私はビブリオテカ ―― 終わりなき博物誌編纂の過程で生きて嘆いて食べて笑って藻掻く姿に幸あれ ――

屑歯九十九

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第零章 ―― 哀縁奇淵 ――

第025話 ―― 対して話す

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【前回のあらすじ――。森の中に来たノックは狩小屋の前で、毛皮の外套をまとって獣を装っていた浮浪者レプルと再会し、森で遭遇したという謎の獣について警告される。それは、レプルには魔物のように思えたという。そのことをノックはラーフに伝えることを約束し、同時に、ラーフを心配する声を受け止めて、自分が抱いていたラーフに対する印象と周りが抱いていた印象との乖離に不安を覚え、狩り小屋を支える木の根元に力なく座り込んだ】










 レプルは頭から外套がいとうを外し、その場で座り込んで項垂うなだれる少年に、どうしたんだ? とたずねた。
 ノックは、視線を定める場所を見失い、ついに目を閉ざす。

「わかんなくなったんだよ……。あいつのことが。ラーフのことが……。知り合いに言われて。お前に言われて……。ラーフが弱いやつだと思ってたけど。それは……、俺が思ってたような、弱さじゃなくて……。ラーフの力で、誰にも負けない強さが、才能が……。あいつにとって、重荷になって、あいつを苦しめてたなんて……考えもしなくて……。ラーフは心細かったんだって……言われて。俺、ぜんぜん、そんなこと知らなくて……。あいつのそばに居たのは、俺だけだなんて、思わなくて……。だって、あいつ、皆にいつも頼られてたんだ。同年代では、一番賢くて、いや、里の大人にも、賢さと知識じゃ負けないって思ってた……。俺は、ラーフはなんか、もっと、皆の中心にいる奴だと思ってた。誰よりも、輝いて見えて……。だから、誰よりも強く前に進んでると思って……。そのくせ、泣き虫で……。そう思ってた……。勝手に、あいつのことを決めつけてた。けど……、間違ってた……。ラーフは、何を思ってたんだろうな……。どうして、俺、あいつに……、酷いこと言って……」

孤独こどくにした……」

 レプルの言葉に、ノックはずっと下げていた目を見開き、そして強く眼をつむり、闇に視界を委ねる。
 孤独の何たるかを知っている人間の言葉は重たかった。

 レプルは少年に近づくことはしないが、片膝をつき、地面に視線を落とした。

「お、俺も……ラーフは強い人間だと、思う。けど、やっぱり、どこかさびしそうだった……。でも、自分の思っていること、学びと洞察をもって信じようと決めたことを貫く意思は、すごく感じたんだ……。今まで、漠然としか考えてなかったけど、お前の話を聞いて、分かった気がする」

 そう語る相手に、ノックは顔を上げる。
 レプルは少年の瞳を見て告げた。

「……お前がいたから、できたんだな……。あいつが、ラーフが躊躇ためらわず、突き進むことができたのは、お前が支えになってたからだったんだ」
 
 少年の顔に宿る絶望にレプルは、一度は目をせた。だが、ちゃんと向き合う。

「い、今のラーフは……もしかしたら、かつてないほど、孤独なのかもしれない。それが1日や2日なら、まだ取り返しがつく傷で済むだろう。で、でもな、心の傷は見えないからこそ……、深く刻まれた時は、目に見える傷口よりも、ずっと……重く恐ろしいんだ。どんな、病よりも、辛いんだ。そして、それは、ラーフだけにとどまらず。彼を愛する人を……全員、苦しめる。お前を含めて……」

 ノックは知らないうちに下げていた眼を上げる。
 レプルは自身の胸に手を置く。彼の目には責める色はなく、ただ悲しみだけがあった。

「ノック……お前が、抱えているのは。だ。愛情といってもいい。だから辛いんだよ」

 その言葉は、ノックにとって、他にない真実に思えた。
 レプルも迷いなく言う。

「……ラーフに会いなさい。ラーフのためにも、お前のためにも」





 少年は立ち上がり、去っていく。
 その少年の姿にレプルは手を伸ばし、輪郭を撫でた。

「ごめんよ……」

――二人のためと言ったが。あれは嘘だ。

 俺のためなんだ。俺の分まで二人に幸せになってほしいから。
 孤独な二人を見たくないから、言ったんだ。



 その本音は、本人の胸にしまい込まれる。






 細い突風が少女の首筋を撫で、髪に隠れていた耳たぶがわずかに覗いた

 振り返ったメリアは周囲を見渡す。
 太陽が南天を過ぎたばかりだが、灰色の雲が空の大部分を染め上げていた。まだ雨の気配はないが、次の瞬間に降られてもおかしくない。

 これで残るは3匹……、とつぶやくベンダはさくつないだ2頭の羊を撫でる。
 ロゲルは上空を見つめて、雲行きが怪しいな……、と言った。
 ベンダは渋面で反論する。

「そんなこと言うな。幸先いいだろ? 2匹見つかって……」

「いや、本当に空のことを言ったんだ」

 親類にただ自然と訂正されたベンダは、振り返って空を見上げた。

「ああ、本当だ。まいったなぁ……こいつは間違いなく一雨来るぞ。しかも、土砂降りになる」
 
 うなずくロゲルは。

「今日はこの辺で捜索を打ち切りにしたほうがいいかもしれない。雨なら暗くなるのが早くなるし、視界も悪くなる。獣の鼻もかなくなる」

 そうですね……、とメリアも賛同する。
 しかしラーフは。

「あともう少し……、それこそ、僕だけでも探しに行きます。本当に天気が荒れて、もし雨に濡れれば、いくら毛に守られている羊とはいえ、体温も体力も奪われる」

「それはラーフ殿も同じですよ?」

 メリアの指摘に頷くロゲルとベンダ。
 ベンダは懇願こんがんする。

「本当に助けてくれてありがたい。でも、これで君にまで、もしものことがあったら、それこそ取り返しがつかない。今日はもうよそう」

 けど……、とラーフは表情を暗くした。
 そこへ、オーイ! と呼び声がとどろく。

 皆が注目した先から、手を振って歩いてきたのはコムンで、しきりに周辺を見渡す。その手には羊の首に回された縄の手綱が握られていた。
 ほがらかな笑みを見せる青年に、誰よりも真っ先に駆け寄ったのはベンダだった。
 柵を飛び越え、羊の首輪と背中の薄れた土の塗装を目にして、涙がにじむ。
 今まで同行してくれた者たちに振り返り、うちの羊だ! と喜びの声で叫んだ。
 これで残るは2匹か……、とロゲルがつぶやき、保護された羊と親類を迎えいれた。
 何があったの? とラーフがコムンに聞いた。

「それがさ、こっちの群に混ざってるのを発見して……」

 その群れは? とメリアは青年の背後の何もない草原を確認する。
 笑顔を崩さないコムンは、親父おやじと仲間に任せた……、と答える。

 収穫は十分じゃないのか? とロゲルが少年の顔を覗き込む。
 ラーフは目を瞑って、新たに迎え入れた羊に近づく。
 シャフルも主のほほに頬をすり寄せるようにして、嗅覚を研ぎ澄ませた。
 
「この子は、森で見つけた3匹分の匂いと違う……」

 ラーフの呟きに皆が耳をそばだてる。
 ということは? と少女が思わず問い詰めた。
 目を開けたラーフは告げる。

「おそらく、森で痕跡がなかった子だ……」

 コムンいわく。

「足にも泥がついてたし、相当歩き回ったようだなぁ……」

 ベンダは表情が晴れた。

「これで、あと2匹だ……。よし、これなら……ああ、けど……」

 彼が見せた表情とは正反対に天気は暗くなっていた。
 あからさまにベンダのやる気と活気は失われる。
 ロゲルはそんな親類の肩に手を置いた。

「この天気じゃ、捜索はもうやめたほうがいい。お嬢さんの言葉通り、雨に当たって体力を失うのは、俺たちも同じだ」

 だな……、とベンダは無念の表現のお手本のような表情を浮かべて肩を落とす。
 それを見止めたラーフは皆に語る。
 
「もう一度森に行ってみていいかな。それで、また新しい痕跡を見つけられるかもしれない」

 コムンは空模様を見つめる。

「待ってくれラーフ。ちょっと雲の流れが悪い。こりゃ雨になるぞ」

「大丈夫、僕とシャフルなら行って直ぐ戻ってこられる。それに、雨に降られたら、残った痕跡も失われる。今なら、森で見つけた痕跡を僕とシャフルで辿たどって、羊を発見できなくても、新たな手がかりを掴めるかもしれない」

 少年の自身に満ちた表情に、コムンは渋い面持ちになるが、首肯しゅこうした。

「そこまで言うなら信じる。けど、念のために雨具は持っていけ。体を冷やすのはよくない」

 分かった……、そう言ってラーフは家に向かって踏み出す。
 途中で、かばんを探り、赤い装丁の本を思わず見つめてしまう。

 なら俺たちも捜索についていく……、とロゲルは同行の意思を示す。
 立ち止まっていたラーフは考え込んで。

「いや大丈夫、その……、遠出は避けようと思っていますから、僕1人で平気です。だから……そうだな。今日は僕の家に泊まってください。2人暮らしで寝台の用意もないけど、雨風なら……」

「それは有難い。寝具は持ってきてるし。この馬鹿の手伝いが終わるまで家に帰れないと思ってたから野宿の準備だって万全だ」

 その言葉を証明するようにロゲルは最初から背負っていた背嚢はいのうを軽くたたく。
 ベンダは俯いて誰とも目を合わせられないし、反論する意思もない。ともすると体が縮んだような錯覚を周囲に与えるほど、存在感を小さくしていた。
 そして、気後れのある笑みで、ありがとうございます……、と頭を下げ、次に顔を上げるとラーフに言い募る。

「ですが、本当に、無茶だけはしないでくださいね? 今見つけられなくたってかまいません! ですから、本当に、雨が降る前に帰ってきてください」

 分かりました……、とラーフは答えた。
 そこでメリアが口を開く。

「提案なのですが、お2人が、この里に逗留とうりゅうなされるおつもりでしたら、私がお借りしているお屋敷を宿とするのはどうでしょう?」

 かばんから紐に下げたかぎを取り出したラーフは、戸に手をかけたところで急いで引き返す。

「ちょっとまってメリアさん!」

 メリアは口元をほころばせる。

「ラーフ殿には恩義があります。ご負担を肩代わりできれば、と思ったのですが……」

 語る途中でメリアは表情を失い、風に前髪を撫でられ目を瞑る。

「もしや、あの屋敷に人が増えることで、何か不都合なことがございましたか?」

 ラーフは首を横に振った。

「いや、そうじゃないよ! 2人だろうと10人だろうと百人だって大丈夫!」

 百は無理だろ……、とコムンがさりげなく指摘するが、ラーフは聞き流すどころか待ったく気にせず少女に近づく。

「でもねその……その、ええっと……結婚前の、じゃなくて! 年頃のおじょうさんが、その、親類縁者でもない殿方とのがたと1つ屋根の下を共有するのはまずいのではないかと……」

「ご心配なく、メリアの御じい様もいますので」

「いや、まああ、そうなんだけどぉ……」

 ロゲルとコムンはしたり顔で少年のこまようを眺めた。
 ベンダとメリアはしかし、核心が判明していない顔で目をまたたかせる。
 ロゲルは言った。

「いや、確かにラーフの言う通りだお嬢さん。たとえじいさんが一緒であったとしても、やっぱり、行きずりの野郎と一夜いちやを共にするのはよくないな」

 一夜って……、とラーフは変なところに関心を持つ。
 コムンも微笑み、そして言い放つ。

「よし! ここは、殿方お2人には、メリアちゃんのお爺さんと一晩をご一緒してもらい。メリアちゃんには、ラーフの家に泊まってもらおうじゃないか!」

「何言ってんだ!」

 慌てて放たれた強い返答に皆が戸惑うのは、その場の誰が言ったのか一瞬混乱したからだが、その荒っぽい言葉がラーフという純朴じゅんぼくな少年の口から出たものだと理解が遅れて到着する。
 初対面の相手にも日常的に冷静で朗らかな印象の持ち主だと納得させる少年は、火にさらした鉄で出来たように赤熱し、顔にありありと刻まれた怒りの表情が幻の湯気を立ち昇らせる。

 隣のシャフルが反転し、主から遠ざかるあたり、尋常じゃないと悟った人間一同。
 代表してコムンがなだめる。
 勿論もちろん「、余計な言葉を放った結果なのだから当然といえば当然だ、という周りの視線が痛い。









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