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溺愛編
コイン2
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果物店の女性は突然現れたこの場に似つかわしくないほどの美男子に軽く腰が引けながらも手にした果物を前掛けで拭きつつ店の中に大声を張り上げた。
「あんた! クインのコイン持ってる人が来たわよ」
夫人の丸っこいシルエットの向こうからフェル族らしい厚みのあるがっしりした体格の初老の男性が、やや面倒くさそうな顔をしながら店の奥よりのっそりと出てきた。明るい場所に立つセラフィンの白い貌とコインを眩し気に見比べて、値踏みするような目線を向けた後、コインをしげしげと眺めて僅かに目を見張った。
「こりゃ本物だな。あんたはクインの恩人のようだ」
「紋でわかるのですね?」
もちろんフェル族の研究をしていたことがあるセラフィンにはある程度知りえている情報だったが、相手の出方を神妙な顔つきで伺う。
「俺たちソートにとって、コインを相手に渡すって時は恩があるか庇護してやりたいか。まあめったに渡すものじゃない。刻む紋によって内容が違うが、身内にはわかる。それにそもそも個人によって造りが違う。これは異国のコインを手打ちで伸ばしてあるだろ。クインが若い頃旅した国のものだろうな。あの人にとっては思い出の貴重な品が使われている。なあ。あんた、何者なんだい?」
「お医者さんだって」
妻がすぐに合いの手を入れてくれたので、セラフィンは話す手間が省けた。
果物屋の親父は得心したような笑顔を見せる。
「ああ、あれか。クインの足を治してくれたお医者さんってあんたか。そりゃあ、ありがとうよ。でもまあ、じいさん元気になりすぎて今日はこの辺りにはいない。明日には戻ると思うがな」
ヴィオの兄たちに会って里のこれからについて話をし、ある程度ヴィオの気持ちが固まってきたらドリの里に戻って、そのあと番になる。はやる気持ちから怪我からこの方長期の休暇を取ったのをいいことに気ぜわしくクインを訪ねてくることを推し進めたのはセラフィンだが、折角来たのというのにクインを訪ねても今日では会えずに肩透かしを食らうところだったとは。ヴィオは盗難にあって賊を追いかけていくし、つくづくついていないようだ。
(どのみち湖畔のホテルをとってあるからヴィオを探し出したら今日のところは引くことにしよう。時間がないわけじゃあない。俺の焦りが結果を悪くするとよくわかった。出直すのは構わないそれよりも……)
「連れの少年とはぐれてしまって、すぐに探し出したいんです。そのためにクインさんのお力もお借りしようかと思っていたのです。彼は私の婚約者ですが、まだ番にはなっていない未成熟なオメガなので心配で……」
「へえ、あんたの番かい?」
「ええ。隣りの船着き場まで最短で戻るには、やはり反対岸を走っている船で戻るのが早いでしょうか?」
船の走行を優先させるためか、湖に至るまでに橋はほとんどかかっていない。ここから一番近い橋まで行くとなるとさらに湖の方まで向かわねばならなくなる。そこは湖のほんの手前なのだ。バスが走っているのも中央の中心部側に通じている反対岸側。ここで中途半端に船を降りずに次の船着き場まで乗ればよかったと、セラフィンは自分自身の決断のまずさに苛ついてならなかった。
日頃物静かで冷静なセラフィンだが美貌に焦りが滲みでてしまったのか、それともこの世で最も強い絆であり美徳とされる、番を想う気持ちを察してくれたのか。
「まあちょっとまってろ。俺が船出してやるから、反対岸ぐらい渡してやるさ」
力強くそう、夫の方が胸を張ってくれる。
地元民は小さな舟で向かい側に渡るとは聞いていたが本当だったらしい。頼もしい一言に光明が差した辺りで今度は女将の方が道路の先を指さして騒ぎだした。
「それよりもっとちょうどいいのが来たわよ。あっちあっち」
彼女の示す方向からガタガタ道を走ってくる白い三輪の自動車が土煙を上げながらこちらに向かってくるのが見えた。
「おーい!! ディゴ!!! あんたのおじいちゃんのお客さんだよ」
聞こえてはいないのだろうが、果物屋のおじさんおばさん二人して、車どおりがほとんどないのをいいことに道路に飛び出して手を振るものだから、けたたましい音を立てて小さな車が急ブレーキをかけ止まった。
運転席から顔をのぞかせたのは藍色のバンダナを頭に巻いた、団栗眼のフェル族の青年だった。窓に引っ掛けた太く筋肉質な腕と言い、黒々と焼けた素肌と言い、フェル族らしいフェル族といった感じの容姿から大声を張り上げた。
「おばさん! おじさん! 危ないじゃないか! 急に飛び出したりしてきて」
「ディゴ! コインもったクインの客が来てるんだよ。あんた孫なんだから家まで案内してあげな」
「はあ? 急になんだよ。俺、今すごく急いでるんだ。お医者さん探して連れて帰ってみて診て貰わないといけないんだよ」
「医者だあ? お袋さんどっか悪いのか? また腰か?」
「違うよ。ちょっと怪我人でちゃって……。川に落ちて頭打ったってアダンが連れてきた子がいて、ちょっとダニアに似ている、見慣れない顔だけどフェル族の若い男の子だ」
彼が来た方向は、まさにヴィオが船を飛び降りて走っていった方角だった。嫌な予感に動悸を高めるセラフィンをよそに、夫婦がセラフィンの肩口辺りでぎゃあぎゃあ言い争いをはじめた。
「あんた! クインのコイン持ってる人が来たわよ」
夫人の丸っこいシルエットの向こうからフェル族らしい厚みのあるがっしりした体格の初老の男性が、やや面倒くさそうな顔をしながら店の奥よりのっそりと出てきた。明るい場所に立つセラフィンの白い貌とコインを眩し気に見比べて、値踏みするような目線を向けた後、コインをしげしげと眺めて僅かに目を見張った。
「こりゃ本物だな。あんたはクインの恩人のようだ」
「紋でわかるのですね?」
もちろんフェル族の研究をしていたことがあるセラフィンにはある程度知りえている情報だったが、相手の出方を神妙な顔つきで伺う。
「俺たちソートにとって、コインを相手に渡すって時は恩があるか庇護してやりたいか。まあめったに渡すものじゃない。刻む紋によって内容が違うが、身内にはわかる。それにそもそも個人によって造りが違う。これは異国のコインを手打ちで伸ばしてあるだろ。クインが若い頃旅した国のものだろうな。あの人にとっては思い出の貴重な品が使われている。なあ。あんた、何者なんだい?」
「お医者さんだって」
妻がすぐに合いの手を入れてくれたので、セラフィンは話す手間が省けた。
果物屋の親父は得心したような笑顔を見せる。
「ああ、あれか。クインの足を治してくれたお医者さんってあんたか。そりゃあ、ありがとうよ。でもまあ、じいさん元気になりすぎて今日はこの辺りにはいない。明日には戻ると思うがな」
ヴィオの兄たちに会って里のこれからについて話をし、ある程度ヴィオの気持ちが固まってきたらドリの里に戻って、そのあと番になる。はやる気持ちから怪我からこの方長期の休暇を取ったのをいいことに気ぜわしくクインを訪ねてくることを推し進めたのはセラフィンだが、折角来たのというのにクインを訪ねても今日では会えずに肩透かしを食らうところだったとは。ヴィオは盗難にあって賊を追いかけていくし、つくづくついていないようだ。
(どのみち湖畔のホテルをとってあるからヴィオを探し出したら今日のところは引くことにしよう。時間がないわけじゃあない。俺の焦りが結果を悪くするとよくわかった。出直すのは構わないそれよりも……)
「連れの少年とはぐれてしまって、すぐに探し出したいんです。そのためにクインさんのお力もお借りしようかと思っていたのです。彼は私の婚約者ですが、まだ番にはなっていない未成熟なオメガなので心配で……」
「へえ、あんたの番かい?」
「ええ。隣りの船着き場まで最短で戻るには、やはり反対岸を走っている船で戻るのが早いでしょうか?」
船の走行を優先させるためか、湖に至るまでに橋はほとんどかかっていない。ここから一番近い橋まで行くとなるとさらに湖の方まで向かわねばならなくなる。そこは湖のほんの手前なのだ。バスが走っているのも中央の中心部側に通じている反対岸側。ここで中途半端に船を降りずに次の船着き場まで乗ればよかったと、セラフィンは自分自身の決断のまずさに苛ついてならなかった。
日頃物静かで冷静なセラフィンだが美貌に焦りが滲みでてしまったのか、それともこの世で最も強い絆であり美徳とされる、番を想う気持ちを察してくれたのか。
「まあちょっとまってろ。俺が船出してやるから、反対岸ぐらい渡してやるさ」
力強くそう、夫の方が胸を張ってくれる。
地元民は小さな舟で向かい側に渡るとは聞いていたが本当だったらしい。頼もしい一言に光明が差した辺りで今度は女将の方が道路の先を指さして騒ぎだした。
「それよりもっとちょうどいいのが来たわよ。あっちあっち」
彼女の示す方向からガタガタ道を走ってくる白い三輪の自動車が土煙を上げながらこちらに向かってくるのが見えた。
「おーい!! ディゴ!!! あんたのおじいちゃんのお客さんだよ」
聞こえてはいないのだろうが、果物屋のおじさんおばさん二人して、車どおりがほとんどないのをいいことに道路に飛び出して手を振るものだから、けたたましい音を立てて小さな車が急ブレーキをかけ止まった。
運転席から顔をのぞかせたのは藍色のバンダナを頭に巻いた、団栗眼のフェル族の青年だった。窓に引っ掛けた太く筋肉質な腕と言い、黒々と焼けた素肌と言い、フェル族らしいフェル族といった感じの容姿から大声を張り上げた。
「おばさん! おじさん! 危ないじゃないか! 急に飛び出したりしてきて」
「ディゴ! コインもったクインの客が来てるんだよ。あんた孫なんだから家まで案内してあげな」
「はあ? 急になんだよ。俺、今すごく急いでるんだ。お医者さん探して連れて帰ってみて診て貰わないといけないんだよ」
「医者だあ? お袋さんどっか悪いのか? また腰か?」
「違うよ。ちょっと怪我人でちゃって……。川に落ちて頭打ったってアダンが連れてきた子がいて、ちょっとダニアに似ている、見慣れない顔だけどフェル族の若い男の子だ」
彼が来た方向は、まさにヴィオが船を飛び降りて走っていった方角だった。嫌な予感に動悸を高めるセラフィンをよそに、夫婦がセラフィンの肩口辺りでぎゃあぎゃあ言い争いをはじめた。
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