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②一方的な婚約破棄
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王太子リヒト・フォン・ラムスドルフがやってきたのは、パーティーもかなり進み、盛り上がってからのことだった。
しかも、一人ではなく、女性を伴ってきたので、みな眉を顰める。
「あのお方は?」
「貴族の令嬢であれば、お顔くらいは存じ上げているが、全く心当たりがないな」
ダンスの音楽は止み、ざわざわとした噂話の声が、あちこちから囁かれ始める中を、アデリードは果敢に、リヒトに近づいて行った。隣の女の存在は確かに気になる。けれど、自分は王太子の婚約者だ。そんな自負心がアデリードにはあって、女の正体如何では、即刻追い出すつもりでいた。
「王太子殿下、ご機嫌よう。本日は、私の誕生パーティーにお越しいただきありがとうございます」
「遅くなってすまなかったね、アデル」
リヒトは銀髪に手を置いて、アデリードに謝る。弟のクラウスと比べると、艶やかさに劣るが、彼も見事な銀色の髪だった。
「いいえ、お忙しい中お越しいただけてアデルは嬉しいです。それよりも殿下――そちらの方は?」
アデリードはリヒトから、彼の連れていた女性に視線を向けた。
漆黒の闇を思わせるような黒い髪、黒い瞳。肌が白いだけに、余計にそのコントラストが際立つ。東洋の血が混じっているのだろうか、一度見たら忘れない、エキゾチックな顔立ちの女性だ。少なくとも、アデリードは初対面のはずだ。衣装は一応、流行りのドレスを身に着けてはいるが、着こなせていない。胸ははちきれそうだし、逆にウエストは余ってしまっている。丈も、踝が見えてしまっているようでは、恐らく誰かのおさがりで、彼女のためにしつらえられたドレスではないのだろう。
アデリードは一瞬でそう見定め、自分の優位性を確信する。
「紹介しよう、アデル。彼女はヘルガ。王宮に仕える侍女の一人だ」
アデリードが彼女に対し覚えた違和感は間違っていなかった。つまりこう言ってはなんだが、召使いの女性だ。そんな女性を何故、リヒトはつれてきたのか、アデリードは理解に苦しみつつ、極めて友好的に彼女に笑顔を向けた。
「初めまして、ヘルガ。アデリード・フォン・シュペーと申します。今日はお越しいただきありがとう」
「……」
しかし、ヘルガの方は軽く会釈をしただけで、声も発さない。場違いも甚だしい身だということは、当人もわかっているようで、委縮しきっているのが明らかだった。
(殿下もお人が悪いわ。可哀そうに…。周囲の好奇の視線に耐えかねて、足元も震えてしまっているじゃない)
「もし良かったら、あちらのバルコニーに出ませんか? 今宵は月がとても綺麗ですの」
アデリードはリヒトにそう促す。リヒトは「ちょうどいい、君に話したいことがあったんだ」と一も二もなく応じてきて、ヘルガはただ無言で機械的にアデリードとリヒトについてくる。本当に何なのだろう、この女。不愉快ではあったが、リヒトにはそれを見せたくなかった。
アデリードの生家のシュペー家は、ユーリア王国の中でも、かなり有力な侯爵家の一つだ。ユーリア王国は王政を敷いているけれど、実際は諸侯の力がかなり強く、王家のラムスバルド家は絶対的権力者というよりも、貴族たちの代表と言った感が強い。だからこそ、王家と各貴族の結びつきを深めるためにも、6つある侯爵家の中から王妃となる女性を選ぶことが多かった。
アデリードもその一人で、彼女が生まれた時には、ほぼリヒト王太子の妻になる人生は決まっていたようなものだった。王妃となるべく知識教養を小さな頃から叩き込まれたアデリードであったが、そんな自分の運命を呪ったことはなかった。
何故なら、彼女はリヒトが好きだったから。恋を自覚したのと、自分が王妃になると知らされたのと、どちらが先だったのか、アデリードはもう覚えていないが、とにかくそんな昔からアデリードはリヒトに惹かれていた。明るく聡明で、紳士的にアデリードに接してくれる。リヒトはアデリードにとって、まさに理想の王子様であり、そのための努力なら、アデリードは何でもしてきた。
もう少しで幼い頃からの夢が叶う。アデリードは何の疑いもなく、その未来を信じていた。
バルコニーに出ると、初夏の夜の風が庭の木々をさやさやと揺らしていた。さっきまで美しい満月が中空にかかっていたのに、いつの間にか現れた雲に、その姿が覆われてしまっている。月の光が届かなくなって、幾分薄暗くもなっていた。
「あら、残念。月が隠れてしまっているわ」
「そうみたいだね」
「でも風があるので、雲の流れも早いです。もう少し待っていましょうか」
「ああ」
アデリードの言葉にうなずきながら、リヒトは何処か心ここにあらずだ。幼い頃からリヒトだけを見つめ、彼の妻になるためだけに大きくなったようなアデリードだ。些細な変化も見逃すはずがなかった。
「殿下、何かありました? さっきから様子がおかしいようですが…」
「…あ、ああ」
指摘されてリヒトは目を泳がせる、ますます怪しい。どうしよう、話したいことは沢山あるのに。まずはこの身元不確かな女を、このパーティーに連れてきた理由から聞こうかしら。リヒトの態度を見ながら、アデリードは考える。
「あの、殿下。ヘルガのことなんですが…」
「すまないっ!」
まだ何も尋ねる前から、リヒトはそう謝ってきた。
「え」
平身低頭。土下座でもしそうな勢いだ。こんなリヒトの姿は、今まで見たことがない。
「あ、あの…殿下?」
「君には本当に悪かったと思っている。けれど、僕とヘルガは心底から愛し合っていて、この気持ちを押し殺して君と結婚したとしても、君も僕も不幸になるのは目に見えてる。だから――すまない、君との婚約を解消してほしい」
「……は?」
意味が全くわからなかった。コンヤクカイショウ?
しかも、一人ではなく、女性を伴ってきたので、みな眉を顰める。
「あのお方は?」
「貴族の令嬢であれば、お顔くらいは存じ上げているが、全く心当たりがないな」
ダンスの音楽は止み、ざわざわとした噂話の声が、あちこちから囁かれ始める中を、アデリードは果敢に、リヒトに近づいて行った。隣の女の存在は確かに気になる。けれど、自分は王太子の婚約者だ。そんな自負心がアデリードにはあって、女の正体如何では、即刻追い出すつもりでいた。
「王太子殿下、ご機嫌よう。本日は、私の誕生パーティーにお越しいただきありがとうございます」
「遅くなってすまなかったね、アデル」
リヒトは銀髪に手を置いて、アデリードに謝る。弟のクラウスと比べると、艶やかさに劣るが、彼も見事な銀色の髪だった。
「いいえ、お忙しい中お越しいただけてアデルは嬉しいです。それよりも殿下――そちらの方は?」
アデリードはリヒトから、彼の連れていた女性に視線を向けた。
漆黒の闇を思わせるような黒い髪、黒い瞳。肌が白いだけに、余計にそのコントラストが際立つ。東洋の血が混じっているのだろうか、一度見たら忘れない、エキゾチックな顔立ちの女性だ。少なくとも、アデリードは初対面のはずだ。衣装は一応、流行りのドレスを身に着けてはいるが、着こなせていない。胸ははちきれそうだし、逆にウエストは余ってしまっている。丈も、踝が見えてしまっているようでは、恐らく誰かのおさがりで、彼女のためにしつらえられたドレスではないのだろう。
アデリードは一瞬でそう見定め、自分の優位性を確信する。
「紹介しよう、アデル。彼女はヘルガ。王宮に仕える侍女の一人だ」
アデリードが彼女に対し覚えた違和感は間違っていなかった。つまりこう言ってはなんだが、召使いの女性だ。そんな女性を何故、リヒトはつれてきたのか、アデリードは理解に苦しみつつ、極めて友好的に彼女に笑顔を向けた。
「初めまして、ヘルガ。アデリード・フォン・シュペーと申します。今日はお越しいただきありがとう」
「……」
しかし、ヘルガの方は軽く会釈をしただけで、声も発さない。場違いも甚だしい身だということは、当人もわかっているようで、委縮しきっているのが明らかだった。
(殿下もお人が悪いわ。可哀そうに…。周囲の好奇の視線に耐えかねて、足元も震えてしまっているじゃない)
「もし良かったら、あちらのバルコニーに出ませんか? 今宵は月がとても綺麗ですの」
アデリードはリヒトにそう促す。リヒトは「ちょうどいい、君に話したいことがあったんだ」と一も二もなく応じてきて、ヘルガはただ無言で機械的にアデリードとリヒトについてくる。本当に何なのだろう、この女。不愉快ではあったが、リヒトにはそれを見せたくなかった。
アデリードの生家のシュペー家は、ユーリア王国の中でも、かなり有力な侯爵家の一つだ。ユーリア王国は王政を敷いているけれど、実際は諸侯の力がかなり強く、王家のラムスバルド家は絶対的権力者というよりも、貴族たちの代表と言った感が強い。だからこそ、王家と各貴族の結びつきを深めるためにも、6つある侯爵家の中から王妃となる女性を選ぶことが多かった。
アデリードもその一人で、彼女が生まれた時には、ほぼリヒト王太子の妻になる人生は決まっていたようなものだった。王妃となるべく知識教養を小さな頃から叩き込まれたアデリードであったが、そんな自分の運命を呪ったことはなかった。
何故なら、彼女はリヒトが好きだったから。恋を自覚したのと、自分が王妃になると知らされたのと、どちらが先だったのか、アデリードはもう覚えていないが、とにかくそんな昔からアデリードはリヒトに惹かれていた。明るく聡明で、紳士的にアデリードに接してくれる。リヒトはアデリードにとって、まさに理想の王子様であり、そのための努力なら、アデリードは何でもしてきた。
もう少しで幼い頃からの夢が叶う。アデリードは何の疑いもなく、その未来を信じていた。
バルコニーに出ると、初夏の夜の風が庭の木々をさやさやと揺らしていた。さっきまで美しい満月が中空にかかっていたのに、いつの間にか現れた雲に、その姿が覆われてしまっている。月の光が届かなくなって、幾分薄暗くもなっていた。
「あら、残念。月が隠れてしまっているわ」
「そうみたいだね」
「でも風があるので、雲の流れも早いです。もう少し待っていましょうか」
「ああ」
アデリードの言葉にうなずきながら、リヒトは何処か心ここにあらずだ。幼い頃からリヒトだけを見つめ、彼の妻になるためだけに大きくなったようなアデリードだ。些細な変化も見逃すはずがなかった。
「殿下、何かありました? さっきから様子がおかしいようですが…」
「…あ、ああ」
指摘されてリヒトは目を泳がせる、ますます怪しい。どうしよう、話したいことは沢山あるのに。まずはこの身元不確かな女を、このパーティーに連れてきた理由から聞こうかしら。リヒトの態度を見ながら、アデリードは考える。
「あの、殿下。ヘルガのことなんですが…」
「すまないっ!」
まだ何も尋ねる前から、リヒトはそう謝ってきた。
「え」
平身低頭。土下座でもしそうな勢いだ。こんなリヒトの姿は、今まで見たことがない。
「あ、あの…殿下?」
「君には本当に悪かったと思っている。けれど、僕とヘルガは心底から愛し合っていて、この気持ちを押し殺して君と結婚したとしても、君も僕も不幸になるのは目に見えてる。だから――すまない、君との婚約を解消してほしい」
「……は?」
意味が全くわからなかった。コンヤクカイショウ?
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