私はビブリオテカ ―― 終わりなき博物誌編纂の過程で生きて嘆いて食べて笑って藻掻く姿に幸あれ ――

屑歯九十九

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第零章 ―― 哀縁奇淵 ――

第037話 ―― 開き閉じる

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【前回のあらすじ――。ヘイミルは黒仔羊を退け、彼らの同胞の亡骸を彼ら自身が回収することを命じる。ラーフはシャフルとともに森の奥で、幼いころにノックと来たであろう場所で、かつてその地が海であったことを証明する化石を見つける。直後、闇と遭遇し、膨張するそれが上下に並べた牙を見出す】









 
 離れた雷鳴よりも顕著な雨音。
 数歩先さえ視界が確保できない暗さの中、黒仔羊クロコヒツジは死体を運んでいた。
 厳密にいえば、人の手足がはみ出た黒い霧の塊を2つ、4人ずつで肩に担いでいた。
  足元に注意しろ……と先頭が忠告する。
 その後ろに続く同胞が口を開いた。

「これからどうする? この死体は……」

 声には、不自然な響きがなくなり、人らしいものとなっていた。
 一番前にいるものは。

「近くに待機している同胞と合流して供儀羊クギヒツジを回収してもらう。それから埋葬だ……」

「不用意な言葉は控えたほうがいい」

 聞かれてはいまい……、と先頭は言葉を返す。
 すると、先頭から3番目の者が。

「こういうことだったのか……」

「何がだ……?」

「従者を連れて行くな、という命令のことだ……ッ」

「主がたれて、統制とうせいを失った従者が勝手に暴れかねない。それに、身元も露見しやすくなる」

「だが……もし従者がいたら……」

「全員無駄に死んでいただろうな。そもそも、人目に付く……」

「この死体を証拠に、あの男の罪を喧伝けんでんすれば孤立させられるのではないだろうか?」

 先頭を歩く黒仔羊が答えた。

「なるほど……そして、奴を孤立させて何になる? もし、貴人きじんの前に差し出されても、奴が精霊を出し、素性を明かせば、それだけで話は覆る。それか……」

「逃げられるだけだ……」

「逃げるといえば……はどうなったのだろうか?」

「おそらくは……無事であろう。そう、アレさえ生き残り、我々の手中に戻れば……。この者たちの死も無駄ではなくなる……。我らの日願成就の大きな前進となる……」

「それが、死者への……一時いっときの慰めになればよいがな……」






 ラーフの父ヒースの家にお邪魔していたメリアとノックの前に、家主が湯呑ゆのみを差し出す。
 食卓に置いた陶器の燈明とうみょうに加え、薪を貰った暖炉の火が照明となる室内では、羊の乳が湯気を揚げていた。
 メリアは湯呑を満たす液体に目を輝かせてから、深く頭を下げ、ご馳走してくれたヒースに、かたじけない……、と感謝する。
 家主は物静かな微笑みで応じると、反応を示さないもう1人の客人に憂いの眼差しを向ける。
 腕を組んでじっと食卓を見つめるノックだったが、視線の前に少女の手がひるがえり、流石さすがに意識を現実に戻す。
 顔を上げるノックは、隣に座っていたメリアの厳しい目に肩をすくめる。
 彼女が形の良いあごで指し示す湯呑にやっと気が付き、家主と目が合うと急いで叩頭こうとうした。
 ありがとうございます……、と恐縮する少年に対し。手を振るヒースは、暖炉を縁取る煉瓦れんが積みに鉄瓶を置き、素焼きの器に盛られた干し肉を食べる狼たちに微笑むと、食卓の椅子に座る

「こっちが勝手にしたことだから。かしこまらないでくれ。それに君はラーフの兄弟みたいなもので……、なら、私にとっては我が子同然さ。勿論もちろん……、メリアさんも遠慮しないで」

「あはは……すんません」

 とノックは苦笑い。
 羊の乳で口を白く囲うメリアは精悍せいかんな顔で挙手する。

「では、夕食をそろそろ用意しませんか?」

 堂々とご相伴しょうばんに預かろうと表明する少女は口の囲いを舐め取り、お腹も鳴らす。
 ノックはさっきまで少女がしていたきびしい顔で指摘する。

「それは遠慮がなさ過ぎるだろ……ッ」

失敬しっけい……。“ぜん食わぬは人の恥”と教えられたものですので。御じい様から……」

「それはお膳を催促さいそくしていいって意味じゃないと思うぞ?」
 
 若人のやり取りにとうとうヒースは声を上げて笑ってしまう。
 あっけにとられた2人に、ヒースは笑いを堪えて謝罪した。

「いや済まない。お腹が空くのは元気な証拠だ。夕食も、もう少ししたら用意する。なんなら今日は2人とも我が家に泊まるといい」

「あ、ですが……。御じい様が……」

「俺も今日は、帰ろうと思って……」

「おっと……雨に気を取られて、保護者のことを忘れていた。そうだね……。けど、外は寒いから、それを飲んで体を温めてから帰るといい。ノックは私の外套がいとうを使ってくれ」

「あ! いいですいいです。そんな……」

「いや、1枚羽織はおるべきだ。じゃないと……」

 家主が話している最中、メリアは足元で風を感じ下を向く。そして物音が響いた。
 戸口の上にある丸太の壁に収めた鎧戸が開き、丸い窓が解放され、外の雨音と風がやってきた。

 なんてこった……、とヒースは呆気にとられる。
 ノックは湯呑を置くと、事態を口述した。

「留め具が壊れた後に杭を差し込んで、その穴も緩んでたって……ラーフが言ってたから」

 どうしようか……、とヒースは顔を曇らせる。
 メリアも加わって3人で窓の真下に行くと、ノックが部屋の隅に置いてあった梯子はしごを持ち、窓へ向かって立てかける。
 気を付けて……、と家主が言い添えるころには。
 梯子を登ったノックは、外に向かって下に開く鎧戸を閉めて、鎧戸と紐で繋がる木の杭を掴む。
 杭を掴む手の甲と重なる位置には、窓枠に掘った縦穴があり、そこにノックの人差し指が半ばまで入る。
 鎧戸には半分割れた縦に長い筒状の突起がほぞ組みの技法でもうけられ、鎧戸が閉ざされると、筒の先端が穴と重なる。
 ノックの記憶の中では、突起が完全な筒となって、その内部に差し込まれた杭が、縦穴へと刺さり、四分一回転した杭の突起が、今度は筒の下にある木の爪に引っ掛かり、下支えしてもらう。そうすることで、縦穴と筒を杭が貫き、窓は閉ざされる。
 しかし、今は簡易的な杭を穴に埋め込み、窓枠の突起にある亀裂に挟んだ紐と杭を結んで固定している。
 縦穴に指を入れたノックは。

「やっぱり、壁の方の穴が大きくなってるみたい。それに、杭も摩耗まもうしてる。雨とか湿気のせいかな……」

 よわったな……、とヒースは言葉通りの心情を吐露した。
 しかしノックは。

「大丈夫、布の端切れか何かくれたら、それで応急処置はできる」

「端切れか……何かあったかな」

「ああ、大き過ぎず小さ過ぎずがあればいいんだけど」

 と言われたヒースは、照明役の火があってもまだ暗い室内を見渡す。
 その隣で、メリアが自身が着用していた外套がいとうの端を掴んで見せた。

「ノック、どれ位の大きさが必要ですか?」

「そうだな……指三本分の幅があれば、長さは中指程度で……」

「う~ん、弱ったな。羊を扱っておきながら手ごろな織物がない」

 ヒースは困り果てる。
 了解です……、と突然言い出したメリアは掴んだ外套の端をいつの間にか手にしていた短刀でさっさと切ってしまった。
 振り返ったヒースが唖然とするのをよそに、メリアはちょうどいい切れ端を少年に渡す。

「あ、ありがとう」

 ノックも驚くが自分の役割を思い出し、切れ端で杭を包んで壁の穴に強く押し込む。今日はもう開けないよね? とヒースに尋ね。ああ……、という回答をもらう。

「なら、少し強く押し込むよ? これで今日1日は安心できる、はず」

 すまないね……、とヒースは2人に礼を述べるが。少女に対しては特に気後れを覚える。
 メリアは首を横に振り、短刀を外套の内側に仕舞う。

「いいえ、今までのご恩を思えばこんなもの返礼にも値しません」

「俺も杭を押し込んだだけだし」

 それでも感謝するよ……、とヒースは礼節を弁えた。
 メリアは疑問を口にする。

「しかし何故ここに窓を? 明り取りの目的であれば、あの窓がなくとも十分な気もしますし、窓が増えるとその分、この地域では冬が寒くなるのでは?」

 ヒースの平屋は、入って左手に暖炉のある土間があり、隅には小さな戸口が閂で施錠されている。右手には閉じた窓のほか、食器を並べた棚や収納棚に渡された紐に干した野菜や山菜が吊るされ。戸口に使用者の足を向ける寝台は、入って一番奥に2つ並んでいた。
 ヒースは丸い窓を見た。 

「幼かったラーフに眠るまで大好きな星を見せたくて……」

「寝るときに窓が近すぎると、今度は寒くて風邪を引くし。ここがちょうどよかったんだ」

 となぜがノックが事情を補足する。
 微笑むヒースは、窓を見つめる。

「星や月に見守られながら眠ると賢くなるって聞いたしね……」

「聞いたことがあるような……。ですが、賢くしてくれるのは賢人星座のことでは? となると方角が……」

「ああ、すみません。それほど詳しくなくて……」

 苦笑いで恐縮するヒース。
 メリアも頭を下げる。

「こちらこそ、差し出がましいことを申しました……」

 作業を終えても梯子にいるノックは。

「すごいよなヒースさんは。子供のために家に穴まで開けて……。それに比べて俺の親父おやじは俺に穴でも開けたいのかしょっちゅう殴ってきやがって……」

 とノックは恨みを忘れないが、窓の確認も忘れない。

「よし、杭は十分差し込まれたし、蝶番ちょうつがいは元から問題ない。紐もまだ損耗していない。これで大丈夫……」

 と口走ったノックが一歩梯子を降りた瞬間、扉が開帳された。

「メリア!」

 風雨を背にして登場した老人が開いた扉は、正面に屹立きつりつしていた梯子を払う。
 倒れる梯子にしがみ付いたままだったノックは、自分が傾いていると察知し、思考を一瞬失う。 
 予備のつもりか、また別の布の端切れをもったメリアが梯子の下にいた。
 鉄瓶の乳を湯呑に注いでいたヒースは反応に遅れた。
 老人は睫毛まつげから下った水滴にまばたきして、その一瞬だけ視界が途絶する。次に目を開けたときには、すでに梯子は騒音を立てて倒れ。

「ん? ノックどメリアぁああああああッ!」

 もはや名詞が破綻する勢いで愛孫の名を叫んだ老人は、梯子も少年も軽々と持ち上げ適当に放り投げると下敷きになった少女を抱え上げる。

「大丈夫かメリア! なぜこんなことに……」

 ヒースも物を置いて駆け寄り、意識が混濁した様子の少女の顔を覗き込む。
 メリアは白目をき、あうあう、と変な声を漏らしていたが。一瞬身震いしてから目を見開き自分の力で上体を起こす。
 それから思考を覆う茫漠とした感覚を取り除こうと頭をよく振った。

「御じい様、どうしてここに……」

「それは……」

 言葉を途絶えた祖父の視線が、自分のふところに向けられたと察知したメリアは、なるほど……、とうなずく。
 少女の意思に反して外套の一部が動いたようだ。
 不自然な兆候から目を逸らしたヘイミルは、背後の扉を閉ざし、家主に失礼を詫びようと振り返るが。
 当の家主ヒースは転がるノックの名を呼び、3頭の狼が少年の顔を覗いていた。
 老人の遅い思考が真相を算出し、ヘイミルは言葉にならない声を発し、狼と家主を回り込んで、少年に近づいた。

「大丈夫ですかノック殿!」

 うめくノックは、土間と板床の境からゆっくりと起き上がり。後頭部を押さえた。

「だ、大丈夫、それよりメリアは」

 メリアも大丈夫です……、と自己申告される。

 2人ともすまなかった……、と片膝立ちのヘイミルは平身低頭する勢いで謝罪する。
 しかし、メリアは平然として。

「それよりも御じい様、何ですかその姿は……。外套も失って、濡れ鼠じゃないですか……」

 あ……、とヘイミルは自分が失礼を重ねていることを自覚し、とりあえず板張りの床から土間へと移動して縮こまり、頭を下げる。

「申し訳ない! 重ね重ねご無礼を……!」

 ヒースは戸惑う。
 老人は以前は外套で全身を覆っていたが、まさかその下に立派な鎧が隠れていようとは。
 実用性と軽さを個人の使い心地に合わせた装甲は、ただの鉄板を重ね合わせただけでなく。よく目立つ胸甲きょうこういささか華美に思える稜線が各所に施され、中央の黒地に銀で象嵌ぞうがんされた流れ狂う雲や風を思わせる模様が、顔にも見えて威圧感すら覚える。

 あっけにとられるヒースだが、それより注目するべき事案があったので、一回の咳払いで思考を変えた。

「どうなさったのかは、置いといて……。まずは、体を拭かなきゃ風邪をひく」

 申し訳ない……、と連れてきた雨粒で室内を汚すヘイミルは謝罪の言葉しか出なかった。
 柔和な面持ちで一礼するヒースは奥へ引く。
 いてて……、とノックは自分の頭を優しく撫でる。
 その間にメリアが自身の外套で老人の顔を拭き、鎧の水滴を拭った。
 駄目じゃありませんか……、と何気なくメリアは口を開き。
 少年と家主の注目が遠退いていることを察して小声で語りかけた。

「何かあったのですか? もしや……」

「詳しいことはまたあとで……」

 これを使ってください……、とヒースは手拭いを差し出す。
 ありがたい……、と手を伸ばすヘイミルは孫娘の外套の裾によって顔を念入りにしごかれている最中である。 
 目は見えていないが、苦笑いのヒースの機転で、とりあえず手拭いの受け渡しは完了する。

「メリア、もう大丈夫だ……」

「いえいえ遠慮なさらず。どうせ汚い外套ですので」

「それならなおのこと……それはつまり、俺がき……」

「あ! ヘイミルさん! 羊の乳をかしたので、どうぞ飲んで温まってください!」

 老人が雨とは別の液体で顔を濡らす前に、ヒースが話題を強制的に挟むことで悲しい思いをまぎらわす。
 一方のノックは涙目で、俺は無視? とつぶやいた。









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