神様の後始末

まるす

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第39話 〝時の女神クロノス〟

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 ルーイは包まれていた。
 身体がふわふわと、まるで水の中にいるような感覚。

 水が大の苦手であるはずの自分には、とても恐ろしく悍ましい感覚であるはずだったが、何故だか母親の腕に抱かれているかのような安心感すら覚えていた。

(なんだ、ここは……)

 虚ろな意識の中、視界を荒廃とした大地が埋めている。
 木の一本、草の一茎すら生えておらず、水が一滴もない。
 乾き切った大地は、見るからに死で埋め尽くされていた。

 ルーイは空に浮かんでいた。
 そのことに気付いても不思議と驚きは全くなかった。夢を夢だと認識した感覚。これが明晰夢であると、なんとなく理解していたからだ。

(どこだ、ここ……)

 それはそれとして、この風景には全く見覚えがない。

 ルーイが知る限り、死の大地と噂される帝国ティアマトの南東地区でも、ここまで酷い有様ではなかったはず。
 実際に足を踏み入れたことがあるわけではないが、この大地の有り様は生物が住まえる環境とはとても思えず、如何に帝国が軍事至上主義を掲げていようとも、これほどまでに死が広がる大地には何らかの対策を施しているはずだ。
 
 頭の中に靄がかかったような状態で思考していると、突如轟音が響く。

 それと同時にふわふわとした意識の中、強い光が視界をかすめた。
 首――があるのかすらも曖昧だったが、それでも視界が強い光の方に

(っ!)

 そこに居た――いや、在ったのは真っ白で巨大な雲だった。

 それは純白という言葉すら霞むような至高の色を持ち。
 それは巨大という言葉すら飲み込むほどに強大な体躯で。
 それは神々しさとか禍々しさといった概念すら置き去りにして。

 そこに在った。

(……龍……? いや、蛇か……?)

 雲と見紛うほど美しく、巨大で雄々しい体躯は長く、長く、長い。
 視界の端から端までを埋め尽くし、それでも尚見通せないほどだ。

(でけぇ……)

 余りにも現実離れした出来事を目撃した際、呆然としてしまうというのは、どうやら本当のことだったらしい。
 そんな取り留めもないことすら思考出来る、ある種の余裕を持てているのは、やはりこの光景が明晰夢だと分かっているからだろうか。

「〝ウルティマ〟め……だが、もう終いだ」

 と、ルーイは自分が無意識に声を発したことに
 驚こうとした、そう言わざるをえなかった。

 自分は驚いていたつもりだが、驚けなかったのだ。

 そした、はたと気付く。

 ルーイの意識は確かにある。
 確かにあるが、それとは別の誰かの意識もまた、自分の中にある。
 
 また気付く。

 顔も、身体も、手も足も確かに感じられる。
 一度認識してしまえば鼻を突く死の匂いも、肌に吹き付ける絶望の風も、確かに自身の感覚として知覚出来ている。
 だが、四肢を動かすどころか指先も、舌先も、瞬きすらも自分の意思ではどうすることも出来なかった。

 まるで同じ容器に水と油を入れたかの如く、一つの身体に混ざり合わない意識が共有している。
 加えて、肉体の主導権はどうやら同居人の方にあるらしい。

(おいおいおい……)

 ルーイは此処に来て初めて困惑した。
 もはや意識は明瞭で、それでも何一つ自由が利かない肉体。加えて、自分ではない何者かの明確な意識を感じる。
 恐怖を覚えないはずがなかった。

 その時、別の声が耳に届く。

「ルー」
「おっ、来たか。首尾はどうだ?」
「問題ないわ。ラーが怒り狂っていたこと以外は」
「はっはっは! 相変わらずだな」
「………………」
「そんな顔すんなよ、クロノス。今は同じ目的のために集まった同志だが、本来そうじゃねぇ。目的を果たせば皆それぞれの場所に帰る。それだけだろ?」
「……それでも、私は……」
「そりゃ俺だって何も思うことはある。もっと他にやりようがあったんじゃないか、ってな。だけど、結局こうするしかない。お前だって分かってるよな?」
「……うん……」

 ルーイを置き去りに会話を進める二人だったが、そもそも最初から話の内容などルーイの頭には入らなかった。
 何故なら、

(ど、どういうことだ……!?)

 ルーイの視線、正確には肉体の主ルーと呼ばれた者の視線の先に居たのは。

 深く熟成された赤ワインを思わせるボルドーの髪と新芽の息吹にも似た翡翠の双玉。
 加えて、その手に見覚えがあり過ぎる漆黒の大鎌を携えた淑女は。

(クレハ……!?)

 世界には自分に似た顔の人物が三人居るとか。
 母親もしくは姉または双子といった血縁関係とか。

 そんなものでは説明が付かない程に似ている。
 正確には、目の前のクロノスと呼ばれた淑女はクレハより少しだけ年上に見えるが、それだってクレハが後数年経てばこう成長するだろう。
 いや、こう

(一体、なんなんだ……これは……)

「さって、それじゃそろそろ行くか」

 当然だが、困惑するルーイのことなど全く気付いた様子もなく肉体の主ルーと呼ばれた男が、首をコキコキと鳴らし腕を回す。

 男が武具召喚を行う。
 その手に瞬時に顕現したものは槍だった。

 穂先は白藍色の鉱物で出来ていて、ルーン文字の他には見たこともない記号がビッシリと掘られている。
 柄は何かの木だろう。長年の手垢と幾多の血が染み付いたようにドス黒いが不思議と嫌悪感を感じない。
 口金の部分には血を編んだような細く赤い紐が二本、ヒラヒラと絶望の風に舞っている。
 石突にも穂先と同じ鉱物が埋め込まれ、淡いが力強く輝いていた。

(あれ……これって……)
 
「こいつともおさらばか……バロールとはこいつが無けりゃやり合「ちょっと」

 突然クロノスが口を挟んだ。
 子どもみたいに頬を膨らませ、明らかにむっとした表情だ。
 年齢を考えれば(何歳なんだろう)痛い仕草のはずだが、不思議な程よく似合う表情だとルーイは思った。

「おっとっと。分かってるって。けど、あいつだって大切な仲間だ。それともなにか、そこまで俺に「去勢されたいの?」申し訳ございませんでした。我が愛しのクロノス将軍閣下」

 神速でアダマスの大鎌そっくりの武器をルーの股間に向けたクロノス。
 ルーは空中で腰が引けた土下座というよく分からないポーズを取っていた。
 思わず無関係のはずのルーイまで冷や汗が垂れ、股間を手で抑えてしまっていた。
 実体はなかったが、間違いなく抑えた。

(って! いやいやいやいや、訳が分かんねぇ! お前ら一体何なんだよ!)

 ルーイは叫ぶが、やはり二人には一切何も通じていないようだ。
 一連のやり取りを終えて、ルーは「よし」と改めて一息つくと最後と言わんばかりに告げる。

「……それじゃ、悪いけど後は頼むわ」
「ねぇ、お願い。もう少しだけ待って。他に方法が」
「他に方法はあるかもしれねぇが、時間がねぇ」
「それなら私の「!」

 ルーがクロノスを怒鳴りつける。
 矛先を向けられていないルーイですら、思わず肩を震わせる程の剣幕。
 それを真正面から受けたクロノスは、それ以上の言葉が継げなくなってしまう。

「……それだけは駄目だ。約束しただろ、それは全てが終わった後、あいつらに必要な権能だ。使うべき時は今じゃない」
「だけど!」
「分かってくれって。こうするのが最善なんだ。こうする以外に、〝ウルティマ〟をどうにかする術が今はない」
「嫌! 嫌! だって、私は貴方が――!」

 ルーがクロノスを抱き締め、有無を言わさず口づけを交わす。
 翡翠の双玉を見開くクロノスは口を塞がれ、二の句が継げなくなってしまう。
 その頬を優しい雫が伝った。

「……悪いな」
「……私は諦めない……絶対に、絶対に、諦めない……! 何百年、何千年……例え何億年掛かったとしても必ず貴方を……〝時の女神〟クロノスの名において必――」

 ――ビシッ。

 突然ルーイの視界に映るクレハと瓜二つの顔に、まるで硝子に入るような小さなひび割れが起きた。
 一度入ったひび割れは時間を待たず、少しづつクロノスの顔を侵食していく。

(何だ……?)

 そして、クロノスの背後。
 どんよりとした黒い雲から死で埋め尽くされた大地、果ては絶望を感じさせた風までも、ひび割れていく。

(い、一体、何が)
 
「――だな、俺も――願わくば――」

 ルーが優しくクロノスに声を掛けている間も、ひび割れの侵食は続いているが、二人がそれに気付いた様子はない。
 
(ま、待て! なんだ! おい!)

 もうひび割れはルーイの目に映る全てを侵食している。
 それは決壊寸前のダムのようで、あとほんの少し、赤子ほどの力でも加われば、簡単に砕けてしまうだろう。

「――私は――例え世界――としても――」

 ――パリン。

 クロノスの言葉が最後の一押しとなって、ひび割れていた世界はひどくあっさりと砕けた。

 その瞬間、ルーイの意識は落ちていく。
 奈落の底、無限の闇へと落ちていく石のように真っ直ぐ、止まらず。

 ルーイは落ちていく。

 落ちていく最中、今しがた見ていた景色が自分の頭の中でも砕け散っていくのが分かった。

 ――死で埋め尽くされた大地も――。
 ――白く巨大な蛇も――。
 ――悲しみに暮れながら抱き合い口付けを交わす二人も――。

 何もかもがルーイの頭の中で砕け散り、最後の一欠片の破片――本当に小さな小さな破片だけが確かに残ったと感じ――。

 ルーイは尚も深い闇に落ちていく。

 そして――――――。
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