令和に活きる就活終活のヒント

令和宗活(のりかつのりかつ)

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《11》ファンキー

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「浅草のマンションに引越? ホテル住まい止めるんですか」
 タクシーに同乗させてもらって日本玩具に向かう途中、隣の牟礼さんに聞いた。
「そう。ホテルのお金、会社が出してくれてるから暫くはええかなあと思てたんですけど、ちゃっかり、ウチの部の経費から引かれてんの。初日から1か月分、それも全額、全額ですよ、全額、端数の250円まで。経費は、しっかり売上上げてから、しっかり使わんとね」
「引越、手伝いますよ。近いですし、浅草だったら」
「そんな、いつもいつも気遣わんといて下さい。引越代は会社に出してもらえるように、交渉してますし」
「そうですか……」

 でも、手伝うことになった。新川さんに誘われたからだ。部長就任祝のベンジャミナを、枯らしてはいないんだけど、ゲンナリとさせてしまったお詫びもあって、手伝うのだと言う。先週、愛車の黄色いコペンに、会社に置かれてたベンジャミナを積んで牟礼さんのホテルに向かったんだけど、途中で急ぎの仕事が入って、結局自宅に持ち帰ることになったんだそうだ。そのまま何日もベランダに放置しておいたら、ゲンナリとなってたらしい。
 「偉いよな、新川さんは」なんて思ってしまった。上司の引越なんだから手伝うのは当然だと思うんだけど……、いや、手伝わなくても「手伝いますよ」と言うだけは言っとくのは当然だと思うんだけど、今日来てない他の4人の部員達だったら、ベンジャミナをゲンナリとさせても、謝ったりせずに「新しいのに換えときました」で済ませたりするんじゃないのかな。俺は、スーパーエージェンシーの社内のスタッフと仕事をすることはないし(百貨店のイベントは俺以外全て外部のスタッフ)、社内に同期も学校の先輩後輩もいないわけだから、自席で見聞きすることと新川さんの噂話でしか社内事情はつかめないんだけど、「金で済ませられそうなことは迷わず金で済ませる」って風潮は、ちょっと感じるな。
 隣の営業部の実に御上品でキレ易い部長、俺と同い年、39歳の部長なんか、それが顕著だ。
「責任、責任て、もういい加減にして下さいよ。1000万値引きして済むんだったら、それでいいじゃないですか。私が出しますよ。それでいいじゃないですか。ですよね」
 こんなことを、営業局長に平気で言う奴だ。俺には、局長は「1000万円どうするんだ」じゃなくて「頑張って少しでも好転させろ」って言ってるように聞き取れたんだけど。まあ、彼は、スーパーエージェンシー水準でも別格の「資産家の息子」らしいんだけど。働かなくてもいい身分なのに、毎日毎日地下鉄で会社に通ってるのは、「子供の教育の為」なんだと。
 引越は、家財が極端に少なかったから、ホテルから浅草までの運搬と簡単な拭き掃除も入れて、2時間程で完了してしまった。洋服は牟礼さんがウォークインクローゼットに自分で吊るすし、昼前に、ベッドとダイニングテーブルとイス4脚とサイドボードとプラズマテレビが届くらしいが、それらも、大塚家具だかビックカメラだかの配達員がセッティングしてくれる。
 牟礼さんは、昼は3人で、創作フレンチかしゃぶしゃぶかトンカツに決めてたそうなんだけど、新川さんは、中学の後輩の結婚式の2次会があるとかで、帰ってしまった。20歳で結婚するって言うから、ヤンキーなのかなと思っちゃったけど、そんなことないよな、新川さんの後輩だもんな。
 野菜もしっかり食べれば太り難そうな、しゃぶしゃぶ屋にしてもらった。
「他には、どんなこと聞いてます?」ざるの笹がきゴボウを鍋に空けながら、牟礼さんが言った。
「他に、ですか」
「あるくせに。新川君には、関西支社より、クライアントにアンテナ張っとくように言うとかなあかんな」
「何も新川さんから聞いたなんて……」
「野球選手と付きうてたやなんて、関西支社でも極一部の人しか知らん話……」
「本当なんだ」
「別れましたよ。150万年前に」
 新川さんに教えてもらったその日に、選手名鑑を立ち読みしてしまっていた。プロ野球っていうより、大相撲って顔の選手だった。もう34歳なんだけど、2軍で選手として頑張ってるみたいだ。背番号の上にIKARASHIって縫い付けてある選手だ。
 2人共ちょっと食い過ぎて、浅草観光というか、浅草散歩してみることになった。休日の繁華街を女、女っていっても俺の上司なんだけど、にしても女と、こうやって何気に庇ってやりながら寄り添って歩くなんて、何年振りだろう。失業中は、早く仕事決めなきゃとか、早く夜になって眠くならないかなとか、矛盾したことを思いながら、独りっきりでやり過ごしてただけだったから。「背負ってるものが、俺自身の人生以外に何もないから、まだ楽なのかな」なんて、実感のないことを呟いたりして。
 しらみ潰しって感じに浅草の街を歩き倒したら、普通に安そうなスーパーを発見した。2人で中に入ると、秋限定ビールの試飲をやっていて、ビールグラスを特別に2つ付けてくれると言うので、よく冷えたロング缶を6缶買った。カエデ柄とイチョウ柄の陶器のビールグラスだった。
「食器はないですけど、テーブルとイスはありますよ」って牟礼さんが言ってくれるもんだから、ピスタチオとアーモンドとスモークチーズも買って、牟礼さんのマンションに、また行った。夜景が綺麗だった。それもあって、この物件を選んだんだそうだ。
 サイドボードの上、プラズマテレビの横に、母ちゃんの作品、ダンベルにも使える湯呑茶碗を飾ってくれてる。藍染の小さな座布団に載せてもらって。日本玩具の近くの「アンティークショップみたいな古道具屋さんみたいなお店」(俺は、フリーマーケットの売れ残りを置いてる店だと思ってた)でハギレを買って自分で縫ったんだそうだ。そういうこともちゃんとできる人なんだな、この帰国子女の大阪女は。
「尾崎さん、ほんまに、ビールが好きなんですね」大きなダイニングテーブルの向こう側で、歌音ちゃんが言った。
「ビールは、働く人の飲み物ですから」俺、ちょっと酔ってっかも。
「?」
「中学ん時、文化祭の打ち上げで友達とビール、かなり大量に飲んじゃって(その時、たまたま『味の花火』を買ってて、食ったんだけど)。母が学校に呼び出されたんですよ。で、母が、ビールなんて贅沢品、働く人の飲み物でしょって。先生達や、友達の親もいる前で。だから、ビール飲んでると、俺、働いてるよなあって。それに……」
「それに?」
「それにウチの母も、ビールしか飲まないんですけど。息子の私もビールしか飲まないってことが、それ自体が、親孝行なんじゃないかとか、思っちゃうんですよね。母に似たってことが」
「尾崎さん。面白い」
「面白いって言われちゃうと、ちょっと、バカにされてるような」
「そしたら、何て言うたらええんですか」
「ファンキーですね、て言われたら、ちょっと、愛されてるような、気がしません?」
「ファンキー?」
「そう。アンキーじゃなくて、ファンキー」ファは、ちゃんと下唇をかんで発音した。
「?」帰国子女の歌音ちゃんは、キョトンとしてる。
そうなんだよね。俺はずっと「ファンキー」って、「ちょっといかれてる」みたいな意味だと思い込んでたんだけど、『カタカナ語ポケット辞典』を引いてみたら「泥臭い、素朴な、原始的な」って意味しか載ってなかったんだよね。どうして、「ファンキー=ちょっといかれてる」って、思い込んじゃってたんだろう?
 バスルームの浴槽は、脚が伸ばせるジェットバスだった。別に、俺が入浴させてもらったわけじゃないよ。
あったかそう」
「でしょう」
 ゲンナリしたベンジャミナにぬるーいシャワーを掛けて、ダイニングテーブルの天板を包んであった気泡緩衝シート(プチプチ)で、全体を覆ってやった。
「これで、直ぐ元気になりますよ」
「ありがとうございます。朝から晩まで色々と。こんなことまで」歌音ちゃんも、ちょっとだけ酔ってる。2人でロング缶、俺がコンビニで6缶買い足してきたから、合計12缶空けたしね。まだ冷蔵庫買ってなかったし。

 明日は合羽橋で食器を揃えるって言ってたのに、どうして「明日も付き合いますよ」と言わなかったんだろう。帰りの電車で後悔した。
 歌音ちゃんだって、ちょっと、ファンキーだよ。俺が歌音ていい名前ですねって言ったら、ヨーロッパの少女時代は「キャノン、キャノン、写真撮ってくれよ」とか言われて嫌だったって言うから、成り行き上、
「やればいいじゃないですか、写真」なんて言っちゃったら、
「え? 写真? ああ、撮られるのは得意ですけど。いつ撮られても、誰に撮られても、きれーいに撮れてるんですよ、不思議と」と真顔で答えられた。
 10歳しか歳が違わないから、ちょっと緩く判定すれば、広い意味では同世代って言えると思うんだけど、歌音ちゃんは、俺達みたいに最後に「なんてね」とか付けねえんだな。
 俺は「博昭」でやってきたんだけど、「ヒロアキ」なのはいいんだけど、ずっと漢字が気に入らなかった。大人になって、まあまあ気に入ってた時期も、あったんだけどね。
 入学してたイベントの専門学校に倒産されてしまった俺は、小さなイベント会社でアルバイトを続けてた。
 20歳の誕生日、ゴールデンウイークの深夜の居酒屋で、「今日は尾崎が注文しろよ」って社長にメニューを渡された。残業代は出ないけど、飯はしっかり食わせてやるって会社だったんだ。で、注文し終わると、「はい」って、今度は日本レコード大賞を発表する時みたいな革張り(合成皮革だったけど)のメニューを渡された。広げると、
『尾崎博昭殿 謹啓 貴殿を正社員として採用いたします。有限会社LAST 社長 井口庸蔵』
って打たれたA4サイズの感熱紙が挟まれてた。感動したね。泣かされちゃったよ。イベントのプロとしての素質と才能を認めてもらえた気になった。5年後に「イベント業務管理者」って資格試験に合格して、9年後に「業務部長」って「株式会社LAST」の名刺に刷ってもらうことになったんだけど、思いがけず正社員にしてもらったあの時が、一番嬉しかったな。イベントの仕事をしてる社会人になった俺は、博士の博に昭和の昭じゃなくて、博覧会の博に昭和の昭って言うようになってた。昭和の昭ってことは昭五の昭と同じ意味だから、ずっと大嫌いで、俺の父親じゃなくなって清々した、あの男の影がぶら下がってるみたいで忌々しくもあったんだけど。でも、尾崎「博」に改名しても、戸籍は尾崎「博昭」のままなんだし、そんなことより、場末の「大博覧会」が、昭の呪縛から、ヒロアキを解放してくれたんだ。
 長かった昭の呪縛。実は全然偉くなんかなかった父親に対するコンプレックス、母ちゃんに対する罪悪感。
 父親の昭五は、40歳にして授かった愛しい赤ん坊に、自分の昭の字を取って、博昭と名付けた。昭五の代わりに、学歴も地位もある偉い人なるように、育てたかったんだろう。
 ところが、博昭が7歳の夏、既に、昭五の愛情は薄まっていた。出来損ないの息子だったと判明したからだ。自分の息子だと認めたくない、時間を戻せるなら、母ちゃんとの結婚からリセットしたい、そう思ったかもしれない。俺自身がそのことに気付き始めたのは、3年後、小学4年生、10歳の夏休みだったんだけど。
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