後宮小説家、佐野伝達

秋月真鳥

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第一部

8.逆カプの怒り

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 シャムス様は部屋まで送って下さった。
 残りの時間で私は皇帝陛下に捧げる小説を書かねばならない。

「シャムス様、正直に言って私の物語はどうなのですか?」
「素晴らしい。隅から隅まで萌えが詰まっている。これが、萌えという感情なのだろう? 私は伝達殿の物語を読んで初めて他のものがロマンス物語に感じるような萌えを実感した。それまで読むロマンス物語は、ただ男女が甘く睦み合うだけで全然何も感じなかったのに、伝達殿の物語を読んだ瞬間、私は雷に撃たれたかのように覚醒したのだ!」

 そこまで熱く語られるとは思わなかった。
 できれば私の小説の欠点などを教えてもらって、イフサーン様とイフラース様のボーイズラブ小説を書く注意点にしたかったのだ。

「そんなに気に入っていただけているとはありがたいです。欠点はありますか?」
「ない! 全てが素晴らしい! 誤字脱字ですら愛嬌と思えてしまう。字が汚いのも迸る情熱が手の速さに追い付いていないのだろうと感動する!」
「そこまで!?」

 誤字脱字があることと、字が汚いことは自覚はあったが、それすらも愛嬌とか、迸る情熱に手の速さが追い付いていないとか言われてしまって、私は慌てた。
 綺麗な字で書きたい気持ちはあるし、誤字脱字も減らしたい。しかし、私は一人で小説を書いている。下読みをしてくれる相手や、誤字脱字チェックをしてくれる相手、パソコンのように綺麗な字で出力する手段もないのだ。
 編集さんとまで贅沢は言わない。せめて作家仲間がいてくれれば、作品について話し合えるのにと私は苦悩していた。

 今のままではいけないと感じつつも、シャムス様を見送って、夜までに私はイフサーン様とイフラース様のボーイズラブ小説を書き上げた。
 連日数千字の小説を手で書いているので、腕はぼろぼろ、肩は凝っていて、私はへとへとだった。
 千里様にその小説を預けると、お茶を入れてくれる。絨毯に座ってお茶を飲みながらクッションにもたれかかって休んでいると、千里様の元に若い男性がやってきた。

 後宮の男性はみな若く、皇帝陛下よりも三つ年上の千里様が一番年上なのだが、やって来た男性は私と同じくらいの年齢に見えた。

「皇帝陛下にお目通りは許されないかもしれませんが、これを皇帝陛下にお見せできないでしょうか?」
「これは?」
「皇帝陛下に捧げる物語です」

 物語で千里様が皇帝陛下の気を引いていると知った妾の一人が行動に出たのだ。
 皇帝陛下が気に入る物語を書いて皇帝陛下の気を引く。それができれば皇帝陛下のお渡りがあるかもしれない。

「何故、私がそんなものを……」
「どうか、お願いです。千里様にはお分かりにならないのです。いつまでもお渡りにならない皇帝陛下を待つ夜をずっと過ごすつらさが!」

 泣き落としにかかっている若い妾に、千里様は渋々その物語を受け取っていた。物語は端が箔押しされた紙に書かれており、字も整っていて印刷したかのように美しい。

「これを受け取った理由が分かるか?」

 千里様に問いかけられて、私は素直に「分かりません」と答えた。泣き付く若い妾に同情するような千里様ではないし、後宮がそんな甘い場所ではないと私も分かっている。

「伝達、そなたの物語が負けるわけがないと私には分かっているからだ」
「千里様……」
「伝達、私はそなたを信じておる。こんな形だけ美しく整えた物語に、そなたの物語は負けたりしない」

 例え無地の紙に私の汚い字で書き殴ってあっても、物語は内容が大事なのだと千里様は言ってくださる。私の小説が認められるのは嬉しいのだが、それが実在の後宮の人物をモデルにしたボーイズラブという時点で、私は「解せぬ」と思わずにいられなかった。

「先生の男女の小説は文章が簡素で読みやすいんですが、リアリティがないんですよね。いかにも恋愛をしたことがないひとが書きそうな文章って感じで。それに比べて、ボーイズラブはサラリーマンの苦悩や、男性社会の厳しさがはっきりと書かれていて、リアリティがあって人気なんですよ」

 次もボーイズラブでお願いします。

 前世の編集さんの言葉が頭に蘇ってくる。
 恋愛経験がないのだから仕方がない。私は前世では恋愛には縁遠かった。

「皇帝陛下とシャムス様がいらっしゃいました」
「伝達、どうする? どちらを先に読んでもらう?」

 従者の言葉に、私は頭に布を巻いて髪を隠しながら、考えていた。
 最初に美しく整えた別のものが書いた物語を読んでもらった方が、後から読む私の小説のインパクトが上がるのではないだろうか。

「どうか、私のものを後に」
「分かった。よくいらっしゃいました、皇帝陛下、シャムス様」

 部屋に皇帝陛下とシャムス様を招き入れると、皇帝陛下は五歳くらいの女の子の手を引いていて、シャムス様は丸々とよく太った赤ん坊を抱いていた。

「千里、そなたに会わせたかったのだ。ハウラ、父上にご挨拶するのだ。シャムス、万里を千里に抱かせてやってくれ」
「アッザーム、我が君……私の子どもたちをお連れ下さったのですね。ハウラ殿下大きくなられて。万里はこんなに重くなっているのか」

 皇帝陛下とそっくりの赤い髪のハウラ殿下は、千里様の前に出て頭を下げる。

「ちちうえ、おひさしぶりです、ハウラです」
「こんなに上手に喋れるようになって。父はハウラ殿下に会えてとても嬉しいです」
「わたしも、ちちうえにあいたかった! ちちうえ!」

 万里殿下を抱いている千里様の足にタックルをして倒しかけるハウラ殿下に、皇帝陛下が素早く千里様の肩を抱いて支える。万里殿下はシャムス様に抱き取られた。

「ちちうえのおひざ、すわっていい?」
「どうぞ、ハウラ殿下」
「ちちうえ、だーいすき!」

 可愛い娘に会えて千里様は笑み崩れておられる。平和な親子の姿に私も自然と笑みがこぼれた。

 テーブルに置いてある紙に気付いた皇帝陛下が千里様に問いかける。

「今日は枚数が多いようだが、伝達はそんなに書いたのか? 今日は大長編なのか?」
「いえ、皇帝陛下に読んで欲しいという申し出がありましたので、私が預かりました」
「ふむ……気が乗らぬが、読んでみるか」

 最初の時点から皇帝陛下のその物語に対する評価は低かった。一枚読んで、紙を捲っていくにつれて皇帝陛下の眉間に皺が寄ってくる。緩やかに波打つ豪奢な髪が、怒りに逆立ってきているような気配すら私には感じられた。

「信じられぬ! こんなもの!」

 美しく箔押しされた紙に印刷したように書かれた物語を、皇帝陛下が床に投げ捨てる。拾い上げたシャムス様も途中からだったがそれを読んで顔を顰めた。

「イフラース殿が抱く方ですと!?」
「シャムス、このものは何も分かっておらぬ! イフサーンが抱く方で、イフラースは抱かれる方ではないか!」

 なんと、私も目を通していなかったが、若い妾の雇った作家の書いた物語は、イフサーン様とイフラース様を題材にしていて、しかも、私と逆で気の強いイフサーン様が抱かれて、明るく無邪気なイフラース様が抱く方だったのだ。

 これは逆カプというものではないだろうか。
 いわゆるカップリングが逆で、ボーイズラブで抱く方と抱かれる方が逆なのだ。

 皇帝陛下は最初からイフサーン様が抱く方で、イフラース様が抱かれる方だと主張していた。だから私はその通りに書いたのだが、その物語は逆だったのだ。

「解釈が全く合っておらぬ! こんなものは読まぬ方がマシだ! こんなもの存在してはならぬ! 焼き捨てよ!」
「焼き捨てます、皇帝陛下」

 すぐにシャムス様がその物語を火にくべようとする。私は慌ててそれがランプの日に燃やされる前に回収した。

「伝達、そのようなものをなぜ守る?」
「読んでみて、勉強したく思いまして」
「ならば、そなたにやる! 二度と私の目に入るところに置くな!」
「は、はい!」

 急いで私はその物語を折り畳んで胸にしまい込んだ。着物を着ていたときには胸に物が仕舞えたのだが、シャツだとそれができないので面倒だ。

「怒りがおさまらぬ……シャムス、あの物語を書いたものをここに連れて来るのだ!」

 逆カプを見せられた皇帝陛下の怒りはおさまることなく、若い妾が皇帝陛下の前に引きずり出されて来た。若い妾は泣きながら弁解する。

「あれは私が喋ったものを、従者が文字におこしました。その過程でねじ曲がってしまったのです」
「言い訳をするか? 聞き苦しい! あのようなあり得ない展開の物語で私の時間を奪った罪は重いぞ! そなたは妾の座から降りて、後宮で従者として仕えるようにする」
「そ、そんな! お許しください」
「首を切らぬだけマシと思え!」

 言い渡す皇帝陛下に、私は思い付いたことがあった。
 皇帝陛下を怒らせたような物語を思い付くだけの作家ならば、私の小説の下読みや、誤字脱字チェックに役立ってくれるのではないだろうか。

「皇帝陛下、その方を私に預けてはくれませんか?」
「伝達? どうするつもりだ?」
「弟子にいたします。私の指導を受ければ、その者も皇帝陛下を満足させる物語が書けるようになりましょう」

 切実に私は作家仲間が欲しかった。小説の内容を確認してもらって、共に小説を書きあえる仲間が。

「伝達がそう言うのならば、その者の処分は伝達に任せよう」
「共に素晴らしい物語を作りましょう」

 絨毯の上に押さえつけられている若い妾の手を取ると、はらはらと涙を流している。

「伝達様、どうかよろしくお願いします」

 どうやら私にも作家仲間ができたようだ。
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