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先輩
ビールの味
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その様子を見て安藤さんが
「それが青春のほろ苦さやな。これで君たちはビールを飲むと、この時のほろ苦さを思い出せるという訳だ」
とにやっと笑って僕らに言った。
そして、安藤さんはグラスをもう一つ取り出して、それにビールを泡をこぼさないように注いだ。
ビールで満たされたそのグラスを安藤さんは軽く持ち上げてから一気に飲み干した。飲み終わった後はとっても満足げで幸せそうな顔をしていた。
「それを知ってどうなるんですか?」
ちょっとむせ気味になりながら僕は、安藤さんに聞いた。
「大人になってくるとな、ビールの味が分かるようになって美味くなるんや。でもな思い出の引き出しは多い方が人生は楽しい。
これで君たちは『単なる苦さ』だけではなく『青春のほろ苦さ』というテイストも手に入れた訳や。今飲んだグラスのビールの味はもう忘れへんと思うわ」
と安藤さんは本当に嬉しそうに言った。
それは子供の成長を喜ぶ親のような顔だった。
「安藤さんにも同じような事があったんですか?」
と和樹が聞いた。
「あったなぁ。沢山」
と安藤さんは笑いながら和樹に答えた。
「そうやなぁ……亮平のお母さんが一平と付き合った時なんかもそうやったな。鈴と一緒に缶ビールを買って飲んだわ」
と懐かしい話を思い出したような表情で安藤さんは言った。
「え~そうなんですかぁ? 高校生やのに……あ、もしかして安藤さんと鈴原さんと父さんは母さんの取り合いをしていたんですか? 恋敵とか?」
と僕は聞いた。
「ちゃうちゃう、そんなんちゃうわ。流石に……。亮平のお母さんのユノはみんなの憧れのマドンナやったからな。お前ら二人の憧れの先輩と同じようなもんや。だから、誰かに憧れのマドンナを取られたような気がして寂しかったんやな。この気持ちの事を『切ない』っていうねんけど……分からんやろなぁ……いや、今の二人には分かるか?」
安藤さんは笑いながらそう言って自分のグラスにビールを注いだ。
「へえ、そうなんですかぁ……」
と僕は軽く応えたが、安藤さんの言うことはとってもよく分かった。
多分、和樹も一緒だろう。僕たちふたりは今間違いなく切なかった。
――そうかぁ、みんな切なかったんだぁ――
「そう、みんなのユノだったからな。それが一平のユノになった現実を突きつけられたような気がしたんやろうなぁ……そん時は……」
安藤さんは懐かしそうな顔をして、ビールを注いだグラスを見つめてから一気に飲んだ。
そしてグラスをカウンターに置くと立ち上がって、棚からLPジャケットを取り出した。そしてターンテーブルにレコード盤を置くと静かに針を落とした。
トーレンスのS字アームが美しい。
暫くしてJBLのスピーカーから流れてきた曲はデレク アンド ドミノスの曲だった。
「これはなんていう曲なんですか?」
僕がそう聞くと安藤さんは
「I Looked Away」
とひとこと言って『Layla』のピカソが描いたようなジャケットを見せてくれた。
「そう、この曲はね。亮平のお母さんが一平の彼女になった時に、俺と鈴原がやけ酒を飲みながら聴いてた曲なんや」
安藤さんは笑ってそう言うとエリック・クラプトンのように流暢な英語で、今流れているこの曲を12小節ハモった。
「高校二年生の頃だったかなぁ……このレコード自体は70年リリースやったからジャストインタイムではなかったんやけどな」
寂しそうでも悲しそうな感じでもなく、ただ単に懐かしそうに安藤さんはこの曲を聞いていた。安藤さんがその時に感じた切なさは、今や完全に昇華されてしまっているのだろう。
ただこの瞬間、安藤さんは高校二年生に戻って鈴原さんと飲んでいるんだろうな……と思ってしまった。
そう、高校生のくせにやけ酒だったらしい。
JBLのスピーカーはそのまま次の曲を奏でた。
「Bell Bottom Bluesかぁ。これもええ曲やなぁ……」
と安藤さんは言った。本当に安藤さんがこのアルバムを聴くのは久しぶりの様だった。
僕はこっちの曲の方が『今の切なさ』に合っているような気がしていた。少なくとも僕にはこっちの曲の方がしっくりと切なくなれた。
でもどちらも甲乙つけがたい『切なさ』を感じる曲だった。僕はこの二曲が気に入った。
今までじっくりと聞いたことが無かったけど、僕はブルースが案外好きかもしれない。
そして二曲目も終わった。
安藤さんが立ち上がってレコードを止めて他のCDをかけようとしたが和樹が
「もう一回、この2曲を聞かせてもらって良いですか?」
と言った。和樹にしては珍しく思いにふけっているような感じだった。
安藤さんはちょっと驚いたような顔をしたが、すぐに笑って「良いよ」と答えてまた最初から針を落としてくれた。
和樹はもう少し切なさの中に身を委ねたかったようだ。それは僕も同じだった。
しかし和樹には『切なさ』は似合わん。
再びJBLのスピーカーからは安藤さんのほろ苦い想い出の曲が、切なく流れ出した。
安藤さんはそのままカウンターの奥からアコスティックギターを取り出して曲に合わせて弾きだした。
JBLのスピーカーからはエリック・クラプトンの歌声が流れている。
そして目の前から安藤さんの弾くギターの音が聞こえる。
タバコを咥えながらしかめっ面でギターを弾く安藤さんはオッサンながらかっこいい。いやオッサンが弾くからカッコ良いのだろう。
できればこんなオヤジになりたいなと思った。
本当に目の前でデレク アンド ドミノスが演奏しているような錯覚に陥りそうだった。
単なるBARのマスターだと思っていたのでそのギャップに驚いた。
安藤さんのギターは文句なく上手い。コード進行を取りながらちゃんとアルペジオで曲の流れを弾いている。
弾き慣れたギタリストの余裕さえ感じるアドリブが良い。
一曲目が終わり二曲目がかかり出す前に、安藤さんはタバコをギターのヘッドの弦と弦の間に挟んで弾きだした。
その手慣れた仕草もなんだか絵になってカッコイイ。さっきから安藤さんに感動ばかりしている。こういう渋い大人になるには人生に『切ない想い』も必要なんだろうと思ってしまった。いや、確信した。
指がなめらかに動く。安藤さんがこの曲を相当に弾き込んでいるのがよく分かる。
目を閉じて弾く姿は、なんだかこの店の雰囲気に合って自然に溶け込んでいた。
何よりも足を組まずに開いて弾いている姿が良い。
いつもこうやってカウンター中で、毎日安藤さんがギターを弾いているかのような当たり前の空気を感じた。
そして何よりも味のある音ギターの音色に僕は心を奪われていた。
これはやはり人生経験の差なんだろうか? そんな事を考えさせる上手い下手を超えた音だった。
あっという間に曲は終わった。安藤さんもギターから挟んだタバコを取ってまた咥えてすぐ消した。
短くなったタバコといえどもそのまま消すのではなく、最後の一服を吸ってから消すのがタバコに対しての礼儀みたいな吸い方だった。
ほんの数分のライブとも言えない演奏だったが心に残るような時間だった。
なんだか僕もピアノが弾きたくなった。
安藤さんのように年季も人生の重みも感じさせられない未熟な若造だけど。
JBLのスピーカーはそのままレコードの三曲目を流しだした。
「オッサンかっこいい!!」
と和樹が叫んで指を咥えて口笛を鳴らした。
「これでこの曲とビールの味が完全にセットになってもうたな」
と安藤さんは笑った。
間違いなく僕と和樹にはセットになった。異存はない。
「なんか久しぶりにこの曲弾いたわ」
そう言うと安藤さんはビールをグラスに注ぐと一気に飲んだ。
とっても旨そうな飲み方だった。
「安藤さんってギター上手いですよね。びっくりしました」
僕は安藤さんのギターに感動している事にも驚きながら言った。この気持ちがうまく言葉にできないのがもどかしいと思いながら。
「そうかぁ? お前らと同じぐらい頃から弾いとるからな」
「そうなんですか?」
と僕が聞き返した。やはり年季が入ったギタリストだった。
「ああ、たまに暇な時は店でも弾いているけどね」
「毎日、ライブやったら良いのに」
和樹が言ったが僕も頷いた。
「やらん、やらん」
と安藤さんは手を振って否定した。
「僕の父さんは、安藤さんと鈴原さんが一緒にやけ酒飲んでいた事とかは知っているんですか?」
と僕は聞いた。
「知らんやろうな。なんせあいつはユノとラブラブやったからな。考えただけでけったくそ悪いわ」
と言いながら笑った。
「そのけったくそ悪い気持ちは大変よくわかります」
と僕は答えたが和樹も一緒に頷いていた。
「はは、分かるかぁ……お前らも大人の階段を一段上がったな」
と何故か満足そうな顔をして安藤さんはまたビールをグラスに注いだ。
「酒と音楽は人生を色づける必要不可欠な要素や。楽しい事は飲んで喜びを分かち合い、辛い事は飲んで歌ってさっさと思い出にしてしまうんや」
今日の安藤さんは能弁だ。いつも寡黙ではないが余計な事は話さない人だと思っていた。
今日は少し酔いが回っているのだろうか?
そんな事を考えながら黙って聞いていると
「まだ、お前らには早かったかな。でも後何年かしたら分かるようになるわ」
と安藤さんは自分でも話し過ぎたと思ったのか話をまとめた。
そして
「俺も気がついたら、高校生に人生を語る歳になっていたという訳か」
と呟くと「ふぅ」と小さくため息をついた。
その時カウベルがなって”けったくそ悪い”オヤジと”安藤さんと傷心を舐め合った”鈴原さんが入ってきた。
カウンターまで来ると
「なんや? お前ら来とったんかぁ。こんな遅くまで、この未成年が!」
とオヤジが笑いながら言った。
「今、安藤さんに人生を語ってもらっていたんや」
と僕が応えると
「なに? 安ちゃんにか? それはアカン! 人生を踏み外す事になるぞぉ」
とオヤジは更に笑いながら言った。
「そうそう、こんな”人として大事な何かを失ったような”オヤジになってしまうんや」
と安藤さんはオヤジを指差して言った。
「こら、指差すな! 失礼なやっちゃ」
とオヤジは言いながらカウンターに座った。
鈴原さんはJBLのスピーカーを見て
「これLaylaか?」
と安藤さんに聞きながらオヤジと同じように座った。
「ああ、そうや」
そう言って安藤さんはオヤジと鈴原さんの前に、いい感じに綺麗な泡のビールで満たされたグラスを置いた。
鈴原さんは僕と和樹の前に置いてあった空いたグラスを見つめながら
「そうか……ほろ苦いビールを飲んでいたんやな」
と言った。優しい笑顔だった。大人の笑顔って言う感じだった。
鈴原さんには、僕達の今の心境が手の取る様に分かっていたに違いない。
「なんや? ビールがほろ苦いやて? お前は思春期の子供か?」
とオヤジは鈴原さんにからむ様に言った。僕のオヤジには、全く何も伝わっていないのがよく分かった。
「そうや、お前の息子たちのほろ苦デビューに乾杯やな」
と言ってグラスをオヤジに向けてから、僕たちの顔を見てビールを飲んだ。
オヤジは『なんのこっちゃ?』みたいな顔をしていたが、安藤さんは笑みを浮かべて頷いていた。
鈴原さんは安藤さんに
「安ちゃん、もう一度このアルバムを最初からかけてくれへんか」
と言った。
安藤さんは、にやっと笑うとターンテーブルのレコードに針をまた静かに落とした。
JBLのスピーカーは今日三度目の「I Looked Away」を奏でた。
昔、青春を謳歌した三人と今青春の味を噛み締めている最中の二人は、仲良く一緒に黙ってこの曲を聞いていた。
「それが青春のほろ苦さやな。これで君たちはビールを飲むと、この時のほろ苦さを思い出せるという訳だ」
とにやっと笑って僕らに言った。
そして、安藤さんはグラスをもう一つ取り出して、それにビールを泡をこぼさないように注いだ。
ビールで満たされたそのグラスを安藤さんは軽く持ち上げてから一気に飲み干した。飲み終わった後はとっても満足げで幸せそうな顔をしていた。
「それを知ってどうなるんですか?」
ちょっとむせ気味になりながら僕は、安藤さんに聞いた。
「大人になってくるとな、ビールの味が分かるようになって美味くなるんや。でもな思い出の引き出しは多い方が人生は楽しい。
これで君たちは『単なる苦さ』だけではなく『青春のほろ苦さ』というテイストも手に入れた訳や。今飲んだグラスのビールの味はもう忘れへんと思うわ」
と安藤さんは本当に嬉しそうに言った。
それは子供の成長を喜ぶ親のような顔だった。
「安藤さんにも同じような事があったんですか?」
と和樹が聞いた。
「あったなぁ。沢山」
と安藤さんは笑いながら和樹に答えた。
「そうやなぁ……亮平のお母さんが一平と付き合った時なんかもそうやったな。鈴と一緒に缶ビールを買って飲んだわ」
と懐かしい話を思い出したような表情で安藤さんは言った。
「え~そうなんですかぁ? 高校生やのに……あ、もしかして安藤さんと鈴原さんと父さんは母さんの取り合いをしていたんですか? 恋敵とか?」
と僕は聞いた。
「ちゃうちゃう、そんなんちゃうわ。流石に……。亮平のお母さんのユノはみんなの憧れのマドンナやったからな。お前ら二人の憧れの先輩と同じようなもんや。だから、誰かに憧れのマドンナを取られたような気がして寂しかったんやな。この気持ちの事を『切ない』っていうねんけど……分からんやろなぁ……いや、今の二人には分かるか?」
安藤さんは笑いながらそう言って自分のグラスにビールを注いだ。
「へえ、そうなんですかぁ……」
と僕は軽く応えたが、安藤さんの言うことはとってもよく分かった。
多分、和樹も一緒だろう。僕たちふたりは今間違いなく切なかった。
――そうかぁ、みんな切なかったんだぁ――
「そう、みんなのユノだったからな。それが一平のユノになった現実を突きつけられたような気がしたんやろうなぁ……そん時は……」
安藤さんは懐かしそうな顔をして、ビールを注いだグラスを見つめてから一気に飲んだ。
そしてグラスをカウンターに置くと立ち上がって、棚からLPジャケットを取り出した。そしてターンテーブルにレコード盤を置くと静かに針を落とした。
トーレンスのS字アームが美しい。
暫くしてJBLのスピーカーから流れてきた曲はデレク アンド ドミノスの曲だった。
「これはなんていう曲なんですか?」
僕がそう聞くと安藤さんは
「I Looked Away」
とひとこと言って『Layla』のピカソが描いたようなジャケットを見せてくれた。
「そう、この曲はね。亮平のお母さんが一平の彼女になった時に、俺と鈴原がやけ酒を飲みながら聴いてた曲なんや」
安藤さんは笑ってそう言うとエリック・クラプトンのように流暢な英語で、今流れているこの曲を12小節ハモった。
「高校二年生の頃だったかなぁ……このレコード自体は70年リリースやったからジャストインタイムではなかったんやけどな」
寂しそうでも悲しそうな感じでもなく、ただ単に懐かしそうに安藤さんはこの曲を聞いていた。安藤さんがその時に感じた切なさは、今や完全に昇華されてしまっているのだろう。
ただこの瞬間、安藤さんは高校二年生に戻って鈴原さんと飲んでいるんだろうな……と思ってしまった。
そう、高校生のくせにやけ酒だったらしい。
JBLのスピーカーはそのまま次の曲を奏でた。
「Bell Bottom Bluesかぁ。これもええ曲やなぁ……」
と安藤さんは言った。本当に安藤さんがこのアルバムを聴くのは久しぶりの様だった。
僕はこっちの曲の方が『今の切なさ』に合っているような気がしていた。少なくとも僕にはこっちの曲の方がしっくりと切なくなれた。
でもどちらも甲乙つけがたい『切なさ』を感じる曲だった。僕はこの二曲が気に入った。
今までじっくりと聞いたことが無かったけど、僕はブルースが案外好きかもしれない。
そして二曲目も終わった。
安藤さんが立ち上がってレコードを止めて他のCDをかけようとしたが和樹が
「もう一回、この2曲を聞かせてもらって良いですか?」
と言った。和樹にしては珍しく思いにふけっているような感じだった。
安藤さんはちょっと驚いたような顔をしたが、すぐに笑って「良いよ」と答えてまた最初から針を落としてくれた。
和樹はもう少し切なさの中に身を委ねたかったようだ。それは僕も同じだった。
しかし和樹には『切なさ』は似合わん。
再びJBLのスピーカーからは安藤さんのほろ苦い想い出の曲が、切なく流れ出した。
安藤さんはそのままカウンターの奥からアコスティックギターを取り出して曲に合わせて弾きだした。
JBLのスピーカーからはエリック・クラプトンの歌声が流れている。
そして目の前から安藤さんの弾くギターの音が聞こえる。
タバコを咥えながらしかめっ面でギターを弾く安藤さんはオッサンながらかっこいい。いやオッサンが弾くからカッコ良いのだろう。
できればこんなオヤジになりたいなと思った。
本当に目の前でデレク アンド ドミノスが演奏しているような錯覚に陥りそうだった。
単なるBARのマスターだと思っていたのでそのギャップに驚いた。
安藤さんのギターは文句なく上手い。コード進行を取りながらちゃんとアルペジオで曲の流れを弾いている。
弾き慣れたギタリストの余裕さえ感じるアドリブが良い。
一曲目が終わり二曲目がかかり出す前に、安藤さんはタバコをギターのヘッドの弦と弦の間に挟んで弾きだした。
その手慣れた仕草もなんだか絵になってカッコイイ。さっきから安藤さんに感動ばかりしている。こういう渋い大人になるには人生に『切ない想い』も必要なんだろうと思ってしまった。いや、確信した。
指がなめらかに動く。安藤さんがこの曲を相当に弾き込んでいるのがよく分かる。
目を閉じて弾く姿は、なんだかこの店の雰囲気に合って自然に溶け込んでいた。
何よりも足を組まずに開いて弾いている姿が良い。
いつもこうやってカウンター中で、毎日安藤さんがギターを弾いているかのような当たり前の空気を感じた。
そして何よりも味のある音ギターの音色に僕は心を奪われていた。
これはやはり人生経験の差なんだろうか? そんな事を考えさせる上手い下手を超えた音だった。
あっという間に曲は終わった。安藤さんもギターから挟んだタバコを取ってまた咥えてすぐ消した。
短くなったタバコといえどもそのまま消すのではなく、最後の一服を吸ってから消すのがタバコに対しての礼儀みたいな吸い方だった。
ほんの数分のライブとも言えない演奏だったが心に残るような時間だった。
なんだか僕もピアノが弾きたくなった。
安藤さんのように年季も人生の重みも感じさせられない未熟な若造だけど。
JBLのスピーカーはそのままレコードの三曲目を流しだした。
「オッサンかっこいい!!」
と和樹が叫んで指を咥えて口笛を鳴らした。
「これでこの曲とビールの味が完全にセットになってもうたな」
と安藤さんは笑った。
間違いなく僕と和樹にはセットになった。異存はない。
「なんか久しぶりにこの曲弾いたわ」
そう言うと安藤さんはビールをグラスに注ぐと一気に飲んだ。
とっても旨そうな飲み方だった。
「安藤さんってギター上手いですよね。びっくりしました」
僕は安藤さんのギターに感動している事にも驚きながら言った。この気持ちがうまく言葉にできないのがもどかしいと思いながら。
「そうかぁ? お前らと同じぐらい頃から弾いとるからな」
「そうなんですか?」
と僕が聞き返した。やはり年季が入ったギタリストだった。
「ああ、たまに暇な時は店でも弾いているけどね」
「毎日、ライブやったら良いのに」
和樹が言ったが僕も頷いた。
「やらん、やらん」
と安藤さんは手を振って否定した。
「僕の父さんは、安藤さんと鈴原さんが一緒にやけ酒飲んでいた事とかは知っているんですか?」
と僕は聞いた。
「知らんやろうな。なんせあいつはユノとラブラブやったからな。考えただけでけったくそ悪いわ」
と言いながら笑った。
「そのけったくそ悪い気持ちは大変よくわかります」
と僕は答えたが和樹も一緒に頷いていた。
「はは、分かるかぁ……お前らも大人の階段を一段上がったな」
と何故か満足そうな顔をして安藤さんはまたビールをグラスに注いだ。
「酒と音楽は人生を色づける必要不可欠な要素や。楽しい事は飲んで喜びを分かち合い、辛い事は飲んで歌ってさっさと思い出にしてしまうんや」
今日の安藤さんは能弁だ。いつも寡黙ではないが余計な事は話さない人だと思っていた。
今日は少し酔いが回っているのだろうか?
そんな事を考えながら黙って聞いていると
「まだ、お前らには早かったかな。でも後何年かしたら分かるようになるわ」
と安藤さんは自分でも話し過ぎたと思ったのか話をまとめた。
そして
「俺も気がついたら、高校生に人生を語る歳になっていたという訳か」
と呟くと「ふぅ」と小さくため息をついた。
その時カウベルがなって”けったくそ悪い”オヤジと”安藤さんと傷心を舐め合った”鈴原さんが入ってきた。
カウンターまで来ると
「なんや? お前ら来とったんかぁ。こんな遅くまで、この未成年が!」
とオヤジが笑いながら言った。
「今、安藤さんに人生を語ってもらっていたんや」
と僕が応えると
「なに? 安ちゃんにか? それはアカン! 人生を踏み外す事になるぞぉ」
とオヤジは更に笑いながら言った。
「そうそう、こんな”人として大事な何かを失ったような”オヤジになってしまうんや」
と安藤さんはオヤジを指差して言った。
「こら、指差すな! 失礼なやっちゃ」
とオヤジは言いながらカウンターに座った。
鈴原さんはJBLのスピーカーを見て
「これLaylaか?」
と安藤さんに聞きながらオヤジと同じように座った。
「ああ、そうや」
そう言って安藤さんはオヤジと鈴原さんの前に、いい感じに綺麗な泡のビールで満たされたグラスを置いた。
鈴原さんは僕と和樹の前に置いてあった空いたグラスを見つめながら
「そうか……ほろ苦いビールを飲んでいたんやな」
と言った。優しい笑顔だった。大人の笑顔って言う感じだった。
鈴原さんには、僕達の今の心境が手の取る様に分かっていたに違いない。
「なんや? ビールがほろ苦いやて? お前は思春期の子供か?」
とオヤジは鈴原さんにからむ様に言った。僕のオヤジには、全く何も伝わっていないのがよく分かった。
「そうや、お前の息子たちのほろ苦デビューに乾杯やな」
と言ってグラスをオヤジに向けてから、僕たちの顔を見てビールを飲んだ。
オヤジは『なんのこっちゃ?』みたいな顔をしていたが、安藤さんは笑みを浮かべて頷いていた。
鈴原さんは安藤さんに
「安ちゃん、もう一度このアルバムを最初からかけてくれへんか」
と言った。
安藤さんは、にやっと笑うとターンテーブルのレコードに針をまた静かに落とした。
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