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夏休みの部活
彩音先輩
しおりを挟むやっといつもの呼吸、いつもの空気を味わった気がした。まだどこかに田舎の本家の空気を感じていてそこから抜けきれない感があった。お嬢の残像からやっと解放されていつもの日常が戻って来た……そんな気がした。
暫くすると他の二年生と三年生も顔を出した。
音楽室は一気に活気が満ちてきた。
彩音先輩がピアノの傍で練習の準備を始めた。僕は立ち上がって
「彩音先輩はコンクールの準備は大丈夫ですか?」
と声を掛けた。
「予選は九月からやからもう目一杯やっているわよ。今日はちょっと息抜きに来たの」
と笑って応えた。
「これって藤崎君のお土産?」
と彩音先輩は僕が持って来たお菓子を手に取って聞いてきた。
「はい。そうです。どうぞ食べてください」
「うん。ありがとう」
そういうと彩音先輩は包みを開いてお菓子をかじった。
「ああ、美味しいわ」
彩音先輩は本当に美味しそうに言ってくれた。持ってきて良かったと心の底から思った。
「なんや? 岡山にでも行っていたんか?」
と言って千龍先輩も箱からお菓子を手に取って聞いてきた。
「はい。父方の田舎で、ちょっと里帰りについて行ってました」
「へぇ。そうなんや。じゃあ。これ貰うな」
千龍さんはそれ以上興味が無いようで、お菓子を口に放り込んで一年生の輪の中に入って行った。
「藤崎君は今年コンクールには出ないの?」
その姿を目で追っていた彩音先輩が僕に聞いた。
僕は一瞬虚を突かれたような感じで慌てて答えた。
「え? あ、はい。今年は多分出ないと思います」
というよりまだ決めかねていたといった方が正確だった。
「やっぱりそうなんや。あまり乗り気や無かったもんね」
でも、彩音さんにはそう見えていたようだった。
「そんな事もないですけどね……まだ迷っているっていうのが本音です」
と正直に今の気持ちを伝えた。
僕はこの期に及んでまだ迷っていた。だからと言って自分の腕に自信がない訳ではなかった。
別にこれと言って理由はないのだが、何か気乗りがしない。一言でいうとコンクールでピアノを弾く気が全く起きなかった。昔からコンクールなんかはどうでも良かったが、出ると決めたらそれなりに目標ができて楽しかった。
今はそれさえもない。
所詮コンクールは自分のために出る訳だから、本人にその気がなかったら気合が入らないのも甚だしい。
「そっかぁ……瑞穂と立花は出るみたいやね」
彩音先輩はちょっと残念そうに僕の顔を見て言った。上目遣いに先輩に見つめられると何故か照れる。ちょっとドキドキする。もしかして先輩は僕がコンクールに出る事を期待している? なんて考えてしまった。
しかし僕は平静を装って
「ええ、あいつらはコンクール大好きですから」
と笑って答えた。出ない理由を変に追求されなくて良かったと内心ほっとしていた。
その瞬間
「アホ! そんなコンクールが好きな人間になってみたいわ」
と背中越しに哲也の声が聞こえた。
「なんや? 聞いとったんか?」
「俺はコンクール、好きとちやうぞぉ」
と言いながら哲也は僕の背中に覆いかぶさって来た。
「こら重いって」
僕はそのまま重さに耐えかね机の角に腰を下ろした。
「お前は瑞穂と仲良く一緒に出るんやろ?」
「日程が違うから仲良く一緒ではない」
と哲也が他の机に腰を下ろしながら答えた。
「え? そうなん?」
「そう。それにあいつは会場が大阪やけど、俺は名古屋や」
「ええ、そうなんやぁ。仲良く一緒に行くわけやないんやな」
僕はちょっと驚いた。本気で同じ会場で同じ日にやるものとばかり思っていたから。それと同時にチェロを担いで新幹線に乗っている哲也の姿を想像して僕は少し気の毒になっていた。
「そういう事や。お前……ホンマにコンクールに興味ないみたいやな。マジで他人事みたいやんけ」
と呆れたように言った。彼からしたら本当に緊張感のない奴に見えるんだろうな。確かに緊張感のかけらもなかったが……。
そんな事を考えていたら
「おはようございまぁす」
とドアを開けて入ってきたのは篠崎拓哉だった。その後に続けて三人の見知らぬ学生が入ってきた。
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