後宮小説家、佐野伝達

秋月真鳥

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第一部

9.伝達の作家仲間

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 私の従者となることが決まった元妾は、バシレオスという名前で、蜜の国の出身だった。肌が白く、髪が淡い金髪で目は美しい水色だった。
 皇帝陛下の怒りを買ったので、後宮で一番汚く苦しい仕事をさせられるかと戦々恐々だったところを、私が作家として育てると言ったので、私に恩義を感じているようだった。

「このバシレオス、伝達様のために何でも致します」

 後宮内で味方が増えたことは私にとってありがたく嬉しいことだった。

 イフサーン様とイフラース様の小説に関しては、皇帝陛下もシャムス様も興奮して読まれていた。先に皇帝陛下が読んで、読んだ紙をシャムス様に渡して、すぐにシャムス様が読むという方式で二人ともほぼ同時に読み終わっていた。

「これだ! 私の求めていたものは!」
「自分に興味を持ってくれないイフサーン殿の真似をして、同じ化粧品を取り寄せたり、同じ香水をつけてみたり、一人で二人の寝台に寝てみたりするイフラース殿の健気なこと!」
「しかも、イフサーンの視点と、イフラースの視点で物語が書かれていて、抱く方と抱かれる方の気持ちがどちらも分かるとは、天才ではないのか!?」
「イフサーン殿もずっとイフラース殿が気になっているけれど、双子で謹慎壮観であるということが障害になってなかなか結ばれないじれったさ!」
「イフサーンがわざと素っ気なくイフラースを追い払った後に、同じ香水の匂いを嗅いで、イフラースを思う場面など、最高に尊かったぞ!」
「寝台でイフラース殿が誘ったときに、ついに我慢ができなくて襲ってしまうイフサーン殿の情熱!」
「そう! その情熱だ! これが読みたかったのだ!」

 大絶賛されている私の小説に、平伏しているバシレオスが視線だけでそれを読みたがっているのが分かる。
 私もバシレオスに聞きたいことがあった。

「それでは、本日はこれで下がらせていただきます。皇帝陛下、千里様、よい夜を」
「ハウラ殿下と万里殿下は乳母の元へお届けいたします」

 愛し合う皇帝陛下と千里様をこれ以上邪魔はできないと、私はバシレオスを連れて、シャムス様はハウラ殿下と万里殿下を連れて千里様の部屋から下がった。
 廊下でハウラ殿下がシャムス様に聞いている。

「ははうえは、なにをよんでいらっしゃったの? とてもうれしそうだったけど」
「素晴らしい読み物ですよ。ハウラ殿下も皇帝陛下になれば読むことができます」
「わたしもよみたい。わたし、りっぱなこうていへいかになる」

 可愛い五歳のハウラ殿下にまで私の小説を読まれてしまったら、恥ずかしさで爆発しそうな気がする。それでも、シャムス様は心からあの小説が素晴らしいと思ってくださっているし、皇帝陛下も私の書く小説を心から喜んでくださっているから、月の帝国に私の小説が残ってしまうのはどうしようもないことなのだろう。
 何百年も月の帝国に私の書いたボーイズラブ小説が残って、保管されていたらどうしようと私は背筋が寒くなった。

 部屋に戻るとバシレオスは部屋の隅で小さくなって震えている。
 涙を流しているので、私はバシレオスに優しく声をかけた。

「私は後宮で一人で書いてきた。誤字脱字を指摘してくれる者もいない、物語を読んで矛盾点を指摘してくれる者もいない。それが苦しかったのだ。どうか、私の書いた物語を読んで、誤字脱字や矛盾点を指摘してくれないか?」
「私を抱くのではないですか!?」
「はぁ!?」

 まさかそんなことを思ってバシレオスが私の部屋に入って来たとは考えもしなかった。
 言われてみれば確かに私はボーイズラブの小説を書いているし、実際に男性を抱いたことがあるような描写をしている。その話を聞いていれば私が同性愛者であるかのように周囲からは見られていてもおかしくはないのだ。
 今気付いてしまった事実に私は苦笑した。
 私は前世から同性愛者ではないし、今世でも同性愛者ではない。同性には恋愛的な意味では興味はない。

「バシレオス、私はあなたを抱いたりしない。私は女性にしか興味がない」
「そ、そうなのですね。私はずっと女性的で、体も大きくて、だから皇帝陛下に興味を持っていただけないのだと思っていました。少しでも皇帝陛下に興味を持って欲しくて、伝達殿が書かれているという物語の情報を手に入れて、書いた物語で皇帝陛下を激怒させてしまった」
「それは逆カプだったから仕方ないなぁ」
「ぎゃくかぷ? なんですか、それは?」
「抱く方と抱かれる方が、自分が思っているのと逆のときに言うんだ」
「なるほど。皇帝陛下にとって、イフラース様がイフサーン様を抱くのは、その、ぎゃくかぷ? というやつだったのですね」

 物語を従者に書かせたというだけあって、バシレオスは飲み込みがいい。私はバシレオスに小説の相談をすることにした。

「私は字が汚いのだ。皇帝陛下もシャムス様もそれで読んでくださるが、できれば綺麗な字で物語をお届けしたい」
「綺麗な字を書くには時間がかかります。ですが、伝達様が物語の内容を語って、私がそれを書き写すというようにすれば、ある程度は美しい字を提供できると思います」
「やってくれるか?」
「もちろんです。私は本当は物語を書く吟遊詩人になりたかったのです。後宮に入れられて、それもできなくなりました。皇帝陛下は物語など読まない方だったのです」

 皇帝陛下が物語を読まない方だった!?
 初めて聞く情報に私は驚いていた。
 私の小説も最初は皇帝陛下に全く読まれなかった。それは皇帝陛下が物語を読む習慣がなかったからだったのかもしれない。

「皇帝陛下が読まれるのは難しい帝王学や政治学や兵法の書物ばかりで、甘いロマンスの物語など時間の無駄だと退けておられると聞きました。私がどれだけ物語を書いても、皇帝陛下の元に届くことはなかったのです」

 賢帝と呼ばれて月の帝国を若くして平和に統治している皇帝陛下。皇帝陛下には甘いロマンス物語に浸っているような時間があれば、学ぶべきことはどれだけでもあったのだろう。
 それが、シャムス様が読んだ私が書いたボーイズラブ小説に、新しい扉を開いてしまった。

 あのときシャムス様が私が書いたボーイズラブ小説を読まなければ、私の人生は変わっていただろう。そもそも、シャムス様が私の命を助けてくれなければ、私はここにはいない。

 そう考えると私の中でシャムス様の存在が大きくても仕方のないことだった。

「バシレオスの物語は、紙に箔押しがしてあった。あれは誰がしたのだ?」
「私がしました。物語を語って、書き写させたというのも嘘です。どうにかして罪を逃れたかったから言いました。私にはそんな従者はいなかったので、全部自分でやりました」

 なんということだろう。
 バシレオスは紙に箔押しもできる有能な人物だった。その上、美しい字で物語を書くことができる。
 バシレオスの手伝いがあれば私の作品もかなり質が上がるのではないだろうか。

 それにしても、皇帝陛下の怒りを買った物語とはどんなものだったのだろう。

 胸に隠していた物語を取り出して読んでみると、描写が細かく、とても美しい文章だった。
 吟遊詩人になりたいと言っていただけはある。バシレオスはかなりの文才の持ち主のようだ。
 私は勢いに任せて書いてしまうので、描写が簡素になりやすい。それが読みやすいと前世では人気だったのだが、それだけではいけないとも思っていた。

「バシレオス、あなたの文章は素晴らしい。この装飾、表現、描写、私にも教えてくれないか?」
「え? 伝達様が私に教えるのではなくて、私が伝達様に教えるのですか?」
「エッチのときの描写はくどい感じがするし、直接的過ぎていやらしさよりもリアリティが強く出ている。そういうところは、どうすればいやらしく、興奮するように書けるか私が教えよう。お互いに教え合って、筆力を伸ばすのだ」

 作家仲間とはこういうものではないだろうか。
 私の提案にバシレオスは驚きに目を見開いて、平伏していた。

「私でよろしければ!」
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