僕ともふもふの古民家宿

藤原ゆう

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第一章 古民家生活事始め

一. 古民家生活の始まり(二)

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「ごちそうさまでした」
 おにぎりの最後の一口を飲み込んで、僕は丁寧に手を合わせた。
「さて、まずどうするかな」
 そう独り言を言って、僕はスマホのロックを解除した。
 宿泊客の利便性を考えたのか。山間にもインターネットが普及し始めた頃に、祖母はいち早くそれを取り入れたと聞いている。
(さすが、ばあちゃんだな)
 祖母のことを思い出して、ちょっとしんみりしてしまった。
 その気持ちをそっと脇に置いて、スマホで『古民家 掃除』というワードを検索した。
 アパートのワンルームの掃除もままならない僕が、この古い家の隅から隅まで綺麗にして、それを維持できるんだろうか。畳の掃き方くらいは知っていても、障子の張り方なんてわからない。
 庭の花の世話だって自信がないんだ。
 それからついでに、『五右衛門風呂 沸かし方』も検索した。お風呂はやっぱり一日一回は入りたい。
 子どもの頃祖父母がすることを脇から見てはいたけれど、細かい記憶はおぼろげだ。古民家の管理なんて、考えれば考えるほど、不安ばかりが押し寄せてくる。
(けど、やってみるしかないんだよなあ)
 逡巡の果てに、寝転がって、はりが剥き出しの天井を見上げた時。スマホの通知音が静かな室内に響いた。
「びっくりしたあ。かあさんか」
 まあ、僕のスマホに連絡をくれるのは母親くらいのものだけれど。
 父はそういうことにこまめな人ではなかった。無職の僕に、いろいろ思うことはあるのだろうけど、僕が高校に上がる頃にはほぼ会話はなくなっていたから。別に何があったというわけではない。ただ距離を縮めるすべを忘れてしまっただけだ。
 SNSのアプリを開くと、『おじさんに挨拶に行った?』という文言が送られて来ていた。
 面倒に思って後回しにしていたことだ。
 それを察知して、タイミング良く送ってくるなんて、やっぱり母親はあなどれない。
「先に行って来るかあ」
 掃除も、五右衛門風呂の湯沸しも、それからにした方が良さそうだ。
 そう思い僕は、都会から買って帰った手土産とスマホだけを持って、土間の降り口に脱ぎ捨ててあったサンダルをひっかけた。誰の物かわからないサンダルは、しばらく使われていないのか真っ白に埃を被っている。
 台所として使われている土間から勝手口を出ると、家の裏手へ。そこから田んぼの中の小道を一分ほど歩くと、分家筋のおじさんの家があった。
 裏手にある納屋や薪小屋の横を通り、コンクリートで造られた小さな池を過ぎると沢がある。その沢にかけられた橋を渡って、田んぼの中の小道に出た。
 小道の脇にある田んぼの稲刈りはもう終わっていて、稲を刈り取ったあとの稲株いねかぶだけが整然と並んでいた。
 だだっ広い田んぼの中で、均等に列をなす稲株を見るのが僕は好きだった。もうすぐ秋が深まり、冬が来る。そんな季節の移ろいを感じ取れるからかもしれない。
 まだ他の田んぼからはコンバインの動く音が聞こえてくる。
 空に目を移せば、高い空にトンビの影。
 集落を見下ろす霊峰は穏やかな佇まいで、小山の向こうに鎮座していた。
 大きな柿の木の向こうには、以前は茅葺かやぶきだったのをやめて、今はトタンで覆われた屋根を持つ家が見えた。
 それが分家のおじさんの家で、庭に入ると、おじさんは何か作業をしている最中だった。
 専業農家だったおじさんも、寄る年波には勝てなかったのか。最近はうちと同じように、田んぼを人に任せていると聞いた。どこも跡継ぎがいないのだ。
 昨年の祖母の葬式の時よりも、腰が曲がっているように見える姿に一抹の寂しさを感じつつ、忙しいなら手短に済ませようと、僕は玄関先で手土産を渡した。
「えっと……、しばらくお世話になります」
 こういう時、なんて言ったらいいのかわからない。当たり障りのない言葉で場を持たせようとすると、おじさんは銘菓の包みを受けとりながら意味深な笑みをして見せた。
 挨拶しても一言返ってくればいい方の、あまり表情のないおじさんが、なんで今はこんな愛想の良さを見せるんだ?
「おう。お前さんも大変だったな、和希。お前さんさえ良ければ、ここにずっといてもいいんだぞ」
 無職でふらふらしている僕の現状は、おそらく集落中の人が知っているはずだ。
「ええ、まあ……。でも、二、三か月したら、またあっちに戻ります」
 こういうことは最初が肝心だ。この村に居座るつもりはないと、ちゃんと意思表示しておかないといけない。
「ふん。まあ、いい。ばあさまの大切にしていた家だ。いる間は、しっかり世話をしてくれよ」
「はい、もちろんです。あ、じゃあ、僕……。掃除するんで、これで」
「和希。ひとつ頼まれごとをしてくれんか?」
 さっさと踵を返そうとする僕の先回りをして、おじさんが僕を呼び止めた。
「頼まれごと、ですか?」
 内心びくびくしながら、頼まれごとの内容を聞いてみると。
 秋祭りの時に神様に供える新米を、お宮に届けてほしいというものだった。
「米俵すら、担げんようになったわ」
 おじさんは少し寂しそうに零した。
 この一年祖父母の家を見守ってくれた、おじさんの頼みだ。ここで力にならず、いつなるというのか。
「お宮までは軽トラを使っていいからな。これが鍵」
 ぽんと鍵を投げて寄越すと、おじさんはまた作業に戻って行った。
 さて。
 米俵を軽トラの荷台に乗せないといけない。
 僕は倉庫の中の軽トラと米俵を確認した。
 米俵一つの重さは三十キロ。それが三つ。担げるくらいの重さだったことに僕は正直ほっとしつつ、今度は軽トラを確認した。
「やっぱりマニュアルか……」
 仕事をしていた時に乗っていたし……。何とかなるだろうか。
 ではさっそくと運転席に乗り込もうとしたところで、免許証を家に置いてきていることを思い出した。
「ちょっと取って来ます」
 僕は土の上に種を撒いているおじさんにひと声かけて家に引き返した。

 ***

 家の裏手に戻ってくると、小さな池の中をアカハライモリが泳いでいるのを見つけた。
 僕が子どもの頃にはスイカを冷やしていたこの池も、今はすっかり小動物たちの憩いの場となっているようだった。
 水面に浮かんできたイモリの鼻先を、チョンチョンとつついてから、僕は家の中に入った。
 入った途端、外とは違うひんやりとした空気を感じて首をすくめた。
 薄暗い土間には、流しとガスコンロ、それから冷蔵庫。壁際の作業台の上には、いろいろな工具がきちんと整理されて置かれている。工具は祖父が大切に使っていた物だ。昔はDIYなんて当たり前だった。
「じいちゃんとばあちゃん。いつもここで働いてたな……」
 祖父が何か作業をしている傍らで、祖母が料理をしている。
 その光景だけは今も鮮やかに僕の中に甦るんだ。
「なんで、変わっちゃうんだろうなあ」
 変わらない物なんてない。それはよくわかっている。
 でも何も変わらないまま、この家もずっと活気があって。祖父母は元気で。
 そんな『今』を、僕はどうしても望んでしまう。
 だって、あの頃が楽しかったからさ。
 トン。
 感傷に耽っていた僕は、小さな音を聞いた。
 二階だろうか。
 音につられるように顔を上げた。
 トン、トン、トン。
 リズミカルに聞こえてくる微かな音。
 僕はすっと寒気を感じて、あとずさりした。
「何の音?」
 二階から聞こえていた音は、今度は土間に続く階段を下りて来ている。
「ちょ、待って……」
 僕の他に誰もいない家で、誰が階段を下りて来ているというんだろう。
「やばい、やばい」
 勝手口までの距離を確認して、僕は無意識のうちに身構えていた。
 音が階段を下り切った、と思った時。
 ニャーと鳴く、可愛らしい声が聞こえた。
「え?」
 薄暗い土間の向こう。
 階段の下に、ちょこんと。
 綺麗な毛並みの三毛猫が座っていた。
「ニャー」
 三毛猫は座ったまま、また鳴いた。
「えっと……、どちらさま?」
 僕はそれなりにオカルトを信じている。だからというわけでもないけど、これが心霊現象ではないとわかって、心底ホッとしていた。
 けれど、そのあとすぐに、この家には猫なんていないことを思い出した。
 いや確かに。祖母は存命中、何匹もの猫や犬を飼っていて、それが古民家宿の人気の理由の一つになっていたそうだけれど。
 祖母が最後に飼った猫は、分家のおじさんが引き取ったという話を小耳にはさんだことがある。
 その子がおじさんの家から帰って来るたびに、この家のどこかにある、猫だけが知っている秘密の抜け穴を使って出入りしているんだろうか。
「君の名前、何だったっけ」
 思い出そうと小首を傾げると、三毛猫は「ニャー」と答えて、土間をてくてく、僕の方に歩いて来た。
「ニャー」
「ん? ドアを開けろって?」
 おじさんの家に帰りたいんだろうか。
 僕は急いで居間から財布を取って来ると、勝手口のドアを開けた。
「はい、どうぞ。僕も行くからさ。一緒に行こうか」
 ピンとしっぽを立てて、優雅な足取りで外に出て行く三毛猫に続いて、僕もドアの外へ。
「え?」
 僕はそこで足を止めた。
 今出て行ったばかりの猫の姿が、どこにも見当たらなかったからだ。
「素早いな?」
 三毛猫が外に出て、僕がドアの外に体を出す間に、そんなに時間差はなかったはずだ。
 けれど、三毛猫はいない。
 現れた時と同じくらい忽然と、どこかに行ってしまった。
「猫なら、こういうこともありえなくはない……よね?」
 僕は無理矢理そう思い込んで、田んぼの間の小道を再びおじさんの家に向かって歩いて行った。
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