。
 燃え尽きて真っ白になっているマティアスに、女王から非情な命令が下される。

「次は王女の結婚相手を探してください」
「もう、無理……」

 限界を超えたマティアスはその場から泣きながら走り去っていた。
 王宮の外に出て、庭でしゃがみ込んで泣いていると、マティアスを探す声がする。探し出されてしまえば、また新しい任務を押し付けられて、ヴァルネリとの結婚が遠くなる。ただでさえ、マティアスはあの高圧的な王子の恐怖に耐えながら、胃を痛めて、六年間も我慢した。
 もう限界だ。
 薔薇の茂みにしゃがみ込んで泣いているマティアスを、ふわりと抱き上げたのは、ヴァルネリだった。ハニーブロンドの髪がお日様に透けてきらきらと輝き、青い瞳が凪いだ海のように穏やかにマティアスを見ている。

「女王陛下の御前から逃げ出したんだって? 大丈夫なの?」
「大丈夫じゃない! もう、全然、大丈夫じゃない! もう嫌だ! なんで、俺ばっかり、ヴァルネリさんと結婚もできずに……」
「約束、覚えてる?」
「や、くそく?」

 泣きわめいてヴァルネリにしがみ付いたマティアスに、ヴァルネリが耳元に唇を当てて、そっと囁く。

「どうしても嫌になったら」
「ヴァルネリさんが嫌になったんじゃない! 別れないでください」
「そっちじゃなくて」
「そっちじゃない?」

 嫌になったらいつでも別れて構わないというヴァルネリの言葉が先に思い出されて、捨てられるのかと必死に抱き付いて泣いてしまったマティアスの顔を、ヴァルネリが清潔なハンカチで拭いてくれる。

「僕、王子様ほどじゃないけど、若干潔癖気味で、他人に触るのに抵抗があったんだ」
「ヴァルネリさんが?」

 出会ったときに吐いたものをジャケットで受け止めてくれたヴァルネリが、潔癖気味だなんて、マティアスは全く知らなかった。胸で泣いて涙でシャツを濡らしても、洟が付いても、ヴァルネリは気にすることがない。顔だって今のようにきれいに拭いてくれる。

「だから、王子様の気持ちは分かるっていうか、ちょっと同情していて、決心するのが遅くなっちゃったんだけど」
「別れないで!」
「別れないよ。二人でここから逃げて、結婚しよう」
「ふぁ!?」

 抱き上げられたまま、ヴァルネリはマティアスを女王の御前まで連れて行く。女王と王女が苦い顔で待っている部屋に入ると、ヴァルネリははっきりと断言した。

「僕が王位継承者として担ぎ出されるのはご遠慮願いたかったので、王子様の結婚までは待っていましたが、叔母様、王女殿下、いい加減に僕の恋人を僕に返してください」
「ヴァルネリ、もしかして、大臣と?」
「彼は僕が分け与えられる領地に連れて帰って、結婚式を挙げます。王子様の世話で、彼の身体はぼろぼろです。静かな療養地で二人で過ごします」

 いつまで経っても結婚しない王子の従兄のヴァルネリも、女王の頭を悩ませていたらしい。ヴァルネリ本人から申し出があって、あっさりとマティアスは大臣の任を解かれて、ヴァルネリの元へ輿入れすることに決まった。
 家に挨拶に行くと、女王から通達が来ていた両親は、マティアスの結婚を泣いて喜んでくれた。

「王家のヴァルネリ様の元に輿入れなんて、名誉なことだ」
「家のことは、従妹が養子に来てくれるから大丈夫よ」

 安心して表舞台から去って、療養して来て良いと言われて、マティアスはずっと重石が乗っていたような胃が、ようやく解放された気がした。

「華やかな貴族社会は、俺には不似合いだったんです」
「田舎の療養地で、身体を休めようね」
「ヴァルネリさんと結婚するために頑張っただけだったのに、大臣に選ばれてしまって」
「つらかったね。よく頑張ったね」

 抱き締めて止まらない涙を拭いてくれるヴァルネリに、マティアスは上目遣いに問いかけた。

「あの……ヴァルネリさんのこと、抱いても……」

 大胆過ぎたかもしれないと顔を赤らめて口ごもるマティアスに、ヴァルネリが耳元に唇を寄せる。吐息が甘くて、マティアスは身体をぶるりと震わせた。

「マティアスくんの誕生日頃に発情期が来るはずなんだ。それまでに、マティアスくんは、体調を整えること」
「はい!」

 目の前に釣られたご褒美のためならば、マティアスも頑張れる。
 馬車に荷物を積んで、王都より北の方にある静かな領地に、マティアスとヴァルネリは移り住んだ。春だがまだ外は寒く、小雪が降る日もあるという。それも初夏の頃には雪も降らなくなって、庭の緑も息を吹き返す。
 暖かな部屋の中で、ヴァルネリと過ごす日々は、穏やかだった。

「僕が王族なのに料理ができるのを、不思議に思わないんだなぁとは気付いてたんだよね」
「そういう趣味なのかと思ってました」
「僕も王子と同じで、他人が触れたものはあまり食べたくないんだ。でも、厨房の使用人にそれを言うのは申し訳ないから、できるだけ自分のものは自分で作るようにしてるの」

 王子のように厨房にマスクと手袋を徹底させるわけではなく、自分が厨房に出向いて、自分のものは作ってしまうというヴァルネリ。一緒に暮らし始めてから、マティアスは三食ヴァルネリの作るものを食べていた。
 王子ほど酷くはないが、同じ潔癖症でも、ヴァルネリと王子は全く違う。

「俺が吐いたのは……」
「マティアスくんは平気だったから、これは運命だと思って」
「俺も、ヴァルネリさんが一目で運命だと思いました」

 お互いに運命だと思っていて、両想いだったのに、触れ合えない期間が長すぎて、マティアスはまだこれが夢ではないかと思ってしまう。手を伸ばして触れると、ヴァルネリは暖かさを持って確かにそこにいる。
 三食ヴァルネリのご飯を食べて、体調が戻って来た春の終わりに、マティアスとヴァルネリは結婚した。

「せっかくだから、発情期にマティアスくんで、ここをいっぱいにして欲しい」

 うっとりと下腹を撫でるヴァルネリのフェロモンの香りは濃くなって、発情期が近付いているのがマティアスにも分かっていた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

完結|好きから一番遠いはずだった

七角@書籍化進行中!
BL
大学生の石田陽は、石ころみたいな自分に自信がない。酒の力を借りて恋愛のきっかけをつかもうと意気込む。 しかしサークル歴代最高イケメン・星川叶斗が邪魔してくる。恋愛なんて簡単そうなこの後輩、ずるいし、好きじゃない。 なのにあれこれ世話を焼かれる。いや利用されてるだけだ。恋愛相手として最も遠い後輩に、勘違いしない。 …はずだった。

黒とオメガの騎士の子育て〜この子確かに俺とお前にそっくりだけど、産んだ覚えないんですけど!?〜

せるせ
BL
王都の騎士団に所属するオメガのセルジュは、ある日なぜか北の若き辺境伯クロードの城で目が覚めた。 しかも隣で泣いているのは、クロードと同じ目を持つ自分にそっくりな赤ん坊で……? 「お前が産んだ、俺の子供だ」 いや、そんなこと言われても、産んだ記憶もあんなことやこんなことをした記憶も無いんですけど!? クロードとは元々険悪な仲だったはずなのに、一体どうしてこんなことに? 一途な黒髪アルファの年下辺境伯×金髪オメガの年上騎士 ※一応オメガバース設定をお借りしています

今からレンタルアルファシステムを利用します

夜鳥すぱり
BL
大学2年の鳴水《なるみ》は、ずっと自分がオメガであることを隠して生きてきた。でも、年々つらくなる発情期にもう一人は耐えられない。恋愛対象は男性だし、男のアルファに会ってみたい。誰でも良いから、定期的に安全に話し相手をしてくれる人が欲しい。でもそんな都合のいい人いなくて、考えあぐねた結果たどり着いた、アプリ、レンタルアルファシステム。安全……だと思う、評価も星5で良いし。うん、じゃ、お問い合わせをしてみるか。なるみは、恐る恐るボタンを押すが───。 ◆完結済みです。ありがとうございました。 ◆表紙絵を花々緒さんが描いてくださりました。カッコいい雪夜君と、おどおど鳴水くんです。可愛すぎますね!

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

うそつきΩのとりかえ話譚

沖弉 えぬ
BL
療養を終えた王子が都に帰還するのに合わせて開催される「番候補戦」。王子は国の将来を担うのに相応しいアルファであり番といえば当然オメガであるが、貧乏一家の財政難を救うべく、18歳のトキはアルファでありながらオメガのフリをして王子の「番候補戦」に参加する事を決める。一方王子にはとある秘密があって……。雪の積もった日に出会った紅梅色の髪の青年と都で再会を果たしたトキは、彼の助けもあってオメガたちによる候補戦に身を投じる。 舞台は和風×中華風の国セイシンで織りなす、同い年の青年たちによる旅と恋の話です。

さかなのみるゆめ

ruki
BL
発情期時の事故で子供を産むことが出来なくなったオメガの佐奈はその時のアルファの相手、智明と一緒に暮らすことになった。常に優しくて穏やかな智明のことを好きになってしまった佐奈は、その時初めて智明が自分を好きではないことに気づく。佐奈の身体を傷つけてしまった責任を取るために一緒にいる智明の優しさに佐奈はいつしか苦しみを覚えていく。

〈完結〉【書籍化・取り下げ予定】「他に愛するひとがいる」と言った旦那様が溺愛してくるのですが、そういうのは不要です

ごろごろみかん。
恋愛
「私には、他に愛するひとがいます」 「では、契約結婚といたしましょう」 そうして今の夫と結婚したシドローネ。 夫は、シドローネより四つも年下の若き騎士だ。 彼には愛するひとがいる。 それを理解した上で政略結婚を結んだはずだったのだが、だんだん夫の様子が変わり始めて……?

リオネル・デュランの献身

BL
落ち目の男娼リアンの唯一の趣味は、若きディオレア国王の姿絵を集めること。ある日久しぶりについた新規の客は、リアンに奇妙な条件を提示してくる。 執着君主×頑張る美人

処理中です...