俺の思っていた魔界と違う

霜月りの

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4.俺より強いスライムがいた

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 窓から離れ、てくてくと玉座の方へ歩いていくクロエ。横でモリ君も一緒に飛んでいた。
 剣を外し、左の肘掛けに立てかけ、ドカッ、と玉座に座ってしまった。

「クロエちゃんっ、そこに座ったらハイド様に怒られちゃうよ!」
 先代の魔王には、遺された息子が一人いる。名はハイド。今の時代、本来ならばこの玉座は彼のものになるはずだった。ところが、

「いいのいいの。本人にやる気がないんだから、誰が座ったって問題ないわよ」
 クロエがそう言った。寝転がって煎餅を頬張る父の姿がよぎった。
 五年間空席が続いているこの豪奢な椅子の所有権は、しかし誰にでもあるわけではない。

「モリ君、座ってみる?」
「えっ!? ボ、ボクはいいよ! 魔王の血を引く者、あるいは世界をべるにふさわしい力を持つ者にのみ、することが許される。それ以外の者が座ると、玉座そのものから発せられる闇に飲まれ、永遠を彷徨さまよう──こんな言い伝えくらい、ボクだって知ってるもん。ボクは王様になれないし、なりたいと思ったこともないし」
「冗談よ、冗談。それより、頼みがあるんだけど」
「何? 何?」

 モリ君は『何なりと!』と言わんばかりに目を更に丸くし、クロエ顔の前で停止した。彼女の役に立つことが何よりも嬉しいコウモリは、内容を聞く前からやる気満々である。

「モリ君が見たっていう人間を、ここに連れてきてほしいの」
「ここに? 外で殺してきちゃダメ?」
「ダメ。っていうか殺し自体、私がいいって言うまで禁止。会って話をしてみたいのよ。モリ君は五年ぶりって言うけど、私にとっては十一年ぶりだし」
「あ……」

 モリ君は一瞬、過去にあったある出来事を思い出し、表情を曇らせた。

「どうするかは私が決める。それまで危害を加えないようにね」
「はーい。それじゃ、行ってくるね」

 雨の中、とうとう走る力を失ったアスターは、延々と坂道を歩いていた。
 あの魔物はどうしたのだろう。まだ食事中か、それともアスターを捜しているのか。考える余裕さえも消えかけていた。

「ハァ、ハァ、ハァ…………あれは……何だ……?」

 そこから更に歩いて十分以上かかるであろう所に、壁に囲まれた大きな建物がある。ようやく身を休ませられる場所を見つけたとなれば、絶対に辿り着きたい。もう少しだ頑張れ、と自分を励ますアスター。雨で視界が悪くなろうと、障害物はない。このままひたすらまっすぐ歩くだけで──済まなかった。
 後方で何かがうごめいている。
 ワインレッドのプルプルしたそれは、不規則な動きをしながらジグザグに移動している。ヨロヨロ歩くアスターを見つけるや否や、ヌルヌル、ズルズルと這いずって接近を開始した。

「ヒィ~、まだかよ」

 もう随分歩いているのに、まだ到着しない。次第に苛立ちが増す。歩数こそそれなりだが、疲労のせいで普段より歩幅が狭くなっているので、実際には大して進んでいない。アスターはそこには気づいていないようだった。

「もう少し……もう少しの……はずっ………!」

 つんつん。
 不意に、後ろから右足をつつかれる。

「何だよ。話なら後にしてくれよ。…………ん?」

 ──今、俺をつついたのは誰だ──?

 人ならば、この場合通常は肩の辺りをトントンとつくはず。しかし今、確かにもっと下の方──足首付近に触れられた。わざわざそのようなことをする者がいるだろうか。不審に思い振り向くと、誰もいない。現在、アスター以外に誰もいないのだから、気のせいだったことにした。
 つんつん、つんつん。
 同じ箇所をつつかれた。

「やっぱ気のせいじゃねえ! 誰だよチクショー!」

 乱暴に言い放ち、目線を下にしてもう一度振り向く。そこには、うにうに動く赤いものがあった。

「何だよコレ、気色悪いな」

 にゅーっ、と縦に伸びるそれは、アスターを挑発しているようにも見える。
 瞬間、アスターは思い出した。この生物が何なのかを。

 ──スライムだ──!!

 暗くてジメジメした森、あるいは洞窟の中に生息するイメージのあるスライムが、なぜこんな所にいるのか。数メートル離れた地面に埋まっている岩にでも隠れていたのだろうか。この天気が奴を活動的にしたのか。
 アスターが一歩下がると、スライムは逆に一歩進む。これもまた、アスターを狙っている魔物なのだ。
 武器がないため、先程の魔物からは逃げてしまったが、それはアレに関しての知識がなかったからでもある。しかしスライムのことは知っていた。現存する魔物の中では最弱である──と。
 果たして聞いた通りなのか、確かめたくなった。
 ズンッ!
 右足でスライムを踏みつけ、かかとをグリグリさせて追い打ちをかける。

「なんだ、たいしたことねーじゃん」

 魔物に自ら一撃をくらわせたことで、丸腰でも戦えないわけではないのだと確信したアスターは、さらにもうひと踏み、と右足を上げると、その隙をついてスライムがサーッと横に動いた。

「逃げても無駄だぞ。もうーいっちょくら……わわッ!?」

 スライムは攻撃を受ける直前に跳躍し、かわした。
 敵ではなく地面を思い切り踏んだ時の衝撃は、膝まで伝わった。
 ベタッ。

「!?」

 スライムが着地したのは、アスターの顔の上。彼の視界一面に、赤い闇が広がる。

「何すんだこのヤロ、離れろ! このッ!」

 両手で引っ張られても、スライムはそう簡単には離れてくれない。そのうちアスターの鼻も塞いでしまった。

「ぬわっ、苦しい……ッ……」

 こめかみから下がサワサワする。おそらくスライムは、耳を塞ぎに入ったのだろう。これで顔の三分の二が覆われた。アスターは口だけで呼吸していた。
 目一杯頑張って引っ張っても、スライムが調子に乗るだけである。

「確か、スライムは火に弱いって聞いたことあったっけな。火の魔法で消し炭になるとかナントカ。あー、魔法使えたら、こんな奴ラクに倒せるんだろうな。習っておけばよかったかなー……いててッ!!」

 左の頬を痛みが走った。どうやらスライムが噛みついたようだ。

「野郎、こっちもお返しだ!」

 スライムの体をグイッと口元まで引っ張り、これまでの恨みを晴らすがごとく、ガブリと一噛み。
 よほど痛かったのか、スライムはアスターの顔から離れ、ボテッと着地し、もがいている。
 続いてアスターが、その場の思いつきでスライムを伸ばせるだけ伸ばし、一回結んでしまった。その間に右手を噛まれた。スライムには顔がないので、どうやって相手を認識しているのか、どの部分から噛みついたのかは不明である。

「ここをこうして……こうやって……クソッ、やりづれーな。野郎、おとなしくしろッ!」

 土埃を巻き上げながら、軟体の魔物と格闘すること約二分。顔と手のあちらこちらに傷を作ったアスターは、ついにスライムを蝶結びの刑にしてやった。

「どうだ参ったか、ざまーみろ。俺だってやるときゃやるんだ、へへッ」

 うにょうにょ、うにょにょっ。

「……アレ?」
 アスターが目を点にする。あれよあれよという間に、スライムは元の丸い形状に戻ってしまった。しかも怒っているのか、独特のオーラを発している。戦いはまだ終わっていなかったのだ。
 ボワッ。
 火が見えた。間違いなくスライムが放ったものだ。
 アスターの顔から、汗がとめどなく流れる。
 
 ──火に弱いはずの奴が火を操るって、どういうことですかーー!?

 今にも絶叫したくなった。
 よくよく考えてみれば、アスターは話を聞いただけで、自分で試したわけではない。それにスライムといっても、種類は様々。更に思い出すと、火に弱いスライムの特徴は、体の色が緑色で特技はほぼ持ってない。それ以外の色のスライムについては記憶に乏しかった。
 ここにいるのは、アスターのイメージとは真逆のタイプだった。
 ゴォーーーーッ!
 火は大きく、一筋の炎となって、アスターに襲いかかった。

「うわ危ねえッ!」

 かろうじで避けたものの、形勢逆転となってしまっては、アスターに打つ手はない。また逃げるしかないのか、と落胆。すると──
 ガッ!!
 強烈な稲妻が、スライムの頭上に落ちた。
 右腕で目元を塞いでいたアスターが、恐る恐る目を開けると、あのスライムの姿がなかった。正確に言えば、奴のものとおぼしき破片が、いくつか散らばっていて、活動の気配は皆無だった。

「何があったんだ? スライム野郎がこんなになっちまったぞ……」
「エヘヘ、ボクだよー♪」

 声は上からだった。

「ゲ! またかよ、これで三匹目か。もう魔物は勘弁してくれよ~」

 ぐったりとうなだれるアスター。助かったのになぜか嬉しそうではない人間と話しやすいように、魔物──コウモリは降下した。
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