私はビブリオテカ ―― 終わりなき博物誌編纂の過程で生きて嘆いて食べて笑って藻掻く姿に幸あれ ――

屑歯九十九

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第零章 ―― 哀縁奇淵 ――

第008話 ―― 実サイに食べてみよ

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【前回のあらすじ――。ノックの家に招かれたメリアは誘われるまま食卓の椅子に着席した。ノックは家の中での自身の扱いについての文句を母スカーリャに言う。スカーリャはそんなに家が嫌ならメリアの家の子になれというが、メリアは我が家の子になるくらいならカミキリムシの家に生まれるほうがいいこと断言する。その間、豆と小麦粉と水に羊の塩漬け肉を加えた鍋が過熱されていた】










 恐る恐るスカーリャがたずねた。

「メリアちゃんの家はちなみに……あ、言えないなら聞かないよ。でも、さぞ立派で由緒正しい家柄なんだろうねぇ。こうなると、いよいよ料理を出すのが気恥ずかしくなってくるよ」

 本題を取り下げてやんわりと話を変えたスカーリャは、よくできた作り笑いを台所に振り向けた。
 静かになるメリアが視線を下げ面持おももちに陰を塗った。

「そんな、滅相めっそうもない……」

 少年は少女の顔に暗いものを覚えたが、少女自身が意識を母親に向けたので、視線を別に移す。
 革袋から取り出したチーズを切り取るスカーリャは、使うナイフで分けた一切れを刺し、香りを堪能する。いささかお行儀が悪い行動の理由を興味津々のメリアに話す。

「こいつは村自慢の羊袋チーズだ。羊の乳のチーズを羊の胃袋に詰めて保存熟成させたもんで、ちょと塩気が強いのが特徴なんだ」

 そんなにぐとまた具合悪くなるぞ? と息子が指摘する。
 もう平気ですぅ……、とスカーリャは手のひらをまな板にして、切り分けたチーズをさらに細かく裁断すると、いくよ……、と少女の目を見て言う。
母が投擲とうてきしたチーズの軌道の大雑把おおざっぱさにノックはあわてるが。
メリアは獲物を定めた猫同然の鋭い眼になり、椅子から飛び上がり、テーブルの直上に手を的確に差し出し、チーズを捕獲する。
直後の着地は大きな動作に見合わず静穏だった。

すごい……、とつぶやくスカーリャはメリアを猫の化身かなにかと疑うが、獲物を手中にした瞬間、年相応、あるいは、幼く思えるほどチーズに表情をゆるませる少女に人間らしさを覚える。
 マタタビをもらった猫もあんな感じだな、と頭の片隅によぎるが、それは置いて、残った一掴ひとつかぶんのチーズの塊を沸騰を始めた鍋に放り込む。
 一方のノックは、メリアが黙って座っていてもチーズがテーブルに落ちただろうと思いつつ、何事もなかったし、それに少女が幸せそうならそれでいいか、と心の中で呟いた。しかし、口も開く。

「料理を出す云々うんぬんで恥ずかしがる前に、食い物を投げるのを恥ずかしいと思えよ」

「いちいち細かいことはいいんだよ」

 親子の言葉の応酬に目もくれず、舌にチーズを乗せたメリアは、それはもう幸せそうに目を閉じ、同じく閉じた口を動かし、咀嚼そしゃくする物に見合わないほどほほを膨らませる。

「塩味が強いですが、それ以上に舌に羊の乳の香りが広がり呼吸する度に、酸味をたたえた空気が味わえ、素晴らしい……」

「そんな切れ端1つで喜んでくれるなんて嬉しいねぇ」

 などと喜ぶ母にノックは言った。

「メリアは確かに礼儀作法は一級品だが。虫しか食べたことのない可哀想かわいそうなやつなんだよ」

 からになった口で一呼吸したメリアは、目を丸くしてから冷静に首を横に振った。

「いえ、虫以外も食べたことがあります。例えばネズミ、トカゲ、カエル、ヘビ、それと魔……」

 少女の口から出てきた単語は親子の頭上に並び特に母親の心をむしる。
 他所よその村落が飢饉ききんの時でも山の恵みによって食に困らないこの里において、少女が口述したものは食物ではなく、苦痛や疫病や嫌悪感をもたらす存在でしかない。
 これ以上聞いていられないという思いからノックは少女の言葉をさえぎった。

「なあ、可哀想だろ? だからさ心を込めてくれるだけでいい。母ちゃんの真心さえあれば、きっとメリアを救ってあげられるから」

「え? 救うとは一体……」

 親子の間でどんな意思疎通がはかられたのか理解が及ばないメリアは、さらにスカーリャの泣き顔を見せつけられ動揺が強まる。

「随分と苦労してきたんだねぇ……」

「いいえ、どれもこれもおいしい食材でした。勿論もちろん、苦痛に感じるほど苦い時もあれば酸っぱい時もあったし、お腹の中でまだ生きているのではないかと恐怖を覚えるほどおさえきれない腹の謎の躍動感やくどうかんに数日さいなまれることもありました。けど、美味しいと思えば何でも食べられたし、空腹という最高の調味料が私に新たな扉を開く力を与えてくれました!」

涙をこらえ切れない母に呼応し、息子も瞳をうるませ、いきなり戸口が開くと老人が突入し、まないメリアぁッ! と謝罪を叫んだ。

「うわお!」

スカーリャは勿論、老人の為人ひととなりを知るノックも驚いたし、もっとよく知っているであろうメリアも祖父の突然の登場に身をすくませる。
 ヘイミルはその場でひざから崩れて、孫娘に向かって平身低頭する。
 そうなるとメリアは椅子から立ち上がり、どうすればいいのか分からず答えを探して頭を左右に向けてみたが、自分の力で対処するしかないとさとり、片膝をついて祖父に呼び掛けた。

「どうしたのです御じい様……」

 熱くなった目頭に任せるまま涙を流すヘイミルは語りだす。
 
「この子の母にして我が娘に対し、私は……。メリアに何一つ苦労を掛けさせないと約束しておきながら……。私は、なんとこくなことをいてきたことか……ッ」

 皆が悲嘆に暮れていると分かったメリアだったが、その理由が皆目かいもく見当もつかなかった。
 しかし、彼女にはとっておきの解決策があった。

「皆さん。悲しい時こそ、腹を満たすのです」

 そう言った彼女は、あのお高そうな袋から、芋虫、蛇、トカゲ、カエルを披露する。
 少女の両手に広がる阿鼻叫喚あびきょうかんの地獄絵図は、如何いかなるいろどりを加えても、少しもましにならない混沌こんとんていする。

 鍋から振り向く母の視界に割り込むノックは、全身で密集する生命の塊をさえぎった。
 スカーリャは当代で隆盛りゅうせいを誇る教会が悪徳と明示する好奇心にかられ、なんだい? と息子の後ろを覗き見ようと試みるが、風のように目の前に現れたヘイミルが紳士的な愛想笑いを向ける。
 
「いやはや名乗り遅れましたお姉さま」

「ああ、いやいやあたしはノックの母親です」

「そうでしたか! あっはっは!」

 メリアそれをしまいなさい……、と話の途中でささやくヘイミル。
 
「ですが、御馳走ごちそうになるのですから、メリアからも何かお礼を……」

 食い下がるメリアに、ノックと位置を入れ替えた祖父ヘイミルは去来し続ける罪悪感も気後れも忘れて孫娘の顔にせまる。
 一方、そんな2人を隠すようにノックが苦笑いで母親の怪訝けげんな顔と対峙たいじする。
 ヘイミルは孫娘に声を落として語り掛けた。

「食事の主催者しゅさいしゃが用意をしているというのに、事前の断りもなく食材を見せつけるのは失礼にあたると思わないか? あなたのきょうする食物では足りない、と言っているようなものではないだろうか?」

 つとめて優しい声色だが、死地にこそ相応しい形相ぎょうそうが祖父の忠告の本気を物語る。
 メリアも自身の面差しに真剣身を帯びると手早く虫たちを袋に収納した。

 ノック殿終わりました……、とヘイミルが告げる。
 隠された真実をでも暴こうとする母とそれを阻止しようとする少年の攻防は終わりを告げ、食事は直実に完成へと向かっていた。



「はい、召し上がれ」

 テーブルに供されたのはくり木椀もくわんにたっぷりと盛られたかゆであった。乾燥させた豆と茸、干し肉にチーズを入れて煮込んである。
 席順は、メリアの右隣の席に祖父。そして対面するのはノックで、スカーリャはヘイミルと対面し、中央につる植物を円盤状に編んだ敷物に乗せられた鍋が鎮座する。
 メリアは合掌がっしょうすると瞑目めいもくし、祝詞のりとを上げる。

「天上の主ホォルネスティー。冥界のザッハークよ。今日までの幸運と目の前の糧そして明日を喜べる心を恵んでくださり感謝いたします。ベール・ラビ・ザビ」

 ほか3人は、少女の祝詞の最後の3つの言葉のみを復唱して頭を下げた。
 そして、いの一番に木のさじで粥を掬い上げたメリア。
 持ち上がった白い粥はチーズによってなかなか途切れることがなく。待ちきれない少女の口に入っていく。

 火傷やけどするよ……、とあわててスカーリャが忠告するも、メリアの食欲は匙を止めることを許さなかった。
 少女の心を奪う粥は、ライ麦の酸味と香りが程よく、小麦が羊の干し肉の塩味とチーズの塩味を馴染ませ、水で戻さなかった豆と茸の少し歯応えを残した触感と強い香り、さらにチーズの濃く深い香りを生かす。
 柔らかくなった干し肉も、噛む度に甘い油をはじけさせ、細かくとも存在感を発揮した。
 少女は一言も発さない。その代わり、表情と食べっぷりには喜びがあふれ、食欲を掻き立てられる。
 おいしいかい? とスカーリャが気さくな苦笑いで尋ねる。
 メリアは食べるのを止めることなく、大きくうなずいた。
 少女がほほを膨らませるほど熱心に食べてくれるまで、不安を隠していたスカーリャは無駄な杞憂きゆうさいなまれていたことを自嘲じちょうしてしまう。
 そして、一口食べて、それなりの出来栄えに軽く頷くが、自分の努力に称賛する一方、物足りない。

「やっぱり、羊の乳があったらねぇ」

 ノックは小首を傾げる。

「どうだろう。チーズを入れたからなぁ……。そこに乳を入れると、確かに舌の触りが優しくなるけど、ほかの食材の味がぼやけて全体的な風味が弱くならないか? せっかくのチーズの味も薄れる」

 膨らんだ頬を弾ませるメリアは、意見をぶつけ合う親子に注目する。
 ヘイミルは節度を体現するように、口髭くちひげを汚すことも音を立てることもなく、粛々と匙を口に運び、味わったものをのどの向こうに送り届けてから口を開いた。

「母君のご指摘もわかります。しかしノック殿の味に対するこだわりも一理あって、この美食に対する答えが定まりませんな」

 頬が赤くなるスカーリャ。

「そんなとんでもない。うちの馬鹿息子の言葉なんて当てになりませんよ」

「いえいえ、素晴らしい食材とそれをさらなる美食へと昇華させた母君の料理を毎日食べていれば、おのずと舌が洗練されるというもの。まさに教育ならぬ、食育の賜物たまものですな」

 そんなとんでもない……、とスカーリャは絵に描いた満更まんざらでもない笑みを手で隠した。
 ノックは母親のある種の純粋さに気恥ずかしさと寒気を覚える。
 すると正面にいるメリアと目が合い、彼女の囁きに耳を傾ける。

「それほど物足りないのであれば、こちらを入れてみれば……」

 ノックは、少女が差し出した物体を直視して凍り付く。
 メリアの手中にあったのは、あのカミキリムシの幼虫をはるかに上回る太さと存在感の芋虫。
 ノックは生まれて初めて、頭の中で自分の叫び声を聞いた。

「まだ食べたことはないのですが。カミキリムシより大きいので。きっと、おいしいです」

 根拠希薄な暴論をもとに少女は真剣な顔になると、薄く開いた口から光るものを垂らす。
 それだけで少年は、こいつ実はバカだ、と確信するも。それを万人に喧伝けんでんする身体的能力と確固たる意思は完全に喪失してしまっていた。









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