気分は基礎医学

輪島ライ

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2019年7月 微生物学基本コース

100 Mr.マレーのグラム染色レッスン Advanced

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 ハロー、微生物マイクローブ

 微生物学GEEKマン、Mr.マレーのグラム染色レッスンだ。

 引き続き畿内医科大学講義実習棟4階大実習室を舞台にグラム染色の手順と心得を指導していこう。


 前回教えた衛生的手洗いまでの手順に続いて今回はいよいよグラム染色を実際に行う。

 細菌を直接扱う手技ばかりになるので、ここからは感染の危険性が生じてくる。

 とはいえ最低限のルールを守れば感染事故が起きる可能性は限りなく低くできるから過度に心配せずに付いてきて欲しい。

 安全第一で丁寧にやっていこう。


 4.塗抹とまつ

 医学部のグラム染色の実習では本物の細菌を用いるが細菌を扱うのは初めての学生が大半を占める以上、試料には危険性の小さい細菌を選ぶ必要がある。

 一般にはグラム陽性球菌だと黄色おうしょくブドウ球菌、グラム陰性桿菌だと大腸菌が用いられその中でも毒性の弱いものが選ばれる。

 100人ほどの学生が参加する実習ではいくつものテーブルで細菌を利用できるようにする必要があるが、細菌は生物なので試薬や抗体のように化学合成して増やす訳にはいかない。

 生育に必要な環境と栄養素を与えて分裂増殖させる必要があるが、増殖した細菌が外部に拡散すると非常に危ないので必ず密閉された空間で増やす必要がある。

 ここで便利なのが寒天培地という道具で、これはフタ付きのシャーレの中に寒天を敷いたものだ。

 物質としては食用の寒天と同じだが寒天培地の寒天は食用に作られていないからくれぐれも食べないように。


 この寒天は細菌の生育場所になると同時に分裂増殖に必要な栄養素も含まれているから、新品の寒天培地に(別の寒天培地にある)細菌を白金耳はっきんじで取って広げフタを閉じて37℃の孵卵器ふらんきの中に置いておけばみるみるうちに細菌は増殖する。それから一晩ほど放置すれば細菌は集落コロニーを形成するほどまでに大量増殖する。

 既に寒天培地上にある細菌を別のシャーレに移して増殖させるという点ではシンプルな作業で、微生物学教室ではこのようにして実習用の細菌を用意している訳だ。

 ちなみに大学によっては学生が自分自身の鼻腔の常在菌(基本的に弱毒性)を培養して用いる場合もある。

 畿内医大では実際にその方法で実習が行われており、女子人気の高いイケメン運動部員が綿棒で鼻腔を擦過さっかしている光景は見ていて非常に気まずいし翌日の実習で大量の細菌が培養されているともっと気まずい。こういう時に限っては非リア充の方が得かも知れない。


 それはさておき、こうして培養された細菌にグラム染色を施すにはまずは細菌をスライドグラス上に塗り付けるように移す(塗抹とまつする)必要がある。

 といっても直接スライドグラス上に塗抹すると細菌同士が重なってしまい染色しても一つ一つの細菌を観察できないから、水分を加えて乳濁液(エマルジョン)状にするのが一般的だ。

 ここからの手技ではガスバーナーの火を用いるので塗抹の手順に入る前に机上のガスバーナーにガスライターで点火しておこう。


 また、細菌は染色するまでは薄い白色にしか見えないので実験中にスライドグラス上で位置が分からなくなることがある。

 この問題を回避するためあらかじめスライドグラス上に赤のガラス鉛筆で円を描いておき、その円の中に細菌を塗抹すれば最後まで位置を見失わずに済む。

 同時に2種類や3種類の細菌をグラム染色したい場合はスライドグラス上に複数の円を描いておけば染色後に位置が分かるだけでなくどこにどの細菌を塗抹したかも一目瞭然となるので、さらに重要なメソッドになると言えるだろう。


 さて、ここから具体的に塗抹の手順を説明しよう。

 あらかじめ試験管に蒸留水または生理食塩水を準備し、金属の棒の先に輪っか状の金属が付いた器具である白金耳はっきんじを用いて水分を1滴すくい取りスライドグラスの中央に垂らす。

 水分の蒸発と滅菌を兼ねて白金耳の先端(輪っか部分)をガスバーナーの火に通し、軽く振って熱を冷ます。ちゃんと冷まさないと細菌が焼け死んでしまうので慌てずゆっくり熱が冷めるのを待とう。

 それからシャーレのフタを開け、白金耳で細菌をコロニーから少しだけすくい取る。

 すくい取った細菌を先ほどスライドグラス上に垂らした水に置いて混和し、乳濁液を作りつつ塗り付けるように広げる。これで塗抹の手順は終了だ。

 いくら水を加えて薄めるといってもすくい取った細菌の量があまりに多いと焼け石に水になるから、細菌をすくい取る際は乳濁液の白色がわずかに見えるぐらいの量に留めておくように。


 5.乾燥・固定

 HE染色や免疫染色を施す組織は事前にホルマリンに浸け込んで固定するように、グラム染色を施す細菌にも固定を行う必要がある。

 この固定というのは教科書的には「生物の組織や細胞を生体内での構造を保ったまま腐敗・劣化しないよう処理する」という意味で、染色の前には組織あるいは細胞に固定を施すのが一般的だ。

 スライドグラス上に塗抹した細菌にはガスバーナーの火に当てることで火炎固定を施す。といっても水分が残っていると固定の効果が不十分になるので、まずは塗抹時に加えた水分を蒸発させる必要がある。

 自然乾燥が原則ではあるが、染色を早く済ませたい場合はガスバーナーの火の上空で手をかざしても耐えられるぐらいの温度の所にスライドグラスをかざして乾燥させてもよい。医学部におけるグラム染色の手技試験には時間制限があるからこのテクニックは事実上必須となる。


 乾燥を済ませたらスライドグラスをガスバーナーの火炎中にゆっくり3回から5回ほど通し、これで火炎固定は終了となる。言うまでもないがガスバーナーの火で乾燥・固定を行っている最中のスライドグラスはかなりの高温になるので、必ずピンセットでつかんで操作するようにして欲しい。

 火炎固定が終わればスライドグラス上の細菌は感染性を失うので、ここからは比較的安全に作業を行える。早速次の手順に移りたいが高温のままの細菌に染色液を垂らすと染色後の標本が汚くなってしまうから、この段階でスライドグラスを室温にまで冷ます必要がある。

 基本的には机上にスライドグラスを放置しておくしかないのでここでも焦らずスライドグラスが冷めるのを待とう。


 6.染色

 ここからは次々に染色試薬を滴下していくことになる。

 火炎固定を済ませたスライドグラスを染色台に置き、細菌の上からクリスタル紫液を滴下する。最初にガラス鉛筆で描いておいた円はこの際も滴下する場所の目印となって便利だ。

 そのまま1分間待機してからスライドグラス上のクリスタル紫液を廃液タンクに捨てる。

 スライドグラスを軽く水洗し、水をよく切ってから染色台に戻す。それからルゴール液を滴下して30秒間待機する。水洗する時は細菌に直接水流を当てるとスライドグラスからはがれてしまう恐れがあるから、細菌のある面の裏側からスライドグラスに水を流すようにすれば安全だ。


 先ほどと同様にルゴール液を廃棄し、スライドグラスを軽く水洗して水をよく切ってから染色台に戻し今度は純アルコール液を滴下する。

 ここで純アルコール液を滴下するのには先ほど滴下したクリスタル紫液の色素(紫色)を溶け出させる目的があり、天下り的な説明になるがこの際にクリスタル紫が脱色される細菌がグラム陰性菌で脱色されないのがグラム陽性菌ということになる。

 この次に滴下するサフラニン液は赤色の染色液であり、グラム陰性菌ではクリスタル紫が脱色されサフラニンの赤色のみに染まるから赤色に見える。その一方、グラム陽性菌ではクリスタル紫が脱色されないままとなるから青紫色に見える。

 純アルコール液によりクリスタル紫の色素が脱色されるかどうかは前回説明した細胞壁の構造の違いによるが、ともかくこの手順を行うことで最終的にグラム陽性菌と陰性菌が区別されることになる訳だ。


 滴下した純アルコール液はスライドグラスを揺らして細菌全体に行き渡らせ、十分に浸み込んだら再び廃棄・水洗して水をよく切り染色台に戻したら最後にサフラニン液を滴下する。

 1分間待機したら廃棄・水洗して水をよく切り、ある程度乾燥したらここでグラム染色の手順そのものは終了となる。


 7.鏡検きょうけん

 染色自体は前項で終わっているが、HE染色や免疫染色の標本と異なりグラム染色の標本は実習後すぐに廃棄せねばならない。

 観察も染色後にそのまま行うのが一般的で、グラム染色の手技試験でも染色を済ませた後に顕微鏡で観察してその細菌の特徴を述べることまでが試験内容に含まれている。

 細菌の観察にはHE染色や免疫染色の標本と同様に光学顕微鏡を用いるが、一つ一つの細菌は4倍・10倍・40倍といった通常の倍率(乾燥系低倍率)の対物レンズでは観察しにくいので油浸系高倍率の100倍の対物レンズで観察する必要がある。光学顕微鏡の接眼レンズの倍率は一般に10倍なので、合わせて1000倍の視野で観察することになる。

 染色を施した細菌にツェーデル油(油浸用オイル)を1滴垂らしてから100倍の対物レンズで観察する。観察の終了後はスライドグラスをステージから取り除くが、鏡検後の対物レンズはツェーデル油で汚れているから必ずレンズクリーナースプレーで濡らしたレンズクリーニングペーパーで清掃しておくように。

 その後は各種の器具・試薬を片付けスライドグラスを回収トレイに廃棄し、手袋を外して衛生的手洗いを済ませたら実習は終了だ。作業を行った実験テーブルはアルコールを散布した上でキムタオルで拭き、隅々まで消毒しておこう。


 グッバイ、微生物マイクローブ
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