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2019年6月 薬理学基本コース
90 気分は事後処理
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ヤッ君先輩が入院していて不在の中で本地教授にはいつも通り月曜日の放課後に会いに行き、その場で薬理学教室の基本コース研修は今日をもって中止とする旨を伝えられた。
指導担当の先輩が参加できなくなったからという理由もあるが医学部3回生が自分から外部の人物を呼び出して暴行を受けたという事実は本学医学部を揺るがしているらしく、薬理学教室の責任者である本地教授も事後処理に追われているらしい。
被害者である先輩が停学になったりするのだろうかと思って本地教授に聞いてみたが、この件に関しては学内で揉み消せる範囲内だという。先輩自身は6月30日まで精査のための入院が決まっておりその後は3回生の試験期間となるので、本人さえ黙っていれば通り魔事件扱いにして済ませられるとのことだった。
そうなると事件の実情を知っている学生は僕とヤッ君先輩だけになるので教授からはくれぐれも事件については内密にしてくれと頼まれた。
教授とのやり取りを思い出して大学という組織も色々大変なのだなあと思いながら、僕は先輩のいる個室病棟の扉を開いた。
「こんにちは、ご機嫌はいかがですか……ってヤミ子先輩?」
「あれっ、白神君。やっと来てくれたんだ」
真っ白なベッドに腰かけているヤッ君先輩の隣には椅子が3脚並べられており中央の椅子には病理学教室所属の研究医生である山井理子先輩、通称ヤミ子先輩が座っていた。
「……私もいるから。リンゴ食べる?」
「剖良先輩もいらっしゃってたんですね。僕も1つお願いします」
ヤミ子先輩とセットで現れることの多い解剖学教室所属の解川剖良先輩も壁際の椅子に座っており、上手な手つきでくるくるとリンゴの皮を剥いていた。
「お疲れ様。白神君も来てくれるなんて今日はにぎやかだね」
「いえいえ、今月はお世話になってましたし落ち着いたらすぐに来たかったんです」
ヤッ君先輩は以前ほど元気一杯の様子ではないが顔色は悪くなく、研究医生仲間がお見舞いに来てくれたことにも普通に喜んでいるようだった。
「ヤッ君が通り魔に襲われたって聞いて私たちもすごく心配してたんだよ。命に別条はないって後で聞いたから安心したけど、本当に気を付けてね」
「あはは、ありがとうヤミ子ちゃん。ボクも喧嘩に強いからって気を抜かないようにするよ」
女性陣2名が事件についてどれくらい知っているのか気になっていたが、ヤミ子先輩の言葉からすると通り魔事件としか聞いていないらしい。
「私たちは前にも来てて、今日は講義の板書とか試験資料を渡しに来ただけだから。基本コース研修のことで話したいこともあると思うしこの辺で失礼するね」
「私も帰る。試験前に勉強会を開くから、ヤッ君も退院してたら来て」
「ぜひぜひ! お気遣いに感謝です」
元々それほど長居する気はなかったのか、剖良先輩が使い捨ての紙皿に僕の分のリンゴを切り分けると2人は病室を後にした。
ヤッ君先輩のお腹の上にはクリアファイルに挟まれた各種のプリントが置かれており、その分厚さから3回生の臨床科目も勉強量は多そうだと推察した。
手を振るヤッ君先輩の隣で女性陣2名の後ろ姿を見送り、僕はリンゴをさくさくと食べてから先輩に話しかけた。
「何というか、この前は本当にお疲れ様でした。お巡りさんには仕方なくあの動画を渡しましたけど、事情聴取で附属病院の職員さんとお巡りさんに話した以外は誰にも事件の詳細は教えてませんからそこは安心してください」
「ありがとう白神君。ボクも安堂が警察に捕まるとは思わなかったけど、これで相手を脅す必要もないから結果オーライだよ。後で知ったけどあいつってヒデ君だけじゃなくて他の大学生にも美人局をやってたんだってね」
「そうらしいです。友達の彼女がちょうど関可大学の文学部生なんですけど、学内でも噂が広まってたそうで……」
僕が口にしたのはラグビー部員の林君の彼女のことで、学内で林君だけは早い段階から事件について知っていた。
関可大学にとってヤッ君先輩は部外者である一方で法学部生の天草君は被害者、文学部生の華山さんは安堂に利用されていたとはいえ加害者という立場であり、今回の事件は関可大学の学生が起こした不祥事という側面が強い。
華山さんをはじめとする安堂の手先として働いた女子学生は既に大学により懲戒処分を受けており、関可大学ではヤッ君先輩の関与を除いて事件の詳細が公表されている。
公表される前から「ホストクラブに通っている女子学生が美人局に関与している」という噂は学生間で広まっており、懲戒処分が下るより前に美人局に関与した女子学生は大学に来なくなっていたという。
林君の彼女であるミーちゃん(文学部2回生)は世間話として林君に美人局事件のことを伝えており、林君もまた僕や柳沢君といった友達に関可大学で起きた事件のことを面白半分で話していた。
幸いにもヤッ君先輩が暴行を受けたこととの関連は知らないらしく、僕は林君の前では関可大学の不祥事について初耳であるふりをした。
「意外と複雑な事件だったけど、ボクがボコボコにされたおかげで安堂が捕まったからヒデ君を助けるついでに人助けもできたかなって。まあ結構痛かったし美人局に騙されるような大学生は自業自得だとも思うけど。何にしても悪い気はしないね」
「いつも通り男前ですね。先輩のそういう姿勢、すごく尊敬します」
「あはは、白神君はボクみたいに暴力沙汰に巻き込まれちゃ駄目だよ。今時の男はリスクを回避するスキルの方が大事なんだから」
それからしばらく雑談をした後、僕は先輩に薬理学教室の基本コース研修について相談した。
「あの、本地先生からは基本コース研修は中止と伝えられたんですけど僕はこのままでいいんでしょうか。最後まで終わらなかったのって薬理学教室が初めてで……」
「うーん、確かに心配にはなるよね。ボクの勝手な行動で白神君に迷惑をかけて悪いけど、データ出しの基本については先週までやったことで十分だと思う。統計ソフトは一通り使えるようになってくれたし、本来データ出しっていうのはたった1か月でマスターできるものでもないから。また発展コースで教えたっていいし来月からマレー君やヤミ子ちゃんに教わっても全然問題ないよ」
「そうなんですね。では先輩に教えて頂いたことを基本にして、また他の先輩にもアドバイスして頂こうと思います。今月は分かりやすく指導してくださってありがとうございました」
「どういたしまして。そう言って貰えると、教えた側としてはすごく嬉しいよ」
笑顔を浮かべる先輩に僕は深々と頭を下げた。
指導担当の先輩が参加できなくなったからという理由もあるが医学部3回生が自分から外部の人物を呼び出して暴行を受けたという事実は本学医学部を揺るがしているらしく、薬理学教室の責任者である本地教授も事後処理に追われているらしい。
被害者である先輩が停学になったりするのだろうかと思って本地教授に聞いてみたが、この件に関しては学内で揉み消せる範囲内だという。先輩自身は6月30日まで精査のための入院が決まっておりその後は3回生の試験期間となるので、本人さえ黙っていれば通り魔事件扱いにして済ませられるとのことだった。
そうなると事件の実情を知っている学生は僕とヤッ君先輩だけになるので教授からはくれぐれも事件については内密にしてくれと頼まれた。
教授とのやり取りを思い出して大学という組織も色々大変なのだなあと思いながら、僕は先輩のいる個室病棟の扉を開いた。
「こんにちは、ご機嫌はいかがですか……ってヤミ子先輩?」
「あれっ、白神君。やっと来てくれたんだ」
真っ白なベッドに腰かけているヤッ君先輩の隣には椅子が3脚並べられており中央の椅子には病理学教室所属の研究医生である山井理子先輩、通称ヤミ子先輩が座っていた。
「……私もいるから。リンゴ食べる?」
「剖良先輩もいらっしゃってたんですね。僕も1つお願いします」
ヤミ子先輩とセットで現れることの多い解剖学教室所属の解川剖良先輩も壁際の椅子に座っており、上手な手つきでくるくるとリンゴの皮を剥いていた。
「お疲れ様。白神君も来てくれるなんて今日はにぎやかだね」
「いえいえ、今月はお世話になってましたし落ち着いたらすぐに来たかったんです」
ヤッ君先輩は以前ほど元気一杯の様子ではないが顔色は悪くなく、研究医生仲間がお見舞いに来てくれたことにも普通に喜んでいるようだった。
「ヤッ君が通り魔に襲われたって聞いて私たちもすごく心配してたんだよ。命に別条はないって後で聞いたから安心したけど、本当に気を付けてね」
「あはは、ありがとうヤミ子ちゃん。ボクも喧嘩に強いからって気を抜かないようにするよ」
女性陣2名が事件についてどれくらい知っているのか気になっていたが、ヤミ子先輩の言葉からすると通り魔事件としか聞いていないらしい。
「私たちは前にも来てて、今日は講義の板書とか試験資料を渡しに来ただけだから。基本コース研修のことで話したいこともあると思うしこの辺で失礼するね」
「私も帰る。試験前に勉強会を開くから、ヤッ君も退院してたら来て」
「ぜひぜひ! お気遣いに感謝です」
元々それほど長居する気はなかったのか、剖良先輩が使い捨ての紙皿に僕の分のリンゴを切り分けると2人は病室を後にした。
ヤッ君先輩のお腹の上にはクリアファイルに挟まれた各種のプリントが置かれており、その分厚さから3回生の臨床科目も勉強量は多そうだと推察した。
手を振るヤッ君先輩の隣で女性陣2名の後ろ姿を見送り、僕はリンゴをさくさくと食べてから先輩に話しかけた。
「何というか、この前は本当にお疲れ様でした。お巡りさんには仕方なくあの動画を渡しましたけど、事情聴取で附属病院の職員さんとお巡りさんに話した以外は誰にも事件の詳細は教えてませんからそこは安心してください」
「ありがとう白神君。ボクも安堂が警察に捕まるとは思わなかったけど、これで相手を脅す必要もないから結果オーライだよ。後で知ったけどあいつってヒデ君だけじゃなくて他の大学生にも美人局をやってたんだってね」
「そうらしいです。友達の彼女がちょうど関可大学の文学部生なんですけど、学内でも噂が広まってたそうで……」
僕が口にしたのはラグビー部員の林君の彼女のことで、学内で林君だけは早い段階から事件について知っていた。
関可大学にとってヤッ君先輩は部外者である一方で法学部生の天草君は被害者、文学部生の華山さんは安堂に利用されていたとはいえ加害者という立場であり、今回の事件は関可大学の学生が起こした不祥事という側面が強い。
華山さんをはじめとする安堂の手先として働いた女子学生は既に大学により懲戒処分を受けており、関可大学ではヤッ君先輩の関与を除いて事件の詳細が公表されている。
公表される前から「ホストクラブに通っている女子学生が美人局に関与している」という噂は学生間で広まっており、懲戒処分が下るより前に美人局に関与した女子学生は大学に来なくなっていたという。
林君の彼女であるミーちゃん(文学部2回生)は世間話として林君に美人局事件のことを伝えており、林君もまた僕や柳沢君といった友達に関可大学で起きた事件のことを面白半分で話していた。
幸いにもヤッ君先輩が暴行を受けたこととの関連は知らないらしく、僕は林君の前では関可大学の不祥事について初耳であるふりをした。
「意外と複雑な事件だったけど、ボクがボコボコにされたおかげで安堂が捕まったからヒデ君を助けるついでに人助けもできたかなって。まあ結構痛かったし美人局に騙されるような大学生は自業自得だとも思うけど。何にしても悪い気はしないね」
「いつも通り男前ですね。先輩のそういう姿勢、すごく尊敬します」
「あはは、白神君はボクみたいに暴力沙汰に巻き込まれちゃ駄目だよ。今時の男はリスクを回避するスキルの方が大事なんだから」
それからしばらく雑談をした後、僕は先輩に薬理学教室の基本コース研修について相談した。
「あの、本地先生からは基本コース研修は中止と伝えられたんですけど僕はこのままでいいんでしょうか。最後まで終わらなかったのって薬理学教室が初めてで……」
「うーん、確かに心配にはなるよね。ボクの勝手な行動で白神君に迷惑をかけて悪いけど、データ出しの基本については先週までやったことで十分だと思う。統計ソフトは一通り使えるようになってくれたし、本来データ出しっていうのはたった1か月でマスターできるものでもないから。また発展コースで教えたっていいし来月からマレー君やヤミ子ちゃんに教わっても全然問題ないよ」
「そうなんですね。では先輩に教えて頂いたことを基本にして、また他の先輩にもアドバイスして頂こうと思います。今月は分かりやすく指導してくださってありがとうございました」
「どういたしまして。そう言って貰えると、教えた側としてはすごく嬉しいよ」
笑顔を浮かべる先輩に僕は深々と頭を下げた。
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