神様の後始末

まるす

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第37話 汝、神の子

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 魔術方陣が淡い紫色の光を放つ中、深紅の髪の少女が歩いて進む様子をルーイは流し見ていた。
 先ほどから手に持つハードカバーは一頁も進んでおらず、ずっと同じ文章を目で追うだけで内容など何も入ってこなかった。

「………………」

 この広間に入った時から嫌な予感がずっとしている。どう見ても曰く付きの空間ではあるが、過去何度か足を運んだきた中で、こんなことは初めてだった。

 まるで晴天に少しづつ雨雲が広がっていくかのような不穏な感覚。
 今にも雨が降り出しそうで、しかし一向に降らず、そわそわとさせるだけさせるあの感覚をルーイはずっと感じていた。

 野生の嗅覚とでも言おうか。
 これまで〝魔女の庭〟を単身踏破してきたルーイだからこそ持つことが出来る、何よりも信用できる根拠のない勘だった。

「!」

 ――残念ながらそれは当たる。

 ルーイが意識を向ける。
 向けた先は入口、大きく開けた穴だ。そこからズシンズシンと質量を感じさせる音が、地響きとともに聞こえてくる。

「クレハ!」

 ルーイの叫びに、今まさに木の棒に触れようとしていたクレハも振り向き、異変に気付いたようでルーイの元へ駆け寄る。

「何か来るぞ」
「そのようですね。……こちらに魔物は来ないのではなかったのですか?」
「オレが今まで来た時は一回も出てこなかったんだけどな。数ヶ月に一回しか来てないし、たまたまが重なってただけかもな」
「なるほど」

 ルーイが腰からナイフを抜き、クレハが大鎌を召喚する。
 二人はお互いに距離を取って入口を見据える。

 地響きが大きくなるにつれ、パラパラと岩の天井から砂や埃が舞う。
 どうやら相当な大物がお出ましのようだ。

 ――それは姿を現す。

 望まない来訪者を目の当たりにしたルーイ、そしてクレハも唖然とした。

「……またお前かよ」

 ルーイのボヤキは確かな焦燥と共に吐かれる。

「デビルゴート……」

 クレハも思わず漏らす。

「グウウゥゥウルアアァァアアアアアァァァァアアァァァ!」

 二人の前に現れたのは、〝魔女の庭〟で遭遇したデビルゴートだった。
 獲物を前にし歓喜の咆哮を轟かせ、赤く爛々と輝く目は捕食者のソレだ。

「あいつ確か雄だったはずだ。よっぽど気に入られたらしいな」
「その情報は全く嬉しくありません」

 ルーイの軽口に真顔で返すクレハだったが、当のルーイも楽観視していられない状況だった。

 ルーイは過去このデビルゴートと幾度となく遭遇しているのだが、それは即ち討伐には至っていない、ということだ。
 鈍重な歩みから逃げるのは容易かったが、圧倒的な頑健さと膂力から生み出される攻撃は、並大抵ではない。

 そして、当然だが撤退しようにも、二人の退路はデビルゴートが塞いでいた。

「隙を作って脱出しよう。あいつとやり合うのは現実的じゃない。一旦洞窟から出て、撒いたらまた戻ってくればいい」
「分かりました。では、まず私が注意を引きますので、その隙にルーイ様は退路を確保してください」
「んで、その後はオレが注意を引く、と。りょーかい!」

 散開する。

 初手はクレハ。
 左手をデビルゴートに向け、魔術を唱える。霧のないこの広間であれば、魔術も十全に振るえる。

 瞬時に魔術方陣――深紅の六芒星が展開される。
 もっとも慣れ親しんだ魔術の方程式を組み上げ、魔素マナが方程式を通い、術式が完成する。

「〝炎鎖えんさ〟!」

 深紅の魔術方陣から炎の鎖が三本伸び、デビルゴートへと向かう。狙いは手。
 持っている幹を叩き落とし、挑発する意図だった。

 クレハの魔術を改めて見たルーイは、その腕前に舌を巻く。狙いは正確で、寸分違わずデビルゴートの手に炎の鎖が真っ直ぐ向かっていく。

 そして、

「っ!?」

 クレハは目を疑った。
 それはデビルゴートから離れ、退路を目指し疾駆していたルーイも同じだった。

 デビルゴートは森で見せたような鈍重な動きなど、まるで嘘だったかのように素早くその場を離脱――たちまちクレハの側面に肉薄していた。
 
 既に木の幹を振り被った体勢で。

 ――衝撃音が離れた位置にいたルーイにまで聞こえた。
 続いて、激しく岩壁にナニカが叩きつけられる音。

「かはっ……!」

 クレハは受け身を取ることも出来ず、背中から思い切り岩壁に叩きつけられていた。
 森で受けたものより遥かに強い衝撃をまともに受け、口から血反吐を吐き出す。
 意識など保てようはずもなく、その場で意識を失い崩折れる。

「クレハ!」

 ルーイは全力でクレハの元へ駆け寄る。
 ――駆け寄ろうとしたが、眼前に立ち塞がる山羊の魔獣がそれを許さなかった。
 デビルゴートは幹を大上段に振り被り、ルーイをぺしゃんこにしようと力強く叩きつけた。
 
 轟音。

「くっそ!」

 かろうじて身を捻って躱したが、飛び散る石と木の破片が、まるで弾丸のように襲い掛かってくる。
 頬や腕が薄く切り裂かれる。瞼の上も切れたようで、血が目に入らないように咄嗟に拭う。

 その一瞬で、デビルゴートが今度は真横に幹を薙ぎ払った。

「ぐっ!」

 瞬時に防御の姿勢を取り、自ら飛んで衝撃を少しでもいなそうとする。
 ――それが悪手だと気付いたのは、岩壁に叩き付けられてからだった。

(おっも……!)

 膂力が違い過ぎる。
 多少の衝撃をいなしたところで、焼け石に水だった。

 それでも意識を保てたことは幸いだった。
 気絶していれば、それはただ終わりを待つ時間にしかならなかったのだから。

 デビルゴートが歓喜の雄叫びを上げる。

 そもそもルーイはデビルゴートのような凶暴で凶悪、そして手強い魔物とは戦わないように心掛けている。
 それはタリアやカトレアと堅く約束したことで、何よりもまずは自身の安全を第一に、ということだ。

 デビルゴートは街には寄り付かない。

〝魔女の庭〟を縄張りとしているので、そこから出ることは滅多にないし、何より結界は強い魔物にこそ強い効果を発揮するため、デビルゴートのような魔物は結界を越えられないのだ。
 代わりにガルムやギガホーネットといった小物が度々、結界をすり抜けてくるが、それらの対処はルーイやハスラー、自警団と討伐ギルドの面々が都度行っている。

 そして、今は場面が全く違う。
 既にルーイも、当然クレハも手負いであり簡単に撤退出来るような状態ではない。
 自分はまだ意識があるからどうにか出来るが、クレハは意識を失っており、ここで引けば彼女はただ死を待つだけとなる。

 ――ナニカが割れる音がした。

 ルーイが持っていたナイフが根元から折れた。
 先ほどの攻撃を喰らった際に、早くも限界を越えたようだ。

(ったく……毎回毎回簡単に折れやがって)

 ルーイは脳内で武器屋の親父の顔を一発殴ってやった。
 豪快に笑いながら『こいつぁ、最高のナイフだぜ! ルーイ!』とか言って売り付けられたナイフは、二本とも簡単に役目を放棄した。
 もっとも、まさかこんなことに使われるだろうとは、武器屋の親父も思っていなかっただろうが。

 折れたナイフを捨て、ふらふらと立ち上がる。
 酔っ払いでもこうはならんだろう、という千鳥足だったが、立ち上がらないわけにはいかなかった。

 やっとの思いで立ち上がったルーイを、しかし、デビルゴートは嘲笑うかのように流し見ただけだ。

 ――その足先はクレハの方へ向けられていた。

「! てっめぇ!」

 ルーイは激昂する。

 明らかな挑発だ。
 意識のあるルーイの前でクレハをいたぶり、すり潰し、亡き者にしようとしている。
 およそ魔獣にはあるまじき感情、振る舞いだったがそんなことはどうでもよかった。

「おい! 待てよ、てめぇ!」

 千鳥足で向かっていく。転ぶ。また立ち上がる――いや、立ち上がれない。
 血が目に入り、視界が赤くボヤける。

 デビルゴートは咆哮することもなく、雄叫びを上げることもなく、まるで嘲笑するかのようにくつくつと笑う。
 明らかに普段とは違う様子のデビルゴートにも、ルーイはただ歯を食いしばり、地に爪を立てることしか出来ない。

(ちきしょ……クレハ……)

 深紅の髪に翡翠の双玉を携えた少女が今、蹂躙されようとしている。

 昨日会ったばかりの大した関わりもない、ただの依頼人。
 むしろ言ってしまえば、クレハの依頼がなければ、ルーイは今このような目に合わなかっただろう。
 被害者だ、と声高に言えば誰もが味方をしてくれるのかもしれない。
 と、そんなことを一切考えず、ただ目の前の彼女が蹂躙されるのを止めなければ、と思った。

 デビルゴートの歩みは止まらない。
 わざとだろう、いつもの如く亀の歩みでクレハに向かっていく様は、まるで真綿で首を絞められるような感覚だった。

(くそ……)

 地に這いつくばりながら、少しでも何か出来ることはないかと赤く染まって割れた爪を立て、頭を上げて動かす。

 赤くボヤける視界に映るのは、今まさにクレハに肉薄せんとしているデビルゴート。
 そして無情に淡い光を放つ魔術方陣。
 その中心にある大仰な祠と、白藍色の石が淡い光を放っているよく分からない木の棒。

 その他は石や岩が転がるだけだ。
 いずれ自分たちの死体も此処に転がり、やがて朽ちて肉も骨も残らなくなるのか。

 心に諦めが見え隠れし出す。
 と、視界をかすめた木の棒にルーイは疑問を抱く。

(あれ、さっきまで光ってたか……)

 赤い世界は、淡い紫色をした魔術方陣すらも赤く染め上げていた。
 その世界の中で、白藍色の輝きだけが本来の色を保っているのだ。
 記憶を遡れば確かに色味はあんなだったが、何よりさっきは光ってもいなかったような――。

『時は……満ちた……汝、神の子……今封印を解かれし……』

「ぐっ!」

 突然ルーイは己の頭に何かが響いてくるのを感じた。同時に、頭を万力でギリギリと締め上げられるような、鈍い頭痛が襲う。

『汝、神の子……今こそ封印を……』

「お、お前誰だよ……なんだって……」

『汝、神の子……封印を……解き、かの存在を放逐せし』

「訳分かんねぇこと言ってんな……ち、っくそ、いって……」

『汝、神の子……時は満ちた……今こそ封印を……』

「うっせぇ! 少、し……黙れ」

は……待ち侘びた……封印を今……汝、神の子』

「ああああああぁぁぁああぁぁぁあああ!!!」

 ルーイは痛みに咆哮を上げる。
 それを聞いたデビルゴートがまた嘲笑する。しかし、背を向けたままのデビルゴートは気付いていない。

 ルーイが己ではなく、魔術方陣の中心――祠の前に突き刺さった木の棒に向かっていることに。

「あああぁぁぁああぁぁぁあああ! ……いって、くっそ」

 ギリギリと締め上げる力が強くなっていく中で、ルーイは必死に藻掻き這いつくばって木の棒に向かう。
 本能か無意識か、それとも謎の声がそうさせたのか。

 やがてルーイは魔術方陣を越え、木の棒まで辿り着いた。

 相変わらずただ突き刺さっているだけの木の棒。
 だが、地に這いつくばっているルーイだからこそ、見えるものがあった。

「……なんだ、これ……」

 それは地面と木の棒の境目。
 遠くからでは見えなかったが、それは何かの鉱物のように見えた。

 淡く輝く白藍色。
 その時、ルーイの頭に最大の声が鳴り響く。

『今こそを封印から解き放て!』
「あああああぁぁぁぁああっああああああ!!!」

 地に這いつくばり頭を抑え、うずくまったままルーイは動かなくなった。
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