私はビブリオテカ ―― 終わりなき博物誌編纂の過程で生きて嘆いて食べて笑って藻掻く姿に幸あれ ――

屑歯九十九

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第零章 ―― 哀縁奇淵 ――

第042話 ―― 出でよ立て

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【前回のあらすじ――。傷ついたラーフが運び込まれ、精霊セレスタンがヘイミルとヒースに協力してもらうことで、何とか少年の命脈を保つ手助けをする。そして、命を救うために紋章を破壊することが告げられ。その上で、専門的な治癒の技術が必要だという。そんな中、コレボクという薬草師の名前が出た】










「ヒースさん。穴熊嚇あなぐまおどシ、それと燈明とうみょうを借りていきます。あと親父おやじ……、外套がいとう借りるぞ?」

「ああ……あ? なんだって?」

 生返事をしたことをすぐに後悔したダロンは、我が子ノックが身の丈に合わない親の毛皮の外套を着始めて、愕然とする。

「何するつもりだノック!」

「俺がコレボクを連れてくる。あの人の仁術じんじゅつの腕なら、ラーフを治せる……」

 本当か? と疑いを隠せないダロン。
 ノックは言葉に迷うが。

「一度、コレボクが、酷い大怪我をした人を助けたのを見たことがある。離れた里の猟師で、獲物を追って、悪いと思いつつ、他人の領域をまたいでこの近くまで来たんだそうだ。そこで足を滑らせて、骨が皮膚から飛び出るような怪我をしたらしい。けど、俺がその人と会った時には、傷口は綺麗にわれて、最後には歩けるほどに回復した」

 コレボクの使う洞窟の奥で、その猟師は養生していた。
 足の骨の損傷は酷く命の危険まであった、と猟師は気恥ずかしそうに言っていた。
 最初はその元気な様子に半信半疑だったが。
 全身の包帯を交換する時に、生々しい縫合痕ほうごうこんを目にし、傷口が塞がっていく過程を見せてもらって納得した。

 ヒースはノックに振り返り、それなら私が……、と訴える。

「駄目よ」

「だめだ」

 精霊とノックの声が重なる。
 ヒースは、でも……と口走る。
 ノックは。

「おじさんはラーフのそばにいなきゃだめだ。ラーフの家族なんだから……」

 だけど……、と同じような言葉しか思い浮かばないヒースを援護したのはダロンだった。
 支度を済ませる我が子の外套を掴み引き寄せる。

「落ち着けノック」

「なんだ? 何か忘れてるか? 燈明も持ったし、ああ、靴に縄を巻いて……」

「そうじゃない。お前が行くなら俺も……」

「いや、あんたは母ちゃんを守ってくれ」

「それは……」

 ノックは父の腕を掴み、目を見て言った。

「あんたに……、ラーフを絶対に助けたいって気持ちはあるか?」

 問われたダロンは息を飲む。
 そして、実際に問われた意志いしを我が子の目に見出してしまった。
 それでも、口を開く。

「も……勿論もちろんだ!」

「その気持ちは、俺やヒースさんより強いって言いきれるか?」

「それは……」

 ラーフを助けたいのは本当だった。だがその気持ちの強さを比べられたとき、言葉にきゅうする。
 ノックは真正面から頼んだ。

「お願いだ。母ちゃんのそばに居てくれ。あんたが守るべき相手は、今はそっちだ」

「……お前だって……、俺の……ッ」
 
 今まで見たこともない父の悲痛な顔から、ノックは目をらす。
 それは、常々向けられる怒りの顔や拳以上に、胸に重くかる。

「分かってる。でも……、俺は命を懸けたいんだ。ラーフを助けるために……ッ」

「ノック……」

 ダロンは目の前にいる我が子がどこか遠くにいるような思いに駆られる。口に出す名前は、他人の名前だったかと不安になる。
 ノックにとってラーフとは。自分にとってノックとは。それらはどう違い、どういう関係と重みをもっているのか。どちらが優先されるべきなのか。疑問の答えは何一つ出ず、混乱が胸を占領する。

 親子揃って相手の思いを理解しきれないのに、どこか共通する葛藤かっとうを抱えている。
 そんな気がしたノックは、瞑目めいもくし、ゆっくりと息を吐く。

「大丈夫……。俺なら、コレボクの居場所はおおよそ把握してる。危険な場所に行くつもりはないし。コレボクも、この嵐の中、安全な場所に身を隠してるはずだ」

「けど、たしかじいさんは、今は、隣の山にいるって……。山を探し回るのか?」

 ノックは険しい表情だ。

「エカが今拠点にしてる里に行く。だ……。母ちゃんから聞いてるだろ?」

「ああ、お前から聞いたって……言ってた……」

「10日前の知らせだから、コレボクもエカも居る確証はない、けど、けるしかない。居なければコレボクの足取りをそこから辿たどる」

「けど……」

 ダロンは言葉が出ず、そして、振り返ってしまった。
 その目に、傷ついた我が子に涙する父親の背中を焼き付けてしまった。
 振り返るヒースと目が合う。
 そして、父親2人は、視線を背けた。
 
「わかった……」

 ダロンの言葉に、ノックは歯を食いしばる。 
 狼狽ろうばいした気持ちを隠せないヒースは、我が子の胸に立ち金色の光の糸を統御する精霊に言いつのる。

「精霊様……衣を、私が着ている衣を彼に、ノックに差し上げたいのです」

 早くして……、と告げる精霊は、舞う糸を撫で居場所を示した。

 叩頭したヒースは我が子から一時手を放し、即座に脱いだ外套を差し出す。

「ノックこれを着ていくんだ。これは完全に水を通さない!」

「それは……たしか」

「北方の冷たい海に生息する獣の皮で作った衣だ。少し大きいだろうが。薄手で頑丈で動きを阻害しない」

「でも、これって……」

「損なっても構わない。弁償なんていらない! 嵐は熱を奪う。むしろ何もせず、それでもし君に何かあったら……ッ」

 ヒースはダロンとまたしても目が合い、そして自然と我が子に視線を戻す。

 わかった……、と告げるノックは父に毛皮の外套を返し、受け取った海獣の衣を広げる。
 ダロンは息子に、毛皮の外套を差し出す。

「これも着ていけ。今の外はひどく寒いから、いくら厚着しても凍える」

「でも、それじゃ親父は」

「俺は大丈夫だ。だから、これを着ていけ。何かの役に立つかも……」

「……汚したり破いても知らないぞ?」

「その時は……、その時は母ちゃんにたっぷりしかられろ……ッ」

 ダロンは笑みを作る。だが、いつものような悪感情を口角にせきれなかった。
 その代わり、眼には悲哀が浮かんでいた。

 今度は、父の手から外套をもらうノック。
 メリアが一歩前に出る。

「外套の性質上、海獣の衣を上にしたほうが水を弾き、保温できるのでは?」

「毛皮も既に濡れてるから……」

 ヒースは。

「気にするな。彼女の言う通りにしたほうがいい。なんだったら、ここで毛皮の水気を少しでも取っておくんだ。部屋を汚しても構わない! 布も使ってくれ! それと、さっき君が見つけたあの魔法の小瓶も……」

「わかった。けど、あの小瓶、いつもらったか覚えてない。もしかしたら途中で……」

「なら燈明も……、必要なものはなんでも持って行ってくれ……ッ。君に、託すことしかできない……ッ。私の代わりに……どうか……ッ」

 ヒースは頭を下げ、哀願する。
 その声には、我が子同然の子供を送り出す恐怖と恥も含まれていた。
 ノックは、駆け寄り、ヒースの肩を掴み。

「絶対に、コレボクを連れてくる!」

 そう断言した。

 支度を進める。
 ノックは毛皮の水気を振るい落とそうとするが遠慮がちになってしまう。
 見かねたダロンが奪い取り、戸口に向かって、毛皮を遠慮なく波打たせて水を飛ばし、残った水分を自身の服とメリアが運んだ手拭いで取り除く。
 こうしてノックは内側に毛皮を着てその上に海獣の衣を着る。

 動きづらくないか? と押し付けた張本人であるダロンが心配した。
 微苦笑を浮かべるノックは、衣を抱き締めるように体に押し付けた。

「備えあれば憂いなしって言うだろ」

 ダロンは瞳を震わせ顔を下げ、ああ……、と力ない声が出る。
 そして、腰帯に下げていたさやの帯を解き。

「これも持っていけ、上等な斧だからよく切れる」

 既に陶器の燈明を持っていたノックは、差し出された斧を片手で受け取ったが、思わず手が塞がった腕でも支えた。
 燈明を床に置き、革製のさやを外すと、ノックが全力で広げた手程に大きな黒鉄の刃が現れ、丁寧にがれた部分が鏡のように人の顔を映す。
 かしの柄は長年の使用によって色を濃くし、滑らかになっているが、しかし、乾いて手に密着する不思議な質感をしていた。

「これって……」

「俺にとって大事なものだ。だから……、いや、命には及ばない代物だ。もしもの時……、獣にでも出くわしたら投げつけてやれッ」
 
 お前にそれができる腕があればだが……、とダロンはノックの肩を軽く叩き、笑みを交わす。
 しかし、ダロンは直ぐに表情を沈め。

「もし、最後まで持ってたら……、その時、返してくれ」

「大事にする……」

 ノックは斧を鞘に納め、鞘の小さな帯を自身の腰帯に巻き付けると、腰巻にした狼の毛皮で隠す。
 父から預かったものと母から預かったものが身を守ってくれる。
 一人じゃないと実感する。

 メリアも外套の頭巾で頭を隠し、ついていきます……、と宣言する。
 精霊とヘイミルが振り返る。

「待つのだメリア、お前は……」

「何かあったときメリアなら力になれます。魔法も……」

「あんたの未熟な魔法が何の役に立つってのよ!」

 咄嗟に声を上げた精霊に、メリアは眼光を刃にして向ける。
 セレスタンは白目を大きくし、置物になってしまったのか硬直するが。すぐに老人の責める眼差しを受け止め、少女に手を伸ばした。
 しかし、相手は背中を向けて語りだす。

「役に立たなければそれまで……ッ。無論むろん、私は、命を捨てるほど愚かでも無能でもない。メリアは……、お母様の血を受け継ぎ、何より、御じい様の孫ですから……」

 ならば俺も……、とヘイミルも腰を上げようとするが。
 メリアは。

「御じい様は精霊を支えてください。それが睡蓮すいれんを分かち合った契約者のつとめ……」

 しかし……、とヘイミルはさらに言葉を発する。
 その隣で、深刻な顔を下げて苦悩を隠そうとつとめるヒース。
 大人たちの思いに気が付いていたメリアは。

「ラーフ殿の急変を助けられる精霊を一番理解しているあなたが、ここを離れるわけにはいかない」

「だが。その……彼奴きゃつらが潜んでいる可能性がある……」

 明言を避ける物言いに疑念を覚える他人。
 メリアは表情を明確に緊張させ、目を伏せた。

「まさか……」

「いや、我らを追ってきたわけではない。恐らく、別の目的があったのだ」

「何の話だ?」

 とダロンが詰め寄った。
 老人と孫娘に絶えず視線が移る大人2人。
 ヘイミルは意を決して述べた。

「邪教の連中がこの里の近くにりました。そやつらは、おそらく……、ラーフ殿を襲った獣を追っていた」

 振り向く精霊は老人とうれいを帯びた視線を交わす。
 ノックは暗がりを見つめ、包帯を巻いた友人の言葉と恐怖した姿を思い出す。
 ダロンが詰め寄る。

「なんだって? 獣って……。どうして黙ってた……ッ?」

 ヘイミルいわく。

「邪教の目的は憶測です。ラーフ殿を襲った下手人が、私が追っていた獣かどうかは……」

 間違いないわ……、とセレスタンが凍えた声で告げた。
 一度歯を食いしばったヘイミルは。 

「下手に語れば、里人と不用意な接触が引き起こされる可能性も考慮し……」

「そいつらが何かしでかす可能性は……ッ?」

 ダロンの追及に、老人は適切な言葉が見つけられない。
 それに反してメリアが。

「大丈夫です。御じい様が対峙したということは、すでに力は削がれたものと思います」

 本当のなのか? と疑うダロンは音もなく通り過ぎる我が子の腕を捕まえた。

「待て……」

「待ってられない……ッ。分かってるはずだ」

「だが、今の話に出てきた邪教ってのは……。もしや、神姦宴パリダイサって奴らじゃないのか?」

 ヘイミルとメリアは目を大きくする。
 なぜそれを? とヘイミルが問い質す。
 ダロンは。

「俺も元は余所者よそものでな。ここに来るまでに色々目にして耳にした……」

「何かあればこのメリアが盾となりご子息を守ります」

 と名乗り出る少女に対し、ダロンは厳しい表情を変えない。

親父おやじ……」

 呼びかけてきた息子に振り向くダロンは。

「連中は……。そこいらの盗賊とはわけが違う。人を殺すだけじゃない。もっと恐ろしい災いをまき散らすんだ……ッ。それに、獣だって……」

 ダロンの訴えは熱と恐怖を帯びていた。
 それを真正面から受け止めるノックも、顔が強張る。
 そして、目をつむり、結んだ唇を解く。

「それでも……。俺は、ラーフを助けたい……。何があっても、死んでほしくないんだ……ッ」

 息子の切実な願いに、ダロンは表情を喪失させ、手を引いた。
 そして、抱き締める。
 いきなりの行動に精霊と少女は驚く。
 ヒースとヘイミルは静かに目を閉ざす。

 ノックは目を丸くしてされるがままだ。

「おやじ?」

「……絶対に帰ってこい! 約束しろ! 必ず! 帰ると……ッ!」

 父親のいつになく真剣な声は、全身を貫く。
 顔は横にあって見えないが、しかし、ノックは全て理解した。

「……わかった。約束する。必ず帰ってくる……ッ」

 その言葉を呑み込み己の理性を説き伏せたダロンは、我が子を胸から引き離し、背中を向ける。
 ヘイミルは孫娘の目を見て。

「メリア……」

 少女は頷く。



 戸口に手を触れていたノックは、大丈夫なのか? と横に来た少女に尋ねる。

「不調のことなら、お気になさらず。それでもメリアが未熟者なのは重々承知ですが……、ノックを支えるくらいはできます」

 少年は一度強く目を閉じ、痛みを堪える顔を下にした。

「正直助かる。けど、もし、危険な目にあったら……」

「その時は一緒に逃げましょう。そして、必ず帰ってくるのです。コレボク様を連れて……」

 ノックは、少女が向ける真っ直ぐな瞳に頷いて、再び振り返る。

「セレスタン様、どうかラーフを頼みます」

「……分かってる」

 ノックは精霊の背中に一礼した。

「それと……」

 前触れもなく口を開くセレスタン。
 ノックは今一度、小さな背中を見た。

「セレスタンでいいわ……様はいらない」

 その要望に背筋を正したノックは、はい! と明朗に答える。

 開かれた扉は暴風雨を招き入れ、少年少女を嵐の世界へ送り出す。
 閉ざされた扉を再び開けたダロンは声を張り上げた。

「絶対に無事に帰ってこいよ……ッ!!」

 手を振る少年は、無言で手招く闇と乱舞する風雨に覆い隠され、父の視界から消える。









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