絶命必死なポリフェニズム ――Welcome to Xanaduca――

屑歯九十九

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第01章――飛翔延髄編

Phase 10:マーカスの審判

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《拳》それは、このザナドゥカにおいて無くてはならぬものと、父が子に、子が孫に連綿と伝えてきた普遍的な公理である。人類最初の武器(※人類学者の中で定義や意見が分かれる)であり、万人が持ちうる最後の武器である。
 ことザナドゥカにおいては拳とは特な意味を持ち、歴史的な場面で度々活用され、名だたる彫刻家、画家、建築家詩人が創作に用いた題材でもあった。偉大な政治家はかつてこう言った――ペンがなければ、拳で相手を説き伏せればいい。お金があれば、硬い拳の持ち主を雇えばいい――。今この言葉を真に受けるものはごく限られる。































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『ワンダウン!』

 マーカスが高らかにカウントした。
 ソーニャはロープに飛びついて頭をリング内に突っ込む。

「立てー!」

 スロウスは硬い動きで身を起こす。
 レントンが驚く。

「おいおい、まじか……本当にジャイアントキリングじゃねえか。スロウス大丈夫なのか?」

 リック曰く。

「重い一撃を食らったが、心配するほどのダメージじゃないだろうよ。今のところは」

「でも、スロウスのやつ動けてないが」

「一発食らってすぐだからだ。いくらSmが痛みに鈍く頑丈であっても、頭をダイレクトに揺さぶられたら神経系統の働きに狂いが生じる。もし致命的な損傷を受けたなら、ああして身を起こすのも無理だろうよ」

 ソーニャは腹を乗り上げたリングを平手打ちした。

「さっさと立つんだよー! マイラのために! 平和のために! 戦えー! 勝てー!」

『闘士以外の方はリングから出てくださーい! それとリック。 蹴り技を解禁してくれないか?』

 リックは組んでいた腕をほどき、窓に目を見張る。

「待ってくれ……壊したら」

『リック。この戦いは直接じゃないにしても人の命がかかってるんだ。ならやっぱり全力で戦わないと後で後悔することになる』

 スタッフに引き下ろされるソーニャと、目が合ったリックは言う。

「壊しても知らんぞ?」

『その時の修理は、要相談だな』

「わかった」

 新しい技を解禁して、戦いが再開する。
 スロウスの堂に入った殴打は風を生み、鋭い蹴りは空気を切り裂く。しかし、コメットクラッシュは体を捻って拳を切り抜け、一瞬で屈み、スロウスの上がり切った脹脛ふくらはぎを殴りつける。
 体を支えきれなくなったスロウスは仰向けに倒れる、と思いきや、伸びきっていた足を強引に後ろへ振り下ろすと、リングを踏みしめ耐え忍ぶ。
 その間に、ジムの選手は強く足を踏み出す。
 コメットクラッシュが間合いを詰める。
 スロウスは急いで背筋を丸めて腹へのフックを回避し、相手の拳が頭の欠損に飛んでくると腕で庇う。間髪入れずに顔の右側を狙われ、それも防ぐが、コメットクラッシュの左アッパーが顎を下から打ち据える。
 攻防の僅かな隙間を縫って、コメットクラッシュの一撃が襲う。
 連撃の中、スロウスは胸に来る殴打を腕で防ぎ、その威力を利用し距離を開くと、すぐにガードの構えに移行した。

「戦えー!」

 ソーニャの号令に従い、スロウスは無謀な突撃を決行。右ストレートを放つが、コメットクラッシュにあえなくかわされ、逆に、相手のフックが顎に衝突する。
 一撃を受けたスロウスは、しかし、動じなかった。左側に回った相手に対し、スロウスは左腕で薙ぎ払う。単純で大味な技だが、コメットクラッシュに防御を強いて、そのまま突き飛ばす威力を持っていた。
 ソーニャは吠えた。

「そのままいけー!」

 スロウスが両手に拳を作って相手との距離を縮める。今一度、体を捻って力を蓄えた右ストレートを繰り出す。拳に押された空気が塊となって弾ける音が響く。
 コメットクラッシュは後ろへ引いた右足を軸に、反時計回りに回転。結果、スロウスの拳はコメットクラッシュの体を追いかける形となり、指の幅一つ分、届かない。
 コメットクラッシュはリングを踏みしめ、正面にスロウスを定めると、顔を狙って攻撃した。放った拳は手で防がれたが、衝撃によってスロウスの体勢を崩す。
 コメットクラッシュは、スロウスの膝裏を左フックで突く。
 片手と片膝がリングに落ちるスロウスの後頭部に、渾身の殴打を叩き込んだ。
 審判が手を振り下ろす。

『ツーダウン! で、いいかな?』

 臥せるスロウスを目の当たりにしたソーニャの顔は、より一層の焦燥に染められる。

「ああツーダウンだ!」

 とリックは判定を擁護した。

「立てスロウス……立って!」

 腕立ての要領で上体を起こしたスロウスは、立ち上がりきる前に相手から飛び退いた。そして構えを見せる。と同時にゴングが鳴った。

『第1ラウンド終了だ!』

 マーカスは隣で音響を任せていたスタッフに言う。

「すまん、この後の進行を任せていいか?」

「わかりました。セコンド頼みます」

「ああ、二倍頑張ってくる」

 リング上のスロウスは依然ファイティングポーズで、闘志をむき出しにしていた。
 コメットクラッシュも防御の姿勢を解かない。
 スタッフに動揺が広がる。 
 リックが声を張り上げた。

「ソーニャ! スロウスに戦闘終了だって言え!」

 放心していたソーニャは、目を上げた。

「スロウスそのまま待機!」

 ちょうどドアからマーカスが出てくる。
 その間に、リングの傍らではコメットクラッシュの操縦者である選手が椅子に座り、ヘッドギアを外し、天を仰ぐと、スタッフに目薬を点眼してもらう。選手はゆっくり目を閉じ、目じりをつまむ。
 マーカスがやってきて選手に尋ねた。  

「どうだエヴァン?」

 コメットクラッシュの操縦者エヴァンは、呼吸を整えると目を開け、ヘッドギアをスタッフに預け、自身は腕に装着した機器のコードを点検した。

「問題ないよ」

 隣のスタッフがタブレット端末の情報を見ながら言う。

「コメットクラッシュも以前リックさんに診てもらってから機嫌がいい。まるで新品だ」

 マーカスはリング越しに少女を見る。

「ソーニャにはコメットクラッシュの中をずいぶん見られたから。彼女なりの戦略を立てられる、と警戒したものの。こりゃ楽な試合になっちまうかな」

 楽な試合、と言いながら表情に険しさが宿るマーカス。
 リングの上で、コメットクラッシュは、頭部の機械ユニットを乾いた布で巻かれ、濡れたタオルを体に貼られ、その上から消火器めいた道具によって冷却材を噴霧してもらっていた。布をはがされると、今度は、ウミウシめいた物を貼られ、そこから延びるケーブルと接続したタブレット端末でヘルスチェックをしてもらう。
 一方のスロウスは直立不動で、なんのケアもされない。
 ソーニャはリングの下で。

「次倒れたら、おしまいだ、どうしよう……」

 だのと、指をくわえて考え込むばかりだ。
 マーカスは尋ねる。

「エヴァン スロウスはどうだ?」

 エヴァンは冷静なまなざしで考えた。

「やっぱり、自立式だから野生動物並みに反応も早い。それに頭もいいし、動きもいい。本当にあのガレージでうずくまってた機体なのかって、驚いた」

「だな、自発的な行動に戦闘センスを感じる」

「前に戦った軍の払い下げSmに負けないぐらいの動きのキレと判断力だった。あのスロウス、もしかしたら搭載されたグレーボックス軍仕様なんじゃないかな」

「うん……軍使用にしては、近接戦の技術がいまいちのように思うが。異様にタフではある。オーナーが素人だからってなめてかかると痛い目をみるぞ」

「わかってるよ……」

 落ち着いた声色のエヴァンは、リングの向こう側に度々浮上する巻き髪を黙って見つめていた。
 落ち着かないソーニャはスキップみたいな不自然な歩行と突発的な跳躍を繰り返す。
 そこへリックが近づく。

「何やってんだ?」

「……へ?」

「へ? じゃない。お前は整備しないのか」

「え……だって」

 スロウスには外傷も不調もうかがえない。
 しかしリックはきつい剣幕になる。

「たとえ外傷が無くても不調がなくても働いたSmを点検するのが所有者の務めだろ!」

 怒声を浴びたソーニャは慌ててリングによじ登った。
 リックは鼻を鳴らす。

「ッたく」

 レントンは軽々とした面持ちでリックに近づく。

「しっかし爺さん、いつから考えてたんだこの戦い。まさか、ソーニャの話の後ぱっと思いついたわけじゃないんだろ?」

「ああ、まあな。だが、もう少しいい戦いになると期待したが……もしかすると、燃料不足かもしれん」

「なんだって?」

「実は……スロウスの燃料補給はワシが担当してた。それで体重と身長から概算して、機体の維持に必要な最低限の経口燃料しか与えてなかったんだ」

「つまり、何か、今のスロウスは腹が減って力が出せないってか?」

「どうだろうな、いつも膝抱えてるだけだったから、それほど消費してないと思うしなぁ……週に2,3回程度しか与えていないとはいえ」

 顎を撫でる老人に、レントンは呆れを伺わせる表情を向ける。

「はぁあ、こりゃあソーニャの負けか?」

「かもしれないなぁ。このままの調子だと」

 二人は、両陣営が見渡せる地点にいた。

 レントンが尋ねる。

「スロウスに勝算あるのか?」

「ソーニャ次第……といいたいが、うーん、思った以上に相手が悪い」

「コメットクラッシュだっけ? パワフルでスピーディーないい機体だ」

「コメットクラッシュはスパーリング用の機体として調整してある。持久力、耐久力、それとスピードに関していえば、ほかの同機種より抜きんでているはずだ」

「あれがスパーリング?」

「ああ、そうさ。だが機体の性能だけが強みじゃない。あの操縦士の腕も、ただもんじゃないんだ」

「あの選手、まだ子供だろ?」

「エヴァンはマーカスのせがれで、おやじの才能を受け継ぎ、そして研鑽けんさんしてきた」

「確かにいい選手だ。例えば、最初にスロウスに殴り飛ばされてロープに追いやられただろ」

「ああ」

「あの時はあえてロープに向かって力を入れて後退したんだ。そして、ロープの反発を利用してスロウスの予想をかいくぐった。自立式のとの対戦はいかに相手のグレーボックスの分析と判断の虚をつくかがカギになる。きっと、エヴァンは自立式とも対戦経験があるんだろうよ。でなきゃSmの反射神経と運動能力に対応できない。さらに、あのコメットクラッシュの癖や個性を知り尽くしてるから無駄のない動きができる。もし不慣れな機体を使ったら、機体からフィードバックされた感覚と自分の感覚のズレに操縦者が振り回されるだけだ」

「よくわかってるじゃないか。経験でも?」

「いや! ただSmFが好きでね。だが、そうなると……」

 飛行士はリックに近づき、ソーニャに聞こえない声で言う。

「機体性能もそれを制御する操縦士の腕も高いんじゃ。素人のソーニャに勝ち目なんて、ないだろ」

「そうだな」

 リックはそこはかとなく嬉しそうだ。

「もしかして、初めから負けると踏んで試合を持ち掛けたのか? 燃料のことも織り込み済みで」

「ワシもそこまで性根腐ってねぇよ。勝ち目はある。スロウスなら……だが、その勝ち目を手繰り寄せるのはソーニャにかかってる。そうでなきゃ困る。あいつが考えてスロウスを動かさなけりゃ、結局、悲劇の繰り返しだ」

 そうだろソーニャ。 

 信じている、でもそれは大きな苦悩の元凶でもある、それゆえ、リックの顔が晴れることはない。しかし、少女が前を向いたならば、先達である自分が目をそらすわけにはいかない。
 リックは家族として職人として大切に育ててきた娘を見守った。

 ソーニャはゴーグルを被り、スコープでスロウスの熱量を観測。続いて、カタツムリめいた物体をスロウスの胸に張り付け、殻のディスプレイに表示されたハートマークの隣の700あたりを推移する数値を確認。次は、スロウスの口に銛の如く尖った器具を乱暴に突っ込み、ケーブルでつながる液体循環端末のモニターで血中の物質濃度をチェックした。

「数値は全部正常……なのに、なんで勝てないのぉ」

 データに現れない理由に情けない声を出す。
 一方、顔を上げたマーカスと窓越しに目が合ったスタッフは、うなずいた。

『そろそろ第二ラウンドへ移行します!』

 ソーニャは慌てて「待って!」というが。リックが否定する。

「いいや、始めろ……。時間は十分あったはず、だからな」

 ソーニャはふてくされるが、リックは厳しい表情を崩さなかった。









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