私はビブリオテカ ―― 終わりなき博物誌編纂の過程で生きて嘆いて食べて笑って藻掻く姿に幸あれ ――

屑歯九十九

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第零章 ―― 哀縁奇淵 ――

第022話 ―― 発く見るため

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【前回のあらすじ――。少女メリアに大地が移動する学説とその他の説を語ったラーフは、幼いころ迷った森の奥で、大地が動いている証拠になりえる貝の化石を見つけたことを思い出す。そして、迷い羊を1頭自宅の柵の内側につなぎ止め、残り4匹を探しにまずは知り合いの羊飼いを訪ねることを提案した。森ではレプルが無残な姿を晒す羊とそれを食らう獣と遭遇し、巨大な影に宿る黄色い眼に見下ろされ、悲鳴をあげた。コムンと一緒にいたノックは、羊の群れの中で茫然自失の状態で蹲り、無心で草を手で千切っていた】










「おい、やめろよ羊の餌を」

 コムンは、ひざを抱えてうずくまって片手で草刈りをする少年を叱責しっせきした。
 背後から注意されたノックは、振り返らないどころか、しなびてかわいた果実のようなつらを変えない。
 あげてるからいいだろ……、と亡者めいた声の調子と緩慢かんまんな動きで、刈り取った草をさっそく羊に差し出す。
 しかし、コムンは不満だ。

「そうやって手であげるようになるとくせになって面倒なんだ。こっちが軽く握った手に鼻先を突っ込んでくる」

 コムンの声色を察するほどには、まだ理性も人間性も失っていなかったノックは、最後に掴んだ草は抜かずに手放した。
その代わり、頭を支えていた見えない糸でも切れたのか、大袈裟おおげさ項垂うなだれ、重いたい溜息ためいきを吐く。

「はぁ……俺は、俺はなんで。はぁ……、あいつを、ラーフを男のように扱ってしまった」

 いやラーフは男だろ……、とコムンは少年の短い後ろ髪に噛みつく羊を引き離した。
 髪の毛の憂いがなくなったノックだが、そんなこと、彼の暗澹あんたんたる現状には微風そよかぜが止んだ程度の違いでしかない。

「いや、そうじゃなくて、もっとこう。その……あいつは繊細なんだよ。それこそ俺の母ちゃんにも見習ってほしいくらいに繊細なの」

 それなのに……、とノックは、自分がついさっき相手にぶつけた言葉の数々を反芻はんすうして気が重くなり、開いたひざの間に頭を埋める。

 ラーフに対する評価を聞いたコムンは、しかし、納得できずのどを鳴らす。

「うーん……俺はそうは思わないな。ラーフは男らしいよ」

「何を言ってるんだよ。子供のころから女みたいって周りからからかわれてただろ? コムンだって言ってたくせに……」

「それは子供の頃の話だし、見た目だけのことだろ? 確かに体は細いが……」

「そうじゃないの。見た目だけじゃなくて、こう。なんというか、夢見がちなところというか……涙脆なみだもろいところとか……」

 誰よりもすぐそばにずっと居たからこそ分かっている、と確信した口ぶりのノックに対し。
 コムンは困り顔を背けた。

「あいつは、繊細な一面を持ってるかもしれないが……。それ以上に強いものを持った奴だよ。だから今まで、ずっと大叔父モンラの言葉を信じて学んできたんだし、大勢に嘘つき呼ばわりされても絶対に主張をくつがえさなかった。例えば……、魔物のこととか。お前も覚えてるだろ? 昔、大人たちがラーフに詰め寄って……他人を怖がらせるようなことをおおっぴらに言うなって怒鳴って。あいつ泣き出してよ……」

「ああ、覚えてる。確か怒鳴り散らしてたのは……、お前のひいじいさんじゃなかったか?」

 そうだよよく覚えてらっしゃる……、とコムンは相手に背中を向ける。
 ノックは目だけ振り向いて指摘した。

「その話だと、ラーフが泣き虫で打たれ弱いってことを証明してるんじゃないのか?」

「問題は怒られたあとだよ。爺さんが直接しかった後もラーフは、こっそり皆に魔物の知識を触れ回って、とうとううちの爺さん、教会堂の説教師まで連れてきてラーフの家に怒鳴り込んだじゃないか」

「そうだよ。あのとき本当にビビったなぁ……。遊びに来てた俺まで説教食らって。最終的には説教をしてもらうはずだった説教師が爺さんをなだめる始末でさ。出かけ先から帰ってきたモンラが、騒動を聞いて駆けつけて……、何事だ! って物凄い剣幕で追い返してたな……」

「そうだよ。あの後、爺さん体調崩して寝込んでよ……。これも、モンラののろいのせいだとか、ちょっとした騒ぎになって……て、そうじゃなくて。そんなことがあっても今もラーフは魔物やら見えるものも見えないものも関係なく生物やら奇妙なものを追いかけまわしてるだろ? 自分が信じたことを決して曲げなかったし……。いくら言っても謝らないって……小さいくせに頑固だ、って爺さんも生前愚痴ぐちをこぼしてた……。怒鳴りに家に行った時も、すぐに泣いたくせに、泣きながらずっと魔物やらの説明をしたんだと……。それこそ、説教師が舌を巻いて、たいそう利発な子供だ、ぜひ教会で預かりたい、ってヒースさんに相談まで持ち掛けてたって聞いたぞ」

 ノックは記憶を巡る。
 覚えているのは身の丈に合わない大きな巻物を抱え、書物を開いて、顔中、涙と鼻水にまみれながらも必死に、嘘じゃない、と自分の知識であり大叔父おおおじから譲り受けたものをしげもなく披露する姿だった。
 幼い思い出の中で今も鮮明な姿は、友人のしんの強さの表れであることは明白だった。
 
 大人たちを追い返したモンラが、ラーフを笑顔で抱き上げ、背中を撫でてあやし、何があったのかを聞いて賞賛していた時、自分は直前のやり取りに呆然としていたので動けなかったが、心でうなずいていた。ラーフの勇敢ゆうかんさと強い信念に。

 コムンは言う。

「だから……、あいつがさっき泣いた理由は、お前が考えてるのとは別なんだ。そして、見た目以上に深刻なんだよ……ッ」

 どういうことなんだ、というような茫然ぼうぜんとした顔で見上げてくる少年に対し。
 コムンは苛立いらだちを覚えるが、短い吐息を飛ばし冷静になった。

「ラーフはいいやつで真面目だってことは皆が知ってる。けど、あいつの知識と言動は正直……、周りには不気味に映ってるんだ。ラーフの考えていることを理解して、あいつの夢を心から応援してくれた奴なんて。父親おやじさんのヒースと……だったんだよ。それなのに、お前が……、なんて言うから……」

 ノックは真相を知って今度こそ本当に打ちのめされた。
 自分の言葉の字面じづらばかり思ってうれいていたついさっきよりも深い痛みが心臓を掌握しょうあくする。
 無二の友人をにじった罪悪感が、見えないし触れられない炎や刃となって、身も心もむしばむ。

 自己嫌悪する少年を見ていないコムンは、もう一人の少年の悲しみを思って口を開く。

「お前のいう通り……、ラーフだって繊細な部分はあるはずだ。傷ついた時もあっただろうさ。心細くてくじけそうな時だっていくらでもあっただろうさ……。ただでさえ、紋章なんて大層なもん負わされて。一歩間違えたら村八分むらはちぶになったっておかしくなかったんだ……ッ。みんな表向きは親しくしてるが、それでも怖がってるのは、本人だって分かってた。あいつは賢いからな……ッ。都合よく……、何か問題が起こった時だけたよるくせに……ッ、どいつもこいつもあの親子を怖がってたんだッ! ものにしてたんだ!」

 羊たちが主から離れていく。
 怒りや悲しみを隠せない青年に、ノックはやっと正面を向き、震える背中を目にして、言葉が出なかった。
 
「俺たちみたいな凡人ぼんじんの考えなんざ、あの親子にはお見通しだったろうよ……。だから……、お前くらいだったんだぞッ? あいつが、ラーフが心を開いてたのは……」

 ノックは青年の向ける怒りをただ黙って受け入れる。

「子供の時は、やたらめったら誰彼構わず知識を披露して、そのせいで周りの大人がラーフに子供を近づけさせなかった。今もそうだ。里の行事じゃない限りは、同世代でお前としか話もしない……。お前だけは、小さいころから、あいつの近くに居てよ……。まあ、スカーリャさんが許したってのも大きいが。それでも、きっとラーフにとっては……ッ。子供ながらに、救われた気持だったんじゃないのか? 一人じゃないって実感できたのは……」

 顔を下げたコムンは眼を拭う。そして、少年の顔を見据え、心にうったえる。

「それなのに、お前が……、あいつを信じてなかったって言ったら……。どう思うか……。

 分かるよな……?」

 蒼白になるノックは、また深く顔を下げてしまう。

 コムンは視線を泳がせてしまう。しかし、言うべきことははばからない。

「だから、早いうちに、謝りに行ってくれ……」

 コムンは深呼吸を1つして続ける。

「ただし……、今はいそがしそうだから、謝りに行くならラーフの家で待ってろ。お前と違ってラーフは必ず帰るだろうからな」

「……俺、なんて言って、謝れば……」

「知るか……ッ。そんなもん自分で考えろ馬鹿野郎! そして早く群れから出ていけ。仕事の邪魔だ!」

 言われたノックはゆっくりと立ち上がり、そして、ふらつきながら歩きだす。
 手に残った草の残骸を舐めるため、羊が追っていくが、少年は無反応を貫き、亡者の足取りで群れを離れる。
 羊たちも、興味を失ったのか、足元の草を食べ始めた。

 遠ざかる少年の背中を見送り、盛大に溜息をこぼすコムンは肩から力を抜くと、静かに語りだす。

「は~あぁ……。お前ら馬鹿じゃないんだから、もう二度と喧嘩すんな。気苦労が増える……。って、ラーフに面倒を押し付けてるんだから、これくらい引き受けて当然……。いや、結局ノックにだって……ラーフのことを押し付けてるようなもんか……。つくづく俺は……。あ……あれ?」

 コムンは1頭の羊に近づく。まるで同族に避けられるように群れの真ん中で孤立していたその羊には、見慣れないが覚えがある木鈴もくりんが首に下げられ、背中には土が塗られていた。

「おいおい……俺は面倒請負人じゃないんだぞ? いや、もういっそのこと、その道に進もうかなぁ……、少なくとも、聖人扱いよりましか……」

 コムンもまた羊に向かって歩き出した。
 





 そのころ、主を背中に乗せたシャフルが森の中を走っていた。
 隣にはロゲルの犬が並走する。
 獣たちは研ぎ澄まされた嗅覚で空気を掴み、鼻で地面を探り、周囲を見渡す。

 走るベンダは荒い呼吸を挟みながら、前を進むロゲルにたずねた。

「なあ、本当に……。羊がいるのか? 里の人に……話を聞いたほうが……」

「里にいたとき、ちょうど風下だったから匂いでも漂ってきてダイアウルフが何かを感じ取ったんだろう。俺の犬も森に入った時点で何かを嗅ぎ取ってる」

ラーフも目をつむり、鼻腔びくうをくすぐる匂いがまぶたの裏に描く風景に意識を集中する。

 彼の見る闇の世界では、ゆったりと動く色のついた霧が漂っている。
 それは全て光の粒子だ。夜空の星々より鈍い明りだが、色彩は鮮明である。
 大地を覆う木の葉と枯れ枝と苔の輪郭りんかくを縁取り、こまやかな起伏から立ち上る茶色。
 幹の凹凸を撫でる黄色。
 木の葉の輪郭を浮き彫りにする翡翠ひすい色。
 そして、それらの間を広く漂い、雲のように流れる灰色と、煙のような漆黒。
 様々な色が混ざり合い、ゆっくりと捻じれ、時に色を変えるが。
 混ざった色彩は元の色が分離される。

 茶色の光が支配する地面では、緋色の斑点が対角線上に点在し列をなす。その欠損が著しい斑点から同じ色の湯気が立ち昇る。

 犬が歩き出すと、シャフルも一歩踏み出すが進むことはなく、首を曲げて、目の端に背中の主を映す。
 
 後から追ってきた3人のうち、ロゲルは犬の姿を追いかけて、息も絶え絶えのベンダがラーフに声をかけようと息を吸い込む。
少年の名前を轟かせる、つもりだったが前にいたメリアが腕を差し出し、待ってください……、と制した。
 何気ない行動を止められた男に、呼吸も乱さないメリアは理由を述べる。

「今、ラーフ殿はシャフル殿と感覚を共有させているのです」

 何かをさとった顔になるベンダは。

「それはつまり……どういうことですか?」

 神妙な顔から一変、頼りない素振りを見せる男に、メリアは眉一つ動かさず粛々と教える。

「生物は人よりも鋭敏な感覚を持っています。それを紋章を介して人の意思で操作し、能力を高める。あるいは、従者の得た感覚をそのまま主が体感することで、普段以上に物事を洞察するのです。それだけにとどまらず、時には人の思慮を従者である獣に貸し与えることもできる」

 へぇ……などと分かっているのかいないのか、いまいち要領の得ない声を漏らすベンダ。

 一方で犬を追跡していたロゲルは振り返り、親類と同じように声を上げようと思ったが、こちらは察しがよく、犬に痕跡の追跡を任せ、狼と少年に近づいていった。
 そうすると狼の背にまたがる少年が、目をつむったまま振り向いてくる。
 思わずロゲルは足を止め息を飲んだ。

 ラーフが目を開ける。
 そこへ合流したメリアが、何か分かりましたか? と尋ねる。

「うん、少しだけですが……里の近くまで3匹の羊がやってきていたようです。うち1匹は、僕たちが出会ったとき捕まえた子で。あそこまで行くのに、すごく歩き回ったんでしょうね……。そして、もう1匹は足を怪我して爪から血が出てる」

 そこまで分かるので? とベンダは感心する。

「うん……。残る2匹の痕跡がないから、その子達とはかなり前にはぐれたみたいだ……。彼らの匂いからして、相当不安に駆られていたようです。1匹は怪我をしているので、もしかしたら、捕食者に襲われたのかもしれない」

 それは……、とメリアは表情を暗くする。
 ベンダも顔色を悪くして少年に迫った。

「羊は無事だろうか? もし死んでしまったら、お、俺は義父おやじさんになんて言って許してもらえばいいんだ……」
 
 彼にとって羊の明暗こそが死活問題なのだろうが、メリアの懸念はまた別のものであった。

「ラーフ殿。その捕食者の素性はお分かりになりますか?」

 ラーフは首を横に振る。

流石さすがにそこまでは分からない。というのも、漂っている匂いが記憶にないものだから特定ができない。けど、羊だって全力で走れば、狼に負けることもあるけど、それでも簡単には捕まらない……。足を怪我した羊がここまで生き延びた訳だし……。もし捕食者が居たとしても、案外、そいつは足が早くないのかも……」

 それは希望のある話だが、彼の表情には難しい思いが読み取れた。









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