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第01章――飛翔延髄編

Phase 09:ザ巨像

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《グレーボックス》第二次南北戦争中『バイタルソフト』が開発したSm制御用疑似脳神経型中央情報集積モジュレータ。SmNAによる配列が定義する本能行動プロセスを応用し、外部からの刺激に対してあらかじめ決められたコマンドをSmの体で再現するための器官。Smの機種とそのチューンナップに適切なボックスと付属器官が年々種類を増やしている。昨今、若者の間ではグレーボックスを本来対応していないSmに搭載して誤作動を楽しむのが流行っているが、それによって暴走したSmによる死傷事件も頻発している。













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「なんだなんだ!?」

 暗い中、ソーニャはゴーグルで周囲を観測する。

『おまたせしました!』

 唐突に、どこからともなくマーカスの声がとどろいた。
闘争本能を刺激するようなBGMが鳴り響き、天井の四隅にあるスポットライトが方向を変える。
照らし出された 入場ドアをスタッフが解放すると、奥から煙が噴出し、それを突き破って、あの若い選手が現れた。
彼の頭を覆うのは、先刻とは違う形状の紡錘形のヘッドギアで、まるでサメの頭をほうふつとさせる。
ヘッドギアの後ろから延びるケーブルは両手足を包む装甲のような装置と、全身に張り付く小さなウミウシ型の電極につながっていた。重い装備に見えるが選手は軽快な足さばきを交え、シャドーボクシングを始める。
彼が繰り出すフック、ストレートそして回し蹴りには、近づくことを許さない殺意と研鑽けんさんされた威力が表れていた。
 リックとレントンは事態に唖然とするが、ゴーグルを挙げたソーニャは若者の身のこなしを直視し「おおおお!」と素直すぎる感嘆の声を上げ、目を輝かせながら高速足踏みで自身の興奮を体現する。
 まだまだマーカスの声が降り注ぐ。

『これから始まるのは世紀の特別マッチ! 赤コーナーは……我がジムに殴りこんできた挑戦者! ソーニャ! アーンド スロオオオオオオウス!』

 ソーニャとスロウスにスポットライトが向けられる。
 レントンが、本格的だな、と笑みをこぼす。
 リックも首を傾げ、まったく、と呆れ声で思わず笑ってしまう。
 一方の選手は定位置につくと両腕を広げた。
手足に装着した装置のランプが点滅を開始。
すぐ傍では、二人のスタッフが台車で運んできた機械とタブレット端末を操作する。
機械の頂上では、水槽に入った脳味噌にしか見えない物体が、底から溢れる気泡を存分に浴びて震えだす。
 一人のスタッフは機械のキーボードにて入力をはじめると、モニターに並ぶ波形が波打つのを確認する。
 タブレットを持つスタッフが脳詰め水槽を小突いた。

「今日もしっかり働いてくれよ」

「C3PCたたくな。壊れる」

 叱責を受けたスタッフは肩をすくめ、タブレットを操作する。

「あいよ……身体座標の固定完了」

「ヨッグホース接続確認。ミラーニューロン、フィードバックルーチン応答開始」

 スタッフの言葉を合図に、選手はファイティングポーズからステップを踏み、拳を放つ。そのたびに、モニターの波形が震える。

 スタッフ二人は肩を寄せ合い、互いの操作する機器の画面を照合する。

「21時45分35……」

 突然の選手の発言にスタッフはタブレットを眺めて言った。

「時間の同期確認。ついでに夕飯食べそこなったことも確認」

 マーカスの声が告げる。

『そして……可憐かれんな挑戦者のしもべを捻り潰すため、ひいては、うら若き乙女の安心と安全を守るために選び抜かれたのは……こいつだああああ!』

 選手がタップダンスめいたステップを披露し、それから、その場で素早い足踏みを始める。
 選手が出てきたドアの奥から、新しい大きな影が飛び出してきた。

『その足捌きは風を翻弄ほんろうし、その拳は星をも打ち砕くコメーーーーットクラーーーッシュ!』

 選手が屈伸からの跳躍を見せると、それに連動して、現れた影も跳躍し、リングに舞い降りた。
 コメットクラッシュ、それはSmと機械の融合体である。
 カメラレンズを備えた扁桃アーモンド型の機械の頭部。それを下支えしているのは、ケーブルが巻き付いた金属の頸椎けいついと、鎖骨の部分から延びる金属のチューブ。胸の部分には。ひどくしかめたときの目をほうふつとさせる深い皮膚のしわと、丸まった鉤鼻のような器官、そしてあからさまに牙を生え揃えた口がめり込んでいた。首は見るからに貧弱な構造であるのに対し、胴体と腕は傍目から見ても重厚で堅固。成人男性の胸囲を上回る太い腕が、リング外の選手の動きに合わせて、連続パンチを繰り出す。体に比して、いささか細く思える両足は、選手の軽快なステップをそっくり再現する。
 興奮を堪え切れずソーニャが叫んだ。

「ブレミュアエ TT200-2!」



レントンも目を見張る。

「ありゃあSmFでも、たまに見かけるぞ。確か、もとは軍事用に生まれたって」

 ソーニャは嬉しそうに解説した。

「第二次南北戦争の最中、南部のクライスターウィスキーが醸造所の片隅で片手間に作った傑作シリーズ! グレーボックス搭載機体で初めて実戦配備された機種で、北軍にもその機体材料が流出し、マイニングバレーの戦いにおいては同機種が激突! 結果、南北の戦力差を埋め、冷戦期の始まりを決定的にした。まさに歴史に残るSm!」

 いつの間にか、ソーニャはリングに上がり、コメットクラッシュに鼻息が届くほど接近し、その姿をくまなく観察する。

「コメットクラッシュ久しぶりだなぁ。呼吸効率23.8%改良が売りのDB形の吸気器官の調子はどうだ?」

「知り合いか?」

 レントンに対してソーニャは見向きもしないが一応受け答えをする。

「うん。うちのガレージの常連。はぁ……ブレミュアエはクラシックな機種だけど耐久力が高くておまけに汎用性も高いから。今も色々な場所で見かける素晴らしい名作。でも、第二次南北戦争から、続く終末戦争のときに主力の一角として沢山戦場に投入されて個体数が激減し、その後は社会のニーズも変わって特化型Smが求められるようになると。エンジンとしての実用と馬力に優れたドワーフ、機械との親和性と燃費に定評のあるゴブリンなどが続々と誕生し、新機種に立場を奪われていった……。だから近年稼働しているブレミュアエのほとんどは数十年も使われている古参機体で中には戦中から生き残った機体も少なくなく。しかし生産量は減少傾向なんだよねぇ」

 レントンはリックに聞いた。

「あれってホント?」

「ああ間違いない。俺が教えたことだからな……それと『月刊お前のSmライフ』にも書いてあった」

「なるほど」

 レントンは、子供の背伸びを見破ったような笑みを浮かべる。
 リックは補足した。

「だが、ソーニャのソリドゥスマトンに関する知識と経験は俺に引けを取らない。ガレージでずっと、様々なソリドゥスマトンの動きも中身も細部まで観察し、研究をしてきたからな」

 レントンは老人が少女に向けるまなざしの真剣さを見て、言葉の重みを再確認した。

「そうか……なんか、脳内で言葉を変換すると犯罪臭がするんだが」

「文句なら紛らわしい略称にした奴にいえ」

 リングを見下ろす位置にあった窓が開き、中からマーカスが身を乗り出す。

「盛り上がってるか?」

 ソーニャはブレミュアエに夢中のまま「うん!」と答える。
 リックもBGMに負けないよう、声を張る。

「ちょいと凝りすぎじゃねぇのか?」

「たまには機材を稼働させないと動きが悪くなるんでね」

 と言いつつマーカスが室内に向かって手を下げる動作をすると、BGMが小さくなる。
 リックはうなずく。

「そうか、だが、いいのか」

「何が?」

「今更だが、ソーニャもスロウスも戦い慣れしてるわけじゃねえからよ、コメットクラッシュを壊しちまうかもしれんぞ」

「素人相手なのはわかってる。だからジムで一番タフな機体を用意した。それに、自立式との戦いってのは玄人が主人であっても危険が付きまとう。暴走、とまではいかなくても、ルールから手足をはみ出して、たまにブレーキが利かなくなるもんだ」

「そうか……。すまんな」

「なに、壊れたらその分弁償してくれるんだろ?」

 リックは苦笑い。

「もちろんだ、コメットクラッシュの整備は無料で引き受けよう。明日以降になるが」

「こっちも貴重なデータをもらえるからウィンウィンさ」

 皆の注目が少女に集まる。マーカスが問う。

「ソーニャ、始めていいか?」

 しかし、少女はコメットクラッシュにご執心で、機体に触れようと指を近づける。

「ソーニャ!」
 
 リックに名前を呼ばれた当人は、急ぎ皆に振り替えった。
 マーカスが問いただす。

「準備は万全だよな?」

 顔に緊張が戻ったソーニャは、強く頷く。

「いつでも、いけるよ!」

 マーカスは窓枠をたたく。

「よし! それじゃあ、試合開始だ!」

『選手は……』

 マーカスはマイクに景気よく声を入れる、が、すぐ窓から頭を出す。

「しまったルールはどうする?」
 
 リックは

「総合格闘技でどうだ! 正直、ボクシングとか攻撃手段を制限した戦いじゃ。スロウスとソーニャの実力を測りかねるんでな。むろん、決めるのはお前さんだし、審判はそっちで構わないし、とびっきりラフなプレイとシビアなジャッジを頼む」

 それを聞いてマーカスは一瞬苦笑いになる。

「わかった。じゃあ、総合格闘技形式だな。ソーニャもそれでいいか」

「うん、わかった」

「OK、それじゃあ」

 マーカスが告げる。

『各選手は機体をリングへ! 今回の戦いは武器なしステゴロノンリーガル。金て……えへんッ。とりあえず、相手を三回ノックダウンするか、あるいは試合続行不能に追いやれば勝利とする! それ以上の戦いは次の日に悪影響だからな』

 リックが手を挙げた。

『異議でも?』

「ソーニャに。スロウスだが……蹴り技はなしだ」

「なんで?」

「相手を壊したら安い修理じゃすまないからな」

 それを聞いてマーカスは眉を傾げる。
 ソーニャは戸惑いつつ、うなずく。

「わ、わかった」

『結構! ならリングに上げてくれ』

「スロウス! いけ!」

 主の指さすほうへ向かったスロウスはロープの傍まで行くと、リング上に既にいたコメットクラッシュを仰ぎ見た。
 ソーニャが、上るんだよ! と怒鳴る。
 少女の思惑通りスロウスはロープをくぐった。
 役者が舞台の上に出そろう。
 今まさに雌雄を決せんと二機の有機化学の申し子が対峙する。
 コメットクラッシュの身長は機械パーツを含めても、スロウスの胸に届くくらい。しかし、幅に関してはコメットクラッシュのほうが若干広い。
 コメットクラッシュは半身の体勢で腕を立て、ガードの構え。
 一方のスロウスは一切の構えをとらない。ともすると、無気力にさえ思えるほどだ。
 それがソーニャには許せなかった。

「もっとやる気を見せろ!」

 主の喝を背中で受けたスロウスは突然。両腕を広げて若干背筋を伸ばした。
 レントンはもちろん、誰もが目を丸くし、開いた口が塞がらない。

「なんだあれ?」

 レントンの質問に答えるリック。

「ああ、多分……あれか? うーむ……恐らく、仕事にとりかかる前のソーニャをまねしたのかもしれん。いつもガレージで黙って見てたから、ヤツのグレーボックスが記憶して……いやまてよ。それとこれがグレーボックスの中でどう繋がったんだ?」

 真剣に悩み始めるリックの隣で、レントンも小首をかしげた。
 ソーニャは元気に憤る。

「それがお前の本気かよ?!」

 笑いをこらえるマーカスは告げる。

『……せ、正々堂々スポーツマンシップに則って!』

 ジムの選手は、ヘッドギアのディスプレイでスロウスを間近に見据えた。
 ソ-ニャはトランシーバーを握りしめる。
 マーカスが吠えた。

「レディィィイイイ……ファイッ!」

 ゴングが鳴る。
 ソーニャがトランシーバーに声を放つ。
 スロウスの首輪の内側に仕込んだマイクから、少女の指令が発せられた。

「目の前の敵をぶっ潰せーーーーッ!! ただし蹴っちゃダメ!」

 首元と背中から、二重になって飛んできた主の命令に、スロウスは蹴る勢いだった右足を上へ伸ばす。
 硬い印象とは裏腹に柔軟に開いた足による踵落としが、コメットクラッシュを襲う。

「アレ蹴りじゃないのか!?」

 リックの混乱をよそに振り下ろされた踵は、コメットクラッシュが突き出す腕に激突。ぶつかり合う腕と足の衝撃が大気を震わせ炸裂音がジム全体を揺さぶる。
 突き飛ばされたコメットクラッシュはロープに受け止められた。
 スロウスは駆け出し、コメットクラッシュに両手を伸ばす。
 引き下がるコメットクラッシュによって押し伸ばされたロープは、ついに、コメットクラッシュを押し返した。
 それに合わせてコメットクラッシュは前へ踏み出し、姿勢を低くすると、片足を軸に半回転、スロウスの魔の手をかいくぐった。
 前のめりのスロウスはロープを掴んで体を支え、素早く身を翻すと腕で腹を隠す。
 スロウスが盾にした太い右腕を、それより大きな拳が打ち据える。
 激突による衝撃音が威力を知らしめ、スロウスのよろめきが、ただの一撃の質量を物語る。
 相手の次の一撃をかわしたかったスロウスは、腰の高さのロープを軸に仰け反ると、体のひねりを交えて一回転、リングに着地する。だが、スロウスの体はロープの外側に出てしまった。
 相手の追撃どころか試合自体が止まる。

「ロープから出るな!」

 慌ててソーニャが命じた。

「完全にアウトだな」

 したり顔のリックの言葉にソーニャは目を見張る。
 マーカスはいう。

「ノーカンにしてやるよ。だが、次はない」

 リックは急ぎ、異議を表明するつもりで口を大きく開くが、マーカスが先に声を発する。

「ルールと判定をこっちに一任したのは誰だっけ?」

 舌打ちするリック。
 スロウスがロープの内側に戻ると、ソーニャは執拗に、ロープから出ちゃダメ、とトランシーバーに繰り返し吹き込んだ。
 敵をあざ笑うかのように華麗なるステップを披露するコメットクラッシュは、スロウスが伸ばしてくる手を紙一重で回避し、突き出す拳を盾にして、矛とする。
 ソーニャが声を荒げた。

「いまだ! パンチ! キック! チョップ!」

 言われた通りの攻撃をスロウスは繰り出す。それらは流れるように繋がった連撃となった。
 レントンはがぜん興奮する。

「おおすごい! いい試合じゃないか。この前田舎で見た地方チャンピオンの決勝戦より激しいぜ」

「そうか? 近くで見てるからだろ?」

 リックは懐疑的だ。

「そうかもしれないが。どっちも譲らず、互角、いやむしろ、スロウスのほうが押してるんじゃないか?」

「それはないな」

 リックは冷静に言った。
 レントンは解せない、といったまなざしを老人に向け言葉を返す。

「確かにコメットクラッシュの身のこなしはすごいが。スロウスの攻撃速度も負けてない。グレーボックスの性能次第ではコメットクラッシュの防戦一方が続くだろう。そうなりゃ、このままいけば」

「スロウスの負けだな」

 レントンの言葉を遮えぎったのは、リックの静かな言葉だった。
 その瞬間、ソーニャが。

「いっけーッ!」

 スロウスは命令を受領し、相手にとびかかる。
 コメットクラッシュはコーナーに追い詰められていた。逃げ場はない、捕らえられる。
 そう思われたとき、コメットクラッシュは瞬時に屈んで、スロウスの抱擁から逃れると、全身をバネに拳を突き上げた。
 がら空きの腹に強烈な一撃を食らったスロウスは、背中を丸めることを強いられ、踵が浮き、よろめいた体を支えるため、リングに手をつく。

「立てー!」

 ソーニャの命令を守るためスロウスが足を踏みしめ、顔を上げた瞬間、顎下にコメットクラッシュの左アッパーが飛んできた。 刹那の間に、手で相手の攻撃を防げた。だが衝撃は抑えられず、スロウスの体は仰向けに傾げる。
 横にステップしたコメットクラッシュの右フックが、スロウスの頭の欠損を穿つ。
 防御なしの一撃によってスロウスはリングに倒れた。
 ソーニャの目に絶望の色が揺らぐ。

「スロウスーッ!!」









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