香りの献身 Ωの香水

天埜鳩愛

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溺愛編

あの山里へ2

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 僅かな不調のせいでヴィオを置いてアガとセラフィンとが二人で山に入るなどいう、一番気をもむことになるのは避けたかった。ヴィオは眩暈の件をセラフィンにも隠したまま出発することになった。


 山に入る前、アガはセラフィンとヴィオの二人に今回の道普請の趣旨をざっと説明した。

「一週間ほど前、里の周辺で大雨が降った。地域の街に向かう道は無事だったが、山小屋と山の里に繋がる道の点検は最後になった。まずは山小屋に至るまでの道が壊れていないかの点検が主だ。道が大きく断裂していて、この三人でことが足りない場合は、人手が増える秋に一族のものが帰ってくる時期まで待ち、それまでは大きな崩れを起こさないように補強だけして帰ってくるつもりだ」
「承知しました」

 あくまでアガの仕事の補佐をする立場を貫くつもりか、スコップに至るまで少なくない荷物を背負ったセラフィンは山男であるアガや山育ちであるヴィオに後れを取らずにぴったりとついてきた。

 山に入ったのは昼下がりの時間帯だったが、日頃ヴィオとアガの脚ならばまっすぐ向かえば二刻ほどでつく山小屋までの道のりも、足元の笹や伸びてきた木の枝を払いながらでは遅々として進まない。しかしセラフィンもアガが立ち止まれば同じように立ち止まり、なにか作業があればそれに倣って黙々と手先を動かしていた。日頃肉体労働とは無縁に思えたセラフィンだが、刃物を振る堂に入った動きにヴィオが目を丸くしていると、少し恥ずかしそうな顔をしてセラフィンが手ぬぐいで額の汗を拭いた。

「軍事演習には自分が参加したことも、救護班として参加しことも何度もあるよ。一般の軍人に混ざって長い距離を寝ないで歩くことも、山を走らされることも勿論あった。入隊した頃から数年はしょっちゅうだったし、今でも年に1度は軍事演習に駆り出されるんだよ。救護テントの中はいつでも大騒ぎだったし、暴れる大男を押さえつけて怪我を縫うなんて日常茶飯事だったんだ。意外かい?」
「うーうん。凄いなあと思っただけ。僕はセラと山には入れてすごく嬉しいよ。山の中には沢山教えたい美味しいものもあるんだ。ずっとこうして来たかったから」

 ヴィオは努めて楽し気に振舞い、木の上を指さしてぷっくりと熟れたあの山葡萄が美味しそう食べたいなあとか、山頂からの景色は本当に美しいから楽しみにしていてとか一生懸命セラフィンに伝えてくれた。
 その姿が幼い頃と重なって、また肩車でもして木の実を取ってでも上げたいような愛おしさが溢れてきたセラフィンだった。

 しかし三刻は軽く経った頃、いくら基礎体力が乏しい方ではないセラフィンでも、慣れぬ山歩きと朝からの移動に少しずつ疲れの色を見せ始めた。アガは相変わらず黙って道を点検してきたが、幸いなことに大きな道の崩れはなかった。あと少しで今晩泊まる山小屋が見えてくるところだ。ヴィオが嬉しそうにセラフィンを手招きした。

「セラ! 美味しいお水が飲めるから頑張って! 泉があるんだ」
「ヴィオ、先に小屋にいっているぞ」

 父はそう言って先を急いでいったが、ヴィオはセラフィンにどうしても泉を見せたかったのだ。真っすぐに歩いていった父と離れて脇道にそれていく。大きなクヌギの木が目印でここからそんなに歩かなくとも目的の場所はある。
 空は段々と茜色に染まってきていたのでヴィオは父と離れたことをいいことにこっそりセラフィンと手を繋ぎあって歩いていった。泉までにはほぼ道はなく、ヴィオは立っている木々の木肌の個性を頼りに進んでいく。近づくと水の気配が増した気がして、疲れてはいたが少しだけ先導するヴィオはついつい早歩きになった。

 ついに夕方の光に淡く照らされた泉が見えてきた時、ヴィオは興奮して思わず頬を紅潮させ駆け出したが、セラフィンも彼の元気に押されて荷物の重さも忘れてつられて駆け足になった。

「ここ! 見て! セラの瞳の色みたいでしょう?! 凄く綺麗でしょ?」

 ブナの木立の中にそこだけ急にこんこんと水が湧き出た、本当に小さな小さな神秘的な蒼い水を湛えた泉があった。
 モルス家の庭の池よりも小ぶりですらあるが、湛えている水の美しさにセラフィンは目を見張る。それ以上に嬉しそうにセラフィンに抱き着いてくるヴィオが愛らしくて、荷物を下ろすことすら忘れてその身体を抱きしめた。

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