香りの献身 Ωの香水

天埜鳩愛

文字の大きさ
162 / 222
溺愛編

コイン2

しおりを挟む
果物店の女性は突然現れたこの場に似つかわしくないほどの美男子に軽く腰が引けながらも手にした果物を前掛けで拭きつつ店の中に大声を張り上げた。

「あんた! クインのコイン持ってる人が来たわよ」

 夫人の丸っこいシルエットの向こうからフェル族らしい厚みのあるがっしりした体格の初老の男性が、やや面倒くさそうな顔をしながら店の奥よりのっそりと出てきた。明るい場所に立つセラフィンの白い貌とコインを眩し気に見比べて、値踏みするような目線を向けた後、コインをしげしげと眺めて僅かに目を見張った。

「こりゃ本物だな。あんたはクインの恩人のようだ」
「紋でわかるのですね?」

 もちろんフェル族の研究をしていたことがあるセラフィンにはある程度知りえている情報だったが、相手の出方を神妙な顔つきで伺う。

「俺たちソートにとって、コインを相手に渡すって時は恩があるか庇護してやりたいか。まあめったに渡すものじゃない。刻む紋によって内容が違うが、身内にはわかる。それにそもそも個人によって造りが違う。これは異国のコインを手打ちで伸ばしてあるだろ。クインが若い頃旅した国のものだろうな。あの人にとっては思い出の貴重な品が使われている。なあ。あんた、何者なんだい?」
「お医者さんだって」
 妻がすぐに合いの手を入れてくれたので、セラフィンは話す手間が省けた。
 果物屋の親父は得心したような笑顔を見せる。
「ああ、あれか。クインの足を治してくれたお医者さんってあんたか。そりゃあ、ありがとうよ。でもまあ、じいさん元気になりすぎて今日はこの辺りにはいない。明日には戻ると思うがな」

 ヴィオの兄たちに会って里のこれからについて話をし、ある程度ヴィオの気持ちが固まってきたらドリの里に戻って、そのあと番になる。はやる気持ちから怪我からこの方長期の休暇を取ったのをいいことに気ぜわしくクインを訪ねてくることを推し進めたのはセラフィンだが、折角来たのというのにクインを訪ねても今日では会えずに肩透かしを食らうところだったとは。ヴィオは盗難にあって賊を追いかけていくし、つくづくついていないようだ。

(どのみち湖畔のホテルをとってあるからヴィオを探し出したら今日のところは引くことにしよう。時間がないわけじゃあない。俺の焦りが結果を悪くするとよくわかった。出直すのは構わないそれよりも……)

「連れの少年とはぐれてしまって、すぐに探し出したいんです。そのためにクインさんのお力もお借りしようかと思っていたのです。彼は私の婚約者ですが、まだ番にはなっていない未成熟なオメガなので心配で……」
「へえ、あんたの番かい?」
「ええ。隣りの船着き場まで最短で戻るには、やはり反対岸を走っている船で戻るのが早いでしょうか?」

 船の走行を優先させるためか、湖に至るまでに橋はほとんどかかっていない。ここから一番近い橋まで行くとなるとさらに湖の方まで向かわねばならなくなる。そこは湖のほんの手前なのだ。バスが走っているのも中央の中心部側に通じている反対岸側。ここで中途半端に船を降りずに次の船着き場まで乗ればよかったと、セラフィンは自分自身の決断のまずさに苛ついてならなかった。

 日頃物静かで冷静なセラフィンだが美貌に焦りが滲みでてしまったのか、それともこの世で最も強い絆であり美徳とされる、番を想う気持ちを察してくれたのか。

「まあちょっとまってろ。俺が船出してやるから、反対岸ぐらい渡してやるさ」
 力強くそう、夫の方が胸を張ってくれる。
 地元民は小さな舟で向かい側に渡るとは聞いていたが本当だったらしい。頼もしい一言に光明が差した辺りで今度は女将の方が道路の先を指さして騒ぎだした。

「それよりもっとちょうどいいのが来たわよ。あっちあっち」

 彼女の示す方向からガタガタ道を走ってくる白い三輪の自動車が土煙を上げながらこちらに向かってくるのが見えた。

「おーい!! ディゴ!!! あんたのおじいちゃんのお客さんだよ」

 聞こえてはいないのだろうが、果物屋のおじさんおばさん二人して、車どおりがほとんどないのをいいことに道路に飛び出して手を振るものだから、けたたましい音を立てて小さな車が急ブレーキをかけ止まった。
 運転席から顔をのぞかせたのは藍色のバンダナを頭に巻いた、団栗眼のフェル族の青年だった。窓に引っ掛けた太く筋肉質な腕と言い、黒々と焼けた素肌と言い、フェル族らしいフェル族といった感じの容姿から大声を張り上げた。

「おばさん! おじさん! 危ないじゃないか! 急に飛び出したりしてきて」
「ディゴ! コインもったクインの客が来てるんだよ。あんた孫なんだから家まで案内してあげな」
「はあ? 急になんだよ。俺、今すごく急いでるんだ。お医者さん探して連れて帰ってみて診て貰わないといけないんだよ」
「医者だあ? お袋さんどっか悪いのか? また腰か?」
「違うよ。ちょっと怪我人でちゃって……。川に落ちて頭打ったってアダンが連れてきた子がいて、ちょっとダニアに似ている、見慣れない顔だけどフェル族の若い男の子だ」

 彼が来た方向は、まさにヴィオが船を飛び降りて走っていった方角だった。嫌な予感に動悸を高めるセラフィンをよそに、夫婦がセラフィンの肩口辺りでぎゃあぎゃあ言い争いをはじめた。


しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

甘々彼氏

すずかけあおい
BL
15歳の年の差のせいか、敦朗さんは俺をやたら甘やかす。 攻めに甘やかされる受けの話です。 〔攻め〕敦朗(あつろう)34歳・社会人 〔受け〕多希(たき)19歳・大学一年

二人のアルファは変異Ωを逃さない!

コプラ@貧乏令嬢〜コミカライズ12/26
BL
★お気に入り1200⇧(new❤️)ありがとうございます♡とても励みになります! 表紙絵、イラストレーターかな様にお願いしました♡イメージぴったりでびっくりです♡ 途中変異の男らしいツンデレΩと溺愛アルファたちの因縁めいた恋の物語。 修験道で有名な白路山の麓に住む岳は市内の高校へ通っているβの新高校3年生。優等生でクールな岳の悩みは高校に入ってから周囲と比べて成長が止まった様に感じる事だった。最近は身体までだるく感じて山伏の修行もままならない。 βの自分に執着する友人のアルファの叶斗にも、妙な対応をされる様になって気が重い。本人も知らない秘密を抱えたβの岳と、東京の中高一貫校から転校してきたもう一人の謎めいたアルファの高井も岳と距離を詰めてくる。叶斗も高井も、なぜΩでもない岳から目が離せないのか、自分でも不思議でならない。 そんな岳がΩへの変異を開始して…。岳を取り巻く周囲の騒動は収まるどころか増すばかりで、それでも岳はいつもの様に、冷めた態度でマイペースで生きていく!そんな岳にすっかり振り回されていく2人のアルファの困惑と溺愛♡

【本編完結】あれで付き合ってないの? ~ 幼馴染以上恋人未満 ~

一ノ瀬麻紀
BL
産まれた時から一緒の二人は、距離感バグった幼馴染。 そんな『幼馴染以上恋人未満』の二人が、周りから「え? あれでまだ付き合ってないの?」と言われつつ、見守られているお話。 オメガバースですが、Rなし全年齢BLとなっています。 (ほんのりRの番外編は『麻紀の色々置き場』に載せてあります) 番外編やスピンオフも公開していますので、楽しんでいただけると嬉しいです。 11/15 より、「太陽の話」(スピンオフ2)を公開しました。完結済。 表紙と挿絵は、トリュフさん(@trufflechocolat)

ちゃんちゃら

三旨加泉
BL
軽い気持ちで普段仲の良い大地と関係を持ってしまった海斗。自分はβだと思っていたが、Ωだと発覚して…? 夫夫としてはゼロからのスタートとなった二人。すれ違いまくる中、二人が出した決断はー。 ビター色の強いオメガバースラブロマンス。

番解除した僕等の末路【完結済・短編】

藍生らぱん
BL
都市伝説だと思っていた「運命の番」に出逢った。 番になって数日後、「番解除」された事を悟った。 「番解除」されたΩは、二度と他のαと番になることができない。 けれど余命宣告を受けていた僕にとっては都合が良かった。

Accarezzevole

秋村
BL
愛しすぎて、壊してしまいそうなほど——。 律界を舞台に織りなす、孤独な王と人間の少年の運命の物語。 孤児として生きてきた奏人(カナト)は、ある日突然、異世界〈律界〉に落ちる。 そこに君臨するのは、美貌と冷徹さを兼ね備えた律王ソロ。 圧倒的な力を持つ男に庇護されながらも、奏人は次第に彼の孤独と優しさを知っていく。 しかし、律界には奏人の命を狙う者たちが潜み、ソロをも巻き込む陰謀が動き始める。 世界を背負う王と、ただの人間——身分も種族も違う二人が選ぶのは、愛か滅びか。 異世界BL/主従関係/溺愛・執着/甘々とシリアスの緩急が織りなす長編ストーリー。

【完結】陰キャなΩは義弟αに嫌われるほど好きになる

grotta
BL
蓉平は父親が金持ちでひきこもりの一見平凡なアラサーオメガ。 幼い頃から特殊なフェロモン体質で、誰彼構わず惹き付けてしまうのが悩みだった。 そんな蓉平の父が突然再婚することになり、大学生の義弟ができた。 それがなんと蓉平が推しているSNSのインフルエンサーAoこと蒼司だった。 【俺様インフルエンサーα×引きこもり無自覚フェロモン垂れ流しΩ】 フェロモンアレルギーの蒼司は蓉平のフェロモンに誘惑されたくない。それであえて「変態」などと言って冷たく接してくるが、フェロモン体質で人に好かれるのに嫌気がさしていた蓉平は逆に「嫌われるのって気楽〜♡」と喜んでしまう。しかも喜べば喜ぶほどフェロモンがダダ漏れになり……? ・なぜか義弟と二人暮らしするはめに ・親の陰謀(?) ・50代男性と付き合おうとしたら怒られました ※オメガバースですが、コメディですので気楽にどうぞ。 ※本編に入らなかったいちゃラブ(?)番外編は全4話。 ※6/20 本作がエブリスタの「正反対の二人のBL」コンテストにて佳作に選んで頂けました!

処理中です...