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第一章 くんか、くんか SWEET

8 ヒートの予感

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 中途半端な時間のせいか休憩室には誰もいない。
ひんやり冷たいパイプ椅子に座ると、もうとても立ち上がれなさそうな疲労感が襲ってきた。

「だる……。ドア開けたらいきなり部屋ならいいのに」

 それでもお腹はぐーぐー鳴るので、リノが買ってきてくれた焼肉だの、スパムだの肉系にやたら偏ったおにぎりをありがたくもしょもしょと口に運ぶ。
 持参したミニ水筒の中身の、母が作った麦茶を啜り、お腹にそれらをあっという間に納めた。そしてそのまま、青葉は少しの間、うとうととしてしまった。

(やば、寝てた)
 
 ぶるぶるっと身体を震わせ、むくりと頭を上げる。
 ふと気がつくと周りには他に休憩をとる者は誰もおらず、青葉はそっけない白灰色の天板に突っ伏して眠りこけていたようだ。
 握りしめていたスマホを確認したらすでに十七時を越えていたので驚いた。
それよりもさらに驚いたのは、誰かが青葉の上半身を包むように、大きな黒いパーカーを着せ掛けてくれていたことだった。

(え……。なんかいい匂いがする)

 襟ぐりの辺りが好みの香りすぎて、そしてどこかで嗅いだことがある気がして、パーカーを剥ぎ取ると、正面から相手に抱き着いているように鼻先を押し付けてくんくん確かめてしまった。

(この匂い、すごく好みだ。いくらでも嗅げる)

 傍から見たらまるでワンちゃんみたいなみっともない姿ともいえたが、頭がぼんやりとした青葉は夢中でパーカーに顔を埋めた。
 不思議と心が落ち着く香りで、だがそれとは裏腹に身体がじんわり熱くなる。香りとパーカーに心当たりがあって、期待でぞくぞくっとさらに感情が込み上げる。

(まさかだけど……。あの人が?)

 しかし鼓動がまずい程に高まってきた。青葉は火照り赤くなった顔でスマホの画面を確認する。

(あれから大分時間経ってる。不味い。昼の抑制剤飲み損ねちゃったし、ヒート入ったら動けなくなっちゃうよ。医療用タクシー呼んだらバカ高いし、乗ったら今月の小遣い全部飛んじゃう。動けるうちに帰んなきゃ)

 もしかしたら本当に予定より早く発情期を迎えるのかもしれない。前回の発情期の直前に、学童保育の遠足の引率ボランティアがあり、その時に発情期が当たるのを嫌がって抑制剤を多めに服用してしまったのだ。
 それでどうも周期が狂い始めてしまったのかもしれない。

(やばいかも。身体熱い……。早く家帰ろ)

 青葉は名残惜し気にパーカーを胸にぎゅっと抱きしめ、頬ずりする。ロゴの部分がちょっとだけ頬に当たって痛かった。

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