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伴奏
当日 その1
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そして朝が来た。本番当日を迎えた。
会場に着くと冴子はそのまま音出しの部屋に入っていった。
――そう言えばコンクールの時は三人で一緒に音出ししたなぁ――
とロビーで独り待ちながら懐かしい気分になった。
同時に僕がまだヴァイオリンを習っていたころの事を思い出した。
その当時の僕たちがコンクールに参加するのは経験を積むためだけ、あるいは腕試し程度の理由でだったような気がする。
勿論上位を目指してはいたが、それが全てでは無かった。
割と三人とも気楽に楽しんでいたような気がする。
しかし今回はそうではない。冴子は本気で一番を狙いに行っている。それを傍で朝から感じていた。
そして本当に本番。
照明が眩しい。
今僕は冴子と一緒に同じステージに居る。一年ぶりに僕はまた全国大会のステージに帰ってきた。
ただ少し残念だったのは、ここが昨年僕たちが出場した会場では無かった事だった。
それでも僕は
――あの時、俺はファイナルのステージで何を考えとったけ?――
と昨年の事を思い出しながら不思議な感覚にとらわれていた。たった一年前の事なのに、相当昔の事のような気もする。それほど今年は色々な出来事があったという事なのだろうか?
スポットライトを浴びている深紅のドレスを着た冴子を、同じステージのすぐ後ろで僕が眺めている。
主役は『僕』でも『僕たち』でもない。冴子だ。
なのに僕は客席でも舞台の袖でもなく同じステージに居る。
今日は客席までよく見える。それもなんだか不思議な気分だった。
視線を目の前に戻すと、そこにはグランドピアノがある。このステージの主のような存在感を醸し出している。
――でも今日は君が主役ではない――
と僕は心の中でピアノに向かって話しかけていた。
そして再び視線を少しずらせば、右隣でヴァイオリンを左肩に乗せて立ち位置を確認している冴子の姿が目に入ってくる。
――冴子は落ち着いとんな。これなら大丈夫やな――
冴子が僕に向き直って頷いた。僕はピアノの鍵盤に『ポン』と右手の人差し指を落とした。
冴子は調弦し始めた。
僕は黙って鍵盤に視線を落として冴子の合図を待った。
――ホンマに憎たらしいほど落ち着いとるな。流石やな――
焦りも不安も微塵も感じさせないいつも通りの調弦だった。ステージに上がった冴子は、もう何の迷いもない。
冴子の選んだ曲は『チャイコフスキー バイオリン協奏曲 ニ長調 Op.35』だった。
四大ヴァイオリン協奏曲の一つともいわれるこの曲は一八七八年に作曲された名曲である。
僕は調弦の音を聞きながら、冴子から初めて伴奏譜を手渡された時の事を思い出していた。
楽譜を見て思わず僕は
「チャイコン? そう来るかぁ」
と驚きを口にした。
実は冴子ならブラームスあたりを選ぶのではないかと想像していた。
「なんでチャイコンなん?」
「あかん?」
と冴子は怪訝な表情を浮かべて聞き返した。
「いや、冴子の事やからブラームスかあるいはシベリウスあたりかなと予想しとったんで」
『チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op.35』は名曲だ。でも僕にとっては冴子のイメージとあまり結びつかなかった。
一緒にヴァイオリンを習っている時も『オーケストラで弾くならブラームス』と冴子は言っていたような気がする。
「まあね。その曲も考えとったけどね」
「じゃあ、どないして?」
「この曲が一番短かったから」
と冴子はひとこと言った。
冴子が時間に拘ったのには訳がある。
ファイナルでの演奏時間は一人十五分以内と決められていた。
ブラームスのバイオリン協奏曲 ニ長調の第一楽章は長い。オーケストラでは二十分以上は間違いなくある。シベリウスはそれよりも短いが十五分以内では弾ききれない。しかしそれならチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲も時間内に弾き切れないのは同じである。
もっともコンクールではヴァイオリンのソロの部分だけを弾く事になるので、オーケストラのパートは省略して時間内に収めるのが一般的だ。
――もしかして冴子は一楽章を全部弾き切るつもりか? 無理やろ?――
この曲を選んだのが時間だけではないことは明白だった。
「理由はそれだけか?」
と追及するように聞くと冴子は
「う~ん。本当は今はこの曲が一番弾きたかったから」
と素直に本音を白状した。
会場に着くと冴子はそのまま音出しの部屋に入っていった。
――そう言えばコンクールの時は三人で一緒に音出ししたなぁ――
とロビーで独り待ちながら懐かしい気分になった。
同時に僕がまだヴァイオリンを習っていたころの事を思い出した。
その当時の僕たちがコンクールに参加するのは経験を積むためだけ、あるいは腕試し程度の理由でだったような気がする。
勿論上位を目指してはいたが、それが全てでは無かった。
割と三人とも気楽に楽しんでいたような気がする。
しかし今回はそうではない。冴子は本気で一番を狙いに行っている。それを傍で朝から感じていた。
そして本当に本番。
照明が眩しい。
今僕は冴子と一緒に同じステージに居る。一年ぶりに僕はまた全国大会のステージに帰ってきた。
ただ少し残念だったのは、ここが昨年僕たちが出場した会場では無かった事だった。
それでも僕は
――あの時、俺はファイナルのステージで何を考えとったけ?――
と昨年の事を思い出しながら不思議な感覚にとらわれていた。たった一年前の事なのに、相当昔の事のような気もする。それほど今年は色々な出来事があったという事なのだろうか?
スポットライトを浴びている深紅のドレスを着た冴子を、同じステージのすぐ後ろで僕が眺めている。
主役は『僕』でも『僕たち』でもない。冴子だ。
なのに僕は客席でも舞台の袖でもなく同じステージに居る。
今日は客席までよく見える。それもなんだか不思議な気分だった。
視線を目の前に戻すと、そこにはグランドピアノがある。このステージの主のような存在感を醸し出している。
――でも今日は君が主役ではない――
と僕は心の中でピアノに向かって話しかけていた。
そして再び視線を少しずらせば、右隣でヴァイオリンを左肩に乗せて立ち位置を確認している冴子の姿が目に入ってくる。
――冴子は落ち着いとんな。これなら大丈夫やな――
冴子が僕に向き直って頷いた。僕はピアノの鍵盤に『ポン』と右手の人差し指を落とした。
冴子は調弦し始めた。
僕は黙って鍵盤に視線を落として冴子の合図を待った。
――ホンマに憎たらしいほど落ち着いとるな。流石やな――
焦りも不安も微塵も感じさせないいつも通りの調弦だった。ステージに上がった冴子は、もう何の迷いもない。
冴子の選んだ曲は『チャイコフスキー バイオリン協奏曲 ニ長調 Op.35』だった。
四大ヴァイオリン協奏曲の一つともいわれるこの曲は一八七八年に作曲された名曲である。
僕は調弦の音を聞きながら、冴子から初めて伴奏譜を手渡された時の事を思い出していた。
楽譜を見て思わず僕は
「チャイコン? そう来るかぁ」
と驚きを口にした。
実は冴子ならブラームスあたりを選ぶのではないかと想像していた。
「なんでチャイコンなん?」
「あかん?」
と冴子は怪訝な表情を浮かべて聞き返した。
「いや、冴子の事やからブラームスかあるいはシベリウスあたりかなと予想しとったんで」
『チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op.35』は名曲だ。でも僕にとっては冴子のイメージとあまり結びつかなかった。
一緒にヴァイオリンを習っている時も『オーケストラで弾くならブラームス』と冴子は言っていたような気がする。
「まあね。その曲も考えとったけどね」
「じゃあ、どないして?」
「この曲が一番短かったから」
と冴子はひとこと言った。
冴子が時間に拘ったのには訳がある。
ファイナルでの演奏時間は一人十五分以内と決められていた。
ブラームスのバイオリン協奏曲 ニ長調の第一楽章は長い。オーケストラでは二十分以上は間違いなくある。シベリウスはそれよりも短いが十五分以内では弾ききれない。しかしそれならチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲も時間内に弾き切れないのは同じである。
もっともコンクールではヴァイオリンのソロの部分だけを弾く事になるので、オーケストラのパートは省略して時間内に収めるのが一般的だ。
――もしかして冴子は一楽章を全部弾き切るつもりか? 無理やろ?――
この曲を選んだのが時間だけではないことは明白だった。
「理由はそれだけか?」
と追及するように聞くと冴子は
「う~ん。本当は今はこの曲が一番弾きたかったから」
と素直に本音を白状した。
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※この物語はフィクションです。
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