私はビブリオテカ ―― 終わりなき博物誌編纂の過程で生きて嘆いて食べて笑って藻掻く姿に幸あれ ――

屑歯九十九

文字の大きさ
20 / 45
第零章 ―― 哀縁奇淵 ――

第020話 ―― 虚しく説く

しおりを挟む
【前回のあらすじ――。逃げた羊を探しに隣の里から来た羊飼いのベンダと猟師ロゲルを連れて、牧童のラーフは家に向かう。その途中、シャフルのような狼を従えたいと口走るベンダに対し、ロゲルはかつて自分の師が、シャフルと同じダイアウルフに足を奪われたことを語って獣の実力と脅威を評価した。一方、メリアとノックは羊飼いのコムンと行動を共にしていた】










 振り返るラーフは、追従する猟師と一瞬眼が合い、自身の右手の甲の紋章を撫でる。

「すみません。見せびらかすような真似して……。でも、シャフルもですが、紋章で誰かに危害を加えたことは今までなかったので、どうか安心してください」

 ロゲルは眉を上げ、自分が思った以上に紋章と狼に注目、あるいは警戒していたことを自認した。

「いや済まない。こちらこそ……、まるであんたたちが武器とか危険なものを扱ってるような言い草だったな。その……」

 ロゲルは少し悩んだ挙句、口を開く。

「正直なことを言うが……。紋章って聞くと、ほら、お偉いさんの権力と武力の象徴みたいに感じて」

 するとベンダが目敏めざとく何かを察し、笑みを浮かべる。

「はあ……、さてはお前、昔の話をまだ根に持ってんだろ?」

 昔の話? ラーフは当然のように疑問に思う。
 ロゲルは血相けっそうを変える。

「違う! 俺はもう吹っ切れてんだよ。くだらない言いがかりはやめろ!」

 ここぞとばかりにベンダは饒舌じょうぜつになった。

「こいつ昔。紋章ほしくて全財産はたいて偽物つかまされたんだよ」

「違う! あれはまじないだ! 効力のある呪いをほどこしてもらったんだ!」

「嘘つくなよ! 事実を知った後、めちゃくちゃ荒れてたじゃねぇか。倒れるまで酒飲んで」

「酒は薬として飲んだんだ!」

 ラーフはとりあえず場を和ませようと援護する。

「ああ、確かに、お酒には健康のためになるものが入ってるって、特に麦酒むぎしゅとかは脚気かっけに有効だと知り合いの薬草師も言ってたし……」

「いやいや違うね。蒸留酒だったもん」

 ベンダのしゃかまえた言い方にロゲルは怒りを覚える。

「黙って聞いてりゃ。一体誰のためにここまではるばる来たと思ってるんだ!」

「俺の義理の親に羊を御馳走ごちそうさせるって約束させやがったくせに。厚かましいんだよ」

 なんだと! 
 本当の事だろ! 

 と短い応酬を挟んでロゲルは言い放つ。

「お前が無能じゃなければ、そもそもこんな面倒なことにはならなかったんだぞ!」

「人の足元見て褒美ほうびり上げた上に! 雇い主に何て言い草だ!」

 事実だろうが! とロゲルもいよいよ怒声に近い声色だ。

 いきなり親戚2人が犬も食わない口喧嘩くちげんかきょうじ始めて若輩じゃくはいのラーフは狼狽ろうばいした。
 シャフルは呑気のんき欠伸あくびして、知らん顔を決め込む。
 犬は黙り、羊は草をかじり始める。

 ラーフは途方に暮れる。
 羊と狼の扱いに関しては心得があっても、こと人間のぎょし方など、ましてや、それが目上ならばなおのこと手に負えない。

 その時、狼が進行方向に向かって短くえる。

 腹に食い込むような野太い獣の一声は、少年にとって聞き慣れたものだったが。
 残り2人と2頭には本能に訴えるものがあり、いがみ合っていたことも軽食も忘れて仲良く狼を無意味に警戒してしまう。
 そして注目は、狼の視線の先からやって来る3人の人影に移る。

「おお! シャフル!」

 親し気に狼の名前を呼んだのはコムンだった。
 獣のあるじであるラーフの目にまったのは、年上の青年ではなく、その後ろで居心地悪そうに立ち止まる少年のほうである。
 勿論もちろん、うら若き少女にも目移りするが、結局、視線は少年に戻る。
 しかし、目が合うと視線をらされた。
 それを繰り返してお互い意を決し、歩み寄りをはかった。
 最初に話し出したのはコムンだった。

「どうしたんだよ。羊の世話は……」

 またさぼりか……、とノックは何の気なしに口走ったが、直ぐに脳天に釘を刺されたような気分になり硬直した。
 己の軽口をのろうノックは、あせって相手の顔をうかがうが。

 讒言ざんげんを浴びたラーフは平静な表情のままコムンだけを見て語りだす。

「実は、この2人がね……」
 


 事情を聴いたコムンは、なるほどぉ……、とつぶやき、自身に追従してきた羊の群れを見渡した。

来訪者である羊飼いと猟師は、離れたところで座り、他人の群れとまぎれないようにそして暴れないようにそれぞれが飼う家畜の首を押さえていた。

 ラーフはコムンに注目する。 

「だから問題が起こる前に何とかしようと思って」

「そうか。そいつは面倒だな……。分かった。気を付けて群れを見てみるよ。もし見つかったら……」

「その時は僕の家に来て。羊を預かる」

「分かった。なんだか、いっつも面倒ごとを押し付けて申し訳ないな」

「いやいや。そういうのも含めて僕の役目だから。それはそうと、どうして、2人と一緒に? メリアさんは……」

「2人とも仲良く俺の子分になったんだ、というのは半分冗談で。メリアちゃんが本当にうちの手伝いをしてるのは知ってるだろ? ノックは……、行く当てがないから、羊の群れに加えて役に立たないなら、今度の御料地送りの時に領主に売り渡そうと思って……」

 ひでぇ野郎だな……、とノックは自分が知らぬ間に税の一部に組み込まれていたと知るが、そんな冗談への注目は、見つめてくる少年の真っ直ぐでとがめるような視線に消し飛んだ。
 居心地の悪るさを意識したノックは、なんだよ……、と静かに反応する。
 ラーフはノックに近づいた。

「家に帰ったの?」

 目を逸らしたノックは、関係ないだろ……ッ、と答えた。
 コムンは開けた口を挟む機会を失う。 
 ノックの言葉に納得がいかないラーフは、まゆきびしさが浮かぶが、落ち着いた面持おももちを保って言う。

「だめだよ……。スカーリャさんも心配してるし。ダロンさんも、謝れば許してくれるんだから」

 さとそうとする少年に対し、ノックは怒りに開いた眼を向けた。

「関係ないだろ……? お前こそ羊の世話はどうしたんだよ。またヒースさんに全部任せて自分は気ままにふらついて……」

 コムンが割って入ろうとするが遅かった。
 彼の体格が入る隙間は、らしくないほど強い剣幕で一歩踏み出すラーフによって埋められる。

「勝手気ままじゃないよ! 説明を聞いてなかったの? ちゃんと父さんに頼まれた仕事だよ!」

 厭味いやみったらしく鼻を鳴らすノック。

「どうだかな……。ヒースさんはお前に甘いし。また、お前のお得意のウソ妄想で言いくるめたんじゃないのか?」

「そんな言い方しなくていいだろ! ノックこそ。そうやって減らず口ばっかりで任された仕事も適当にするからダロンさんが怒るんだよ。なんで自覚しないの?」

 メリアも介入しようとするが。
 2人の少年の間は敵愾心てきがいしんの見えない炎がすでに居座っていた。

 部外者である猟師と見習い羊飼いは、他人のつまらない喧嘩を見せつけられ、先ほどまでの自分たちの愚かさを自覚し、情けない思いをお互いの表情で共有する。

 その辺で……、とコムンが口を開くがノックの荒っぽい声がさえぎる。 

「はあッ? どうして俺やあのクソ親父のことがお前に分かるんだよ! いっつも鳥やら虫やら追っかけて目の前の羊すら見ないで走り出す奴が何を見てえらそうに言うんだ?」

「そっちこそ何を根拠に人をうそつき呼ばわりするんだよ!」

「ウソつきだろうが! 象とかよく分かんない魔物とか、それを食べる鳥だとか、獅子ししだか鳥だか分からない獣がいるとか……」

ぞうは魔物じゃないって言ってるだろ! それを食べる伝説があるのがロック鳥! それにグリフォンはわしの翼と胴体そしてオス後躯こうくが獅子なの! 何度言ったら覚えるの? 羊だってえさをくれる人間のこと覚えるのに、羊以下なんじゃない?」

「いちいちお前の言葉を真に受けてないんだよ! もしない生き物を語って! 挙句の果てに大地が動くとか意味不明なこと言いやがる奴の言葉なんかな! そんなウソ、子供だって信じないってのに! 本当のことのように言いふらして!」

 ラーフは怒りに染まった顔から表情を喪失していく。そして血を失っていったような蒼白な顔つきになる。

「でも……、信じてるって……大地は、動くって……」

 ノックは鼻であしらった。

「ああ子供の時はな! けど、あの時だって半信半疑だったんだよ。けど、言われた時は、お前が熱心に言うもんだから話を合わせてやったんだ。誰も信じないから可哀想かわいそうでさ。勘違いすんな……、俺はお前と違って現実を見てるんだよ」

 ノックは最後に視線をらした。
 しかしその顔には気まずさよりも、自分の言葉こそが正当であるという確信が表れていた。
 けれど、一抹いちまつの心残りが視線を揺さぶる。
 そして、ノックの顔はまた変じる。
 
 ラーフのほほを伝うしずくは音もなく降りて、熱に負けた初雪のように襟元えりもとに染みていく。
 氷の彫刻のようにラーフは硬直する。

 言葉をかけようとするコムンだが、口より目の方が開き、うめきも出せない。
 そうこうしていると、ラーフは力を失い、少年の横を過ぎ去った。
 
 まっずい……ッ、と口の中でつぶやくコムンは、状況の深刻度を自分なりに理解し、動き出そうとするが。自分がう羊の群れに後ろ髪をひかれ。さらにはくだんの来訪者が、所在ない、と無言でうったえる目と出くわした。

「ああ、そちらの2人はラーフについて行ってください。そして」

 メリアちゃん……ッ、と青年に小声で呼ばれた少女は一歩で相手との距離を詰めた。

「すまないがラーフをたのめないか?」

 コムンの要望にメリアは形の良い眉を揺らす。

「どうしてメリアが……? いえ、無論むろん引き受けますが。浅学非才せんがくひさいな若輩のメリアに一体何ができるでしょう?」

「もしラーフが話し出したら、ただ聞いてあげるだけでいい。それと余計ななぐさめも忠告ちゅうこくもいらない。ラーフは賢いから自分で決着できる。だから多分、赤の他人がそばにいたほうが、知人の視線のわずらわしさより、他人の視線に身もそぞろになって気がまぎれると思う。とにかく考え込まないようにさせるんだ。俺はノックを……」

承知しょうち

「ごめんな、面倒ごとに巻き込むようで。この埋め合わせは必ず」

「……いえ。今晩の食事で十分です」

 というメリアは自分が勝手に作ったおいしそうな幻想を直視してしまい出発が遅れた。
 しかし、与えられた任務は確かに記憶しているし、目は曇っていない。
 早速、来訪者の猟師と羊飼い2人に対し、去っていく少年を指示して、どうぞついてきてください……、と声をかけ歩き出した。

 一方のコムンは棒立ちの少年の首を腕で手繰たぐり寄せると羊の群れの中に招き入れた。





――お前が熱心に言うもんだから話を合わせてやったんだ。
 
  知らなかった。

――そんなウソ子供だって信じないってのに!

 わかってなかった。

――嘘つきだろうが

 そうだった。
 


――うそつきーッ!

 胸に長らくめ、突如とつじょ、呼び覚まされた子供の甲高かんだか誣告ぶこくは、今は亡き老人の言葉を思い出させた。

「前に話しただろ。炎と氷の島のことを……」

「うん!」

そう言って幼いころの自分は目を輝かせ、大叔父おおおじの話に耳を傾けた。
広い世界に触れた経験を持つ老人の話で一番大好きな島。
おそらく里よりも、もっと寒くて荒々しく、生きるかてとぼしい場所。
人にはどうしようもない自然の力にあふれた島。

 また大仰おおぎょうな身振り手振りで語ってくれると期待したが、大叔父は、曲録イスに深く腰掛こしかけ、いつになく真剣な眼差しで暖炉の火を見つめていた。

「あの時、わしは引き裂かれた大地とその裂け目でのたうち回る炎を見て実感したんだ。儂らをはぐくむこの大地は生きている。そして人がそうであるように絶えず変容し、動いているのだと理解したんだ……。大地もまた、旅をしているのだ……」

 人に聞かせるには、あまりにも壮大そうだいな結論。
 当時の幼い自分は、目も口も開けてしまう。
 それは感動というよりも、どう反応すればいいのか分からないから。
 どんな感情を抱けばいいのか、知らなかったからだ。
 
 大叔父は語る。

「その変化は……、大地の変化とは、あまりにも微細で、目をらしても分からない。人間にんげんの一生では感じられないのだろう。だが、きっと……常に世界は変容を続けている」

 老人の眼差しは確信によって、目の前にある炎を瞳に映しながら、もっと別の深淵を見定めて動かない。

 それに反して、幼いころの自分は、押されれば直ぐに転ぶような軟弱な子供だった。









しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

友人(勇者)に恋人も幼馴染も取られたけど悔しくない。 だって俺は転生者だから。

石のやっさん
ファンタジー
パーティでお荷物扱いされていた魔法戦士のセレスは、とうとう勇者でありパーティーリーダーのリヒトにクビを宣告されてしまう。幼馴染も恋人も全部リヒトの物で、居場所がどこにもない状態だった。 だが、此の状態は彼にとっては『本当の幸せ』を掴む事に必要だった 何故なら、彼は『転生者』だから… 今度は違う切り口からのアプローチ。 追放の話しの一話は、前作とかなり似ていますが2話からは、かなり変わります。 こうご期待。

わたし、不正なんて一切しておりませんけど!!

頭フェアリータイプ
ファンタジー
書類偽装の罪でヒーローに断罪されるはずの侍女に転生したことに就職初日に気がついた!断罪なんてされてたまるか!!!

卒業パーティーのその後は

あんど もあ
ファンタジー
乙女ゲームの世界で、ヒロインのサンディに転生してくる人たちをいじめて幸せなエンディングへと導いてきた悪役令嬢のアルテミス。  だが、今回転生してきたサンディには匙を投げた。わがままで身勝手で享楽的、そんな人に私にいじめられる資格は無い。   そんなアルテミスだが、卒業パーティで断罪シーンがやってきて…。

国外追放だ!と言われたので従ってみた

れぷ
ファンタジー
 良いの?君達死ぬよ?

魔王を倒した手柄を横取りされたけど、俺を処刑するのは無理じゃないかな

七辻ゆゆ
ファンタジー
「では罪人よ。おまえはあくまで自分が勇者であり、魔王を倒したと言うのだな?」 「そうそう」  茶番にも飽きてきた。処刑できるというのなら、ぜひやってみてほしい。  無理だと思うけど。

処理中です...