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第6章 追い詰められたネズミとネコ
④
しおりを挟む待合室は、結構人でごった返していて、マスターの名前もなかなか呼んでもらえない。
かれこれ1時間になるかな…。白い壁に掛かってる時計をちらっと見上げた。
マスターは腕を組んで俯いて、舟をこぎ始めてる。
(…疲れてるのかな、具合悪いのかな…)
そっと寝かしておいてあげたかったのに、真ん前の診察室から、ギャーって言う子どもの泣き叫ぶ声がして、マスターははっと目覚めてしまった。
「すみません」
自分がうたたねしてたことに気が付いて、マスターはきまり悪そうに髪をかき上げた。
きちんとセットされた前髪が崩れて、はらりと目に掛かる。あ、前髪下ろすと更に若く見える。
「咲良さん…大変な時なのにこんなところに」
「いえ。マスターにはいろいろしていただいてるので、御恩返しです」
「大したことはしてませんよ」
「だったら、これも大したことじゃないです」
自分が辛い時に、誰かに寄り添ってもらうこと。
これって意外と難しくて…だからこそ、寄り添われた側の心にすーっと沁みていくのかもしれない。落ち込んだ日の透然り、婚約破棄を言い渡された日の私然り。
私が透にするべきことは、彼のミスのフォローではなくて、傍にいてあげることだったのかな。
「…復讐って難しいですね。逆襲受けちゃいましたよ」
マスターは最初から、反対してたもんね。やめた方がいい、って。
「コーヒーは、手順さえ守ってれば、美味しく淹れられる…。法はきちんと定められてる。人の感情が一番厄介なんですよね…」
本当にその通り。自分の感情でさえ厄介。
「慰謝料のことは、光さんに任せた方がいいです。当事者同士だと、絶対感情的になってしまう。そのための弁護士なんですから」
やけに実感込もってる?
疑問がそのまま顔に書いてあったのかな。
「実は僕バツイチで…」
マスターはぽつりと私の声にしてない疑問に答えてくれた。
「…その際も光さんにはお世話になったので」
「……」
マスターの言葉は意外で、何て言っていいかわからなくって、私は言葉を挟めないでいた。
「すみません、つまらない身の上話を」
「あ、いいえ。そういうんじゃなくて。マスターがバツイチなんて意外で」
「そうですか? 店の開店準備に追われてる時で…自分のことで精いっぱいで、彼女の憂いにも寂しさにも、全く気が付けなかった。気が付いた時には遅すぎて…」
当事者同士だと、感情的になるから。さっきのセリフが実感籠ってたのは、マスター自身の過去にもだぶってたかららしい。
「じゃあ、今は…」
「ええ、一人です」
やがてマスターの名前が呼ばれて、白いドアの中に入って行った。
このまま家に帰っても、マスターひとりなのか。手軽に食べられるものとか、飲み物とか買っておいた方がいいかな。
さっき入ってくる時に見かけた、病院内のコンビニに私は急いだ。
コンビニにしては、大量の買い物をして、待合いに私が戻ってきたのと、マスターが診察室から出てきたのは、ほぼ同時だった。
1時間待ったのに、診察は10分足らず。…病院なんてそんなものか。
「やっぱり風邪みたいです。解熱剤と抗生剤をもらって帰ります」
「大したことなくて良かったです」
「光さんは大袈裟なんですよ。僕も彼女も一人っ子なので、やたらに世話を焼きたがって」
「頼もしい叔母がいていいじゃないですか」
「頼もし過ぎです」
マスターは苦笑いした。
…猛獣だもんね。狙った獲物は逃さない、みたいな。
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