俺の思っていた魔界と違う

霜月りの

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21.大ピンチ到来かと思った

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 ドサッと倒れる音に、アスターとマゼンタの顔色が変わる。

「クロエ様!!」

 マゼンタが叫び駆け寄る。

 ──え──?

 クロエが手で押さえているのは、ショートパンツとニーソックスの間の肌、俗に絶対領域と呼ばれている箇所。その一部分が数ミリメートルの深さで削り取られており、ドクドクと血液が流出している。

「……なあ、立てるよな? 立ってくれるよな? でなきゃ困るじゃねーかよ。代わりなんて俺には無理だからな。情けないけどお前に頼るしか、勝ち目はないんだ。
 ……聞いてんのかよ! 返事しろよクロエ!!」
「…………ッ」

 アスターがやっと、初めて、名前を呼んでくれた。それでも、尋常ではない痛みが邪魔をして声を出すことができない。

 ──何? 俺のせい? だよな、俺しかいないよな。こんなことになってしまったのは──

 アスターにとっても、大問題だった。
 自分のせいでクロエは大怪我をしてしまった。そこには彼女の従者であるマゼンタがいる。この光景は目にしていた。彼女が次に刃を向けるのは、もしかしたら竜にではなく、自分にかもしれない。よくもクロエをこんな目に遭わせたな、と。
 
 ──終わる。間違いなく俺は、ここで殺される──

 しかし、アスターの足は震えるばかりで、前にも後ろにも動かない。何か言おうにも、顔の筋肉が硬直して口を開くことが容易ではない。

 ──なんでこんな時に、棒立ちなんてしてるんだよ? そうじゃないだろ。離れるんだよ、ここから。マゼンタがクロエに気を取られている間、チャンスじゃないか。デカブツからも解放されるかもしれないのに。なのになんで、俺という木偶でく人形は、自分の命を守る行動を取らないんだよ──!?
 
 あれから数分が経過した。

「クロエ様、お話しできますか?」

 マゼンタはクロエの肩をトントンとやさしく叩きながら、様子を窺った。

「う~ん…………痛い」

 クロエは負傷部分を押さえながら、ゆっくり立ち上がる。額には玉状の汗が目立つ。

「……あー、ビックリした。もうちょっとズレてたら、脚はポロッと取れてたかも。おー怖ッ」
「私も、らしからぬ声を出してしまいました。クロエ様がここまでの怪我をされたところなんて、見たことがなかったものですから」

 右脚が赤に染まっている中、通常と変わらない感じで喋りだすクロエに、しかしアスターは安心の『あ』の字もない。目をつぶりながらの考え事に夢中で、会話が耳に入ってこなかったのだ。

 ──せめて、元の世界に帰りたかった。死んだら叶うのだろうか──?

「ゴメンね。ビックリしたよね?」
「え? ……え?」

 地面にうずくまっていたはずの彼女が、普通に立っている。アスターは目を疑った。

「怪我してない?」
「あ、ああ。この通り、なんとも……だけど……」
「よかったよかった。あんなの、ヒョロい人間がくらったら絶対アウトだもんね」

 この流れからグサリといくのだろうか? アスターが密かに睨む先には、マゼンタの手に収められている短剣がある。

「やー、めっちゃ痛かったわー。あんなガリっとやられたら泣きたくなるよ、もう。今度は当たらないようにしなきゃね。皆も気をつけようねー」
「ウフフ、調子が戻ってきたようですね。すぐ治るとわかっていても、やっぱり心臓に良くありませんからね」

 マゼンタは、目だけでアスターに合図する。クロエの脚を見るようにと。
 
 ──ん? 何だ? 見ろって言ってるようだけど……どこを? そうはいくか。そうやって別のことに気を向かせ、その隙にやるつもりなんだろ。お前の魂胆は見えてるんだ──

 アスターは竜よりもメイドに警戒し、数歩後ろに下がる。それにより、目線をそらさなくても見えた。
 クロエの、脚の傷が塞がっていたのだ。

「……ん?」

 見間違いかと思い、大きくまばたきをする。今度はもっときちんと、悪く言えば痴漢のごとく、彼女の脚を見る。

 ──どうなってんだ? さっきまであんなに血が出ていたのに、深い傷を負っていたはずなのに、もう元どおりになっている。あんなに痛そうにしていたのに、やけに早く立ち上がってケロッとしてたけど、演技とかではないのか──!?

「お気づきのようですね。我々魔族は、傷を負った際の自然回復能力が、人間よりも格段と優れているのです。その中でもクロエ様は、魔族よりも更にその能力が勝っている竜族の血も引いていらっしゃるので……ご覧のように私のような純粋な魔族よりも、回復のスピードが速いんです。こうしてお話ししている間にも……見てください。完治なさっているでしょう?」

「…………ああ」

 絶対領域完全復活。クロエのツルツルの脚に、うっかり見とれてしまうアスターだった。
 そういうことですから、と言ったところで、話は打ち切られた。
 巨大な竜もまた、全快に戻って佇んでいた。
 アスターが、マゼンタの横に立って言う。

「このデカブツよりも先に、俺がお前に殺されるかと思ってた」
「ええ? どうしてですか?」
「……俺のせいだからな、アイツが怪我したの」

 クロエは、右脚が問題なく動くことを確認するかのように、トントンと爪先を地面に叩きつける。

「それで私が怒って、あなたを亡き者にすると思ってたんですか?」

 マゼンタは笑った。本当に仕方のない人間だな、と。

「私もクロエ様も、そんなことは全然思ってませんよ。さっきも言いましたけど、クロエ様は怪我をしてもすぐ治りますし……あの行動はクロエ様の意志でしたから。あなたを助けたいっていう」

 ──助ける? 魔族クロエ人間おれを? そんな感情があったからこその行動だというのか──?

「過ぎたことを引きずるのは、精神的に良くありませんよ。今は気にせず、あの竜を倒すことだけを考えましょう」
「そうそう。私も気にしてないし」
「そっか。はぁ……良かった。俺の人生、終わらずに済んだみたいだ」

 クロエが隣に並ぶ。その声から冷ややかさを感じるのは、アスターの気のせいだろうか。
 そして彼女は、おもむろに右手を後ろにやる。握るのは、これまで日の目を見ていなかった剣の、柄。感触を掴み取ると、金属の擦れる音を生じさせる。

「終わるのは…………アイツだよ」

 黒光りする刃が、姿を現した。

 刃の部分だけでも一メートルを超えていそうなそれを、片手だけで振り下ろす。刃先が地面につく。
 アスターは、魔族の持つ武器ならば、見た目が何であれ、怪しいものと判定する。クロエの剣も例に漏れず、指先が触れるだけでも避けたいと願うものだった。
 思い返せば六年前、勇者アズールが背負っていた剣も、同じくらいの大きさだった。鞘に入ったままで持たせてもらったが、その重さは今でも覚えていた。
 先にマゼンタが駆けた。竜の右脚を何度も斬りつける。
 手数は多いが、斬られては回復の繰り返しで、相手の痛みは蓄積されない。
 クロエが驚異的なスピードで、間合いを詰める。剣を両手持ちに変え、竜の左脚を狙う。竜はまだ彼女に気づかない。
 ズバッ!!
 一振りで、竜の左脚(膝から下)は斬り落とされた。

「ガァオオオオッッ!!」

 吠えた竜は、意外にも身体のバランスを保ち、反撃の姿勢をとった。
 右脚を軸にして、翼を左右に振る。クロエたちは後方に跳んで、これをかわす。
 竜は動きを止めた。

 ──すげえ。たった一回攻撃しただけで……! こいつはイケるんじゃねーか? この調子で──

 ズルルッ!

「!?」

 一同は驚愕した。なくなったはずの竜の左脚が、傷口から生えてきたのだ。

「へ……?」

 アスターは驚きすぎて、どういうこと? とまで言うつもりでいたのに、そこには至れなかった。

「あらあら、困りましたね。再生能力まで備わっていましたか」

 マゼンタが、本当のところはどれくらい困っているのか。まだこちらの攻撃手段は残っているので、アスターは提案してみる。

「やっぱ心臓を止めるしかないだろ。さっきみたいな感じで、お前が引きつけて、その隙にアイツがグサッと。あのデカい剣でなら、やれそうなんじゃね?」
「そこまでうまく行き着ければ……。アスターさんも協力してくれますか?」

 先にアスターの心臓が止まりそうになる。

「お、俺は足手まといになるから! 俺がいたらかえって邪魔だろ? ……ホラ、人数は多けりゃ良いってモンでもないだろ? 必ずしも!」
「……怖いなら、そう言ってもらって構いませんよ」
「怖い。以上だ」
「…………」

 そうしている間にも、竜への攻撃は続いている。
 四肢を斬り落としても、再生してしまうというのなら、もうそれはしない。金属あるいはそれ以上の強度を持つ竜の胴体を、クロエは狙える位置に来ていた。
 ガガガガガッ。
 傷をつけるだけなら、造作もなかった。が、クロエが大地に足をつける頃には、それは塞がってしまう。そもそも、彼女は手応えをあまり感じていなかったこともあり、チッ、と舌打ちをする。

「おっと。私がサボってはいけませんね」

 マゼンタは先程のように、竜の顔に向けて炎を放つ。
 命中は確かにしている。奴は熱さも感じているようだ。しかし、硬い皮膚の表面のみを焼いただけにとどまる。
 喉元過ぎれば熱さを忘れる。竜は目を見開くと、吠えながら標的を潰しにかかる。
 右の前脚を、クロエに向けて振る。単純な手法では、彼女にはかすりもしない。
 左の前脚も利用する。魔族二人は涼しげな顔でかわす。
 アスターは気がついた。竜と自分との距離が縮まっていることに。このままでは先程のように、自分も狙われてしまう。また助けてもらえるとは限らない。

 ──どうか、俺だけは勘弁して──!

 カチカチと歯のなる音がする。震えも頭のてっぺんまで来た。
 吸血鬼の山へ行く前にマゼンタから渡された剣は、実はある。装着してみると案外しっくり来るもので、引き抜かなければ呪われたりすることはないだろうと思い、ずっとアクセサリー感覚で持っていた。
 クロエが自身の武器を構えてから、実は気になっていた。
 あの二人のように戦えなくても、格好だけは見せた方が良いのだろうか。
 鞘から抜いた状態では一度しか見ていないが、外見だけなら普通に良い剣だと思っている。けれども、使う者が自分のようなヘッポコでは、あの竜には通用しないだろうことは、容易に予想できる。
 それでも──
 まともでなくてもいい。やばそうだったらやめればいい。少しだけ。少しの間だけでも、剣を抜いてみるという行動を選んだ結果を、アスターは知りたかった。
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