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第6章 追い詰められたネズミとネコ
⑤
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会計を済ませ、外に出ると、雨が降り出していた。朝は天気が良かったから、私もマスターも傘は持っていない。
「結降ってますね。御園さん、タクシー使って帰ってください」
とマスターはお財布からお札を抜き取る。タクシー代のつもりらしい。
「だめですよ! 私にはマスターを家まで送り届ける義務が」
「僕なら一人で大丈夫だって」
「だって光さんが…」
「光さんは、大げさなんですよ、いつも。――僕は一人っ子で、彼女は年の離れた姉しかいないから、一人っ子同然で。だから、彼女は頻りに僕の世話を焼きたがるんです」
「頼もしい叔母さんじゃないですか」
ムキになったのか、いつもの丁寧語じゃなくなる。
そして、感情的になったことで、頭に血が昇ったのか、ふらっとなった。
「ほら」
私はマスターの背中に腕を回して、彼の身体を支える。
けど、私はマスターの話を無視して、病院の前につけてたタクシーに声を掛けた。
先にマスターを押し込むように乗せて、続いて自分も乗り込む。
「御園さん」
「マスター家に送ったら、私、そのままこの車で家に帰りますから」
「強引で人の話聞かないところ、あなたも光さんそっくりだ」
皮肉に笑って、マスターはタクシーの白いシーツに体を預けた。
タクシーは20分くらいで、マスターの居住してるマンションに着いた。ダークグレーの外壁に、白い窓のあるオシャレな外観。
エントランスの前に車をつけてもらって、料金を精算した。
マスターは熱が上がったのか、身体が少し震えていた。
「歩けます?」
「年寄り扱いしないでくださいよ」
「違いますって」
荷物を持って、マスターとエレベーターに乗り込む。マスターは最上階の12階を押した。
「本当にすみません、こんなところまで…」
「いえいえ。お大事にしてくださいね。あ、これ…」
私はさっきコンビニで買った袋をマスターに渡した。
「え?」
「機能性飲料とかゼリーとか、おかゆレトルトパックとか…風邪でも食べやすいもの、買ってきました。食べてください」
「え…」
「出過ぎた真似してすみません。けど、この後一人で買い物行くのも、食事自分で作るのも辛いかなと思って。あ、このゼリーとか、うちの会社の商品なんですけど、高熱で喉も痛くて、食事が摂れない時なんかに、超おススメですよ。なんてさり気に宣伝してみたりして…」
「助かります、ありがとうございます。コーヒーでも…って言いたいんですけど」
「いえいえ。そんなとんでもない。ゆっくり休んで下さい」
森さんのマンションの玄関先で、そんな会話を繰り広げてから、持ってたビニル袋を渡して、ぺこりと頭を下げ、私は背中側にあった扉を、内側から押した。
「待って!」
けど、一度半分開いた扉は、マスターにノブを掴まれ、再び閉ざされた。
「……」
目の前には重たそうな鉄の扉。真横にはマスターの長い腕。そして背中に感じるのはマスターの熱。
これっていわゆる…一時流行った壁ドン的な体勢? 向かい合わせじゃないことに、だけど、心底ほっとしてた。
だって、こんな状況で、マスターの目なんてまともに見られない。マスターは良く行くお店のマスターで、おいしいコーヒー淹れてくれる人で、私にとっては癒しの存在だったのに。
男の人だった…って、初めて意識した。
「引き留めてすみません」
すっと私の顔の横に置かれたマスターの腕が降ろされる。
「あ、いえ。食事でも作りましょうか? それとも他に…」
くるっと振り返って、何もなかったような笑顔を作って見せた。
って、私、料理下手くそなんだけど。
「そんなとんでもない」
自ら起こした衝動を悔いるように、マスターは頻りに頭を掻いた。
「今日はありがとうございます。復讐頑張ってください」
「また経過報告に行きますね」
「はい。お待ちしてます」
いつもの営業スマイル。
「御園さん。けど一番の復讐は、御園さんが幸せになることだと思いますよ。見返したいとか、そういう気持ちからじゃなく、純粋に」
「……」
記憶からも意識からも、透を抹消しろ、マスターはそう言いたいらしい。
私の行動の一切合切が、透に繋がってる間は、私は透のことを忘れてない証拠だから。
愛の反対は憎しみじゃなくて無関心。相手を深く憎み、恨むのも、ベクトルが違うだけで、愛の一種なのかもしれない。
「これ、タクシー代です。あとさっきの買い物の…」
「いらないです」
マスターが差し出してくれたお札は受け取らず、頭を下げて、私は再び、ドアを開けた。
もしかしてマスターは私のこと…そんな己惚れた想像を捨てながら、私はタクシーに乗り込んだ。
「結降ってますね。御園さん、タクシー使って帰ってください」
とマスターはお財布からお札を抜き取る。タクシー代のつもりらしい。
「だめですよ! 私にはマスターを家まで送り届ける義務が」
「僕なら一人で大丈夫だって」
「だって光さんが…」
「光さんは、大げさなんですよ、いつも。――僕は一人っ子で、彼女は年の離れた姉しかいないから、一人っ子同然で。だから、彼女は頻りに僕の世話を焼きたがるんです」
「頼もしい叔母さんじゃないですか」
ムキになったのか、いつもの丁寧語じゃなくなる。
そして、感情的になったことで、頭に血が昇ったのか、ふらっとなった。
「ほら」
私はマスターの背中に腕を回して、彼の身体を支える。
けど、私はマスターの話を無視して、病院の前につけてたタクシーに声を掛けた。
先にマスターを押し込むように乗せて、続いて自分も乗り込む。
「御園さん」
「マスター家に送ったら、私、そのままこの車で家に帰りますから」
「強引で人の話聞かないところ、あなたも光さんそっくりだ」
皮肉に笑って、マスターはタクシーの白いシーツに体を預けた。
タクシーは20分くらいで、マスターの居住してるマンションに着いた。ダークグレーの外壁に、白い窓のあるオシャレな外観。
エントランスの前に車をつけてもらって、料金を精算した。
マスターは熱が上がったのか、身体が少し震えていた。
「歩けます?」
「年寄り扱いしないでくださいよ」
「違いますって」
荷物を持って、マスターとエレベーターに乗り込む。マスターは最上階の12階を押した。
「本当にすみません、こんなところまで…」
「いえいえ。お大事にしてくださいね。あ、これ…」
私はさっきコンビニで買った袋をマスターに渡した。
「え?」
「機能性飲料とかゼリーとか、おかゆレトルトパックとか…風邪でも食べやすいもの、買ってきました。食べてください」
「え…」
「出過ぎた真似してすみません。けど、この後一人で買い物行くのも、食事自分で作るのも辛いかなと思って。あ、このゼリーとか、うちの会社の商品なんですけど、高熱で喉も痛くて、食事が摂れない時なんかに、超おススメですよ。なんてさり気に宣伝してみたりして…」
「助かります、ありがとうございます。コーヒーでも…って言いたいんですけど」
「いえいえ。そんなとんでもない。ゆっくり休んで下さい」
森さんのマンションの玄関先で、そんな会話を繰り広げてから、持ってたビニル袋を渡して、ぺこりと頭を下げ、私は背中側にあった扉を、内側から押した。
「待って!」
けど、一度半分開いた扉は、マスターにノブを掴まれ、再び閉ざされた。
「……」
目の前には重たそうな鉄の扉。真横にはマスターの長い腕。そして背中に感じるのはマスターの熱。
これっていわゆる…一時流行った壁ドン的な体勢? 向かい合わせじゃないことに、だけど、心底ほっとしてた。
だって、こんな状況で、マスターの目なんてまともに見られない。マスターは良く行くお店のマスターで、おいしいコーヒー淹れてくれる人で、私にとっては癒しの存在だったのに。
男の人だった…って、初めて意識した。
「引き留めてすみません」
すっと私の顔の横に置かれたマスターの腕が降ろされる。
「あ、いえ。食事でも作りましょうか? それとも他に…」
くるっと振り返って、何もなかったような笑顔を作って見せた。
って、私、料理下手くそなんだけど。
「そんなとんでもない」
自ら起こした衝動を悔いるように、マスターは頻りに頭を掻いた。
「今日はありがとうございます。復讐頑張ってください」
「また経過報告に行きますね」
「はい。お待ちしてます」
いつもの営業スマイル。
「御園さん。けど一番の復讐は、御園さんが幸せになることだと思いますよ。見返したいとか、そういう気持ちからじゃなく、純粋に」
「……」
記憶からも意識からも、透を抹消しろ、マスターはそう言いたいらしい。
私の行動の一切合切が、透に繋がってる間は、私は透のことを忘れてない証拠だから。
愛の反対は憎しみじゃなくて無関心。相手を深く憎み、恨むのも、ベクトルが違うだけで、愛の一種なのかもしれない。
「これ、タクシー代です。あとさっきの買い物の…」
「いらないです」
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もしかしてマスターは私のこと…そんな己惚れた想像を捨てながら、私はタクシーに乗り込んだ。
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