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第零章 ―― 哀縁奇淵 ――
第020話 ―― 虚しく説く
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【前回のあらすじ――。逃げた羊を探しに隣の里から来た羊飼いのベンダと猟師ロゲルを連れて、牧童のラーフは家に向かう。その途中、シャフルのような狼を従えたいと口走るベンダに対し、ロゲルはかつて自分の師が、シャフルと同じダイアウルフに足を奪われたことを語って獣の実力と脅威を評価した。一方、メリアとノックは羊飼いのコムンと行動を共にしていた】
振り返るラーフは、追従する猟師と一瞬眼が合い、自身の右手の甲の紋章を撫でる。
「すみません。見せびらかすような真似して……。でも、シャフルもですが、紋章で誰かに危害を加えたことは今までなかったので、どうか安心してください」
ロゲルは眉を上げ、自分が思った以上に紋章と狼に注目、あるいは警戒していたことを自認した。
「いや済まない。こちらこそ……、まるであんたたちが武器とか危険なものを扱ってるような言い草だったな。その……」
ロゲルは少し悩んだ挙句、口を開く。
「正直なことを言うが……。紋章って聞くと、ほら、お偉いさんの権力と武力の象徴みたいに感じて」
するとベンダが目敏く何かを察し、笑みを浮かべる。
「はあ……、さてはお前、昔の話をまだ根に持ってんだろ?」
昔の話? ラーフは当然のように疑問に思う。
ロゲルは血相を変える。
「違う! 俺はもう吹っ切れてんだよ。くだらない言いがかりはやめろ!」
ここぞとばかりにベンダは饒舌になった。
「こいつ昔。紋章ほしくて全財産はたいて偽物つかまされたんだよ」
「違う! あれは呪いだ! 効力のある呪いを施してもらったんだ!」
「嘘つくなよ! 事実を知った後、めちゃくちゃ荒れてたじゃねぇか。倒れるまで酒飲んで」
「酒は薬として飲んだんだ!」
ラーフはとりあえず場を和ませようと援護する。
「ああ、確かに、お酒には健康のためになるものが入ってるって、特に麦酒とかは脚気に有効だと知り合いの薬草師も言ってたし……」
「いやいや違うね。蒸留酒だったもん」
ベンダの斜に構えた言い方にロゲルは怒りを覚える。
「黙って聞いてりゃ。一体誰のためにここまではるばる来たと思ってるんだ!」
「俺の義理の親に羊を御馳走させるって約束させやがったくせに。厚かましいんだよ」
なんだと!
本当の事だろ!
と短い応酬を挟んでロゲルは言い放つ。
「お前が無能じゃなければ、そもそもこんな面倒なことにはならなかったんだぞ!」
「人の足元見て褒美を吊り上げた上に! 雇い主に何て言い草だ!」
事実だろうが! とロゲルもいよいよ怒声に近い声色だ。
いきなり親戚2人が犬も食わない口喧嘩に興じ始めて若輩のラーフは狼狽した。
シャフルは呑気に欠伸して、知らん顔を決め込む。
犬は黙り、羊は草を齧り始める。
ラーフは途方に暮れる。
羊と狼の扱いに関しては心得があっても、こと人間の御し方など、ましてや、それが目上ならばなおのこと手に負えない。
その時、狼が進行方向に向かって短く吠える。
腹に食い込むような野太い獣の一声は、少年にとって聞き慣れたものだったが。
残り2人と2頭には本能に訴えるものがあり、いがみ合っていたことも軽食も忘れて仲良く狼を無意味に警戒してしまう。
そして注目は、狼の視線の先からやって来る3人の人影に移る。
「おお! シャフル!」
親し気に狼の名前を呼んだのはコムンだった。
獣の主であるラーフの目に留まったのは、年上の青年ではなく、その後ろで居心地悪そうに立ち止まる少年のほうである。
勿論、うら若き少女にも目移りするが、結局、視線は少年に戻る。
しかし、目が合うと視線を逸らされた。
それを繰り返してお互い意を決し、歩み寄りを図った。
最初に話し出したのはコムンだった。
「どうしたんだよ。羊の世話は……」
またさぼりか……、とノックは何の気なしに口走ったが、直ぐに脳天に釘を刺されたような気分になり硬直した。
己の軽口を呪うノックは、焦って相手の顔を窺うが。
讒言を浴びたラーフは平静な表情のままコムンだけを見て語りだす。
「実は、この2人がね……」
事情を聴いたコムンは、なるほどぉ……、と呟き、自身に追従してきた羊の群れを見渡した。
来訪者である羊飼いと猟師は、離れたところで座り、他人の群れと紛れないようにそして暴れないようにそれぞれが飼う家畜の首を押さえていた。
ラーフはコムンに注目する。
「だから問題が起こる前に何とかしようと思って」
「そうか。そいつは面倒だな……。分かった。気を付けて群れを見てみるよ。もし見つかったら……」
「その時は僕の家に来て。羊を預かる」
「分かった。なんだか、いっつも面倒ごとを押し付けて申し訳ないな」
「いやいや。そういうのも含めて僕の役目だから。それはそうと、どうして、2人と一緒に? メリアさんは……」
「2人とも仲良く俺の子分になったんだ、というのは半分冗談で。メリアちゃんが本当にうちの手伝いをしてるのは知ってるだろ? ノックは……、行く当てがないから、羊の群れに加えて役に立たないなら、今度の御料地送りの時に領主に売り渡そうと思って……」
ひでぇ野郎だな……、とノックは自分が知らぬ間に税の一部に組み込まれていたと知るが、そんな冗談への注目は、見つめてくる少年の真っ直ぐで咎めるような視線に消し飛んだ。
居心地の悪るさを意識したノックは、なんだよ……、と静かに反応する。
ラーフはノックに近づいた。
「家に帰ったの?」
目を逸らしたノックは、関係ないだろ……ッ、と答えた。
コムンは開けた口を挟む機会を失う。
ノックの言葉に納得がいかないラーフは、眉に厳しさが浮かぶが、落ち着いた面持ちを保って言う。
「だめだよ……。スカーリャさんも心配してるし。ダロンさんも、謝れば許してくれるんだから」
諭そうとする少年に対し、ノックは怒りに開いた眼を向けた。
「関係ないだろ……? お前こそ羊の世話はどうしたんだよ。またヒースさんに全部任せて自分は気ままにふらついて……」
コムンが割って入ろうとするが遅かった。
彼の体格が入る隙間は、らしくないほど強い剣幕で一歩踏み出すラーフによって埋められる。
「勝手気ままじゃないよ! 説明を聞いてなかったの? ちゃんと父さんに頼まれた仕事だよ!」
厭味ったらしく鼻を鳴らすノック。
「どうだかな……。ヒースさんはお前に甘いし。また、お前のお得意のウソ妄想で言い包めたんじゃないのか?」
「そんな言い方しなくていいだろ! ノックこそ。そうやって減らず口ばっかりで任された仕事も適当にするからダロンさんが怒るんだよ。なんで自覚しないの?」
メリアも介入しようとするが。
2人の少年の間は敵愾心の見えない炎がすでに居座っていた。
部外者である猟師と見習い羊飼いは、他人のつまらない喧嘩を見せつけられ、先ほどまでの自分たちの愚かさを自覚し、情けない思いをお互いの表情で共有する。
その辺で……、とコムンが口を開くがノックの荒っぽい声が遮る。
「はあッ? どうして俺やあのクソ親父のことがお前に分かるんだよ! いっつも鳥やら虫やら追っかけて目の前の羊すら見ないで走り出す奴が何を見て偉そうに言うんだ?」
「そっちこそ何を根拠に人を嘘つき呼ばわりするんだよ!」
「ウソつきだろうが! 象とかよく分かんない魔物とか、それを食べる鳥だとか、獅子だか鳥だか分からない獣がいるとか……」
「象は魔物じゃないって言ってるだろ! それを食べる伝説があるのがロック鳥! それにグリフォンは鷲の翼と胴体そして雄は後躯が獅子なの! 何度言ったら覚えるの? 羊だって餌をくれる人間のこと覚えるのに、羊以下なんじゃない?」
「いちいちお前の言葉を真に受けてないんだよ! 居もしない生き物を語って! 挙句の果てに大地が動くとか意味不明なこと言いやがる奴の言葉なんかな! そんなウソ、子供だって信じないってのに! 本当のことのように言いふらして!」
ラーフは怒りに染まった顔から表情を喪失していく。そして血を失っていったような蒼白な顔つきになる。
「でも……、信じてるって……大地は、動くって……」
ノックは鼻であしらった。
「ああ子供の時はな! けど、あの時だって半信半疑だったんだよ。けど、言われた時は、お前が熱心に言うもんだから話を合わせてやったんだ。誰も信じないから可哀想でさ。勘違いすんな……、俺はお前と違って現実を見てるんだよ」
ノックは最後に視線を逸らした。
しかしその顔には気まずさよりも、自分の言葉こそが正当であるという確信が表れていた。
けれど、一抹の心残りが視線を揺さぶる。
そして、ノックの顔はまた変じる。
ラーフの頬を伝う雫は音もなく降りて、熱に負けた初雪のように襟元に染みていく。
氷の彫刻のようにラーフは硬直する。
言葉をかけようとするコムンだが、口より目の方が開き、呻きも出せない。
そうこうしていると、ラーフは力を失い、少年の横を過ぎ去った。
まっずい……ッ、と口の中で呟くコムンは、状況の深刻度を自分なりに理解し、動き出そうとするが。自分が請け負う羊の群れに後ろ髪をひかれ。さらには件の来訪者が、所在ない、と無言で訴える目と出くわした。
「ああ、そちらの2人はラーフについて行ってください。そして」
メリアちゃん……ッ、と青年に小声で呼ばれた少女は一歩で相手との距離を詰めた。
「すまないがラーフを頼めないか?」
コムンの要望にメリアは形の良い眉を揺らす。
「どうしてメリアが……? いえ、無論引き受けますが。浅学非才な若輩のメリアに一体何ができるでしょう?」
「もしラーフが話し出したら、ただ聞いてあげるだけでいい。それと余計な慰めも忠告もいらない。ラーフは賢いから自分で決着できる。だから多分、赤の他人が傍にいたほうが、知人の視線の煩わしさより、他人の視線に身もそぞろになって気が紛れると思う。とにかく考え込まないようにさせるんだ。俺はノックを……」
「承知」
「ごめんな、面倒ごとに巻き込むようで。この埋め合わせは必ず」
「……いえ。今晩の食事で十分です」
というメリアは自分が勝手に作ったおいしそうな幻想を直視してしまい出発が遅れた。
しかし、与えられた任務は確かに記憶しているし、目は曇っていない。
早速、来訪者の猟師と羊飼い2人に対し、去っていく少年を指示して、どうぞついてきてください……、と声をかけ歩き出した。
一方のコムンは棒立ちの少年の首を腕で手繰り寄せると羊の群れの中に招き入れた。
――お前が熱心に言うもんだから話を合わせてやったんだ。
知らなかった。
――そんなウソ子供だって信じないってのに!
わかってなかった。
――嘘つきだろうが
そうだった。
――うそつきーッ!
胸に長らく秘め、突如、呼び覚まされた子供の甲高い誣告は、今は亡き老人の言葉を思い出させた。
「前に話しただろ。炎と氷の島のことを……」
「うん!」
そう言って幼いころの自分は目を輝かせ、大叔父の話に耳を傾けた。
広い世界に触れた経験を持つ老人の話で一番大好きな島。
おそらく里よりも、もっと寒くて荒々しく、生きる糧に乏しい場所。
人にはどうしようもない自然の力にあふれた島。
また大仰な身振り手振りで語ってくれると期待したが、大叔父は、曲録に深く腰掛け、いつになく真剣な眼差しで暖炉の火を見つめていた。
「あの時、儂は引き裂かれた大地とその裂け目でのたうち回る炎を見て実感したんだ。儂らを育むこの大地は生きている。そして人がそうであるように絶えず変容し、動いているのだと理解したんだ……。大地もまた、旅をしているのだ……」
人に聞かせるには、あまりにも壮大な結論。
当時の幼い自分は、目も口も開けてしまう。
それは感動というよりも、どう反応すればいいのか分からないから。
どんな感情を抱けばいいのか、知らなかったからだ。
大叔父は語る。
「その変化は……、大地の変化とは、あまりにも微細で、目を凝らしても分からない。人間の一生では感じられないのだろう。だが、きっと……常に世界は変容を続けている」
老人の眼差しは確信によって、目の前にある炎を瞳に映しながら、もっと別の深淵を見定めて動かない。
それに反して、幼いころの自分は、押されれば直ぐに転ぶような軟弱な子供だった。
振り返るラーフは、追従する猟師と一瞬眼が合い、自身の右手の甲の紋章を撫でる。
「すみません。見せびらかすような真似して……。でも、シャフルもですが、紋章で誰かに危害を加えたことは今までなかったので、どうか安心してください」
ロゲルは眉を上げ、自分が思った以上に紋章と狼に注目、あるいは警戒していたことを自認した。
「いや済まない。こちらこそ……、まるであんたたちが武器とか危険なものを扱ってるような言い草だったな。その……」
ロゲルは少し悩んだ挙句、口を開く。
「正直なことを言うが……。紋章って聞くと、ほら、お偉いさんの権力と武力の象徴みたいに感じて」
するとベンダが目敏く何かを察し、笑みを浮かべる。
「はあ……、さてはお前、昔の話をまだ根に持ってんだろ?」
昔の話? ラーフは当然のように疑問に思う。
ロゲルは血相を変える。
「違う! 俺はもう吹っ切れてんだよ。くだらない言いがかりはやめろ!」
ここぞとばかりにベンダは饒舌になった。
「こいつ昔。紋章ほしくて全財産はたいて偽物つかまされたんだよ」
「違う! あれは呪いだ! 効力のある呪いを施してもらったんだ!」
「嘘つくなよ! 事実を知った後、めちゃくちゃ荒れてたじゃねぇか。倒れるまで酒飲んで」
「酒は薬として飲んだんだ!」
ラーフはとりあえず場を和ませようと援護する。
「ああ、確かに、お酒には健康のためになるものが入ってるって、特に麦酒とかは脚気に有効だと知り合いの薬草師も言ってたし……」
「いやいや違うね。蒸留酒だったもん」
ベンダの斜に構えた言い方にロゲルは怒りを覚える。
「黙って聞いてりゃ。一体誰のためにここまではるばる来たと思ってるんだ!」
「俺の義理の親に羊を御馳走させるって約束させやがったくせに。厚かましいんだよ」
なんだと!
本当の事だろ!
と短い応酬を挟んでロゲルは言い放つ。
「お前が無能じゃなければ、そもそもこんな面倒なことにはならなかったんだぞ!」
「人の足元見て褒美を吊り上げた上に! 雇い主に何て言い草だ!」
事実だろうが! とロゲルもいよいよ怒声に近い声色だ。
いきなり親戚2人が犬も食わない口喧嘩に興じ始めて若輩のラーフは狼狽した。
シャフルは呑気に欠伸して、知らん顔を決め込む。
犬は黙り、羊は草を齧り始める。
ラーフは途方に暮れる。
羊と狼の扱いに関しては心得があっても、こと人間の御し方など、ましてや、それが目上ならばなおのこと手に負えない。
その時、狼が進行方向に向かって短く吠える。
腹に食い込むような野太い獣の一声は、少年にとって聞き慣れたものだったが。
残り2人と2頭には本能に訴えるものがあり、いがみ合っていたことも軽食も忘れて仲良く狼を無意味に警戒してしまう。
そして注目は、狼の視線の先からやって来る3人の人影に移る。
「おお! シャフル!」
親し気に狼の名前を呼んだのはコムンだった。
獣の主であるラーフの目に留まったのは、年上の青年ではなく、その後ろで居心地悪そうに立ち止まる少年のほうである。
勿論、うら若き少女にも目移りするが、結局、視線は少年に戻る。
しかし、目が合うと視線を逸らされた。
それを繰り返してお互い意を決し、歩み寄りを図った。
最初に話し出したのはコムンだった。
「どうしたんだよ。羊の世話は……」
またさぼりか……、とノックは何の気なしに口走ったが、直ぐに脳天に釘を刺されたような気分になり硬直した。
己の軽口を呪うノックは、焦って相手の顔を窺うが。
讒言を浴びたラーフは平静な表情のままコムンだけを見て語りだす。
「実は、この2人がね……」
事情を聴いたコムンは、なるほどぉ……、と呟き、自身に追従してきた羊の群れを見渡した。
来訪者である羊飼いと猟師は、離れたところで座り、他人の群れと紛れないようにそして暴れないようにそれぞれが飼う家畜の首を押さえていた。
ラーフはコムンに注目する。
「だから問題が起こる前に何とかしようと思って」
「そうか。そいつは面倒だな……。分かった。気を付けて群れを見てみるよ。もし見つかったら……」
「その時は僕の家に来て。羊を預かる」
「分かった。なんだか、いっつも面倒ごとを押し付けて申し訳ないな」
「いやいや。そういうのも含めて僕の役目だから。それはそうと、どうして、2人と一緒に? メリアさんは……」
「2人とも仲良く俺の子分になったんだ、というのは半分冗談で。メリアちゃんが本当にうちの手伝いをしてるのは知ってるだろ? ノックは……、行く当てがないから、羊の群れに加えて役に立たないなら、今度の御料地送りの時に領主に売り渡そうと思って……」
ひでぇ野郎だな……、とノックは自分が知らぬ間に税の一部に組み込まれていたと知るが、そんな冗談への注目は、見つめてくる少年の真っ直ぐで咎めるような視線に消し飛んだ。
居心地の悪るさを意識したノックは、なんだよ……、と静かに反応する。
ラーフはノックに近づいた。
「家に帰ったの?」
目を逸らしたノックは、関係ないだろ……ッ、と答えた。
コムンは開けた口を挟む機会を失う。
ノックの言葉に納得がいかないラーフは、眉に厳しさが浮かぶが、落ち着いた面持ちを保って言う。
「だめだよ……。スカーリャさんも心配してるし。ダロンさんも、謝れば許してくれるんだから」
諭そうとする少年に対し、ノックは怒りに開いた眼を向けた。
「関係ないだろ……? お前こそ羊の世話はどうしたんだよ。またヒースさんに全部任せて自分は気ままにふらついて……」
コムンが割って入ろうとするが遅かった。
彼の体格が入る隙間は、らしくないほど強い剣幕で一歩踏み出すラーフによって埋められる。
「勝手気ままじゃないよ! 説明を聞いてなかったの? ちゃんと父さんに頼まれた仕事だよ!」
厭味ったらしく鼻を鳴らすノック。
「どうだかな……。ヒースさんはお前に甘いし。また、お前のお得意のウソ妄想で言い包めたんじゃないのか?」
「そんな言い方しなくていいだろ! ノックこそ。そうやって減らず口ばっかりで任された仕事も適当にするからダロンさんが怒るんだよ。なんで自覚しないの?」
メリアも介入しようとするが。
2人の少年の間は敵愾心の見えない炎がすでに居座っていた。
部外者である猟師と見習い羊飼いは、他人のつまらない喧嘩を見せつけられ、先ほどまでの自分たちの愚かさを自覚し、情けない思いをお互いの表情で共有する。
その辺で……、とコムンが口を開くがノックの荒っぽい声が遮る。
「はあッ? どうして俺やあのクソ親父のことがお前に分かるんだよ! いっつも鳥やら虫やら追っかけて目の前の羊すら見ないで走り出す奴が何を見て偉そうに言うんだ?」
「そっちこそ何を根拠に人を嘘つき呼ばわりするんだよ!」
「ウソつきだろうが! 象とかよく分かんない魔物とか、それを食べる鳥だとか、獅子だか鳥だか分からない獣がいるとか……」
「象は魔物じゃないって言ってるだろ! それを食べる伝説があるのがロック鳥! それにグリフォンは鷲の翼と胴体そして雄は後躯が獅子なの! 何度言ったら覚えるの? 羊だって餌をくれる人間のこと覚えるのに、羊以下なんじゃない?」
「いちいちお前の言葉を真に受けてないんだよ! 居もしない生き物を語って! 挙句の果てに大地が動くとか意味不明なこと言いやがる奴の言葉なんかな! そんなウソ、子供だって信じないってのに! 本当のことのように言いふらして!」
ラーフは怒りに染まった顔から表情を喪失していく。そして血を失っていったような蒼白な顔つきになる。
「でも……、信じてるって……大地は、動くって……」
ノックは鼻であしらった。
「ああ子供の時はな! けど、あの時だって半信半疑だったんだよ。けど、言われた時は、お前が熱心に言うもんだから話を合わせてやったんだ。誰も信じないから可哀想でさ。勘違いすんな……、俺はお前と違って現実を見てるんだよ」
ノックは最後に視線を逸らした。
しかしその顔には気まずさよりも、自分の言葉こそが正当であるという確信が表れていた。
けれど、一抹の心残りが視線を揺さぶる。
そして、ノックの顔はまた変じる。
ラーフの頬を伝う雫は音もなく降りて、熱に負けた初雪のように襟元に染みていく。
氷の彫刻のようにラーフは硬直する。
言葉をかけようとするコムンだが、口より目の方が開き、呻きも出せない。
そうこうしていると、ラーフは力を失い、少年の横を過ぎ去った。
まっずい……ッ、と口の中で呟くコムンは、状況の深刻度を自分なりに理解し、動き出そうとするが。自分が請け負う羊の群れに後ろ髪をひかれ。さらには件の来訪者が、所在ない、と無言で訴える目と出くわした。
「ああ、そちらの2人はラーフについて行ってください。そして」
メリアちゃん……ッ、と青年に小声で呼ばれた少女は一歩で相手との距離を詰めた。
「すまないがラーフを頼めないか?」
コムンの要望にメリアは形の良い眉を揺らす。
「どうしてメリアが……? いえ、無論引き受けますが。浅学非才な若輩のメリアに一体何ができるでしょう?」
「もしラーフが話し出したら、ただ聞いてあげるだけでいい。それと余計な慰めも忠告もいらない。ラーフは賢いから自分で決着できる。だから多分、赤の他人が傍にいたほうが、知人の視線の煩わしさより、他人の視線に身もそぞろになって気が紛れると思う。とにかく考え込まないようにさせるんだ。俺はノックを……」
「承知」
「ごめんな、面倒ごとに巻き込むようで。この埋め合わせは必ず」
「……いえ。今晩の食事で十分です」
というメリアは自分が勝手に作ったおいしそうな幻想を直視してしまい出発が遅れた。
しかし、与えられた任務は確かに記憶しているし、目は曇っていない。
早速、来訪者の猟師と羊飼い2人に対し、去っていく少年を指示して、どうぞついてきてください……、と声をかけ歩き出した。
一方のコムンは棒立ちの少年の首を腕で手繰り寄せると羊の群れの中に招き入れた。
――お前が熱心に言うもんだから話を合わせてやったんだ。
知らなかった。
――そんなウソ子供だって信じないってのに!
わかってなかった。
――嘘つきだろうが
そうだった。
――うそつきーッ!
胸に長らく秘め、突如、呼び覚まされた子供の甲高い誣告は、今は亡き老人の言葉を思い出させた。
「前に話しただろ。炎と氷の島のことを……」
「うん!」
そう言って幼いころの自分は目を輝かせ、大叔父の話に耳を傾けた。
広い世界に触れた経験を持つ老人の話で一番大好きな島。
おそらく里よりも、もっと寒くて荒々しく、生きる糧に乏しい場所。
人にはどうしようもない自然の力にあふれた島。
また大仰な身振り手振りで語ってくれると期待したが、大叔父は、曲録に深く腰掛け、いつになく真剣な眼差しで暖炉の火を見つめていた。
「あの時、儂は引き裂かれた大地とその裂け目でのたうち回る炎を見て実感したんだ。儂らを育むこの大地は生きている。そして人がそうであるように絶えず変容し、動いているのだと理解したんだ……。大地もまた、旅をしているのだ……」
人に聞かせるには、あまりにも壮大な結論。
当時の幼い自分は、目も口も開けてしまう。
それは感動というよりも、どう反応すればいいのか分からないから。
どんな感情を抱けばいいのか、知らなかったからだ。
大叔父は語る。
「その変化は……、大地の変化とは、あまりにも微細で、目を凝らしても分からない。人間の一生では感じられないのだろう。だが、きっと……常に世界は変容を続けている」
老人の眼差しは確信によって、目の前にある炎を瞳に映しながら、もっと別の深淵を見定めて動かない。
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